海と繋がり、自分の中の好きや小さなときめき、そしていい波を追い求めてクリエイティブに生きる世界中の人々、“Ocean People”を紹介する連載企画。彼らの人生を変えた1本の波、旅先での偶然な出会い、ライフストーリーをお届けします。
Profile
Tara Snell タラ・スネル
タイ出身、23歳のクリエイター。タイとスリランカの2拠点をベースにしながら、サーフィン、ヨガにフォーカスした旅を続けている。
あなたのことについて教えて
生まれ育ちはタイ。母親はタイと香港のミックスで父親はカナダ人。現在は家族がいるタイと波のいいスリランカの2拠点をベースにしながら生活している。タイ北部の山に囲まれたチェンマイで生まれたんだけど、父が海好きなこともあって6歳のときに南部のサムイ島に引っ越した。いまは海が一望できる場所に住んでいいて、ここは私のお気に入り! 仕事はブランドのコンテンツ制作やモデル活動、ヨガを教えるなど色々活動している。一時期自分は何をしたいのか分からなくなったときがあったんだけど、写真を撮ることや情報を発信するのが好きで、特にサーフィンを始めてからは様々なブランドと仕事をするようになり、やりたいことが明確になってきた。“旅をしながらサーフィンをする”はずっと憧れていたライフスタイルで、いまのこの生活ができていることにとても感謝している。
サーフィンを始めたきっかけとお気に入りのスポットは?
初めてサーフィンをしたのは、2022年7月にスリランカに行ったとき。当時付き合っていた彼が、スリランカ南東部にあるアルガンベイで、サーフィンとヨガのリトリートを行っていたの。アルガンベイは首都コロンボから6〜7時間離れた場所にあり、すごく美しくて世界の果てのような場所。リトリートが始まる2週間前に彼と合流して、一足早くサーフィンをしたの。基本的なことからルールやマナー、波について教えてもらい、最初は海の中でプッシュしてもらいながら波に乗っていた。何日かヘルプしてもらってたんだけど、ヨガをやっていたおかげかバランス感覚があり、すぐに一人で乗れるように。それに純粋に楽しかったから、のめり込むのに時間はかからなかった。
初めてロングボーダーを見たときからエレガントでスタイリッシュな波乗りに憧れて、私の中ではロングボード一択だった。今ではサーフィンのない生活は考えられないわ。
お気に入りのサーフスポットはフィリピンのシャルガオ島とスリランカのマシュマロという場所。次に行きたい場所は、フィジーのナモツ島。
海、自然との関係を言葉で表すなら?
海は私たちの一部。幼い頃から海は大好きだったけど、サーフィンを始めてからより一層自然へ感謝するようになった。海は地球からの贈り物。そこにあるのは当たり前のようだけど、海で時間を過ごすたびにその偉大さに気付かされる。
これからの目標や夢は?
もっとサーフィンが上手くなって、旅をしながらサーフィンを続けていきたい。いつかスポンサーがついたらいいな! 仕事の面では、サーフィンとヨガ両方で使える水着や洋服を作りたいと思っている。
あなたの生活に欠かせない3つのものは?
