海と繋がり、自分の中の好きや小さなときめき、そしていい波を追い求めてクリエイティブに生きる世界中の人々、“Ocean People”を紹介する連載企画。彼らの人生を変えた1本の波、旅先での偶然な出会い、ライフストーリーをお届けします。
Profile
Tara Snell タラ・スネル
タイ出身、23歳のクリエイター。タイとスリランカの2拠点をベースにしながら、サーフィン、ヨガにフォーカスした旅を続けている。
あなたのことについて教えて
生まれ育ちはタイ。母親はタイと香港のミックスで父親はカナダ人。現在は家族がいるタイと波のいいスリランカの2拠点をベースにしながら生活している。タイ北部の山に囲まれたチェンマイで生まれたんだけど、父が海好きなこともあって6歳のときに南部のサムイ島に引っ越した。いまは海が一望できる場所に住んでいいて、ここは私のお気に入り! 仕事はブランドのコンテンツ制作やモデル活動、ヨガを教えるなど色々活動している。一時期自分は何をしたいのか分からなくなったときがあったんだけど、写真を撮ることや情報を発信するのが好きで、特にサーフィンを始めてからは様々なブランドと仕事をするようになり、やりたいことが明確になってきた。“旅をしながらサーフィンをする”はずっと憧れていたライフスタイルで、いまのこの生活ができていることにとても感謝している。
サーフィンを始めたきっかけとお気に入りのスポットは?
初めてサーフィンをしたのは、2022年7月にスリランカに行ったとき。当時付き合っていた彼が、スリランカ南東部にあるアルガンベイで、サーフィンとヨガのリトリートを行っていたの。アルガンベイは首都コロンボから6〜7時間離れた場所にあり、すごく美しくて世界の果てのような場所。リトリートが始まる2週間前に彼と合流して、一足早くサーフィンをしたの。基本的なことからルールやマナー、波について教えてもらい、最初は海の中でプッシュしてもらいながら波に乗っていた。何日かヘルプしてもらってたんだけど、ヨガをやっていたおかげかバランス感覚があり、すぐに一人で乗れるように。それに純粋に楽しかったから、のめり込むのに時間はかからなかった。
初めてロングボーダーを見たときからエレガントでスタイリッシュな波乗りに憧れて、私の中ではロングボード一択だった。今ではサーフィンのない生活は考えられないわ。
お気に入りのサーフスポットはフィリピンのシャルガオ島とスリランカのマシュマロという場所。次に行きたい場所は、フィジーのナモツ島。
海、自然との関係を言葉で表すなら?
海は私たちの一部。幼い頃から海は大好きだったけど、サーフィンを始めてからより一層自然へ感謝するようになった。海は地球からの贈り物。そこにあるのは当たり前のようだけど、海で時間を過ごすたびにその偉大さに気付かされる。
これからの目標や夢は?
もっとサーフィンが上手くなって、旅をしながらサーフィンを続けていきたい。いつかスポンサーがついたらいいな! 仕事の面では、サーフィンとヨガ両方で使える水着や洋服を作りたいと思っている。
あなたの生活に欠かせない3つのものは?
