

海と対峙するとき、音楽は円滑油のような効果を発揮する。サーフィンと音楽が絡み合い起こる化学反応。多くの先人たちの言葉を交え時空に綴れ織りを描くとき、サーファーとダンスの関係が見えてくる。
カラパナが結成されて50年。彼らこそ日本に“サーフロック”ブームをもたらし、定着させたグループである。同じハワイ出身のヴォーカルデュオ「セシリオ&カポノ」や西海岸の「パブロ・クルーズ」もブームの中にいたが、日本のファンは「カラパナ」のローカルカラーに親しみを感じ、愛した。そもそもカラパナを日本にもたらしたのはハワイ帰りのサーファーたちだったのだ。
1975年にリリースされたデビューアルバムがサーフショップでヘビロテされているのを知ったトリオレコードは、デビューとセカンドアルバムを日本でリリース。哀愁を帯びたメロディとマラニ・ビリューの潮焼けした歌声と美しいハーモニー、「ナチュラリー」や「愛しのジュリエット」などが連日ラジオから流れ大ヒット。雑誌POPEYEやFineが毎号のようにカラパナを取り上げると、サーファーから陸(おか)サーファーまで幅広く浸透した。
1977年に初来日を果たし、会場となった中野サンプラザにはハワイ出身の大関・高見山が駆けつけるなど盛り上がったが、メンバーは慣れない寒さと大雪に見舞われ風邪をひき、絶不調だった。翌年にはサーフィン映画『メニー・クラシック・モーメンツ』のオリジナル・サントラ盤をリリース。この頃からバンドの二枚看板のひとり、リードギターのDJプラットをフィーチャー。リズムを強調したよりロック色の濃いバンドカラーを打ち出すようになった。
カラパナを知らない世代は、ハワイのバンドといえばウクレレ中心のハワイアンを想い起こすかも知れないが、カラパナはウエストコースト、AOR、フュージョン・ファンク色が強いバンドである。ちなみに当時のカラパナはカセットの販売が好調だったが、理由は車中ですぐに聴けたから。海まで距離のある内陸サーファーにとって車中の音楽は欠かせず、カーオーディオには金を注ぎ込んだ。
初来日でのハイライトは、『メニー・クラシック・モーメンツ』のショーン・トムソンのシークエンスが映し出された瞬間である。曲は「キャン・ユー・シー・ヒム」。ショーンはオフザウォールの中をエビのようにしなりながらアップスンし、「俺の姿が見えるかい?」とばかりのライディングに大歓声が飛び交った。カラパナは地元ハワイと日本では大成功した半面、本国アメリカでは今一つ売れず、マーケットを日本に絞り込んだ。'80年代に入ると杉山清貴と共演するが、それを迎合と考えたコアなサーファーたちは離れていった。しかしファーストからサード、そしてメニー・クラシック・モーメンツの4枚は、サーファーにとって時代を超越した名盤である。
【SURF MUSIC makes us "SALTY"バックナンバー】
#01 -潮騒香る音楽に身を委ね踊るとき-
#02 -ショートボード革命とサイケデリックサウンドの相関図-
#03 -世界中で無限の変貌を遂げ始めたフラワーチルドレンの種-
#04 -制限なき選択ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド-
#05 -サーファーだけが知るアンダーグラウンドという美学-
#06 -コラム:DICK DALE/ヘビー“ウェット”ギターサウンズ-
>>特集の続きは本誌でご覧ください。

「SALT…Magazine #01」 ¥3,300
本誌では24ページにわたってSURF MUSICを特集。“サーフィンと音楽”の蜜月関係から、アンドリュー・キッドマンのインタビュー、抱井保徳さんのコラムなど掲載。潮の香りをまとったソルティな音楽は、サーフィンライフを豊かにしてくれる。
photography_Bruce Usher text_Tadashi Yaguchi
TAG #KALAPANA#SALT#01#SURF MUSIC#SURF MUSIC makes us "SALTY"#サーフミュージック

海と繋がり、自分の中の好きや小さなときめき、そしていい波を追い求めてクリエイティブに生きる世界中の人々、“Ocean People”を紹介する連載企画。彼らの人生を変えた1本の波、旅先での偶然な出会い、ライフストーリーをお届けします。

Profile
Kane Macartney ケイン・マッカートニー
オーストラリア出身のサーファー。建築を学んだ後、バリの竹建築教育機関「Bamboo U」を経て、現在はスンバ島を拠点に「Sumba Safari」を運営。サーフィン、文化、そしてローカルとのつながりを通して、この島ならではの魅力を届けている。
あなたのことについて教えて
生まれ育ったのは南オーストラリア、アデレードの西の外れにあるグレンジという小さな町。サーフィンに出合ったのは12歳、ハワイのノースショアへ家族旅行に行ったとき。そこでパイプラインを目の前で見て、その瞬間にこのスポーツに恋をした。その旅では実際にサーフィンはしなかったけど、ただただ「サーフィンって世界で一番かっこいいスポーツだ」と、強烈に思ったのを覚えている。
その年のクリスマスに、小さなソフトトップのサーフボードをもらった。サーフショップのものじゃなくて、アウトドア用品店で買ったような代物。決して良いボードではなかった。でも、それがすべての始まりだった。水泳やライフセービングを通して少しずつ水に慣れていって、気づけばサーフィンが人生の選択の中心にあるようになっていた。
高校では、交換留学生として1年間、熊本で過ごした経験もある。日本の文化にも、人にも、食べ物にも、何もかもすっかり魅了された。今でも日本語は理解できるし、あの1年は、サーフィンとはまた違う形で、自分の世界を広げてくれた時間だった。
大学卒業後、モルディブのヨットでサーフガイドの仕事をした。1日6時間以上海に入る生活で、当時はそれが世界で一番いい仕事だと思っていた。
その後、大学で学んだ建築の分野に戻りたいと思うようになり、サステナブルなデザインと、実践的な竹建築のワークショップを通じて、世界中のクリエイター、デザイナー、建築家がつながる教育機関「Bamboo U」で働いた。2017年、バリに移住して2年間過ごし、平日は働き、空いた時間はサーフィンに費やした。2019年までバリでBamboo Uの仕事を続けていたけれど、パンデミックの影響で一度オーストラリアに帰り、半年ほどロックダウンの中で過ごすことになった。それでもインドネシアに戻りたいという気持ちはずっとあった。
スンバとの出合い
バリにいた頃、駐在している人たちの間でスンバの噂をよく耳にしていた。バリから飛行機で1時間の東にある島。だんだん興味が湧いてきて、コロナの間もずっと調べ続けていた。スンバの文化、波、景色。島の宗教はキリスト教が中心だけど、地元のマラプという信仰と結びついていて、それがとても興味深かった。いつか必ずここに行くと、なんとなく確信していた。
実際にスンバを訪れたのは今から4年前で、10日間の滞在だった。そのときは母の60歳のお祝い旅行で、家族と一緒だったため、あまりサーフィンはできなかった。同じ年、今度は一人で訪れたが、このときはサーフィンだけに集中した。どんな波があるのかリサーチし、島への想いは一層深くなっていった。
2023年7月、自分の30歳の誕生日をスンバで祝うことにした。今までの人生に関わってくれた人たちに、誰彼構わず声をかけた。それくらいスンバへの想いが強かったし、実際に来てもらえれば、みんなも同じように感じてくれると確信していたから。結果的に、30人が集まってくれた。
誕生日の前に、1ヶ月間、はっきりとした意図を持ってこの島で過ごした時期がある。この頃には、それが自分の求めている暮らし方だとわかっていた。家を建てるか、ビジネスを始めるか。どちらにしても、ただの外国人としてではなく、この場所にちゃんと根を張り、地域社会に還元できる存在になりたかった。そのためには時間を積み重ねるしかなかった。週に一度顔を出す程度では意味がない。何度もローカルと会話をし、儀式に誘われたら参加し、少しずつ、お互いの信頼が生まれていく。正直、「もう無理かもしれない」と思った瞬間も何度もあった。土地を探そうとして失敗した人、揉め事になった人、アクセスのない土地を売りつけられた人、そんな話をたくさん聞いた。同じ目に遭いたくないから、慎重に、きちんと手続きを踏む。公証人を見つけて証明書が本物かどうか確認し、土地の測量も行うなど、全部に時間がかかった。それでも、これが自分の望む人生だとわかっていたから、やり続けられた。

