海と繋がり、自分の中の好きや小さなときめき、そしていい波を追い求めてクリエイティブに生きる世界中の人々、“Ocean People”を紹介する連載企画。彼らの人生を変えた1本の波、旅先での偶然な出会い、ライフストーリーをお届けします。
Profile
Chloe Holden -クロエ・ホールデン-
イギリス出身のサーファー、クリエイター。現在23歳。世界各地のサーフスポットを旅した後、現在はオーストラリアのヌーサでパートナーとバンで生活しながらスローライフを送っている。
あなたのことについて教えて
生まれ育ちはイギリス、21歳のときに旅に出てポルトガル、インドネシア、フィリピンなど主にサーフィンができる場所を点々としていた。1年前にオーストラリア・サンシャインコーストのヌーサに引っ越して、今はここでサーフィンやボーディボード、カヤックなどのアウトドア・アクティビティを学校で教えている。イギリスに行ったことがある人は分かると思うけど、1年の大半が曇り空で太陽を浴びる時間が少ない場所。イギリスにいたときより今は幸せで、いつでも海に行けるこの生活が気に入っている。
サーフィンを始めたのは18歳のとき。夏に数時間かけてコンウォールの海に行ってたんだけど、できる回数は少なかった。ヌーサに引っ越してきて、少しずつサーフィンが上達しているのを感じている。ヌーサはロングボードにピッタリなメロー&ロングライドできる波で、ローカルはみんなフレンドリー。海に入れば顔見知りや友達がいて、みんな純粋にサーフィンを楽しんでいる。
これまで訪れた中でお気に入りのサーフスポットは?
フィリピンのシャルガオ島。見渡す限りココナッツの木がビーチから見えて、ローカルもとても親切。人、文化、食、すべてが最高で、シャルガオには恋をしたわ! いつか必ず戻って、数ヶ月は滞在したい。
現在ヴァンライフを送っているクロエ。始めたっきかけや苦労したことは?
彼とヨーロッパを旅しているときにヴァンライフを始めたの。多くのものを所有しないミニマムな生活、行きたいときにどこへでも行ける気軽さ、海の目の前で朝を迎えられるのが私たちにピッタリだった。苦労したことはあまりないけど、強いて挙げるなら雨の日、広くはないヴァンの中で1日中過ごすことかな。外にいることが大好きな私たちにとって、少し苦痛になることもある。
ここ数ヶ月、パートナーと一緒にセーリングに興味を持ち始めていて。まだまだ先のことになると思うけど、夢はインドネシアを自分たちの船で周りながら生活し、誰もいないラインナップでサーフィンすること。
海、自然、サーフィンとの関係を言葉で表すなら?
海、自然の中で過ごす時間は何にも変えられないもの。考え事をしてモヤモヤしていたり、気分が乗らないときでも海に入れば一瞬でなくなる。何のことで悩んでいたのか忘れてしまうほど、メディテーションみたいな役割を果たしてくれている。サーフィンをしているときが一番自分らしくいられる。自然と口角が上がって、子供の頃に戻ったみたいに無邪気に笑っている自分がいるの。
最後に、何か新しいことに挑戦したい人へのメッセージと今後の夢を教えて
もし自分がやりたいことが見つかったら、周りの意見や頭の中のノイズはカットして、心がワクワクすること、自分の直感に従うことかな。あとは常にポジティブなマインドセットでいること。すぐに結果として現れなくても、強く望んでいれば必ず何らかの形で自分に戻ってくるから。私もまだまだ挑戦したいことがたくさんあるから、これからも旅を続けて、自分のコンフォートゾーンを抜け出すような経験を積んで行きたいと思っている!
