10年単位でサーフィンの歴史を振り返るTHE HISTORY of SURFING。第3回目は1970年代をピックアップ。サーフボードデザインとサーフィンの基準が定まらないまま突入した1970年代。一時期はブルーワーのミニガンかマクタビッシュのVボトムかの二択といわれていたが、多様なデザイン実験の末に、後世にも愛されるボードがこの時代に次々と誕生している。
サンディエゴのニーボーダーのスティーブ・リズは1967年にデュアルフィンでスプリットテールのフィッシュを生み出す。それがサンディエゴで独自に進化し、'70年代になるとヌヒワやジム・ブレアーズがフィッシュに乗ってコンペで優勝し一気に流行する。キャンベル・ブラザースが作った3フィンボンザーも、イアン・カーンズが1973年のスミノフ・プロアマで乗って優勝したことで、そのポテンシャルが証明された。他にもエッグをスキップ・フライが、ハルをグレッグ・リドルが、スティンガースワローをアイパがデザインし、ボードのカテゴリーは多岐にわたっていった。
また、いまでは当たり前のサーフギアもこの時代に多数発明・開発されている。
取り外しが可能なフィンシステムW.A.V.E.をトム・モーリーが開発すると、フィンの位置調整が可能なガイダンス・システムが登場し、フィンズ・アンリミテッドも同様のコンセプトのフィンボックスで1971年に特許を取得。初のサーフリーシュもこの時代の発明である。直後にリーシュプラグもコン・コルバーンによって開発される。セックスワックスやスティッキーバンプスなどが'70年代初頭に創業、ワックス市場も活況を呈した。
サーフボードデザインのバラエティ化にともない、スタイルごとにサーファーも多様化した'70年代。
ハイパフォーマンス・サーフィンといえばラリー・バートルマン、マイケル・ピーターソン、デーン・ケアロハ、パワー・サーフィンならジェフ・ハックマン、バリー・カナイアウプニ、テリー・フィッツジェラルド、チューブライディングならジェリー・ロペス、ローリー・ラッセル、ショーン・トムソンといった具合だ。
反戦運動と世界的なヒッピームーブメント、'60年代から沸き起こったさまざまな人権運動などを経て反体制的なムードがピークに達して幕を開けた'70年代は、サーファーのマインドが大きく変わった時代でもある。
ハワイのノースショアはアメリカ本土のサーファーにとっては徴兵から逃れる格好の逃避先となった。実際に野宿同然の暮らしをする者や自家菜園を持ち自給自足するサーファーも、長閑なオアフの海岸線沿いには少なからずいた。
アンチコンペの空気が漂っていた'70年代前半にも、それまでと変わらずコンテストは世界各地で開催されていた。ただそれらはずっと、異なる独立した団体により運営されていた。
1976年にサーキット形式の世界選手権プロサーフィンツアーを運営する団体IPS(インターナショナル・プロフェッショナル・サーファーズ)がフレッド・ヘミングスとランディ・ラリックにより発足する。以前からスポンサー集めに長けていてオーガナイザーとしての高い資質を持っていたヘミングスは、'70年代前半のハワイで行われる主要イベントでコンテスト・ディレクターを務めていた。
全文は本誌もしくは電子書籍でお楽しみください。
次回は、1980年代をピックアップします。
text_Takashi Tomita
SALT...#01「THE HISTORY of SURFING」より抜粋
1950年代の記事はこちら
1960年代の記事はこちら
TAG #1970年代#THE HISTORY of SURFING#サーフヒストリー#スティーブ・リズ#ヒッピームーブメント#フィッシュ#創刊
1960 年代から’70 年代にかけて主流だったシングルフィン。