Sumba Safariを始めたきっかけ
この島に何度も通ううちに、あるパターンに気づくようになった。せっかくスンバまで来た旅行者たちが、まるで迷子のように、どこに泊まればいいのか、どこで食べればいいのか、どの道を進めばいいのかもわからず途方に暮れていた。旅の段取りを考えるだけで半日が過ぎてしまい、それが本来の体験を奪っている。
同じ質問を何度も受けるうちに、ここには本当にニーズがあると気づいた。スンバに来たいけど、アクセスの方法がわからない人たち。もちろん、道中で宿を探しながら旅を楽しむ、いわゆるノマド的な旅行者もいる。でも、誰もがそんな旅ができるわけじゃなく、快適さを求める人だっている。そこにギャップがあった。自分自身、旅程を組み立てる作業が好きだったというのも大きいかもしれない。
最初のきっかけは、まさに自分の30歳の誕生日旅行。空港からの送迎、アクティビティの手配、サーファーの友人たちにどのブレイクをいつ狙うか、村での英語教室、地元の女性たちとの機織り体験、文化ツアー、船でしか行けないブレイクへの送迎。すべてを自分で組んでみて、実際にどれだけの労力がいるのかを学んだ。
ここで届けたいのは、贅沢な体験ではない。それはスンバじゃないから。見るだけじゃなくて、感じてほしい。文化も、言葉も、食べ物も、それがここで提供したいものだと思っていた。一人旅で来る人にも、安全に、ちゃんと体験してもらえる形を作りたかった。それがSumba Safariの一番の目的。



スンバで生きるということ
この島で一番心に残っている出来事のひとつが、The Holeという波のこと。一人で、初めてこの波に乗った日。ボートは波の裏側に停めて、波はライトにもレフトにも割れていた。目の前には切り立った崖、その手前には浅いリーフ。とてもパワフルで、つながればロングライドできるパーフェクトな波だけど、テイクオフをミスすると、次から次へ来るセットに押されて、崖の方へどんどん流されていく。
最初の波でいきなりチューブに入ることができ、「この波、最高だ!」と感動した。少し自信過剰になっていたときに次のセットが来て、もっと深い位置からチューブを狙おうと思ってテイクオフした瞬間、パーリングした。ボードが横を向き、レールが思い切り鎖骨にあたった。危険なワイプアウト。息が整わないうちに、後ろに控えた2〜3本の波をなんとかダックダイブでやり過ごした。船長が気づくまで20分かかり、ようやく陸に戻ることができた。
あの日は結局1本しか乗れなかったけど、いい教訓になった。一人であのポイントに行き、何も起きないと思っていた自分は、少し浅はかだった。スンバに来るなら慎重さが必要だ。一番近い病院まで40分、深刻な状態ならバリに行くしかない。
この島にはカフェもコーヒーショップもない。サーフショップすらなく、ワックスも手に入らない。先週、友人に「何か必要なものある?」と聞かれて、答えたのが白いタオルとワックス3個だった。それくらい、何もない。でも正直、今のままの状態であってほしいと願う自分もいる。
スンバを3つの言葉で表すなら、手つかず、文化、そして純粋さ。火山がなくて、島全体が石灰岩でできていて、水は驚くほど透明。ドローンで撮った映像を見ると、まるでモルディブのように見える。
30歳の誕生日の翌日には、忘れられない出来事があった。村の葬儀に誘われて、会場に着くと5メートルおきくらいに17頭の水牛が家や木につながれていた。墓石で囲まれた砂地の広場で、次々と水牛が捧げられていく。友人の中には目を背ける人もいたけど、自分はこの島に暮らしたいと思っていたから、最後まで見届けることにした。
深夜2時、ようやくすべての儀式が終わった。地元の人たちはそのまま夜通しで牛を解体し、参加した人に肉を持たせてくれる。水牛はこの地域では富と地位の象徴。マラプの信仰では、儀式で動物を捧げることで、亡くなった人があの世で心地よく過ごせると考えられている。捧げる動物が多いほど、その人の来世での地位も高くなる。だからそれは犠牲ではなく、大切な人へ最善を尽くすという、シンプルな愛情の形なのだ。
3週間前、僕は名づけの儀式を受けた。土地の持ち主の家族に正式に迎え入れられる儀式で、今ではその人の弟という立場になった。彼は僕を「ケイン」ではなく、「アマル」という現地の名前で呼んでいる。その儀式の一環として、豚を生贄に捧げることが求められた。外国人だから断ることもできたけど、地域での本当の信頼を得るためにやると決めた。今まで一度も動物を殺したことがなかったから、直前まで本当に緊張していたが、60人ほどのローカルに見守られて無事儀式を終えることができた。

あなたの生活に欠かせない3つのもの
サーフィン、旅(ただの旅行じゃなくて、観光地化されていない場所への旅)、そして家族。血のつながった家族はもちろんだけど、この島で出会った家族も含めて。
これから何か新しいことを始めたい人へのアドバイス
直感を信じること。これは本当に大事だと思う。ちゃんと調べて、そして思い切ってすべてを懸ける。怖さと楽しさは、いつも同じくらいの大きさで存在している。心地良い場所に留まることもできるけど、それで将来満足できるかというと、多分できない。
「リスクを取らなければ、得るものもない」という言葉があるけど、大事なのはそのリスクに根拠があるかどうか。まずは自分の気持ちを確かめることから始めるべきだと思う。どんな暮らしをしたいのか、何が自分を喜ばせるのか。それが1年後だけじゃなく、5年後も10年後も、変わらずそうであり続けられるかどうか。
この場所がこれから栄えていくことは、直感だけじゃなく、実際に調べてわかっている。出会う人たちの層、ここに流れ込んでいる投資、SNSでの広がり方。インドネシア政府も、スンバを観光地として発展させる計画をどんどん進めている。これは直感じゃなくて、ちゃんと調べた上での判断。
全部を懸けたことで、犠牲にしたものもたくさんある。家族と過ごす時間、恋愛、誰にでも合う生き方じゃないというのはわかっている。だからこそ、それなりの犠牲を払ってきた。簡単なことなんて何もない。自分のために何かを選び、人生を変えようとすることは、決して簡単なことじゃない。
でも、モチベーションをくれる人、インスピレーションをくれる人たちに囲まれていると、それだけで少し楽になる。支えは環境かもしれないし、パートナーかもしれないし、友人のグループかもしれない。週に一度、家族に電話するだけでもいい。そんな小さなつながりが、挑戦を続けるための支えになってくれる。
今後の夢と目標
これからの数年で目指しているのは、Safariのための拠点を作ること。体験そのものをもっと洗練させて、プロフェッショナルなチームを作り上げたい。豪華な部屋も、エアコンも、専用バスルームも必要ない。もっとみんなで一緒に過ごせるような、共同体的な空間を作りたい。ツアーは少人数、6人までと決めていて、ラインナップを混雑させたくないし、この島の「手つかず」という感覚をできる限り守りたいから。
夜になったら、みんなで焚き火を囲んで、その日あった出来事を話す。それがスンバらしさだと思う。オフロードで、荒々しくて、冒険的で。ずっと記憶に残るような時間。僕はこれを「サーフィンへのノマド的な原点回帰」と呼んでいる。サーフィンが世界中に広がりすぎる前、サーファーたちが本来持っていた感覚。それがスンバにはある。

text:Miki Takatori
20代前半でサーフィンに出合い、オーストラリアに移住。世界中のサーフタウンを旅し現在はバリをベースに1日の大半を海で過ごしながら翻訳、ライター、クリエイターとして多岐にわたって活動中。Instagram
TAG #Kane Macartney#Ocean People#Sumba Safari#ケイン・マッカートニー#スンバ#ビーチライフ#連載