私にとって一番大切なのは家族。戻ってくる場所があること、いつも支えてくれる人がいることは何よりも幸せなこと。それとロングボードと旅中でその瞬間を捉えるカメラ、スマホ、ドローンなどのデバイス。
何か新しいことを始めたいと思っている人にアドバイスを
心地のいい場所に居続けると成長するのは難しいので、とにかくやりたいと思ったことは挑戦してほしい。やってみて上手くいかなかったとしてもそれは失敗にはならないし、そこから学べることの方が多いはず。自分の好きなことにエネルギーを注いでいると、必ず宇宙が味方になってくれるから。
text:Miki Takatori
20代前半でサーフィンに出合い、オーストラリアに移住。世界中のサーフタウンを旅し現在はバリをベースに1日の大半を海で過ごしながら翻訳、ライター、クリエイターとして多岐にわたって活動中。Instagram
TAG #Ocean People#クリエイター#タラ・スネル#ビーチライフ#連載
海と対峙するとき、音楽は円滑油のような効果を発揮する。サーフィンと音楽が絡み合い起こる化学反応。多くの先人たちの言葉を交え時空に綴れ織りを描くとき、サーファーとダンスの関係が見えてくる。
自分にはサーフミュージックなんて1968年まで存在してなかった。それ以前、5才上の兄がビーチボーイズの音楽付きサーフィン動画番組を観ていたのは覚えているが、サーフィンを始めた頃はまだ、グループサウンズや作詞家先生が作詞して作曲家先生が作曲、それをプロの歌手が立派に謳いあげる……だったような気がする。だからサーフィンと出合い物心がついてくると、サーフィンの影にはカーペンターズの「クロース・トゥ・ユー」や、サイモン&ガーファンクルの一連のヒット曲がつきまとっていた。けど、それって全然サーフミュージックなんかじゃない。だいたい洋楽はトランジスタラジオで聴くみのもんたの「カム・トゥギャザー」って番組が頼りで、進駐軍放送(FEN)は北京放送の電波妨害のせいか、千葉の漁師町には素直に入ってこなかった。だからどうしても音楽の嗜好や指向の選択肢は限られていたのだ。それが1971年、15歳の春に地元の漁師町からサーフィンの本場、安房鴨川のサーフィン文化に飛び込むと、すぐにサーフィンに欠かせない音楽があることを知った。当時鴨川でサーフィンをしていた鴨川少年団に、サンタナを教え込まれたのだ。曲は「Oye Como Va/僕のリズムを聞いとくれ」。連中はまだ13歳の中学生のくせして、(4行しかないけど)その歌詞を諳んじていた。
'71年の初夏、鴨川にNONKEYサーフショップが誕生し、いろんなサーファーが集まって来ていた。音楽もレコード盤という形で入ってきて、鴨川少年団はもろにその洗礼を受けた。その洗礼を浴びせたのが、オーナーの野村アキラさんだった。鴨川のサーフショップには、冬の暗黒時間を生き残るための道具ギターが置いてあって、アキラさんはそこでボブ・ディランなんかを弾いていた。アキラさんはサーフィンのスタイルからして恰好いい。ちょっと無茶なところもあるけど、少年団には優しいし、なによりパッチワークのジーンズを穿いていた。そのパッチワーク・ジーンズの出どころがニール・ヤングだった。
「4 way streetのジャケットの端っこに、幽霊みたいなのがいるだろう? あれがニール・ヤングだよ」だから自分も'73年の全日本サーフィン選手権には、パッチワークのジーンズで出かけた。もっとも自分のジーンズはほころびだらけで、パッチワークなしでは穿けなかったのだ。当時ミッキー川井さんの奥様がチャンズリーフというサーフィン用のトランクスを作っていて、そこで余った生地をいくらでももらえた。それを持って帰り、空中分解寸前のジーンズに縫い付けパッチワークとした。仕上がったジーンズを目にした野村さんに「おめえ、それで外に出るなよ」と言われたけど、他に穿くものがなかったので、そのまま大会会場の銚子・君ヶ浜に向かった。全日本に連れて行ってくれたのは鴨川の先輩、香取のカッちゃん。クルマは丸っこいホンダシビック、カーステにはニール・ヤングの「ハーベスト」のカセットがすでに入っていた。なにしろ世界の流行が遅れていっぺんに入ってくるので、「アフター・ザ・ゴールドラッシュ」も「ハーベスト」もほぼ同時期に聴くことができた。その2枚以前のニール・ヤングについての知識は皆無。CSN&Y(クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング)だって、アキラさんの話だけでしか知らない存在だった。
ニール・ヤングの音楽は、'73年のサーファーに自然と受け入れられていた。自分もそう。なんか雰囲気がいい。「ハーベスト」のジャケットもいいな~と感じた。いま聴くと困ってしまうような曲もあるけど、当時はこの次はこの曲と、全部が必要だった。なかでも「ハート・オブ・ゴールド」は開放弦のコードが多く、身近な感じではまった。でも音痴な人間にとって、出だしのアイウォナリブ~の“リブ~”の音階が全然わからなくて、サーフィンの波待ちの最中に大声で練習した。なにしろ平日の昼間は人がいないことが多かったので、気の済むまで練習できた。