かつては過去の遺産と揶揄されることもあったが、近年、世界各国で再び注目を集めている。その理由の一つは、シンプルで洗練されたデザインが持つ独自の特性にある。シングルフィンは余計な要素を排し、直進性とグライド感を最大限に高めた構造を持つ。波のエネルギーを効率よく活用し、流れるようなターンを生み出すその特性は、サーファーに正確なレールワークと波を読む力を求める。鋭角なターンには向かないものの、ドライブ性が高く、波のフェイスをトリムしながら滑走。ホローな波ではフィンが水をしっかりホールドすることでスピードロスを抑え、加速しながら波と一体化する。こうした特性を活かしたシングルフィンサーフィンは単なるスタイルの一つではなく、その力を最大限に引き出すためのアプローチでもある。この流れは特にオーストラリアにおいて顕著で、多くのサーファーがシングルフィンの価値を再認識している。大手メーカーからは、往年のデザインを再現したクラシックモデルや、現代の技術を取り入れたリファインモデルがリリースされるなど、マーケットにも影響を与えている。その背景には、オーストラリアのライフスタイルと密接な関係があるようだ。
オーストラリアの沿岸地域には、シンプルで牧歌的な暮らしが根付き、過剰な消費を避け、自然に寄り添った生活を大切にする価値観が浸透している。特にサーフカルチャーが根付く地域では、日常生活が自然のリズムに合わせて構築され、バランスを重視する傾向が強い。ミニマリズムが示すように、本当に必要なものだけに囲まれることで精神的な充足が得られる。この考え方は、シングルフィンサーフィンの本質とも共鳴する。多くのフィンを搭載したパフォーマンスボードが機動性を追求するのに対し、シングルフィンは波との一体感を重視する。一見、不便に思えるかもしれないが、身軽になることでより自由に生きられるのと同じように、シングルフィンサーフィンも無駄を削ぎ落とした先に、本質的なサーフィンの喜びがある。波のうねりに身を委ね、力でねじ伏せるのではなく、その流れに調和する。そうしたシンプルな行為の中にこそ、深い満足感と心地よさが生まれるのだ。
今回の特集では、再燃するシングルフィンサーフィンの最前線を探るべくオーストラリアに渡った。シングルフィンを愛するサーファーやシェイパーを取材し、その哲学やスタイルに迫る。最初の舞台は、バーレーヘッズで30 年近く続くシングルフィンのコンテストだ。
オーストラリア・ゴールドコーストで毎年開催されている「Burleigh Single Fin Festival」。その名の通り、シングルフィンのみで競い合うサーフコンテストで、今年で28年目を迎える由緒ある大会。このイベントに、日本からビラボンライダーの仲村拓久未と安室丈がエントリー。大会を通じて浮かび上がるサーフィン大国たる所以と、一枚刃の奥深さ。
2025年1月11日。ゴールドコーストの夏の風物詩として知られている「バーレー・シングルフィン・フェスティバル」が開催された。1985年以前のシングルフィンのみを使用するというユニークなレギュレーションのもと、ジュニア24名、ウィメン24名、メン96名、マスター6名の計4クラス、総勢150名がエントリー。その参加人数の多さもさることながら、今年で28回目を迎える歴史の長さに驚く。1987年からバーレーヘッズ・ボードライダースクラブの代表を務めるジェシー・アウトロムに、大会開催の経緯を聞いた。
「ボードライダースが設立されたのは今から60年前の1965年。亡くなった初期メンバーの一人、ピーター・ロバーツのメモリアルイベントとして同メンバーのピーター・ハリスが始めたのがきっかけ。最初の3回はメモリアルとして行い、過去にはマイケル・ピーターソンを追悼する大会として開催したこともあった。当初は数人の小さな大会だったが年を重ねるごとに大きくなり、現在では150名が参加する大会へと成長している」クラブには男女問わず、子供から大人まで幅広い年齢のサーファーが所属しており、14歳から60歳までを対象とした大会を月に1度開催している。メンバーにとって大会での成績は重要だが、主催者側の真の目的は子供たちの育成にあり、“彼らにサーフィンの楽しさを伝え、次の世代に繋げる”ことにある。大会以外にもビーチクリーン活動を実施したり、会費を環境団体へ寄付するなどの取り組みも行っている。前述の月に1度行われている大会はショートボードの大会だが、今回はシングルフィンのみを使用した大会。その理由について、ジェシーはこう続けた。
「クラブ設立時は、みんなシングルフィンに乗っていた。その当時に敬意を払い、ピュアにサーフィンを楽しむことができるシングルフィンの大会にしている」