海と繋がり、自分の中の好きや小さなときめき、そしていい波を追い求めてクリエイティブに生きる世界中の人々、“Ocean People”を紹介する連載企画。彼らの人生を変えた1本の波、旅先での偶然な出会い、ライフストーリーをお届けします。

Profile
Ben Roose ベン・ルース
ベルギー生まれ。24歳でインドネシアを訪れたことをきっかけにサーフィンと出合い、人生が大きく変わる。その後、父との別れや事業の失敗など人生のどん底を経験するも、メンタワイ諸島へ移住。ジャングルを自ら切り拓き、手づくりでサーフキャンプ「Driftwood」を築き上げた。
あなたのことについて教えて
生まれ育ちはベルギー。自然はそれほど多くなく、海岸線もほんのわずかしかない国。サーフィンはできるけれど、水は驚くほど冷たい。もともとはスノーボードばかりしていて、世界中の冬を追いかけるように旅をしていた。24歳の頃、友人に「インドネシアへ行こう」と誘われて、軽い気持ちでサーフィンを始めてみた。ところが、一度波に乗ったら完全に夢中になってしまい、気づけばスノーボードよりサーフィンをしている時間のほうがずっと長くなっていた。
決して早いスタートではなかったけれど、人生を変えるには十分だったと思う。海に入ると、自然との距離がぐっと近くなる。サーフィンのおかげで出会えた人も、経験も、そのすべてが今の僕をつくってくれたと思う。
メンタワイとの出合い
インドネシアへ来る数年前、スイスの山で小さなフードトラックを始めた。仕事は楽しかった。でも心のどこかでは、「もっと違う人生があるはずだ」と感じていた。二度目にインドネシアを訪れたとき、いろいろな島を巡りながら、「いつか自分の居場所をつくりたい」とぼんやり考えるようになっていた。ただ、その頃は夢を実現できるようなお金なんてなかった。
そんなとき、友人から「メンタワイへ行ってみたら?」と勧められた。正直、それまでメンタワイ諸島のことはほとんど知らなかった。でも、たった5日間滞在しただけで心を奪われてしまった。道路もない、電気もほとんどない。あるのは、手つかずの自然だけ。西洋社会の慌ただしさの中で生きてきた僕にとって、その場所はまるで時間が止まったような世界だった。
そこで出会ったのが、エルサという女性だ。彼女は長年この地域でローカルマネージャーを務めながら、小さなホームステイを営んでいた。僕は彼女に、「お金を貯めて必ず戻ってくる。一緒に何かをつくろう」と伝え、メンタワイをあとにした。

人生のどん底とメンタワイ
今振り返ると、あの頃は人生でいちばん苦しい時期だった。父を自殺で亡くし、ビジネスにも失敗して、本当にどん底だった。そんな壊れかけた状態で、僕はメンタワイを訪れた。その後、ノルウェーでフードトラック事業をもう一度始めようとしたけれど、待っていたのは寒さと孤独、そして失敗の連続だった。ようやく営業できる場所を見つけたと思ったら、除雪車にトラックをぶつけられてしまった。それまで持っていたお金も時間も、すべてをつぎ込んでいたから、本当に何も残らなかった。そのとき思ったんだ。「もういい。持っているものを全部売って、メンタワイへ移住しよう」と。
もちろん怖かった。でも、不思議とそれ以上にワクワクしていた。そして2019年2月、僕は一人でメンタワイへ戻った。



Driftwoodの始まり
島に到着し、すぐにエルサと再会した。彼女は本当に働き者で、頭の回転も速い。二人で「とりあえず何かやってみよう」と話しながら、少しずつ計画を立て始めた。最初に6000ユーロでボートを2隻購入した。あれが人生でいちばん大きな買い物だったかもしれない。当初予定していた土地は使えなくなってしまったけれど、別の家族が所有する美しい土地を紹介してもらえた。そこにはヤシの木が生い茂り、目の前には完璧なレフトブレイクがあった。
以前、同じ夢を抱いていた誰かが建設を始めたものの、途中で放棄した場所だったらしい。ジャングルの中には、バンガローやヨガシャラの基礎だけが残り、すべてが緑に飲み込まれていた。その景色を目の前にした瞬間、「ここが自分の未来になるかもしれない」と感じた。

作ることは、生きることだった
正直なところ、「サーフリゾートをつくろう」なんて大それたことを考えていたわけじゃなかった。毎日、目の前にある問題をひとつずつ解決していくだけだった。
今日はココナッツを探そう。
今日は流木を集めよう。
今日は何とか小道をつくろう。
そんな毎日の繰り返しだった。
仕事というより、子どもの頃の遊びに近かったのかもしれない。気がつけば、人生で初めて、もう一度"遊べる"自分になっていた。
メンタワイでは、それまでのように何かから逃げ続けることはできない。島では日常から切り離され、サーフィン以外にできることもあまりない。建設作業の合間には毎日のように波に乗り、自然の中で過ごしていると、それまで心の奥に押し込めていた悲しみや苦しみが、少しずつ溶けていくのを感じた。メンタワイは、僕が抱えていた痛みを静かに受け止め、癒やしてくれた場所だった。
自然と共に生きるということ
メンタワイの人たちは、自然と完全に共存して暮らしている。家はサンゴや木材で作られていて、柱にはマングローブの木を使う。木は一度海水に浸けてから樹皮を剥がすことで、美しい柱へと生まれ変わる。彼らにとって自然は「資源」ではない。「共に生きる存在」なのだ。
メンタワイへ来て3〜4カ月が経った頃、ようやく宿らしい形が見えてきた。下に2部屋、上に1部屋。本当にシンプルな建物だった。あの頃は何ヶ月も島を離れられず、髭も伸び放題。まるで映画『キャスト・アウェイ』のトム・ハンクスみたいな姿になっていた。その頃には、資金もほとんど底をついていた。持っていたお金はすべてボートと建設費に消え、この宿が成功する保証なんてどこにもなかった。
「どうやってお客さんに来てもらえばいいんだろう」そんなことばかり考えながら、ある日バリへ向かった。夕暮れどき、チャングー近くのビーチを歩いていると、ポケットの中で携帯電話が震えた。メールを開くと、そこには予約の知らせが届いていた。
「最初のお客さんが来る」その文字を見た瞬間、自分でも信じられなかった。そこから、少しずつ宿は動き始めた。当時の自分は、宿の経営なんて何も分かっていなかった。部屋はシンプル、食事もシンプル。電気が使えるのは、夜に発電機を回している時間だけ。もちろんWi-Fiもない。毎日のように失敗ばかりしていた。それでも不思議なことに、少しずつ前へ進んでいった。
エルサは親族をスタッフとして迎え入れ、その頃から一緒に働き始めたメンバーは、今でも変わらずここにいる。みんなで手探りでお客さんを迎え、ボートを出し、試行錯誤を繰り返す。毎日が本当に楽しかった。そして8ヶ月ほどが過ぎ、「これからだ」と思ったタイミングで、世界はパンデミックに飲み込まれた。でも今になって振り返ると、それも悪いことばかりではなかったのかもしれない。僕たちは一度も宿を閉めなかったし、スタッフを解雇することもなかった。みんなの仕事を守りながら、その間も少しずつ建設を続けていった。
今では世界中のサーファーが知っている「Driftwood」。ここまで広がった理由は何だと思う?
最初は口コミで少しずつお客さんが来てくれて、あとはウェブサイトで広告を出していたくらいだった。でも、一番大きな転機になったのはコロナ禍だった。当時、Instagramのフォロワーは700〜800人ほど。そこで「サーフトリップが当たるプレゼント企画」を投稿した。今では珍しくない企画だけれど、当時はまだほとんど誰もやっていなかった。それに、タイミングも完璧だった。世界中がロックダウンしていて、誰もサーフィンへ行けない時期だったから、その投稿は一気に拡散された。
人生で初めて、「バズる」という経験をした。夜に投稿して眠り、翌朝起きたら通知が止まらなくなっていたんだ。あとで聞いた話だけれど、当時パタゴニアで働いていた友人が、「あの投稿について社内でミーティングまでしていたよ」と教えてくれた(笑)。
「どうしてこんなに伸びたんだろう。このマーケティングは面白いね」って話題になっていたらしい。でも僕からすれば、自分の部屋でいつも通り投稿しただけだった。もちろん、フォロワーが増えたからといって、急に予約でいっぱいになったわけではない。でも、あの出来事をきっかけに、自分たちは「メンタワイという場所の魅力を伝える発信者」になれた気がしている。
正直、この場所は大きなお金を生むビジネスではない。運営コストもとても高い。だから利益を追い求めるというより、稼いだお金のほとんどを宿やスタッフ、そして島へ還元してきた。そのほうが、この場所はもっと面白くなると思っているから。