私にとって一番大切なのは家族。戻ってくる場所があること、いつも支えてくれる人がいることは何よりも幸せなこと。それとロングボードと旅中でその瞬間を捉えるカメラ、スマホ、ドローンなどのデバイス。
何か新しいことを始めたいと思っている人にアドバイスを
心地のいい場所に居続けると成長するのは難しいので、とにかくやりたいと思ったことは挑戦してほしい。やってみて上手くいかなかったとしてもそれは失敗にはならないし、そこから学べることの方が多いはず。自分の好きなことにエネルギーを注いでいると、必ず宇宙が味方になってくれるから。
text:Miki Takatori
20代前半でサーフィンに出合い、オーストラリアに移住。世界中のサーフタウンを旅し現在はバリをベースに1日の大半を海で過ごしながら翻訳、ライター、クリエイターとして多岐にわたって活動中。Instagram
TAG #Ocean People#クリエイター#タラ・スネル#ビーチライフ#連載
海と対峙するとき、音楽は円滑油のような効果を発揮する。サーフィンと音楽が絡み合い起こる化学反応。多くの先人たちの言葉を交え時空に綴れ織りを描くとき、サーファーとダンスの関係が見えてくる。
サーファーがディスコに大挙して押し寄せたのは1977年。メディアは以前とは違うダンスフロアを“サーファーズ・ディスコ”と呼び始めた。その中心は東京なら六本木スクエアビルか赤坂ビブロス、大阪ならミナミと心斎橋に集中していた。それ以前はコンポラスーツを着て数人で同じステップを決めるのが主流だったが、サーファーが押し寄せると選曲はモータウン系ソウルから、ソフトでミディアムテンポのAOR、フュージョン、盛り上がりにはファンクからロックに変貌を遂げた。ラリー・バートルマンが映画『サタデーナイト・フィーバー』のサントラばかり聴いていた時期で、波の上をダンスフロアで舞うように踊った。
1979年発刊のオーストラリアSurfing Word誌が実施したプロサーファーへのアンケート「お気に入りのミュージックは?」では、ローリング・ストーンズ、サンタナ、ホルヘ・サンタナ、デヴィッド・ボウイ、ブルース・スプリンスティーン、パブロ・クルーズなど、これだけ見ても圧倒的にロックが多く、ダンス系もアース・ウィンド&ファイアー、ビージーズ、ブラザーズ・ジョンソンなどがランクインしていた。バテンスはLAのディスコで羽目を外し、コンテストで得た賞金を全て充てても足りないほど店を破壊した逸話は有名だ。規模こそ小さいが、夏だけ限定オープンの新島のディスコでも暴れた。
東京では、金曜は六本木のメビウス、土曜は赤坂のビブロス、略して“金メビ土ビブ”という奇妙な現象も起こった。シックの「フリーク・アウト」~フランス・ジョリの「カム・トゥ・ミー」~カーティス・ブロウの「ザ・ブレイクス」~クイーンの「アナザー・ワン・バイト・ザ・ダスト」~ローリング・ストーンズの「ミス・ユー」~ロッド・スチワートの「アイム・セクシー」~ドゥービー・ブラザーズの「ロング・トレイン・ラニン」~パブロ・クルーズの「アイ・ウォント・ユー・トゥナイト」、力尽きる頃にチークタイムを2曲、再びロドニー・フランクリンの「ザ・グルーブ」~ボズ・スキャッグスの「ロウダウン」と続き夜は更けていった。
アダルト・オリエンテッド・ロック、通称AORは和製英語だ。1976年頃から流行り始めサーファー好みのサウンドに定着した。大人向けロックはポップスとは微妙に違い、少し背伸びして洒落てみたいサーファーのスタイルに響いた。ハードでシンプルなロックではなく、ソフト、ロマンティック、アーバンといった曖昧なくくりにジャズ、ソウル、ボサノバなどのエッセンスを加えたカクテルである。その代表格はボズ・スキャッグス、ボビー・コールドウェル、ホール&オーツ、ジェイ・ファーガソン、さらにネッド・ドヒニーのアルバム「ハード・キャンディ」のジャケットは、青い空とパームツリーの下でシャワーを浴びる、まさにカリフォルニアだ。波とサウンドに貪欲な大阪のサーファーから火が付いた名盤である。それから12年後の「ライフ・アフター・ロマンス」はサーフボードを膝の上に載せた姿で、サーファーの心を掴み続けた。
レコード店の存在も大きかった。ディスコなら六本木の「ウィナーズ」、ウエストコーストなら原宿「メロディ・ハウス」、大阪アメリカ村の路上ではアメリカ帰りの日本人がレコードを売っていた。地方のサーファーは東京や大阪へ来たついでにレコード店巡りをしたり、仙台、静岡、金沢、高知、宮崎、沖縄などにも一早く輸入盤レコードを販売する店が現れた。ジャケ買いするリスナーにとってホルヘ・サンタナのデビューアルバムは衝撃だった。何といってもカルロス・サンタナの弟、これだけで買わないわけにはいかなかった。さらに高中正義のセイシェルズをカバー、このアルバムもサーファー限定でブレイクした。同様の理由でファニア・オールスターズの「リズム・マシン」もサーファーに売れた。