ジャッジのクライテリアは、フローとマニューバリティに加え、スタイル(グッドルック)を重視。ヘッドジャッジを加えた計4名により採点が行われた。ローカルな大会とはいえ、規模も注目度も高く、エントリー枠も募集開始早々に埋まることが多い。そのため、クラブメンバーやスポンサー向けの特別枠が設けられており、拓久未と丈は大会のメインスポンサーであるビラボンの枠を使用して出場した。
コンテストは2日に渡って行われたが両日ともあいにくの雨で、真夏のオーストラリアとは思えない肌寒い天気。時折風も強き吹きつけ、決して良いコンディションとは言えなかった。実際、オーディエンスの数も例年の半分ほどだったが、選手も主催者も天候を全く気にする様子もなく、朝7時に大会がスタートした。ちなみに、28年の歴史の中で天気や波の影響で中止になったことは一度もなく、パンデミックの間も途切れることなく開催されてきた。
後半に続く
photography _ MACHIO
special thanks _ Billabong, Zack Balang, Burleigh Boardriders
>>特集の続きは誌面でご覧ください。
「SALT…Magazine #04」 ¥3300
サーフィン、暮らし、生き方、そして思考をより本質的なものへと回帰。シンプルで持続可能な在り方を追求することこそが、真の豊かさにつながる。
<Contents>
⚪︎Burleigh Single Fin Festival
⚪︎未知なる領域へ̶̶ サーフィンの新境地
⚪︎シングルフィンを愛する10人のインタビュー
⚪︎STILL AND TRUE
⚪︎笹子夏輝 ~カリフォルニア・スタイル巡礼の旅
⚪︎サーフィンによるマインドセットのススメ
⚪︎Stories Behind the Waves
⚪︎今を生きるサーファーたちのダイアログ
⚪︎世界の果て、南ポルトガル・サグレス
⚪︎Column _ Miyu Fukada
オンラインストアにて発売中!
TAG #BACK TO BASIC#BACK TO SINGLE FIN#BILLABONG#Burleigh Single Fin Festival#SALT...#04#シングルフィン#中村拓久未#安室丈
カリフォルニア発のパフォーマンスアパレルブランド Vuori(ヴオリ)が、ブランドアンバサダーである ロブ・マチャドとアラナ・ブランチャードがカリブ海を旅したショートフィルム『TRVL Caribbean』をYouTube で公開。本作では、2 ⼈がバハマ諸島を巡る旅を通して、サーフィン、⾃然との調和、そして現地の⼈々との⼼温まる交流を体験する様⼦が描かれている。「⼼地よく動き、つながる」というブランド哲学を掲げるVuori 。⽇から一歩離れ、⼼と体が解けていくような旅の魅⼒を感じてほしい。
about Vuori
2015 年に設⽴されたVuori 。フィットネス、ヨガ、サーフィンなどを⽣活の⼀部として楽しむカリフォルニアのアクティブなライフスタイルからインスピレーションを得たブランド。⻑持ちする製品を作り、⼈々が健康で特別な⽣活が送れるようにインスパイアすることを目指している。世界中の⼩売店で取り扱われ、マリブ、ニューヨーク、上海、ロンドンを含む50 以上の都市で直営店を展開。持続可能性に取り組むクライメイト・ニュートラル認定ブランドであり、リサイクルおよび持続可能な素材の使⽤、プラスチック廃棄物の削減、そして100%のカーボンオフセットを実践する3段階のアプローチを採⽤している。
TAG #Vuori#アラナ・ブランチャード#サーフフィルム#ロブ・マチャド
オーストラリア・バイロンベイを拠点に活動するプロロングボーダー、ロー・マイヤー。彼女が主催するロングボードのワークショップ「STYLE & FLOW」が、10月日本で開催されることが決定した。場所は美しい自然に囲まれた南伊豆。機能的でキュートなサーフ&ビキニウエア「LORE OF THE SEA」のデザイナーを務めるローは大の日本好き! のんびりとリラックスしながら、ロングボードの上達にしっかりフォーカスしたワークショップです。
リトリートでは、ロングボードのテクニック解説、ノーズライディングのコツ、その他コーチングや陸上でのイメージトレーニング、フォトグラファーによる動画・写真撮影などコンテンツが盛りだくさん。短期間でしっかりと技術の向上を目指したい人や、停滞しているレベルからステップアップしたい人にオススメです!