Driftwoodの今後
ようやく、Driftwoodはすべてが安定してきた。素晴らしいスタッフがいて、信頼できるパートナーがいて、無理なく回るようになった。だから、これ以上大きくしたいとは思っていない。他のリゾートのように20人、30人、40人と泊まれる場所にするつもりはない。これからも12人くらいの、小さな宿であり続けたいと思っている。その代わり、「もっと人数を増やそう」ではなく、「もっと体験を豊かにしよう」という方向へ進んでいきたい。
例えばジェットスキーを導入したり、スピアフィッシングへ出かけたり、スタッフと一緒にBBQをしたり、近くの島へ遊びに行ったり。そういう時間こそ、人の心に深く残るものだと思う。もちろん、素晴らしい波は忘れられない。でも、本当に記憶に残るのは、現地の人たちと笑いながら魚を焼いた夜だったり、みんなで何気なく過ごした時間だったりするんじゃないかな。
だから僕たちは、ただサーフィンをする場所ではなく、メンタワイの文化や暮らし、人とのつながりまで体験できる場所でありたいと思っている。
メンタワイで学んだ「豊かさ」の意味
ある日、海がもう少し見えるようにしたくて、ヤシの木の枝を少し切ったことがあった。すると、その木の持ち主が本気で怒った。最初は、なぜそこまで怒るのか理解できなかった。でも、あとになってようやく分かった。彼にとってその木は、単なる所有物ではなく、家族のような存在だったんだ。本当に申し訳なくて、サーフボードを渡して謝ろうとしたくらいだった。みんなで集まり、何度も話し合いを重ねた。
メンタワイには昔から受け継がれてきたルールがある。夫婦のこと、土地のこと、家のこと。そして自然との向き合い方にも、この島ならではの決まりがある。木もまた、一つの命として大切にされている。その価値観に触れたとき、自分たちがどれほど自然から離れた暮らしをしてきたのかを思い知らされた。
コロナ禍には、ボートのエンジンが故障して、真っ暗な海を何時間も漂流したこともある。ようやく陸へたどり着き、その日は現地の家族の家に泊めてもらった。その夜、エルサがぽつりとこう言った。
「いつかヨーロッパへ行って、雪を見てみたいの。それがずっと夢なのよ」
その言葉を聞いた瞬間、ハッとした。世界中の人たちは、何十万円もかけてメンタワイへやって来る。誰かにとっては、一生に一度は訪れたいサーフィンの聖地。でも、その土地に暮らす人たちは、外の世界に憧れている。人はみんな、自分が持っていないものを求める。だけど、本当に多くの人が人生をかけて探している豊かさは、実は彼らが当たり前のように持っているものなのかもしれない。ここへ来る人たちは、仕事も悩みも、すべて置いてくる。ただ波に乗って、ただ遊んで、ただ自然の中で過ごす。お店もない。ショッピングモールもない。レストランもほとんどない。だからこそ、人生で初めて「何もしない時間」を過ごせる。自然には、人を"今、この瞬間"へと連れ戻してくれる力があるのだと思う。
あなたが夢中になれるもの、心がときめく3つの瞬間
1つ目は、コミュニティ。どんなにつらい状況でも、大切な仲間がいれば、人は乗り越えていける。
2つ目は、自然とのつながり。自然の中にいると、自分もその一部なんだと実感できる。
そして3つ目は、健康。身体だけではなく、心も健康であること。この3つがそろったとき、人は本当の意味で幸せになれるんじゃないかな。

これからの夢
Driftwoodは、僕にとってお金を稼ぐためのビジネスではなかった。安心して生きられる場所をつくり、自由を手に入れるための土台だった。ようやくその土台ができた今、一つの章が終わろうとしているような気がしている。だから次の人生では、もっとクリエイティブなことをやってみたい。
音楽をつくることかもしれない。人に新しい体験を届けることかもしれない。生まれたときよりも、世界をほんの少しだけ良くして去っていけたら、それだけで十分だと思っている。
新しいことに挑戦したい人へ
失敗することよりも、何もしないまま人生を終えることのほうが、僕はずっと怖い。それは、ずっと変わらない信念だ。失敗してもいい、何度どん底を経験してもいい。挑戦した結果が成功でも失敗でも、その経験は必ず人生の財産になる。
僕たちは、おそらく一度しか人生を生きられない。だからこそ、怖くても飛び込んでみる価値がある。いつか振り返ったとき、「あの挑戦をしてよかった」と思える人生のほうが、きっと素敵だから。

text:Miki Takatori
20代前半でサーフィンに出合い、オーストラリアに移住。世界中のサーフタウンを旅し現在はバリをベースに1日の大半を海で過ごしながら翻訳、ライター、クリエイターとして多岐にわたって活動中。Instagram
TAG #Ben Roose#Driftwood#Ocean People#ビーチライフ#ベン・ルース#メンタワイ#連載

海と繋がり、自分の中の好きや小さなときめき、そしていい波を追い求めてクリエイティブに生きる世界中の人々、“Ocean People”を紹介する連載企画。彼らの人生を変えた1本の波、旅先での偶然な出会い、ライフストーリーをお届けします。