text:Miki Takatori
20代前半でサーフィンに出合い、オーストラリアに移住。世界中のサーフタウンを旅し現在はバリをベースに1日の大半を海で過ごしながら翻訳、ライター、クリエイターとして多岐にわたって活動中。Instagram
TAG #Chloe Holden#Ocean People#ビーチライフ#連載
海と繋がり、自分の中の好きや小さなときめき、そしていい波を追い求めてクリエイティブに生きる世界中の人々、“Ocean People”を紹介する連載企画。彼らの人生を変えた1本の波、旅先での偶然な出会い、ライフストーリーをお届けします。
Profile
Ezequiel Zaccardi エゼキール・ザカーディ
アルゼンチン出身の水中フォトグラファー。カメラを片手に世界中を旅しながら、現在はバリとメンタワイを行き来しながら生活している。
あなたのことについて教えて
生まれ育ちはアルゼンチで、海から離れたコルドバという場所で育った。15歳の頃からブラジルに通い始め、1ヶ月ほど滞在しながらサーフィンをしていた。本格的にサーフィンにのめり込んだのは、オーストラリアに引っ越してから。それと同時に水中でライディング撮影も始め、それを仕事にしたいという思いが強くなった。
幼い頃から写真を撮るのが好きだったからカメラの基本的な知識は頭に入っていたし、当時住んでいたバイロンベイにはクリエイティブなコミュニティがあって、実際に学ぶ機会もあった。また、レジェンドシェイパーのボブ・マクタビッシュと働いたり、多くのサーファーとコネクションを築き、経験も積むことが出来た。その後数カ国旅した後、バリに住むことに決めた。世界中からサーファーが集まるこの場所は、チャンスが無限大にある。長年の夢だったメンタワイで撮影したり、リップカールが冠のパダンパダンカップを撮影するなど、自分のキャリアを成長させる最高の場所。
お気に入りのサーフスポットは?
メンタワイ! これまで世界中色んな場所に行ったけど、メンタワイほど完璧にそしてコンスタントに波がある場所は他にはない。景色も手つかずの自然もすべてが夢のような場所。
次に行きたいのはフィジーとハワイ。波もロケーションも良い話をたくさん聞いているから、近いうちに絶対行ってみたい。
海、自然との関係を言葉で表すなら?
海に入っていると、自分はその一部になっている。昨年、4ヶ月間毎日海で撮影していた時期があって、海への感謝やリスペクトはもちろんのこと、自分を謙虚にさせてくれた。海のことを理解していないと大怪我をすることもあるけど、良い波や良いショットのためにリスクを負うことも必要。仕事をする場所でもあり、子供の頃に感じた純粋な“好き”や”喜び”を、大人になっても感じさせてくれる場所。
今後の夢や目標は?
インドネシアでサーフフィルムを作りたいと思っている。プロサーファーの映像は世の中にたくさんあるけど、私はサーフィンのルーツや本質をフィーチャーしたいと思っている。波をシェアし、目の前に来た波を心の底から楽しむ。クールでスタイリッシュなサーファーと一緒に波を追いかけながら、そのときに去来する感情や高揚感を、美しい映像と共に伝えたい。
あなたの人生に欠かせない3つのものは?
仕事道具でもあり遊び道具にもなるカメラ、そして海と人々への愛。
何か新しいことを始めたいと思っている人にアドバイスを
今の時代、やりたいと思ったことは行動すれば何でもできる。お金のためではなく、情熱をもってやれば必ず結果はついてくる。行き詰まったときは、少し環境を変えてみれば新しいエネルギーが入ってくる。世界は広いようで意外と狭いもの。常にオープンなマインドでいれば、宇宙が繋がりたい人と出会わせてくれると信じている。
text:Miki Takatori
20代前半でサーフィンに出合い、オーストラリアに移住。世界中のサーフタウンを旅し現在はバリをベースに1日の大半を海で過ごしながら翻訳、ライター、クリエイターとして多岐にわたって活動中。Instagram
TAG #Ocean People#エゼキール・ザカーディ#サーフィンフォトグラファー#ビーチライフ#連載
海と対峙するとき、音楽は円滑油のような効果を発揮する。サーフィンと音楽が絡み合い起こる化学反応。多くの先人たちの言葉を交え時空に綴れ織りを描くとき、サーファーとダンスの関係が見えてくる。
サーファーが好んで聴く音楽は今も昔も自己の限界をより高く、より速く、肉体に伝達させる効果がある。ディック・デイルの激しいギターサウンドはサーファーの肉体を高揚させ、自分の限界を超越した波に挑ませる効果がある。