LAURE MAYER/ロー・マイヤー
サーファー、起業家、プロダクトデザイナー
フランス南部サン・ジャン・ド・リュ生まれ。2011年、オーストラリア・バイロンベイへ移住し、スタイル、サステナビリティ、パーフォーマンスを兼ね備えたサーフスーツブランド「LORE OF THE SEA」をローンチ。メキシコやニュージーランドなどで開催されるインビテーションオンリーのコンテストにも出場し、世界を旅しながら多くのサーフコミュニティとコネクションを築いている。
◆対象:サーフィンの技術を短期間で上達させたい人
◆内容:
・ビデオ分析で自分のフォームやテクニックをチェック後、ローによるコーチングやアドバイス
・海の中で波の読み方、ポジショニング、ターン、ノーズライディングなどの技術的アドバイス
・アフターセッションでのフィードバック、陸上でのイメージトレーニング、ロングボードの理論解説
・サーフィン前後の身体をケアするヨガ
・ロングボードをもっと楽しむためのマインドセットやポイント伝授!
◆対象:サーフィン初中級者以上
◆日時:希望の日程を選択
A_2025年10月12日(日)〜15日(水)3泊4日(女性限定)
B_2025年10月16日(木)〜19日(日)3泊4日(男性も歓迎)
◆場所:静岡県南伊豆
◆宿泊:ヴィラ白浜(VILLA SHIRAHAMA)
◆部屋タイプ:1棟貸切(TREE HOUSE)、4人ずつの相部屋。バス、トレイは各2つ、共有スペースに広いリビング、キッチン、テラス付き。男女別の寝室
◆定員:各日程8名まで
◆参加レベル:沖にパドルアウトし、自分で波をゲットできる人※初心者対象のサーフィンレッスンはありません
◆料金:136,500円(税込)
◆料金に含まれるもの
・3泊分の宿泊費
・滞在中の朝・夜の食事
・ローによるレッスン2セッション(ビデオ撮影付き)
・アフターセッションのビデオ解析とコーチング2回
・フリーサーフ2セッション(予定)
・モーニングヨガ(30分)2回
・プロのカメラマンによる写真、動画撮影(データはお渡しします)
・LORE OF THE SEAのイアリング
◆料金に含まれないもの
・昼食代
・現地およびサーフポイントまでの移動費
・保険
・レンタルする場合のギア代
1日目:午後1時現地集合、チェックイン。顔合わせ後、フリーサーフィン。夕食
2日目&3日目:
(午前)ストレッチ&ヨガ、テクニック重視のサーフレッスン
(午後)フリーサーフィン、フィードバックタイム、チルタイム
(夕食後)サーフィン動画解析、コーチング、アドバイス
4日目:朝食、チェックアウト後フリーサーフィンも可能
*当日の天候や波のコンディションにより、スケジュールが前後したり、サーフセッションの回数が変更になる場合もあり
今回のリトリート開催を記念して、お申し込みされた方には、LORE OF THE SEAのビキニコレクションまたはワンピースコレクションより、お好きなビキニ上下を特別価格12,000円で販売。お申し込み時に、ビキニまたはワンピースの追加オプションをお選びください(参加費の合計は148,500円となります)
オーストラリアのみならず、インドネシア、スペイン、モルジブ、モロッコなどでワークシップを開催してきたロー。動画を用いたコーチングには定評があり、参加者からは「サーフィンがより一層楽しくなった」「自分の癖を意識してスタイルを改善することができた」など、ポジティブなフィードバックも多数。詳し内容やお申し込みについては、こちらからチェックして下さい!