Profile
Ella Taylor エラ・テイラー
オーストラリア出身のフォトグラファー、デザイナー、そして『Lacking Representation』創設者。サーフィンとクリエイティブカルチャーを軸に、ローカルコミュニティの物語やクリエイターの声を、紙媒体を通して発信している。
あなたのことについて教えて
生まれ育ちはオーストラリア、メルボルンから車で約1時間半の場所にあるモーニントン半島。海に囲まれた場所で育ち、幼い頃から海で過ごすことが日常だった。6歳の頃からサーフィンとサーフライフセービングを始め、10代半ばまでは一日の大半をそれに費やしていた。
高校に入る前後、14歳くらいのときに初めてカメラを手にし、写真に夢中になった。もともと海が大好きだったから、サーフィンの写真を撮ったり、ブランドの撮影をしたりすることに強く惹かれ、今振り返ると、その頃がすべての始まりだったように思う。そこから自然とデザインにも興味を持つようになり、写真とデザインはどちらも高校時代に育まれたパッション。当時は「いつかニューヨークの大きなクリエイティブスタジオで働きたい」という夢を持っていて、10代の私にとって、それはとてもワクワクする未来だったわ。
それともうひとつ、子どもの頃から大きな情熱を注いでいたのがスキー。18歳でデザインを学び始めたものの、「少し学校から離れてみたい」と思い、スキーシーズンを過ごすことを決めた。オーストラリアのジンダバインとカナダを行き来しながら、スキーインストラクターとして6シーズン連続で働き、その間もずっと写真を撮り続けていた。少しずつ小さな仕事を受けるようになり、写真の仕事が形になり始めたわ。
2020年、最後のシーズンでアキレス腱を断裂してしまい、それをきっかけにスキーを続けることができなくなった。でも今振り返ると、そのケガは人生の大きな転機だったと思う。リハビリとして再開したのがサーフィンだった。走ることはできなかったから、「それなら海に戻ってパドルしよう」と思ったの。
再び海に入るようになったとき、「なんでここ数年、こんなにサーフィンから離れていたんだろう」と気づいた。大学に通っていた頃は、授業中もずっと波情報やライブカメラをチェックしていて、「あと何分でこの授業から抜け出せるだろう」なんて考えていたくらい。よく「ちょっと用事があるので」と言って授業を早退し、そのまま車を飛ばして海へ向かっていたわ。
ショートボードもロングボードも経験したけれど、今のパートナーに出会ってからは、ロングボード特有の流れるような動きや感覚に惹かれるようになった。ありきたりな表現かもしれないけれど、私にとってロングボードはまるでダンスのようなもの。海の上でただ自分自身と向き合い、その瞬間に身を委ねることができる。日々の暮らしの中で、自分を整え、心を落ち着かせるための、とても神聖な時間だわ。
そんな形でサーフィンとデザインが私の人生の中心になっていった。もともと出版や雑誌の世界が好きだったこともあり、「サーフィン、写真、デザインという自分の好きなものを、どうすればひとつの形にできるだろう」とずっと考えていた。そして大学最後の年だった2023年に、『Lacking Representation』を立ち上げた。
『Lacking Representation』について
『Lacking Representation』を立ち上げたとき、掲載する内容に対して最初から強い意図を持っていた。私は男兄弟が二人いる環境で育ち、子どもの頃はサーフィン仲間も男友達が多かった。数年間スキーに打ち込んだ後、17〜18歳頃に一度海から離れ、22〜23歳で地元のポイントへ戻ってきたんだけど、そこでコミュニティの雰囲気が大きく変わっていることに気づいた。
アキレス腱の大ケガから復帰したばかりの頃、ある男性サーファーがパドルして近づいてきて、「何をしているかわからないなら、ショルダーにいた方がいいよ」と言われた。私は「今リハビリ中で、ここはローカルスポットだから、自分で判断できるわ。ありがとう」と返した。でも海から上がったあと、「今のは何だったんだろう」とずっと考えていた。それまで人生でずっと居心地の良かったホームブレイクで、初めて男女の間にある微妙な緊張感のようなものを感じた瞬間だった。誰かと衝突したかったわけでも、声を荒らげたかったわけでもない。ただ純粋に、何が起きているのかを感じていた。そして、その観察が『Lacking Representation』の出発点になった。
地元には素晴らしい人たちがたくさんいるのに、誰もお互いを称えたり紹介したりしていない。特に私が身を置くクリエイティブコミュニティには、もっと光を当てるべき人たちがたくさんいるのに、それを十分に表現できる場所がない。若い女の子たちがコミュニティに入ってきても、身近にロールモデルが見当たらない。さらに、地元のクリエイターたちを紹介する場もほとんどなかった。
当初は本当にローカルなプロジェクトのつもりだった。まさかオーストラリア各地や海外にまで広がるなんて、思ってもいなかったわ。私が伝えたかったのは、「女性対男性」という単純な対立ではなく、「私たちはみんな同じ海を共有しているのだから、もう少しお互いにリスペクトを持てないだろうか」ということ。それが創刊号の大きなテーマになった。
創刊号では、男性2人と女性3人にインタビューし、全員に同じ質問を投げかけた。それぞれ異なる分野で活動していたから、返ってくる答えもまったく違っていた。完成した誌面を読み返してみると、みんな似たような経験をしているのに、その解釈や感じ方は驚くほど異なっていたわ。特に印象的だったのは男性たちの意見。彼らは決して「女性が邪魔だ」とか「能力が足りない」と言っていたわけではない。ただ、海の中で感じる女性たちの振る舞いや距離感について率直に語っていて、その視点は読者にとってもとても興味深いものだった。そうした対話を通して、『Lacking Representation』は単なる問題提起ではなく、さまざまな立場の声を届けるプラットフォームへと変化していった。
今振り返ると、創刊号には当時の私自身の感情も強く反映されていたわ。怪我からの回復途中だったこともあり、少し苛立ちもあったし、若さゆえのエネルギーもあった。言葉の選び方や表現には、良い意味で生々しさがあり、率直な感情がそのまま表れていたと思う。だからこそ第2号では、「祝福」と「コミュニティ」をテーマにした。誰かを批判するのではなく、人々を称え、つなげるための場をつくりたかった。次号では、オーストラリアのサーフィンシーンを代表するブランド「ATMOSEA」が加わり、プロジェクトは一気に大きく動き始めたわ。

ほとんどのものがデジタルに移行し、出版業界が静かになっていく現代。そんな中で雑誌を作ることに対しての想いは
感じているのは「不安」というより、むしろ「寂しさ」に近い感覚。出版物には、たくさんの愛情や情熱、そして“ゆっくりと向き合う時間”が込められている。それは雑誌を作ることだけではない。スマートフォンのメモやGoogleカレンダーではなく、紙やノートにやるべきことを書き出すことも同じだと思う。私は出版という文化の居場所を守り続けたいし、「私たちはまだここにいる」ということを伝えられる存在でありたい。コーヒーを片手に、5分だけでも座ってページをめくる。スクロールする必要はない。そんな時間の価値を忘れてほしくない。
私自身、仕事では毎日のようにコンピューターに向かっている。デザインの仕事をしているから、ほぼ一日中画面を見ていると言ってもいいくらい。今ではAIがブランドを作り、文章を書き、本まで作る時代になった。でも私は、「それは違う」と感じている。だからこそ、実は今は出版にとって面白い時代でもあると思う。人はいつだって、自分が失いつつあるものを求めるものだから。デジタルが当たり前になった今だからこそ、人々は紙が持つ温度や、手に取るという体験を改めて求めはじめている。本当は、近所の書店や商店に立ち寄って、本や雑誌を一冊手に取り、ただページをめくるだけでもいい。そんなシンプルな喜びを、もう一度思い出してほしいわ。