当時のサーフィン雑誌には毎号レコードを紹介するページがあり、ウィルソン・ブラザース、エアプレイ、ロビー・デュプリー、クリストファー・クロスなど高い確率でアダルトなロックがピックアップされ、多くのサーファーが参考にしていた。ディスコからAORへ、サーファーは弾けながら大人のふりをした時代である。
【SURF MUSIC makes us "SALTY"バックナンバー】
#01 -潮騒香る音楽に身を委ね踊るとき-
#02 -ショートボード革命とサイケデリックサウンドの相関図-
#03 -世界中で無限の変貌を遂げ始めたフラワーチルドレンの種-
#04 -制限なき選択ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド-
#05 -サーファーだけが知るアンダーグラウンドという美学-
#06 -コラム:DICK DALE/ヘビー“ウェット”ギターサウンズ-
#07 -コラム:KALAPANA/アイランド“クール”ブリージング-
#08 -コラム:CALIFORNIA BLUE/西海岸からの潮風-
#09 -コラム:REBEL MUSIC/反骨心の魂を追う、サーフミュージックの側面-
>>特集の続きは本誌でご覧ください。
「SALT…Magazine #01」 ¥3,300
本誌では24ページにわたってSURF MUSICを特集。“サーフィンと音楽”の蜜月関係から、アンドリュー・キッドマンのインタビュー、抱井保徳さんのコラムなど掲載。潮の香りをまとったソルティな音楽は、サーフィンライフを豊かにしてくれる。
photography_Mitsuyuki Shibata text_Tadashi Yaguchi
TAG #KALAPANA#SALT#01#SURF MUSIC#SURF MUSIC makes us "SALTY"#サーフミュージック
海と繋がり、自分の中の好きや小さなときめき、そしていい波を追い求めてクリエイティブに生きる世界中の人々、“Ocean People”を紹介する連載企画。彼らの人生を変えた1本の波、旅先での偶然な出会い、ライフストーリーをお届けします。
Profile
Inés Maria Carracedo イネス・マリア・カラチェド
アルゼンチン出身、32歳のフォトグラファー・フィルムディレクター。カメラ片手に旅をして、心が揺さぶられる瞬間を写真に収めている。
あなたのことについて教えて
生まれ育ちはアルゼンチンのブエノスアイレス。インドネシアに滞在しながら、フォトグラファー、フィルムディレクターとして活動している。今は決まったホームはないけれど、バリはいつでも帰って来られる場所。友達もいるし、土地のこともよく知っているからどこに行くか迷ったときはここに辿り着く。サーフィンを始めた頃から写真や動画の撮影を始めて、SNSで話題になるような瞬間的なものより、幅広い年齢層や色んなジャンルの人々に届くストーリー性のある作品をつくっている。
サーフィンを始めたきっかけとお気に入りのスポットは?
サーフィンを始めたのは19歳の頃、エクアドルに友達とサーフトリップに行ったとき。サーファーなら誰でも経験したことがあると思うけど、最初は上達することに意識しすぎて、エゴが出たりもっと上手くならなきゃと思うばかりで、どこか楽しめていない自分がいた。その当時付き合っていた彼とモロッコやアフリカの砂漠をドライブしながら波を見つけたり、ソフトボードでサーフィンしたり、ボリュームがあるツインフィンでサーフィンするようになって、これがサーフィンの楽しみ方だと気づいたの。コンペティターのようなキレのあるスナップができなくても、誰も訪れないような場所で波を探したり、コンディションに合わせて様々なボードにトライしたり、私にはそっちの方が合っていると思った。それからは海の中での時間を純粋に楽しめるようになり、それと同時にフローするように波に乗れるようになった。
今まで行った中でお気に入りのサーフスポットはインドネシアのメンタワイ。多くのサーファーがなぜ行きたがるのかが分かった。次に行きたい場所はタヒチかな。
海、自然との関係を言葉で表すなら?
自分自身と深く繋がれて、そして人間も自然の一部だと再確認させてくれる場所。
これからの目標や夢は?
