• 【特集】SURF MUSIC makes us "SALTY" #02 -ショートボード革命とサイケデリックサウンドの相関図-
  • 2024.09.22

海と対峙するとき、音楽は円滑油のような効果を発揮する。サーフィンと音楽が絡み合い起こる化学反応。多くの先人たちの言葉を交え時空に綴れ織りを描くとき、サーファーとダンスの関係が見えてくる。


サーファーが好んで聴く音楽は今も昔も自己の限界をより高く、より速く、肉体に伝達させる効果がある。ディック・デイルの激しいギターサウンドはサーファーの肉体を高揚させ、自分の限界を超越した波に挑ませる効果がある。

ザ・ビーチ・ボーイズのメローなハーモニーはサーファーの心を明るく照らし多幸感を深めた。映画『フリーライド』のオープニング、パブロ・クルーズの「ゼロ・トゥ・シックスティ・イン・ファイブ」を聴き、多くのサーファーは勢いをつけてパドルアウトする。ドアーズの「ライダー・オン・ザ・ストーム」は落雷音と共に始まり、ジャングルサーフには欠かせない古典的ナンバーとなった。ジャック・ジョンソンのアルバム「ブラッシュファイアー・フェアリーテイルズ」は、ハワイから世界中のサーファーの愛聴盤になった。ニール・ヤングは絶対的古典、フォーエバーである。

音楽は脳に効き身体と精神をハイにし、またリラックスさせてくれる。海に行くとき、またサーフトリップに音楽が欠かせないアイテムなのも頷ける。例えばそれぞれの旅にリンクする想い出のアルバムがある。『アジアン・パラダイス』を撮影したサーフィンフォトグラファーのディック・ホールは「'76年6月のバリはリトル・リバー・バンド、同年冬のノースショアはフリートウッド・マックに導かれた」と回想する。ジェリー・ロペスはウォークマンからタジ・マハルを脳に叩き込みパダンパダンに向かった。水の上でダンスを躍るのに音楽は欠かせない刺激剤である。

 時代と地域によってサーフミュージックは異なるが、1964年に劇場公開された『エンドレス・サマー』は、ディック・デイルが完成させたギターインストルメンタルをソフィスティケートしたザ・サンダルズを起用。地球上の未知なる波を追い求めるハリウッドドキュメンタリーは今も忽然と輝く金字塔を打ち立てた。そんな平和だった'60年代前半とは裏腹に、'65年からベトナム戦争が勃発すると若いサーファーは反戦運動の真っ只中に追い込まれロックに傾倒した。ある日突然届く1枚の徴兵制が若者の人生を180度変えてしまう。この最悪な時期に多くのアメリカ人サーファーはベトナム行きを嫌い、ハワイやメキシコ、カリブ海へ逃避行した。これを当時の若者たちは「正しい逃避」と呼んだ。

戦勝国の豊かさを満喫した親世代との間に大きなジェネレーションギャップが生じると、個々の価値観と生き方までを変えてしまった。親世代が愛したフランク・シナトラよりも、サイケデリックロックを選択したのだ。サイケを直訳すれば脳に優しいである。その潮流は'67年に勃発したショートボード・レボリューションにも重なる。まさに多様化するロックと同じ歩みを描いていた。

マリブタイプのロングボードは一夜にして7'6"までカットされると、丸いノーズはピンに変貌。更に'69年のオーストリアでは、テッド・スペンサーのホワイトカイトと命名された5'2"のエッグが限界を超えた。ワールドチャンピオンのナット・ヤングにして「短すぎて波に追いつけない」と言わしめた。キング・クリムゾンがデビューアルバム「クリムゾンキングの宮殿」をリリースした年と重なるのは偶然ではない。これを境にロックとサーフボードは複雑化し始めた。

>>特集の続きは本誌でご覧ください。

「SALT…Magazine #01」 ¥3,300

本誌では24ページにわたってSURF MUSICを特集。“サーフィンと音楽”の蜜月関係から、アンドリュー・キッドマンのインタビュー、抱井保徳さんのコラムなど掲載。潮の香りをまとったソルティな音楽は、サーフィンライフを豊かにしてくれる。


photography_Jeff Devine text_Tadashi Yaguchi

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