海、自然との関係を言葉で表すなら?
自然は、いつもさまざまな形で寄り添ってくれる存在。山も海も、私にとってはとても大きな存在で、真っ先に思い浮かぶ言葉は「力強さ」。山へ行くと、まるで大きな何かに抱きしめられているような感覚になる。「おかえり」と迎え入れてもらえるような安心感がある。でも海は少し違う。つらい一週間を過ごした後や、長い一日の終わりに海へ飛び込むと、一瞬ですべてがリセットされるわ。
子どもの頃、私は偏頭痛に悩まされていて、吐き気を抑えるために自分自身へ声をかけながら乗り越えなければならなかった。そんな時、よく「今、自分が本当にリセットされて、心から楽になれる場所はどこだろう」と考えていた。
いつも浮かんでくるのは、海の中へ潜っていく自分の姿だった。水中の静けさに包まれ、頭の中まですっと静まっていくような感覚。ストレスを感じた時も、悲しい時も、私は自然と海へ向かう。もし海や山が近くになければ、雨の中にただ立っているだけでもいい。それくらい自然は、私の暮らしに欠かせない存在だわ。

あなたが夢中になれるもの、心がときめく4つの瞬間
1つ目は、真冬に暖炉の前で過ごす時間。赤ワインを片手にゆっくり夜を過ごしたり、朝ならコーヒーや紅茶を飲みながら、お香を焚いてお気に入りの本や雑誌をめくったりする時間。
2つ目は、空港でこれから飛行機に乗る瞬間。ゲートへ向かうあの高揚感が大好き! これから先の数か月がどうなるのかはまったくわからない。でも、その未知の未来にすごくワクワクしている。旅に出る時って、どんな自分にだってなれる気がするわ。
3つ目は、日の出のサーフィン。少し肌寒く澄んだ朝、海の上で朝日が昇ってくるのを眺めながら波を待っている時間。まだ一日も始まっていないのに、もうこんなにも自分のための時間を過ごせたという満たされた気持ちになれる。
最後はスキー。山の頂上に立ち、一気に滑り降りるあの感覚。ものすごいスピードで風を切りながら滑っていると、頭の中が完全にクリアになる。
これから何か新しいことを始めたい人にアドバイスをするなら?
とにかくやってみること。飛行機に乗って、ずっと行きたかった場所へ行ってみる。アイデアを書き出して行動に移す。とにかく動いてみること。
振り返ってみると、私は20代でたくさんのリスクを取ってきた。18歳で海外へ移住した時も、「じゃあ行ってくるね」くらいの感覚で飛び出して、迷いはなかった。大学の専攻も3〜4回変えた。その時々で本当にやりたいと思うことがあったから、とりあえず行動に移してきたわ。
もちろん、誰もがそういうタイプではないし、そんなふうに簡単にはできないという人にもたくさん会ってきた。それもよく理解できる。でも、自分が何かを信じていて、自分自身を信じているなら、その想いを聞きたい人や見たい人、きっと同じことを考えていたり、それを必要としていたりする人がいる。
そして、人の意見に振り回されすぎないこと。20人に聞いて20通りの意見を集める必要はないわ。信頼できる少数の人たちを大切にしながら、最後は自分自身を信じて前に進む。それが一番大切なことだと思う。
今後の夢と目標
今、一番力を入れているのは、自分のデザインビジネス。最初は、フリーランスとして楽しく仕事ができたらいいな、くらいの気持ちで始めた。どこまで成長するかは流れに任せながら、一方で大きなデザインスタジオで働く機会があれば、それも素敵だなと思っていた。これからはビジネスをさらに成長させ、もっと良いものにしていきたい。いつかスタッフを迎えたり、自分だけのスタジオスペースを持ったりできたらいいなと思っているわ。
そして、もう一つが雑誌。今年、『Lacking Representation』Vol.3をローンチした時、ふと立ち止まって気づいたことがあった。長い間思い描いてきた夢を、今まさに生きている。そんな実感が湧いたの。だから今は、その夢にもっと集中して、さらに育てていきたいという気持ちが強くなった。出版は本当に難しい世界。制作にもお金がかかるし、すべて自費で出版しているから、とても大きなプロジェクトでもある。だからこそ、これから1〜2年の間に何らかの形で発展させていきたい。それがどんな形で実現するのか、自分自身も楽しみにしているわ。

photography_Sara Parker, Abbi Hart
text:Miki Takatori
20代前半でサーフィンに出合い、オーストラリアに移住。世界中のサーフタウンを旅し現在はバリをベースに1日の大半を海で過ごしながら翻訳、ライター、クリエイターとして多岐にわたって活動中。Instagram
TAG #Ella Taylor#Lacking Representation#Ocean People#エラ・テイラー#ビーチライフ#連載

海と繋がり、自分の中の好きや小さなときめき、そしていい波を追い求めてクリエイティブに生きる世界中の人々、“Ocean People”を紹介する連載企画。彼らの人生を変えた1本の波、旅先での偶然な出会い、ライフストーリーをお届けします。

Profile
Gabriela Cristina ガブリエラ・クリスティーナ
フロリダ生まれ、ニカラグア在住。ヨガ&スカルプインストラクターとして、「健康とは痩せることではなく、自分の身体を理解すること」をモットーに10年以上指導を続ける。現在はサーフタウンを拠点に、自然とともに生きるライフスタイルを送っている。
あなたのことについて教えて
フロリダ南部で生まれ育ち、現在は夫と保護動物たちとともに、ニカラグア南部のサーフタウンで暮らしている。ジャングルに囲まれた環境で、サーフィンをしたり、文章を書いたり、身体を動かしたり、大切な人たちと時間を過ごしたり。それが今の日常。健康やウェルネスへの情熱は、物心がついた頃からずっとある。
ニカラグアへの移住は、自分たちで選んだというより、この場所に呼ばれたような感覚だった。最初のきっかけは、友人が開催していたヨガリトリート。そこで施設のオーナーと知り合い、「雨季の間、試しに無料で住んでみたら?」と声をかけてもらったの。実際に滞在してみると、波は素晴らしかった。でも周囲にはほとんど何もなく、レストランもなければスーパーまでも1時間。まるで僻地のような場所だった。
その後、ニカラグアのさまざまな場所に滞在しながら友人たちと過ごしていたある日、売りに出ている土地の話になった。値段と場所を聞いた瞬間、「私、この土地を買うわ!」と言って、そのまま購入したの(笑)。もともとは、4か月だけのお試し移住のつもりだった。でも土地を買ったことで戻ってくる理由ができ、今年ついにフロリダの家を手放し、完全移住を決めたの。すべてが自然な流れで動き出し、気づけば人生そのものがニカラグアへ向かっていた。
キャリアのきっかけ
健康やウェルネスへの興味は、ずっと昔からあった。企業向けヨガを中心に週25クラスを担当しながら、サーフ&ヨガリトリートの開催、スタジオの立ち上げ、ティーチャートレーニングなど、形を変えながらキャリアを積み重ねてきた。それでもどこかで、「これが本当にやりたい形ではない」と感じていた。
転機になったのは、昨年メンタワイで経験した突然の病気だった。A型肝炎と診断され、4か月間ほぼ寝たきりの状態が続いた。でも、その時間があったからこそ、自分の中にあった想いがより明確になった。
「どうせベッドから動けないなら、アプリを作ろう」そう思い立ち、長年かけて作り上げてきた独自の“スカルプ”メソッド(筋力トレーニング)をオンラインで世界に届ける準備を始めたの。少しずつ回復しながらクラスの撮影を進め、それが現在のビジネスにつながっている。1年前の自分に「今こうなっているよ」と伝えても、きっと信じなかったと思うわ。
私が今、とくに大切にしているのは、女性の身体に合った健康との向き合い方。単に体重を落としたり痩せたりすることではなく、自分自身の身体やホルモン、筋肉について理解した上で健康と向き合ってほしい。今まで当たり前だと思ってきた知識を一度手放し、一から学び直すことが本当に大切だと思うの。