表面的なアートではなく、見る人の五感を刺激する作品やフィルムを作りたいと思っている。あと最近はセーリングにも興味が出てきたから、数ヶ月間船に乗って波を追いかけたり、ダイビングをするのも夢。来年からサーフィンとクリエイティビティをミックスしたプロジェクトをスタートする予定で、それも今から楽しみ。
あなたの生活に欠かせない3つのものは?
旅をしているときでも友達や家族と繋がっていられるスマホ。旅をキャプチャーできるカメラ、そしてサーフボード。
20歳の頃の自分に何かアドバイスをするとしたら
旅に出ることで多くのドアが開き、その結果今の自分がある。だから、まずはやりたいことがあれば行動すること。旅行ではなく“旅”をして、その土地に住む人とコミュニケーションをとり、コミュニティに入ること。そして戻れる場所と、何かあれば助けてくれる人を見つけることも大切。その瞬間に何を感じているか向き合い、自分探しの時間に使ってほしい。そしてチャンスがあればいつでも“Yes!”と言って、旅に出られるよう少しは貯金もしていたほうがいいかな(笑)。
text:Miki Takatori
20代前半でサーフィンに出合い、オーストラリアに移住。世界中のサーフタウンを旅し現在はバリをベースに1日の大半を海で過ごしながら翻訳、ライター、クリエイターとして多岐にわたって活動中。Instagram
TAG #Ocean People#イネス・マリア・カラチェド#クリエイター#バリサーフィン#ビーチライフ#連載
海が似合う“素敵なあの人”が偏愛する、モノやコトを紹介するこの企画。今回話を伺ったのは、海に恋し、沖縄に移住したKylaさん。憧れのビーチライフを手に入れた彼女の暮らしをご紹介。
Profile
Kyla
1999年生まれ、愛知県出身。フィリピン、スペイン、アメリカ、日本にルーツを持つ。モデルやアクセサリーのデザイナーとして活躍中。
「初めてサーフィンをしたとき、ここだったら自分らしくいられるって感じたんです。それからはゾッコンで、海のあるライフスタイルを送るって決めてました」
海が好きな理由をこう語るKylaさん。フィリピンで生まれた彼女は、8歳のときに家族で愛知県に移り住んだ。小さい頃から家族で海に遊びに行くことが多かった彼女は、自然や海が身近な環境にいた。
「地元に住んでいた頃、初めて友人と一緒にサーフィンに行ったんです。2019年だったかな。その年は悩んだり落ち込んだりすることが多くって、これまでの人生の中でもかなりどん底な時期で(笑)。それで、自分が大好きな自然や海に触れたかったので気分転換にサーフィンに挑戦することに。実際にやってみたら『海の中では自分らしさを取り戻せる!』という感覚になって、とっても救われたんです。そこから海とサーフィンが自分の一部になった気がします」
当時住んでいた家からサーフポイントまではクルマで約2時間。往復およそ5時間かけて通っていたのだそう。
「やっぱりそのくらいの距離になると一人で通うのは難しくって。もっとたくさんサーフィンしたい気持ちもあって、海がキレイな場所に移住したいな、と思うようになりました」
そして2022年、沖縄に移住することに。現在は今年生まれたばかりのベイビーと、夫、愛犬との4人暮らし。かねてからの夢だった海沿いでの暮らしを楽しんでいる。
「最初は海外に住みたいと思っていたのですが、コロナ禍でそれが叶わなくって。国内で海や自然がキレイな場所に引っ越そうと思って、沖縄を選びました」
沖縄に越してからは、海が生活の一部となった。毎日ビーチを散歩し、休日にはSUPやシュノーケリングを楽しんだり、波のいい日にはサーフィンに出かけたり……。
「日常的に海に行けることに幸せを感じています。実は、夫とも沖縄に来てから出会ったんです。2年前くらいにサーフィン中に! なので一緒にサーフィンをすることも楽しみのひとつ。女の子が生まれたばかりなのですが、家族でビーチに行くのが今から楽しみです」
今後は海外移住も視野に入れながら、“どこにいてもできること”に注力していきたいと話す。
「いまハマっているのはアクセサリー作り。自然や海から得たインスピレーションをもとに、ピアスやネックレスなどを手作りしています。アレルギーの人でもつけられて、海に入っても錆びにくいものが欲しかったので、自分で作ろう! と思って。素材もできる限り自然由来なモノを選んでいます。あとはどんなに取れにくく作ったとしても無くしてしまうこともあるので、リーズナブルな価格に設定しています」