ザ・ビーチ・ボーイズのメローなハーモニーはサーファーの心を明るく照らし多幸感を深めた。映画『フリーライド』のオープニング、パブロ・クルーズの「ゼロ・トゥ・シックスティ・イン・ファイブ」を聴き、多くのサーファーは勢いをつけてパドルアウトする。ドアーズの「ライダー・オン・ザ・ストーム」は落雷音と共に始まり、ジャングルサーフには欠かせない古典的ナンバーとなった。ジャック・ジョンソンのアルバム「ブラッシュファイアー・フェアリーテイルズ」は、ハワイから世界中のサーファーの愛聴盤になった。ニール・ヤングは絶対的古典、フォーエバーである。
音楽は脳に効き身体と精神をハイにし、またリラックスさせてくれる。海に行くとき、またサーフトリップに音楽が欠かせないアイテムなのも頷ける。例えばそれぞれの旅にリンクする想い出のアルバムがある。『アジアン・パラダイス』を撮影したサーフィンフォトグラファーのディック・ホールは「'76年6月のバリはリトル・リバー・バンド、同年冬のノースショアはフリートウッド・マックに導かれた」と回想する。ジェリー・ロペスはウォークマンからタジ・マハルを脳に叩き込みパダンパダンに向かった。水の上でダンスを躍るのに音楽は欠かせない刺激剤である。
時代と地域によってサーフミュージックは異なるが、1964年に劇場公開された『エンドレス・サマー』は、ディック・デイルが完成させたギターインストルメンタルをソフィスティケートしたザ・サンダルズを起用。地球上の未知なる波を追い求めるハリウッドドキュメンタリーは今も忽然と輝く金字塔を打ち立てた。そんな平和だった'60年代前半とは裏腹に、'65年からベトナム戦争が勃発すると若いサーファーは反戦運動の真っ只中に追い込まれロックに傾倒した。ある日突然届く1枚の徴兵制が若者の人生を180度変えてしまう。この最悪な時期に多くのアメリカ人サーファーはベトナム行きを嫌い、ハワイやメキシコ、カリブ海へ逃避行した。これを当時の若者たちは「正しい逃避」と呼んだ。
戦勝国の豊かさを満喫した親世代との間に大きなジェネレーションギャップが生じると、個々の価値観と生き方までを変えてしまった。親世代が愛したフランク・シナトラよりも、サイケデリックロックを選択したのだ。サイケを直訳すれば脳に優しいである。その潮流は'67年に勃発したショートボード・レボリューションにも重なる。まさに多様化するロックと同じ歩みを描いていた。
マリブタイプのロングボードは一夜にして7'6"までカットされると、丸いノーズはピンに変貌。更に'69年のオーストリアでは、テッド・スペンサーのホワイトカイトと命名された5'2"のエッグが限界を超えた。ワールドチャンピオンのナット・ヤングにして「短すぎて波に追いつけない」と言わしめた。キング・クリムゾンがデビューアルバム「クリムゾンキングの宮殿」をリリースした年と重なるのは偶然ではない。これを境にロックとサーフボードは複雑化し始めた。
>>特集の続きは本誌でご覧ください。
「SALT…Magazine #01」 ¥3,300
本誌では24ページにわたってSURF MUSICを特集。“サーフィンと音楽”の蜜月関係から、アンドリュー・キッドマンのインタビュー、抱井保徳さんのコラムなど掲載。潮の香りをまとったソルティな音楽は、サーフィンライフを豊かにしてくれる。
photography_Jeff Devine text_Tadashi Yaguchi
TAG #SALT#01#SURF MUSIC#SURF MUSIC makes us "SALTY"#サーフミュージック
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Anna Mowgli アナ・モーグリ
フィリピン出身、現在はバリ島とジャワ島東部の2拠点で生活しながら、フォトグラファーとして活動する傍ら自身のブランド「Tiny Wave Surf Club」をパートナーと運営している。
あなたのことについて教えて
生まれはフィリピン、育ちはカナダ。大学を卒業した2008年に初めてインドネシアを訪れて、それ以来ずっとここに住んでいる。バリは数年前と比べて海も街も忙しくなったけど、友達がたくさんいるからお気に入りの場所。今は手付かずの自然と波が豊富なジャワ島東部のバトゥカラスと行き来しながら生活している。
仕事はフォトグラファーをメインにしながら「Tiny Wave Surf Club」というブランドも運営している。ブランドを始めたきっかけは特にないんだけど、最初はただ趣味程度にやっていた。パートナーがアーティストということもあって、彼のアートをTシャツにプリントしたり、ロゴを作ってみたり。特にビジネスにすることは考えず、洋服を友達や身内に販売してたの。するとみんなからの反応が思った以上に良かったから、インスタグラムのアカウントを作り、ブランドとしてローンチすることに決めたの。
Tiny Wave Surf Clubという名前に込められた意味は?