サーフィンとの出合い
サーフィンを始めたのは約12年前。フロリダ育ちだけれど、フロリダの波は不安定で、サーフカルチャーも独特だった。波を求めるには何時間もクルマを走らせなければならず、良いコンディションを逃せば次のチャンスがいつ来るかも分からない。19歳の頃、カリフォルニアに滞在していた時に友人に連れられて海へ行き、本格的にサーフィンにのめり込んだ。そこからは“サーフィンをするための旅”が始まった。フィジー、ハワイ、バリ、プエルトリコ。波を求めて世界中を巡った。最初はロングボードから始め、5年前にショートボードへ本格的に転向。この5年間は、本当に人生をショートボードに捧げてきたような感覚だわ。それでもサーフィンに終わりはないし、上達するためには、調子が悪い時も含めて、とにかく続けることが大切だと思っている。巻かれて、ボコボコにされて、それでもまた海へ向かう。するとある日、突然すべてが“カチッ”とはまる瞬間が訪れる。その瞬間があるからこそ、また次の波を追い続けたくなるの。
お気に入りの場所は間違いなくインドネシアのメンタワイ。毎年訪れることが何より楽しみになっている。美しい波、美しい自然、そして人生そのものを整えてくれるような時間がそこにはある。
次に行きたい場所はタヒチ。波だけでなく、景色も自然も文化も、そのすべてが美しいから。



自然との関係を言葉で表すなら?
まず思い浮かぶのは、「癒し」「自分を見つめ直す時間」、そして「リセットされる感覚」。自然は、私にたくさんのインスピレーションを与えてくれる存在でもある。海は、その日の自分の状態を映し出してくれるものだと思う。
「今日はすごく調子がいい」と思って海に入っても、実はそうではなかったことに気づかされることがある。まるで海が、自分の本当の状態を見せてくれるような感覚。同時に、海や自然は私にとって最も癒される場所であり、最もクリエイティブなエネルギーをもらえる場所でもある。自然の中にいる時、そして海に入っている時こそ、自分らしくいられる瞬間。

あなたの人生に欠かせない3つのもの
自由、健康、そしてサーフィン。
これから数年の夢や目標は
今やっていることを、そのまま続けていくこと。今の私は、とても良い流れの中にいる感覚がある。健康でいられて、夢の家を建てていて、大好きなニカラグアで暮らしながら、大切な人と旅を続けている。それだけで十分幸せ。
これから何か新しいことを始めたい人にアドバイスをするなら?
少しタブーかもしれないけれど、「誰にも話さないこと」だと思う。新しい夢やアイデアを持った時、それを人に話せば話すほど、相手の価値観や不安、偏見までもが入り込んできてしまうことがある。
本来、夢は誰かに理解される必要なんてないと思うの。だからこそ、まずは静かに始めてみること。周囲に説明しすぎず、自分の感覚を信じて動いてみる。そして形になってから、「実はこれをやっていたんだ」と伝えればいい。周りを気にせず、自分だけの“魔法みたいな感覚”の中に入り込むこと。クリエイティブな高揚感や、自分の中にある熱量を大切にして。

text:Miki Takatori
20代前半でサーフィンに出合い、オーストラリアに移住。世界中のサーフタウンを旅し現在はバリをベースに1日の大半を海で過ごしながら翻訳、ライター、クリエイターとして多岐にわたって活動中。Instagram
TAG #Gabriela Cristina#Ocean People#ガブリエラ・クリスティーナ#ニカラグア#ビーチライフ#連載

海と繋がり、自分の中の好きや小さなときめき、そしていい波を追い求めてクリエイティブに生きる世界中の人々、“Ocean People”を紹介する連載企画。彼らの人生を変えた1本の波、旅先での偶然な出会い、ライフストーリーをお届けします。

Profile
Bella O'Dowd ベラ・オダウド
オーストラリア・ビクトリア州出身。沖縄・座間見の海や自然、人との繋がりからインスピレーションを受け、アートブランド「Zamimi」を設立。波や貝殻、太陽などをモチーフにした水彩アートを通して、色や優しさ、感情を届ける作品を制作している。
あなたのことについて教えて
生まれ育ちは、オーストラリア・ビクトリア州南西部の小さな街。グレートオーシャンロードから車で45〜50分ほどの場所で、有名なベルズビーチも近く、自然豊かで本当に美しいところ。実家は小さなファームで、子どもの頃はずっと外で遊んでいて、ヤギやアヒル、羊など、たくさんの動物たちに囲まれて育った。小さい頃から動物や自然が大好きで、とてもクリエイティブな子どもだったと思う。今もその場所で暮らしていて、両親と姉のRubyと一緒に暮らしている。
アートは小さい頃から生活の一部だった。昔のアルバムを見返すと、家族でフォークフェスティバルや音楽イベントに行った時に、顔にフェイスペイントをしていたり、家の壁に絵を描いていたりする写真がたくさんあって、昔からずっとアートが大好きだった。
自身のブランド「Zamimi」を始めたきっかけ
2025年の夏に、姉と日本へ旅行したことがきっかけで始めた。以前にも日本へ来たことがあって、その時から日本の美しさや人の優しさに惹かれていた。今回は沖縄や離島の座間味島に長く滞在して、毎日シュノーケリングをしながら海亀と泳いだり、美しい珊瑚や海の色を見たり、本当に特別な時間を過ごした。座間見の海の色は、今まで見たことがないくらい綺麗で、すごく興奮したし、感動したのを今でも鮮明に覚えている。ちょうど22歳の誕生日も座間味で迎えて、最高の旅になった。
旅行から帰ってきたあとも、日本で感じた空気感や人との繋がり、海や自然の美しさがずっと心に残っていて、その感覚を形にしたいと思ったのが“Zamimi”の始まり。波や貝殻、太陽などをモチーフにデザインを描き始めて、少しずつブランドとして形になっていった。Tシャツの背中には “Energy is contagious(エネルギーは伝染する)” という言葉を添えている。たとえスーパーで並んでいる時でも、誰かがその言葉や色を見て、少しでも気持ちが明るくなったり、何かを感じてもらえたら嬉しいなって思って。
今は世界中いろいろな場所へZamimiのTシャツを届けることができて、色や優しさ、繋がりを通して人と繋がれることに、すごく感謝している。