TAG #EVENT#LORE OF THE SEA#ロー・マイヤー#ワークショップ
あたたかい海に囲まれた南の島、沖縄には1年中波がある。そして、自然のリズムに寄り添ったサーフカルチャーが根付いている。沖縄生まれの兄妹プロサーファー、宮城和真と有沙。島人(しまんちゅ)に受け継がれる心を胸に、2人仲良く歩みを進める。
沖縄には、月の満ち欠けで時を刻む旧暦の文化が今も息づく。猛烈な台風や熱暑という過酷な自然条件が大きな理由。島人が安全に漁や農耕を行うために、潮の満ち引きや作付け・収穫の時期を計れる旧暦はなくてはならないものなのだ。その影響はサーファーたちにも色濃い。沖縄特有のサーフィンについて、宮城和真はこう話す。
「1日の中でサーフタイムが決まっているんです。満潮の前後2時間が基本とされています」
島のサーフポイントはリーフブレイクのみ。水深が浅いため、干潮時はサンゴ礁が剥き出しになってしまう。それゆえ、月のリズムに呼応した行動が必要なのである。和真の妹・有沙はサーフィンをするにあたって、「気をつけなさい」と父親からよく注意を受けていたという。
「サンゴで怪我をすると跡が残っちゃう。“オキナワンタトゥ”と沖縄のサーファーは言います。子どものころは、ちょっと怖かったですね」
とはいえ、潮、うねり、風のタイミングを見計らえば波は極上。周囲に点在するピークから好みの場所を選んで、楽しいサーフタイムを1年中満喫できる。あたたかい海水の透明度は抜群。波待ちをする足もとにはサンゴの森が広がり、カラフルな熱帯魚が泳ぐ。南の島、沖縄の青く美しい海での波乗りは格別だ。
和真と有沙の両親はサーファー。父・豊和さんは北谷町(ちゃたんちょう)で『ハードリーフ』という名のバー&サーフショップを営み、沖縄サーフライダー連盟の理事長を務めていた。そんな恵まれた環境のもとで育った2人は、ともに若くしてプロサーファーの道を歩む。だが、島でのサーフィンの楽しみ方はそれぞれ違う。
「和真はいろんな波を探して入る。すごく攻める感じ。でも私は、人の少ないところでのんびりやっています。みんなと時間をずらして、めちゃくちゃ浅いときに入ったり」と、大人になった有沙は笑う。
和真の行動範囲は沖縄本島だけにとどまらない。その日のベストウェーブを求めて、大小さまざまな離島まで足を伸ばす。
「波が上がれば、飛行機や船に乗って出かけます。沖縄本島とは違って島が狭い分、地形の角が多い。そこにうねりがラップしてきれいに入ってくる。だから本島では味わえないロングウォールの波もあるんです」
「プロツアーで優勝することが目標。プロの大会の優勝トロフィを沖縄に持ち帰った人がまだいないんです。それをぜったいに叶えたい」©Naoya Kimoto
このように、沖縄のサーフィンはとても多様だ。胸が高鳴るようなチャレンジもできるし、メローになごむこともできる。離島も含めて、無数に存在するグッドウェーブ。なかでも島のサーファーたちにひときわ愛されているサーフポイントがある。それは、和真と有沙が暮らす北谷町にある『砂辺』。2人のホームであり、沖縄のサーファーたちのステージだ。米軍基地がすぐそばにあり、海辺の遊歩道に沿って多国籍なお店が立ち並ぶ。海岸線に低めに設置された防波堤は座って海を眺めるのにうってつけ。砂辺はサーファーのみならず、沖縄に暮らす人々みんなが愛してやまない海なのだと有沙が教えてくれた。
「サーフィンをしない友人は夕陽を見ながらゆっくりしていて、私は波に乗る。スケートパークもあるし、子供連れの家族が過ごせるスペースもある。違うことをしていても、同じ海での時間を誰もが一緒に楽しめるんです。その雰囲気がすごくいい」
和真はこう続ける。
「サーファーと、海を見に来るギャラリーとの距離が沖縄で一番近い。そして、サンセットサーフが沖縄で最も気持ちいい。ピークの延長線上にきれいに太陽が落ちていくんですが、日本一の夕陽だと思っています」
最近、2人を取り巻く環境の変化は目まぐるしい。深い悲しみもあった。沖縄のサーフシーンの中心的役割を果たしていた父・豊和さんが急逝したのだ。
「お父さんはみんなを照らす太陽のような存在でした。サーフィンをテーマに人と人とを繋げていく。一緒に波乗りをしたり、お酒を飲んだりして繋げていく。その偉大さをすごく感じています」と和真は父なき今の心境を語る。いっぽう有沙は「『楽しそうだな』ってずっと思ってました」と懐かしそうに振り返る。