コンセプトは太陽の光が降り注ぐ海岸と、穏やかな海のさざ波が出合う場所。一般的なサーフクラブではなく、サーフィンの本質を再定義するために集まった、サーファーたちのコミュニティ。ここでは、誰が一番大きな波に乗るか、誰が一番クリティカルなマニューバーを描くかということは気にせず、なぜ海が好きになったのかを思い出させてくれるような、小さくてファンな波に乗る喜びを、心の底から味わうことが大切。
ソフトボードで練習する初心者も、ビッグウェーブに挑むサーファーやプロと同じように、ラインナップの中では誰もが自分の居場所を見つけることができる。そんな多様性を大切にし、順位や点数を気にせずサーフィンを純粋に楽しむことができる場所を作りたいと思った。
サーフィンを始めたきっかけとお気に入りの場所は?
バリに移住する前にハワイやコスタリカで何度かトライしてみたけど、本格的に始めたのは2008年にバリに来てから。最初はチャングーのバトゥボロンやオールドマンズでロングボードを始めて、それから色んな場所にサーフトリップに行くようになった。スリランカやオフシーズンのメンタワイは私にピッタリの波で、お気に入りの場所。
海、自然との関係を言葉で表すなら?
私の人生はサーフィンを中心に回っているから、日常生活も旅行に行くのも、一番にサーフィンのことを考えている。パートナーと出会ったのも海の中だし、海にいると様々なアイデアが浮かんでくる。ビーチで過ごす時間は私にとって欠かせない時間、海から上がったあとのリフレッシュしたマインドや感覚は特別で、他に変えられるものはない。
これからの目標は?
ブランドは今まで通りシンプルに、クオリティを維持していけるよう努めていきたい。それと同時に、商品が実際手に取れるお店も作りたいと思っている。個人的な目標は、行ったことがない新しい場所にサーフトリップに行くこと。インドネシアには数えきれないほどのサーフスポットがかるから、ここに住んでいる間にもっと多くの島を訪れて誰もいないラインナップを探すのが夢。それから、来年はニュージーランドにも行ってみたいな。
あなたの生活に欠かせないものを3つ挙げるとしたら
私は食べることが大好きなので、まずは美味しい食事。それと何か新しいことを学ぶこと。スキルでも知識でも何か新しいことを日常的に取り入れることが大切だと、ここ最近気づいたの。あとは旅行かな。
text:Miki Takatori
20代前半でサーフィンに出合い、オーストラリアに移住。世界中のサーフタウンを旅し現在はバリをベースに1日の大半を海で過ごしながら翻訳、ライター、クリエイターとして多岐にわたって活動中。Instagram
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海と対峙するとき、音楽は円滑油のような効果を発揮する。サーフィンと音楽が絡み合い起こる化学反応。多くの先人たちの言葉を交え時空に綴れ織りを描くとき、サーファーとダンスの関係が見えてくる。
海を感じさせてくれる音楽、その答えは百人百様だが“サーフミュージック”には時代と場所を越えたアイデンティティがあるようだ。
サーフミュージックという言葉の誕生は1960年代初頭、発祥地は南カリフォルニアとされている。ディック・デイルがヘビーでディープなリバースを効かせたエレクトリックギターのインストルメンタルナンバー「レッツ・ゴー・トリッピン」を大ヒットさせたのが始まりだった。それ以前は、音楽とスポーツを結びつけるサウンドは存在していない。
サーフィンが普及し始めたこの頃、アメリカは世界一豊かで夢と希望が溢れる夢の国として世界中から憧れていた。1945年に第二次世界大戦が終わり、'50年代に突入すると戦争のない平和な時代を謳歌するユースカルチャーが芽生え始めていた。クールとポップの融合である。その代表格がサーフィンであり、サーファーだった。彼ら彼女たちが好んで聴く音楽が、のちに南カリフォルニアの海岸線から全米に広がり世界中のポップミュージックに影響を与え続けるとは、そのとき誰が想像できただろうか?