Kylaさん自身が金属アレルギーだったことから、自分が理想とする、どんな人でも海でもつけられるモノを作っているのだとか。
自分も夫も旅と海が好きなことから、これからは働きながらさまざまな国を訪れ、たくさんの海を見たいと話すKylaさん。沖縄に移住して大きく人生が動いた彼女。これからどんなビーチライフが待ち受けているのか今後が楽しみだ。
text _ Miri Nobemoto
TAG #Kyla#ビーチライフ#沖縄#移住#素敵なあの人の偏愛事情
海と対峙するとき、音楽は円滑油のような効果を発揮する。サーフィンと音楽が絡み合い起こる化学反応。多くの先人たちの言葉を交え時空に綴れ織りを描くとき、サーファーとダンスの関係が見えてくる。
デューク・カハナモクがサーフィンを世界中に伝えた40年後、サーフィンはスポーツのみならずユースカルチャーとして定着した。1950年代、アメリカでは豊かさを享受する親世代に反骨心を抱いたビートニクが登場。地下室で悶々とジャズを聴く黒ずくめの集団や、ビーチで乱痴気騒ぎをするグループなどが社会問題となった。またエルビス・プレスリー、チャック・ベリー、ジェリー・リー・ルイスなど、黒人のブルースを進化させたロックンロールの台頭も危険視された。戦争を体験した親たちにとってみれば、腰をくねらせ、速い単純なビートで冒涜感だらけの歌詞など、子供たちに聴かせたくないと思うのは当然のことだった。
この反骨心溢れるサウンドとライフスタイルこそ、レベル・ミュージックの始まりだ。ヘビーなギターインストルメンタルは、1965年ベトナム戦争が勃発するとヒッピーに生まれ変わり、'70年代にはニューエイジ、'80年代にはパンク、更にレゲエ、ダブ、ヒップホップと形を変えながら、無軌道な動きを繰り返す。サーファーという種族は二者一択ではないオルタナティブな生き方が基本で、多数派に迫ると真逆に走る傾向がある。音楽もサーフボードも同じである。
海から離れたニューヨークではヴェルヴェット・アンダーグラウンド、デトロイトではイギー・ポップやMC5が破壊的なロックを奏でたが、そんな爆音を好むサーファーも少なくなかった。今でこそサーファーはアスリートの一員とされオリンピック種目にもなったが、1950年代からサーフィンは不良の代名詞的存在で、それは世界共通だった。オーストラリアでもサーファーは、ホットロッドやバイカーと対立していた。
1976年カリフォルニア・マリブで活動を開始したサーフパンクスは鮮烈だった。世界各地のポイントでローカリズムが強くなるなか「ここは俺たちのビーチだ、よそ者は帰れ!」と叫び、夢のカリフォルニアを破壊した。ハワイ・オアフ島ノースショアではブラックショーツとオージーが対立したように、プロサーフィン組織の設立を境に波乗りは競うものではないというアンチコンテストサーファーも声を上げた。まさにジェリー・ロペスが提唱したソウルサーフィンである。
世界同時多発的に反逆的サウンドを好むサーファーが増え、ポリス、クラッシュ、ラモーンズ、テレビジョン、パティ・スミス、トーキング・ヘッズさらにガレージバンドも注目された。ゴリゴリのパンクからニューウェイブに移行する頃、クイックシルバーはエコー・ビーチシリーズをリリース、それ以前のボードショーツとは全く違うデザインをワールドワイドに展開した。
ダニー・ノック、マービン・フォスター、リチャード・クラム、マット・アーチボルトらは、アグレッシブなスラッシュ系サーフィンを進化。テイラー・スティールはサーフフィルムの概念を覆すビデオシリーズ『モーメンタム』でパンク、グランジ、メタル系バンドを起用し、サーフミュージックの常識を覆した。常に次を求める放浪癖は尽きない。
【SURF MUSIC makes us "SALTY"バックナンバー】
#01 -潮騒香る音楽に身を委ね踊るとき-
#02 -ショートボード革命とサイケデリックサウンドの相関図-
#03 -世界中で無限の変貌を遂げ始めたフラワーチルドレンの種-
#04 -制限なき選択ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド-