「サーファーにもサーフィンをやらない人にも『プロサーファーの宮城有紗だよね』って知ってもらえるような、格好いい存在になりたいです」©Hitoshi Onaga
「でも、なんでも引き受けすぎだった。全部イエスでノーがない。悪いことではないけれど、それで『どうしよう、どうしよう』ってなって、私たちが八つ当たりされたり(笑)。だけど、それがお父さんのいいところだったなって思う」
ここ数年で沖縄を訪れる旅行者がいちだんと多くなった。SNSの発達によって島の美しい海の写真が世界中に拡散されたことが最大の要因だ。加えて、働き方の自由度が高まったコロナ禍を機に移住者も増加。そうして沖縄でサーフィンをする人がいっきに増えた。この変化に対し、ハードリーフを窓口に兄妹はアクションを起した。サーフィンのガイドツアーを始めた和真の考えは明るい。
「サーファーが増えれば、トラブルも増える。そうすると“沖縄のサーファー”というひとくくりで印象が悪くなる。だから本土から来る方にサーフタイムのことなど沖縄でのサーフィンのルールを伝えて、ローカルの方とちゃんと繋げて、みんなが楽しめるようにやっていく。そうすれば、環境をよりよくできるチャンスなのかなと思って」
有沙も兄と志を同じく、初心者に向けたスクールをメインに活動。そして、“沖縄の子たちの憧れになれたらうれしい”と自分を磨く。
たんなるサーフィンの楽しみを超えて、地元の文化と自然との調和を象徴する宮城兄妹の物語。人々と絆を深め、海の恵みを分かち合う。そのあたたかい心にこそ、沖縄ならではのサーフィンの魅力が宿っている。
宮城 和真
1999年7月6日生まれ。2017年、沖縄初の高校生プロサーファーとしてプロデビュー。国内外のコンテストを回りながら、父親から受け継いだバー&サーフショップ、ハードリーフを営み、沖縄のサーフシーンを盛り立てる。
宮城 有沙
2000年6月22日生まれ。2019年、JPSAプロテストに合格。沖縄県初の女性プロサーファーとして、ウィメンズサーフィン界のアイコンとなるべく腕を磨く。兄・和真とともにコンテストに参戦、そしてハードリーフを支える。
SALT...#02より抜粋
「SALT…Magazine #02」 ¥550
SALT…#02は待望のタブロイド版!沖縄に根付く“自然に寄り添う”のではなく“共に生きる”というマインド。
SALT…ならではの視点で新しい沖縄の魅力をトータル24ページにわたってお届けします!
photography _ Atsushi Sugimoto text _ Jun Takahashi
フランス・ビアリッツ出身のカリスマロングボーダー、マーゴ・アハモン・テュコと妹のエメ、マーゴの幼馴染のアマヤの3人が2021年に立ち上げた、女性だけのサーフコンテスト「Queen Classic Surf Fest」(以下、QCSF)。世界中のスタイルのある女性サーファーを招集し、ミュージック、アート、スケート、サーフィンを通じて、女性サーファーの地位向上、LGBTQ+、フェミニスト、環境問題などを発信するイベント。市の後援やVANSが冠スポンサーとなり、夏のビアリッツの一大イベントへと成長した。このコンテストに日本から唯一、高校2年生のアマチュアロングボーダー間瀬侑良夏(ませゆらな)がクレジットされた。憧れのロングボーダーが集う夢の世界。いつかは出場したいと思い続けていたある日、それは現実なものになった……。この特集は、夢の切符を手に入れた間瀬侑良夏が綴ったイベントの記憶。最終回の今回は、ついにコンテストが終了。憧れのコンテストに参加して得たもの、そして繋げる未来への想い。
コンテスト最終日の朝。
今朝はかなり冷え込んでいる。選手たちとコールを待つ間、あまりの寒さに熱々の紅茶を8杯もおかわりしてしまった。
ようやく海面に陽が射し始め、ローラ・ミニョンのヒートがスタートした。サイズダウンした小波でもスタイルを崩さないローラの美しいバックサイドに、会場からため息が漏れる。セミファイナルからはチーム全員がクレジットされ、文字通りチーム対抗戦となった。