同時期にデビューしたザ・ビーチ・ボーイズはディック・デイルとは対照的に、甘くメローなハーモニーとキャッチーな歌詞で商業的にも大成功を収めた。なぜ全く異なる性質の音楽が時同じくしてサーフミュージックと定義されたのか? それはサーフィンの本質に由来しているから。激しく荒れ狂う海とオイルフェイスの凪ぎを思い浮かべて欲しい。どちらからも同じ潮騒の香りが漂ってくる。
現代では科学的に「音楽は脳に効く」ことが立証されているが、'60年代初頭は音楽とスポーツの関係は未知の領域にあり、その関連性を探る者さえいなかった。近年ではアスリートが競技中にヘッドフォンで音楽を聴くことが禁止されている。一方でスタート直前まで音楽を聴く選手たちの姿を暫し目にする。特に個人競技では顕著である。音楽が脳の報酬系部分を刺激し、ドーパミンの分泌を高める効果が証明されたからである。つまり、音楽はアスリートにドーピングと同じ作用を及ぼすのだ。ドーパミンが増えると快楽に敏感となり、アドレナリンの分泌量を増やし肉体のパフォーマンスを高める。さらに覚醒作用が生じることで集中力が増し、目の前の恐怖に対して身体と脳が対抗力を高め、ストレスホルモンと筋肉の疲労感を一時的に軽減させる。そう、戦闘モードを高めるのだ。
例えばラグビー・ニュージーランド代表のオールブラックスが試合前にハカを舞う雄姿は有名だが、彼らは自らを鼓舞するために頑強な仕草でグラウンドを揺さぶる。但しハカは原始的な踊りに近く、旋律にスポットが当たることはない。いずれにせよ、サーフミュージックこそがアスリートとミュージックを一元化した、世界初の音楽ジャンルであることは明らかである。
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本誌では24ページにわたってSURF MUSICを特集。“サーフィンと音楽”の蜜月関係から、アンドリュー・キッドマンのインタビュー、抱井保徳さんのコラムなど掲載。潮の香りをまとったソルティな音楽は、サーフィンライフを豊かにしてくれる。
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栗山 遥 - Haruka Kuriyama -
1996年生まれ。学生時代にヨガと出合い、正しい身体の使い方や哲学を知り、もっと深めたいと思いRYT200を取得。現在では海の近くに暮らしながら、ヨガだけではなく、マインドフルネスやエシカルな活動をSNSやYouTubeを通じて幅広く広めている。
環境に配慮した生活を送りたい、身体に良いことを取り入れたい。そんな前向きな思いがあるのに、時には「完璧にしなければ」と感じて息苦しくなったことはないだろうか?
ヨガインストラクターの栗山遥さんが教えてくれたのは、自分軸に合わせた「心地よいエシカルライフ」の作り方。少し視点を変えるだけで、もっと自然体で持続可能な生活が手に入る。
ヘルシーなライフスタイルを送るヨガインストラクター、栗山遥さんは、自然体で過ごしながら環境に配慮した「エシカルアクション」を発信し、多くの人々に共感を呼んでいる。だが、彼女がこのマインドセットに到達するまでには、試行錯誤があったという。
「サーフィンを始めたことがきっかけで、海のゴミの多さに気づいたんです。それから環境問題について深く知るようになり、環境に良いとされることはとにかく実践する日々が続きました。プラスチック製品を使わない、ヴィーガン生活をするなど、できる限りのアクションを取り入れることに夢中になりました」
しかし、完璧を追求しすぎた生活は次第に苦しくなってしまったと栗山さんは振り返る。
「最初は環境汚染に対する恐怖から、とにかく行動しなきゃって焦っていたんです。でも、その生活を続けていくうちに、無理が出てきてしまいました。持続可能な生活とは、無理なく自分に合った形で続けられることが大切なんだと気づきました」
今では、身体と心に無理のない範囲でエシカルな行動を実践し、それが結果的に環境に優しい選択になっているという。自分に合ったライフスタイルを見つけることで、より続けやすく、心地よい日々が送れるようになったと教えてくれた。
栗山さんが試行錯誤の末にたどり着いたのは、完全なヴィーガンやゼロ・ウェイストではなく、自分の体調やライフスタイルに合わせた食生活とエコな習慣だ。たとえば、お肉を控える代わりに魚を中心とした食生活に切り替え、身体のバランスを取ること。
さらに、プラスチック製品の使用を完全に排除するのではなく、リユースできるものを選ぶなど、負担なく続けられる選択も取り入れること。そうすることで、視野が広いエシカルアクションを叶えている。
「たとえば、エコバッグやマイボトルを使う、コスメはリサイクル可能な容器のものを選ぶことを心がけています。無理にすべてのプラスチックを排除しようとするのではなく、心地よく続けられる方法を見つけることが大切だと私は思うんです」
また、栗山さんは自身の価値観を反映したエシカルファッションブランド〈seed and soil〉を2021年に立ち上げた。ブランドでは、「土から生まれ、土に還る」という循環を意識した素材を使用し、環境に配慮したモノづくりを行っている。質の高い素材とシンプルなデザインが特徴で、年齢を問わず長く愛用できるアイテムを提供するのも栗山さんらしい。
栗山さんが伝えるメッセージは、いたってシンプル。「無理をせず、長く続けられる形でエシカルな選択をすること」。それは、環境に優しいだけでなく、自分自身の心と体にとってもいい選択であることを、改めて考えさせられた。
「自分の心地よさを大切にしながら、環境にも配慮できる選択をすることで、長く続けることができるんです。みなさんも無理をせず、自分に合った形でエシカルライフを楽しんでください」
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本誌では栗山さんが「アーユルヴェーダで学んだ体質に合わせたセルフケア」のエピソードも掲載!