#05 -サーファーだけが知るアンダーグラウンドという美学-
#06 -コラム:DICK DALE/ヘビー“ウェット”ギターサウンズ-
#07 -コラム:KALAPANA/アイランド“クール”ブリージング-
#08 -コラム:CALIFORNIA BLUE/西海岸からの潮風-
>>特集の続きは本誌でご覧ください。
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本誌では24ページにわたってSURF MUSICを特集。“サーフィンと音楽”の蜜月関係から、アンドリュー・キッドマンのインタビュー、抱井保徳さんのコラムなど掲載。潮の香りをまとったソルティな音楽は、サーフィンライフを豊かにしてくれる。
photography_Aition text_Tadashi Yaguchi
TAG #KALAPANA#SALT#01#SURF MUSIC#SURF MUSIC makes us "SALTY"#サーフミュージック
海と対峙するとき、音楽は円滑油のような効果を発揮する。サーフィンと音楽が絡み合い起こる化学反応。多くの先人たちの言葉を交え時空に綴れ織りを描くとき、サーファーとダンスの関係が見えてくる。
アメリカ西海岸こそ、日本人サーファーにとって手が届く憧れの地だった。ハワイは修行の場、カリフォルニアはファンな波、そしてファッションやサウンドといったサーフカルチャーの中心だった。青い空と乾燥した気候、ハンティントンやマリブに降り注ぐ太陽は別格に感じられていた。
1965年ベトナム戦争に突入すると、若きアメリカンは反戦活動を行動で示した。サンフランシスコを目指し、全米中からラブ&ピースを合言葉に集った歴史がある。反体制的なカウンターカルチャーはヒッピー思想として世界に伝わり、サーファーと深く交わっていく。サーフィンは自由の象徴として、デューク・カハナモクが世界に拡散した歴史と重なる。サーファーがロックに傾倒したのはそのためだ。カリフォルニアでアンチコンテスト派が多数だったのは、サーフィンは競技ではない、順列を争うべきではないという考え方が強かったからである。
ミュージックシーンでもフェスは無料であるべきと捉えられていた。実際に史上最初で最大のフェス「ウッドストック」も入場券が販売されたが、大部分は壁を壊して無料で入っている。出演したジェファーソン・エアプレイン、サンタナ、ジミ・ヘンドリックス、CCRの楽曲は多くのサーフフィルムでも使用されていた。
不思議なことに'69年を境にミュージックシーンは大きな変化を遂げる。ビートルズの解散、ローリング・ストーンズのコンサートでの殺人事件などで音楽業界は大きく揺れ動き、映画『イージー・ライダー』でヒッピーの夢が砕かれ、サーフボードはショートボードが圧倒的に主流となった。
1971年にドゥービー・ブラザーズ、イーグルス、リンダ・ロンシュタット、翌年にはスティーリー・ダン、ジャクソン・ブラウンがデビュー。時代はサイケデリックからニューエイジ、レイドバックへ移行した。1975年ベトナム戦争が終焉を迎えると、サーフィンの世界も大きく形態を変えていく。プロサーフィン組織が設立されたのは翌'76年、日本では第2次サーフィンブームが到来した。この世代のサーファーにとってサーフミュージックといえば西海岸であり、ジミー山田やテッド阿出川等は多種多様なサーフカルチャーをアメリカから持ち帰ったが、なかでもレコードは日本人サーファーに大きな影響を与えた。
1966年にTDKがカセットテープ販売をスタートすると'70年代にはラジカセが大ブレイク、さらにカーステレオの普及で好みの音楽を車中で聴くという文化が芽生えた。1979年にソニーがウォークマンを発売すると、海外サーフトリップに欠かせない存在となる。ソニーは防水ウォークマンを発売するほど、音楽関連産業はサーファーをターゲットにした。サーフィン専門誌やPOPEYE、Fineにレコード会社の広告が多かったのも頷ける。サーファーはヘビーなロックではなく、ライトで洒落たサウンドを好んで聴いた。潮の香りとアコースティックには相通じるものがあり、それは今も変わりない。
【SURF MUSIC makes us "SALTY"バックナンバー】
#01 -潮騒香る音楽に身を委ね踊るとき-