チームでのヒートはとても心強く、お互いのライディングを見守って声を掛け合う。私が失敗しても後ろからニエンケ・デュインマイヤーがコンプリートでカバー。アウトへ戻るとアンブル・ビクトワールが「惜しかったね!」とウィンクしてくれる。ショートボードのリーアン・カレンが離れたピークで決めると手を挙げて喜ぶ。相手チームもまた同じように。
マリーナ・カーボネルの可憐なスイッチスタンスに目を奪われていると、今日一番のセットの波をカリーナ・ロズンコが掴んだ。見事なコンビネーションを決めるとギャラリーはもちろん、チームの枠を超え選手全員がカリーナに歓声を送った。
残り時間が少なくなり、やっとコンプリートした私がピークに戻ると、アンブルがパーティウェーブをしよう! と合図を送ってくれた。チーム皆んなでパドルしてテイクオフ! 手を繋ぐことはできなかったが、この瞬間4人の心は繋がった。
エンドコールがかかった。憧れの彼女たちと同じ海で、隣で、声を掛け合い、歓声を送り合い、ハグを交わす。夢みたいという言葉さえチープに感じてしまうほど感動した。
そして、ラウンドアップコールは「チームレッド!」
昨夜密かに更新した夢を心の中で確認しながらパドルアウトする。QCSF2024のファイナルヒートが始まった。ファーストコールから最初のセットを掴んだリーアンが流れるようにボードを走らせ、会場を沸かせる。後に続けと、他のメンバーも潮が上げてブレイクしづらくなった波に次々とテイクオフしていく。私もアンブルとシェアライドして2人でノーズを決める。選手たちのハイレベルで美しいライディングと雰囲気に後押しされ、自分の実力以上のライディングができていることに驚いた。
相手チームが全員でのパーティウェーブをメイクし、会場から歓声が響いた。リーアンがボードを変えに走り、戻ってくると会場はさらに盛り上がる。残り時間はあと少し、パーティウェーブタイムに突入した!
会場から声援が聞こえ、海の中では選手たちがBGMに合わせて口ずさみ、笑顔が絶えず溢れていた。この時間がずっと続いてほしいと思っていたが、ついにエンドコールがかかり、終了。ホーンに合わせて皆んなで海面を叩いて水しぶきを上げる。アバのダンシング・クイーンが流れ、最後の波を待ち、8人全員のパーティウェーブでフィナーレを飾った。
たくさんの拍手と歓声で迎えられ海から上がるとビールが手渡され、ファイナリスト全員で乾杯とハグを行う。記念撮影を済ませ、結果は今夜のパーティで発表される。
午後もイベントは続き、マイノリティの人々にコミュニティや繋がりを提供しているCLUB DE SURF QUEERによる、LGBTQ+のサーフセッションやアームレスリング大会、女の子だけのスケートチームSKATEHERとVANSチームライダーによるコンテストが開催。さらに映画配信サービスMUBI主催による、トップアスリートが社会問題を公の場で発言するリスクと影響についての公開討論会が、地元のラジオ局DIA RADIOやポッドキャストから配信された。
陽が傾き始め、再び選手たちが集合。美しいオレンジ色に染まった会場で表彰式が始まった。より多くの波をメイクし、素晴らしいライディングでチームを盛り上げたマリー・ショシェとメイシー・マチャドにサーフボードが贈られ、その影響力からQCSFには欠かせない存在となったサーシャ・ジェーン・ロワーソンへ「ゴッド・マザー賞」が贈られた。
そして優勝チームの発表。ステージ裏の私たちに司会のアンブローズ・マクニールさんの声が響いた。
「チーム、レーーーッド!」
大興奮でステージへ上がると賞金、トロフィーが手渡され、マイクまで回ってきた。頭が真っ白になり会場の声援がだんだん遠のいていく。ヒートに向かうより緊張したが、アンブル、リーアン、ニエンケに続き、たどたどしくも今この瞬間の喜びを伝えることができた。会場からも拍手が贈られ、夢心地のまま今年のクィーン・オブ・クィーンズの発表を聞く。
高いスキルと華麗なスタイルを持ち合わせた正真正銘のクィーン。誰もが納得のエクセレントスコアを出した、カリーナ・ロズンコの名前が呼ばれた。ステージに上がり「ここにいるみんながクィーンよ!」という彼女の第一声に感動して鼻の奥が痛くなった。
陽が沈み、真っ暗になるまで写真を撮り、称え合い、誰からともなくQCSFに参加できたこと、皆んなに出会えたこと、また再会できることを願ってハグをした。カリーナは王冠を私の頭に被せてくれて、チームのメンバーはトロフィーを譲ってくれた。終わってしまうのが寂しい。ここにいる全員がこのコンテストは特別なものだと思っていることが伝わり、私の新しい夢のビジョンが見えた気がする。