他にも観光ファーストではない、レスポンシブル・ツーリズムとリジェネラティブ・ツーリズムの考え方を、トータル48ページにわたって特集しています。
ぜひチェックしてみてください!
photography _ Pak Ok Sun composition _ Ayaka Takaura
TAG #SALT…#01#エシカルライフ#ビーチライフ#ライフスタイル#創刊
Profile
笹子 夏輝 - Natsuki Sasako -
1994年神奈川県茅ヶ崎市生まれ、鎌倉市在住。18歳から25歳までのプロ活動を経て、フリーサーファーに転向。現在はキャプテンズヘルムに勤務する傍ら、サーフブランド〈DANBUOY〉をハンドリング。次世代のプロサーファーへ道を示すべく、日々活動を続けている。
2019年にプロを引退後、フリーサーファーやブランドプロデューサーとして、ネクストステージで活躍する笹子夏輝。競技時代とは一転、オルタナティブなサーフィンで見る者を魅了する彼が、移住や旅、人との出会いを経てたどり着いた“思いがけない発見”とは。
「今日は陽射しが暖かいけど、風がちょっと冷たいですね」
ビーチでの撮影後、インタビューのために入った鎌倉のカフェで、夏輝が静かにそうこぼした。「そんな日にごめんね」と恐縮すると、彼は白い歯を見せて「おかげでコーヒーが美味い」。こちらに気を遣ってくれたのか、それとも素の感想なのか。いたずらっぽい笑顔からはうまく読み取れなかったが、夏輝は子どもの頃からそんなふうに、どこかミステリアスな魅力を持っていた。
プロを退いたのが25歳。以降、フリーサーファーになった彼は、数年前、生まれ育った茅ヶ崎を離れて鎌倉に移り住んだ。なるほど、茅ヶ崎で彼の姿を見なくなったわけはそういうことか。でも、いったいどうして?
「特に理由はないんですよね。強いていうと、新しい世界をのぞいてみたかったから」と言うと、夏輝はコーヒーで唇を湿らせてから続けた。「会社の上司が近所に住んでいるんですよ。その生き方に影響されて、というのも大きかったかもしれない」
東京・千駄ヶ谷のセレクトショップに勤め出したのが27歳。少し前までプロサーファーだった夏輝にとって湘南と都内の往復生活はストレスフルにも思えたが、「見方を変えればチャンスだった」という。
「この際だからいろいろ学ばせてもらおうと思って。お店の業態的にサーフィン以外の商品ラインナップも豊富で、スノーやキャンプなどの業界にも関わりやすかったんです。そこで感じたのは、“同じアウトドアなのに、カルチャーが全く違う”ということでした」
幼い頃から親しんできたサーフィンから離れることでたどり着いた境地。すると、普段から何気なくまとっていた洋服や装飾品の一つひとつに、歴史や文化が詰まっていることに気づいた。
「この前、カリフォルニアを旅したとき、サーフィンついでに古着屋へ寄ってみたんです。お店に入ってみたら、サーフィンとまた違った面白さがあって。うまく言葉にできないけど、全てがかっこよかった。そういう経験をしたおかげで、最近は洋服をちゃんと選んで着るようになりました。サーフトリップのときも、スウェットにビーサンじゃなくて、ジージャンに革靴を履くようになったんです。今は『海に出かけるときこそ決めていこう』と密かに考えています」。
>>インタビューの続きは本誌でご覧ください。
「SALT…Magazine #01」 ¥3,300
本誌では笹子夏輝のインタビューを全文掲載。昨年、同世代のフリーサーファー小林直海と立ち上げた冬のサーフギアブランド〈DANBUOY〉のこだわりから、「夏輝にとって海とは?」について語ってくれています。
photography _ Pero, Shuji Nihei(surfing) text_Ryoma Sato
© SALT… Magazine All Rights Reserved.
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