アートが形になるまで
アートのプロセスは、まずスケッチブックにアイデアを書き出すところから始まる。日本で見た景色や、波、貝殻、太陽、星、宇宙のようなものからインスピレーションを受けていて、そういったモチーフをよく使っている。
まず水彩紙に手描きで絵を描き、水彩で色をのせたあと、Photoshopに取り込んで色味や配置を調整していく。姉もクリエイティブな仕事をしているので、お互いにアイデアを出し合ったり、相談しながら進めている。
最後にTシャツへ落とし込んで、サンプルが届く瞬間がすごく楽しい。思っていた色と違うこともあるけれど、それもまた面白い。時間を忘れるくらい没頭できるアート制作は、一番のお気に入りの時間。
座った瞬間にどんどんアイデアが浮かんできて、自然とフロー状態に入れる日もあれば、逆に“作りたい”と思っていても何も出てこない日もある。でも、そういう時は無理に作ろうとはしないで、「今日はそういう日なんだな」って受け入れて、また準備ができた時に自然とアイデアが戻ってくるのを待つようにしている。
写真でも文章でも、アートでも、クリエイティブな仕事をしている人なら共感できると思うけど、何かを無理に作ろうとすると、結局いいものはできない。自分が一番楽しいことをしていて、そこから生まれるアイデアに寄り添っていけば、必ず何かいいものが生まれると思っている。
実際、描いたあとに「なんか違ったな」って思うデザインもたくさんある。今まで何百個も描いてきたけれど、実際に使っているのは8〜10個くらいかもしれない。でも、昔描いたものをあとから見返して、「今なら使えるかも」ってなることもあって、時間が経ってから作品として生きることもある。それが、クリエイティブな仕事をしていて一番好きなことかもしれない。


次に行きたい場所
数えきれないほどあるけれど、一番惹かれているのはコスタリカ。写真で見る海や熱帯の自然が本当に綺麗で、“Zamimi”っぽい空気感を感じる。
日本にもまた行けたらいいなって思っている。まだまだ巡りたい離島がたくさんリストにあるし、人も優しくて、食べ物も最高で、本当に大好きな場所。

海、自然との関係を言葉に表すなら?
自然って、本当に尽きないインスピレーションの源だと思う。同じ花や太陽でも描き方は無限にあるし、海の色や花の色も、見る人によって異なるもの。たまに思うんだけど、自然が作り出す模様、例えば貝殻一つひとつの模様だったり、波が砂浜で割れる時のパターンだったり、自然こそが一番のアーティストだと私は思う。
アートのインスピレーションを受けるのも、行き詰まった時にまず戻る場所も、いつも自然が豊かな場所。多くのことがスクリーンの中で完結する時代だけれど、私は常に自然に返って、子どものような遊び心を忘れずにいたいと思う。
あなたの人生に欠かせない3つのもの
Loco Loveっていうバイロンベイ発祥のチョコレート。毎週買っていて、家にないとたぶんすごく困る(笑)。あとは、アーモンドミルクのカプチーノと、家族、それから2匹のゴールデンレトリーバー。
これから何か新しいことに挑戦したい人へのアドバイス
とにかくやってみること。自分が心から好きなことをやれているなら、それが一番大事だと思う。自分と似た価値観を持った素敵な人たちに囲まれることも、すごく大切。まずは挑戦してみること。自分の好きなことを通して、どんな人と出会えるのか、どんな繋がりが生まれるのか、本当にわからないから。だからこそ面白いし、楽しい。

text:Miki Takatori
20代前半でサーフィンに出合い、オーストラリアに移住。世界中のサーフタウンを旅し現在はバリをベースに1日の大半を海で過ごしながら翻訳、ライター、クリエイターとして多岐にわたって活動中。Instagram
TAG #Bella O'Dowd#Ocean People#ビーチライフ#ベラ・オダウド#連載

夢中になっていた時間は、気がつくと一瞬で過ぎていた。だが振り返れば、その濃密な時間には、確かに何かが刻まれている。すべてがどこから始まったのかは、もうわからない。ただ、ひとつ確かに言えるのは、僕らがその場所に立っていた、ということだ。バハ・カリフォルニア半島の最南端、ロス・カボス。ここが、僕らの折り返し地点となった。温暖な気候、クリスタルクリアの海、整えられたインフラ。常に人のいない荒野を旅してきた僕らにとって、その人の多さに圧倒されながらも、生活の利便性は無意識に求めていたものだった。
常に動き続けてきた僕らは、この場所にしばらく滞在することに決め、旅の疲れを癒した。波があれば海に入り、日が昇れば起き、日が沈めば眠る。1ヶ月を過ごしたプラヤ・パルミージャ。日々を重ねるうちに、顔なじみも増えていった。お寿司を振る舞ったり、ビーチでメキシコのビールカクテル、ミチェラーダを作ってもらったり。静かに満たされる毎日だった。

リゾートに囲まれるザ・ロックというポイント。11月から1月にかけてが穴場で、人は少なく波はそこそこある

プラヤ・パルミージャ。トイレ、シャワー、出入り口に監視カメラもあって僕らのリゾート地となった

キャンプをしていたビーチで知り合った人たちに寿司を握った

12月でもトランクスでサーフィンできる最高の環境があった
良い波に巡り合う瞬間と同じように、すべての出来事は、偶然ではない。うねり、風、潮、地形、時間。そのすべてが重なったときにだけ現れる一瞬。
人との出会いも、きっと同じだ。
僕らもそれぞれ、自分の軌道を持って動いている。交わること自体が、すでに奇跡だ。その“一瞬”の連続の中で、これだけの人に出会い、波に乗り、「自分」という人格を形づくる一部となっていく。空白だった自分の地図に、色が塗られていった旅。だが、その色さえも、常に移ろい続けるものだ。
ロス・カボスを後にし、イーストケープへ。サーフィン中にクジラの親子に出合い、山の谷間に潜む温泉を堪能し、あらためてバハの自然の雄大さに心を打たれた。12月とは思えない暖かさの中で過ごしていた身体は、北へ進むにつれ、確実に季節の変化を感じていく。南下したときには波がなかった場所に波が立ち、波が割れていた場所はフラットになる。乾燥し、枯草に覆われていた景色も、冬の雨によって緑を取り戻し、鮮やかさを増していた。ついこの間、同じ場所を通ったはずなのに、景色は違う。季節が変わっただけではない。僕たち自身も、変わったのだ。

ナインパームスでサーフィン中、遭遇したクジラの親子。パドルですぐ近くまで接近できた

イーストケープにはそこら中に野生のロバがいる。人間は食べ物をくれると思い近寄ってくる

南に下るときはフラットだったところが、北うねりが反応してロングライドが楽しめた

山奥にあるキャンプ場。沢では泳ぐこともできて神秘的な光景だった

1980年代、有名なレジェンドサーファーたちが開拓したと言われているエリア

美味しい食は人を繋げる。年末に楽しい寿司の会を開き、素晴らしい出会いがあった

南バハで見つけた秘境的温泉。温度も40度くらいでちょうどよく、満点の星空の下で疲れを癒した

とあるポイントで数日間サーフィン三昧の時間を過ごした。何もいらない。ただそこには最高の仲間と波があった
一度経験したものは、元には戻らない。それは特別な旅に限った話ではない。僕らは皆、戻ることのできない時間の中を進んでいる。この世に生を受け、最初の光を見たあの瞬間から。目の前で移ろう世界を経験しながら、移ろう自分自身を感じ続けている。一瞬一瞬が、かけがえのない一生に一度の体験。後戻りのできない、一方通行の旅の途中にいる。山もあれば、谷もある。だが、それを越えた自分は、もう以前とは違う。同じ場所に立っても、見える景色は変わる。戻ることはない。だからこそ、前に進むしかない。
本当に、多くの人に支えられてきた。なにより、隣で支え合ってきた妻のあゆみ。人は一人では生きていけない。幼いころ、母によく言われた言葉だ。皆の助けがなければ、この旅をここまで続けることはできなかった。そして同時に、自分もまた、誰かに影響を与えている。互いに共鳴し合うことで、つながっていく縁。限られた人生の中で、同じ時間を共有してくれたことに、ただ、感謝したい。
「Ride of a Lifetime」
すでにあなたは、その波に乗っている。移ろいゆく波のラインをどう描く?


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