#02 -ショートボード革命とサイケデリックサウンドの相関図-
#03 -世界中で無限の変貌を遂げ始めたフラワーチルドレンの種-
#04 -制限なき選択ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド-
#05 -サーファーだけが知るアンダーグラウンドという美学-
#06 -コラム:DICK DALE/ヘビー“ウェット”ギターサウンズ-
#07 -コラム:KALAPANA/アイランド“クール”ブリージング-
>>特集の続きは本誌でご覧ください。
「SALT…Magazine #01」 ¥3,300
本誌では24ページにわたってSURF MUSICを特集。“サーフィンと音楽”の蜜月関係から、アンドリュー・キッドマンのインタビュー、抱井保徳さんのコラムなど掲載。潮の香りをまとったソルティな音楽は、サーフィンライフを豊かにしてくれる。
photography_Mitsuyuki Shibata text_Tadashi Yaguchi
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海が似合う“素敵なあの人”が偏愛する、モノやコトを紹介するこの企画。今回話を伺ったのは、モデルとして活躍する湘南在住のkaiさん。
Profile
kai
1994年生まれ。アメリカ生まれ湘南育ち。実家の目の前が海で、幼少期より海とともに育つ。モデルとして雑誌や広告、ショーなど多方面で活躍中。
アメリカで生まれ、小さい頃に湘南に移住。実家の目の前には海があり、物心ついた頃から日常に海のある暮らしを過ごしてきたKaiさん。そんな彼にとってサーフィンは生活の一部。
「波がいい日は、何も持たずにそのまま海に入れる格好でサーフィンしに行っちゃいます。サンダルさえ履かずに裸足で」。そんな彼が初めてサーフィンに出合ったのは小学生の頃。
「両親の友人がサーフィン一家だったので、自分も自然と覚えました。サッカー選手を目指していたので、本格的にサーフィンと向き合えるようになったのはサッカーを辞めた大学生の頃。自然が好きということもあるのですが、上手く波に乗れたときは本当に爽快で。ただ海と向き合う難しさも感じて……でもそれも面白くて。サーフィンがどんどん日常になっていきました」
物心ついた頃から海のそば暮らしてきたKaiさんにとって、もはや“偏愛”という言葉選びは適切ではないほど、サーフィンは日常に溶け込んでいる。そんな彼が、サーフィンと同じくらい夢中になっているのがスケートだ。
「大学生の頃、周りの友達がみんなスケートをやっていたので、自分も自然と始めました。できないことやうまくいかなかいことが多く、簡単に上手くなれない感じが逆に楽しくて。サーフィンとは全く違う面白さがありますね。スケートは人との距離が違いので、人のトリックを見て盛り上がったりしますし。トリックの数も多いし毎日練習できるので、目に見える喜び、みたいなものが大きくて、気づいたらめちゃくちゃハマってました」
最近では、モデルの仕事をきっかけに、ゴルフにも通うようになったという。
「仕事でゴルフの撮影があったんですが、自分ができないんじゃ格好つかないなと思って、練習するようになったんです。やってみたらこれまでやってきたスポーツとは全く違って、やっぱり面白い! ってなって」。どんなスポーツも、“初めはうまくいかない”というところから面白さを見出しているkaiさん。人との関わりも楽しんでいるのだとか。
「サーフィンもひとりで行くより、誰かと行く方が好きです。ゴルフもお酒を飲まずに人と長時間いられるっていうのが新鮮で。やっぱり自分の好きなことを通じて人と出会えたり、楽しい時間を誰かと過ごせるのは最高ですね」と話す。
サーフィン系のメディアへの出演や、広告の仕事も多数こなし、仕事がきっかけでゴルフも趣味となったkaiさん。「今後はモデル業を軸に、海外も視野に入れて様々なことに挑戦していきたいですね」。
好きなことが仕事を生み、人と繋がり、人生を豊かにしてくれる。今後どんどん広がっていくであろう、彼の活躍に注目していきたい。
text _ Miri Nobemoto
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