• 【連載:Ride of a Lifetime】カナダからカリフォルニアまで、ヴァンで旅するサーファーの旅の記録_Episode 0/僕が旅に出た理由
  • 2025.08.20

10年前にスキップしたドリームコースト

人生とは、伏線回収である。
風のないところに波は立たないし、種のないところに草木は生えない。その種は自分で植えたものか、あるいは風に乗って舞い込んできたものかは分からない。ただひとつ確かなのは、誰にでも平等に「芽吹くチャンス」が与えられているということだ。過去の出会いや経験が現在の自分を形づくり、そのどれか一つでも欠けていれば、今の自分はここにいなかっただろう。

サーファーが昔も今も夢見る旅といえば、カリフォルニア・ロードトリップだろう。サンフランシスコからサンディエゴに至るまで、サンタクルーズ、ビッグサー、サンタバーバラ、ベンチュラ、マリブ、ニューポート……。数え上げればきりがないほど、世界的なサーフポイントが点在する。僕はそんな夢の海岸線をスキップし、10年前にワーホリで住んでいたカナダに向かった。そこで辿り着いた小さな町、トフィーノ。この町との出合いが、僕の人生観を180度変えた。


振り返れば20代は「とにかく経験」の時期だった。後悔しないこと、失敗してもやり直せること。そう自分に言い聞かせながら、オーストラリア東海岸、インドネシア、中南米と旅を重ねた。サーフィンが上手くなりたい、その一心で朝から晩まで波を追いかけた。とりわけ中南米の旅は、今のライフスタイルを築く礎となった。未知の波、人、文化、景色に触れるたびに、まっさらな世界地図に自分の色を塗っていく。その感覚がたまらなく楽しかった。

灯台から臨むこのビューは、バイロンベイを象徴するアイコニックスポット @オーストラリア_Byron Bay

メキシコをスキップしてエルサルバドルから始めたサーフトリップ。空港を出た瞬間から、旅は刺激に満ちていた。タクシーの客引きがスペイン語でまくしたて、アメリカのスクールバスを改造したようなカラフルなバスが列をなしている。レゲトンの重低音が鳴り響く車内でハンドルを握っていたのは、15歳くらいの少年だった。
海に入れば、生ぬるい海水と容赦ない中米の陽射し。そして南半球から何千キロも旅してきたウネリは、僕が知っている波のパワーとはまるで別物だった。次々と押し寄せる波に挑み、体力が尽きるまでサーフィンを続ける。やがてパドルもできなくなり、クタクタのまま宿に戻る――それが日常になっていった。
今でこそWSLのチャンピオンシップツアーやISA世界大会で知られるエルサルバドルだが、当時の僕は何も知らなかった。夜の街に出るのは危険だと本能的に避け、スペイン語も分からず、初めはコショウひとつ買うことすらできなかった。

エルサルバドルの南部のエリア。波が無い日はそこらじゅうに生えてるココナッツを収穫 @エルサルバドル_Las frores

なぜそんな場所に行くことを選んだのか。きっかけは、オーストラリアのホステルで出会ったブラジル人が見せてくれた一枚の写真だった。そこに写っていたのは世界一長い波、ペルーのチカマ。その写真が頭から離れず、中南米への旅の思いが一気に爆発した。

世界一長い波と称されるペルーのチカマ。崖の上から撮影してもウネリがフレームアウトしてしまう @ペルー_chicama

当初はオーストラリアに1年滞在する予定だったが、思わぬ事情で帰国を余儀なくされた。そこで一度旅をリセットし、改めて選んだ行き先が中南米だった。一年中オフショアが吹くニカラグア、クロコダイルに怯えながら入ったコスタリカ、サボテンだらけの断崖を降りてペンギンとサーフィンしたチリ、世界一長い波を持つペルー、サーフィン後の疲れた体にコロナとタコスでエネルギー注入したメキシコ、本当に色々なところへ行き、サーフィンに明け暮れた。

ビーチを貸切も当たり前のニカラグア。内陸の大きい湖のお陰で毎日オフショアのアングラサーフィン天国 @ニカラグア_playa amarilla

中米で1番長いと言われるレフト。1キロほど続く波が、マシーンウェーブのように規則正しくブレイクしていく @コスタリカ_pavones

ビッグウェーブで有名なこのスポットは、岬の先端に岩が2つそびえ立つ。パドルアウトは毎回この崖を降りていく @チリ_punta de lobos

特にメキシコで過ごした4ヶ月間は、夢に描いた生活そのものだった。ビーチの目の前に家があり、徒歩で行ける距離に世界トップクラスの波がブレイクし、週25時間のボランティアで宿と食事が提供される。 ヤシの木に登ってココナッツを収穫し、素潜りで魚を捕る。何不自由なく、やりたいことすべてが揃っていた。
しかし不思議なことに、心のどこかで物足りなさを感じていた。20代、まだまだ挑戦できる年齢なのに、ここで止まってしまっていいのか? もっとやれることはないのか? そこで決意したのが日本の文化を改めて学ぶことだった。そして帰国し始めたのが、鮨職人の修行だった。

世界最恐のビーチブレイク。海底の深い山脈から集まったウネリが、浅くなったビーチで一気にブレイクする @メキシコ_puerto escondido


コロナ真っ只中の2020年、師匠について京都に向かった。働くことは出来なかったが、その代わりに京都の文化を深く学ぶ時間を得た。大徳寺真珠庵という一休さんゆかりのお寺に通い、禅の心に触れる経験もあった。2021年には師匠と共に東京で鮨屋「秀とら」のオープンに携わり、毎日魚と向き合う生活が始まる。当初は「2年ほど修行したらまた海外へ」と考えていたが、師匠との縁やコロナの影響もあり、気づけば約6年間を鮨の道に捧げていた。
鮨職人としての暮らしは厳しくもやりがいに満ち溢れていた。だが、どれほどサーフィンから離れても、僕の中のサーファーとしての感覚は消えなかった。サーフィンがあったからこそ海外へ飛び出し、またサーフィンがあったからこそ鮨修行にも全力を注ぐことができたのだ。

そして今年、30代を迎える。
20代で育んだ種が、10年の時を経て芽吹いた――カリフォルニア・ロードトリップ。この旅がどんな景色を見せてくれるのか、今から胸が高鳴っている。
※次回から本編をスタートします。


古川良太(サーファー/鮨職人)
20代の3年間、カナダ、オーストラリア、インドネシア、中南米の波を求めて旅を重ね、サーフィンに明け暮れる。帰国後は鮨職人として6年間修行し、日本文化と真摯に向き合う日々を送る。現在は妻と共にヴァンライフを送りながら、カナダからアメリカ西海岸をロードトリップ中。旅の様子はYouTube「アーシングジャーナル」で定期的に公開。
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