そして大盛り上がりのDJタイムを少しだけ楽しんだ後、ヴィラ・ベルザに別れを告げた。
翌日、エルワンさんを通じて知り合ったフランス在住28年の西野渉さんにお願いして、QCSFのヘッドジャッジを務めたスタイルサーファー、クロヴィス・ドニゼッティさんとお話する機会を得た。カフェで待ち合わせ、コンテストでの私のライディングや今後のアドバイス、そして“スタイルサーファー”について貴重な話を聞くことができた。ここでの話は私の中の引き出しに大切にしまっておく。いつか自分の言葉で話せるときがくるまで。
ビアリッツでの奇跡のような日々が終わり、帰国のときがきた。ヒーローの住む街ビアリッツ。飛行機の窓から小さくなっていく街を眺めながら色々と思う。
イスラエル軍に空爆されたパレスチナ・ガザ地区で最初の女性サーファーである、ラワンド・アボ・ガーネムさんとその家族を支援するため、リーアンがボードを削り抽選会を行ったこと。ラワンドさんの従妹が夏に湘南で上映されたドキュメンタリー映画『ガザ・サーフ・クラブ』に登場した少女であること。そしてパレスチナに根付く男性優位の考え方から女性の教育、海へ入ることなど自由が制限されているということ。
サーシャ・ジェーン・ロワーソンが初のトランスジェンダー・サーファーとして優勝したとき、サーフコミュニティから否定的意見にさらされたこと。サーフィンの世界に限らず、女性蔑視やLGBTQ+の人たち、マイノリティに対する偏見や嫌悪が少なからずあること。
憧れのサーファーが出場していなければ、これらのことは知らなかったかもしれないし、興味を持たなかったかもしれない。このコンテストを作ったのが女性たちであることが嬉しく、憧れる。
QCSFでは、マイノリティであることや多様なアイデンティティが受け入れられ、人種や言葉の壁を越えて一人ひとりがお互いを認め、敬意を払っていると実感した。
女性を撮り続けている写真家のアンジー・ゴンザレスさんとMexiLogFest以来の再会を果たし、光栄にもポートレートを撮ってもらい、女性の強さや美しさ、母性を表現したいという彼女の放つエネルギーにもパワーをもらった。
私のような経験の浅いサーファーがトップサーファーと同じ舞台で肩を並べ、そのスタイルを学ぶ機会、新しい世界を知る機会を与えてくれたQCSFに感謝をしたい。そしてQCSFの波が世界中へ届くことを心から願う。
母、家族、私を応援して支えてくれている多くの人の助けによって夢のひとつを叶えることができた。そして新たな夢を見つけることも。感謝の気持ちが溢れて胸が熱くなる。
トム・カレンの娘であるリーアンやロブ・マチャドの娘であるメイシーなど、世代を超えてカルチャーが受け継がれていく。私がサーフィンと出合い、SNSや憧れの女性サーファーたちからインスピレーションを受けたように、私もいつの日か誰かに影響を与えられるようなサーファーになりたいと、強く思った。
ここで見たもの、出会った人々、得た力は間違いなく私のサーフィンの、人生の旅を豊かにしてくれた。
Vol.1はこちらからCheck!
Vol.2はこちらからCheck!
Vol.3はこちらからCkeck!
高校2年生/アマチュアロングボーダー
TAG #Queen Classic Surf Fest#サーフコンテスト#間瀬侑良夏
ビラボンの公式サイトでは、サーフィンのコアに迫るコンテンツ「#BILLABONGCORE」を公開中。
Vol.2に登場するのは、世界を股にかけるウェイブハンター、松岡慧斗。
ヘビーな波に惹かれるようになったきっかけから、次世代への思い、誇るべき日本の波、自分を貫く生き方をインタビュー。
さらに、2019年に日本人初の「ウェイブ・オブ・ザ・ウィンター」を獲得し偉業を達成するも、その後には苦悩が待ち構えていた胸の内を語る。
インタビューの全文はBILLABONGの公式サイトに公開されているのでチェック!
BILLABONGCORE Ver.2.0 Vol.2 松岡慧斗
TAG ##BILLABONGCORE#BILLABONG#松岡慧斗
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