その後マイナーな日本のサーフィン時代が終わっていくのと同時に、ニール・ヤングを聴くのもやめた。SURFER誌の広告で見た新譜のオン・ザ・ビーチもいいかな? と期待したけど、わかったのはサーフィンを取り巻く環境も含め、誰も'73年のままではなくなっていたってゆうこと。だから自分が聴くニール・ヤングは、2枚のアルバムだけ。もっとも現在、その全部を好んで聴けるわけではないけど、「テル・ミー・ホワイ」や「アウト・オン・ザ・ウィークエンド」はオールタイム、逆に言えばそれ以外の曲はもう聴かないってことか? そんなんで自分から聴きはしないけど、今でも不意に「ハート・オブ・ゴールド」が流れてくると、瞬時に'73年の自分に引き戻される。
あのアルバムが発売された時期は知らないけど、'73年の夏、ニール・ヤングの音楽で過ごすことができたのは、なんて言うか……。銚子のピーナツ畑の自動販売機でハイシー(オレンジ味飲料)を買って、香取のカッちゃんのシビックに戻ったとき、ちょうど「ハーベスト」が流れていた。その数時間前に全日本のジュニアクラスで優勝したばかりだったし、サーファーとしてこれ以上の人生があるなんて、とうてい考えられなかった。まだ“old enough to repay”でも“young enough to sell”でもなかったのだから。
【Profile】
抱井保徳
1956年南房総出身、現在は稲村ケ崎在住。日本のプロサーフィン黎明期から数多くのタイトルをショートとロングで獲得する一方、ウィンドサーフィンやSUPから木片、ボディサーフィンまで美しく波に乗る。日本を代表する名シェイパーでもある。
【SURF MUSIC makes us "SALTY"バックナンバー】
#01 -潮騒香る音楽に身を委ね踊るとき-
#02 -ショートボード革命とサイケデリックサウンドの相関図-
#03 -世界中で無限の変貌を遂げ始めたフラワーチルドレンの種-
#04 -制限なき選択ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド-
#05 -サーファーだけが知るアンダーグラウンドという美学-
#06 -コラム:DICK DALE/ヘビー“ウェット”ギターサウンズ-
#07 -コラム:KALAPANA/アイランド“クール”ブリージング-
#08 -コラム:CALIFORNIA BLUE/西海岸からの潮風-
#09 -コラム:REBEL MUSIC/反骨心の魂を追う、サーフミュージックの側面-
#10 -コラム:SURFER' S DISCO & AOR/サーファーズ・ディスコとAOR-
#11 -コラム:ON THE RADIO/そこでしか聴けない音楽が、サーファーを魅了する-
#12 -アンドリュー・キッドマンが語るサーフミュージック-
>>特集の続きは本誌でご覧ください。
「SALT…Magazine #01」 ¥3,300
本誌では24ページにわたってSURF MUSICを特集。“サーフィンと音楽”の蜜月関係から、アンドリュー・キッドマンのインタビュー、抱井保徳さんのコラムなど掲載。潮の香りをまとったソルティな音楽は、サーフィンライフを豊かにしてくれる。
photography _ Aition
TAG #Andrew Kidman#SALT#01#SURF MUSIC#SURF MUSIC makes us "SALTY"#サーフミュージック
海と繋がり、自分の中の好きや小さなときめき、そしていい波を追い求めてクリエイティブに生きる世界中の人々、“Ocean People”を紹介する連載企画。彼らの人生を変えた1本の波、旅先での偶然な出会い、ライフストーリーをお届けします。
Profile
Kristin Elena Clark クリスティン・エレナ・クラーク
アメリカ出身、インドネシア・バリ在住のサーファー、モデル。現在はウルワツのそばで家族4人で暮らしている。
あなたのことについて教えて
生まれはパキスタンで、幼い頃から両親の仕事の関係でジャカルタやケニアなど、さまざまな都市を転々としてきた。最終的にアメリカ・オレゴン州に落ち着き、20歳までそこで過ごしていた。大学を中退してワーキングホリデーでオーストラリアへ渡り、バイロンベイやボンダイエリアで暮らすことに。距離が近いこともあり、その頃からバリに頻繁に訪れるようになった。2016年、母がバリに家を建てたのをきっかけに、私もバリに移住を決意したの。
バリで現在の夫に出会い、今は1歳半と5歳の息子たちとウルワツで暮らしている。子育てしながら、たまにモデルの仕事も。10年前のウルワツは、地元のご飯屋さんが数軒あるだけの小さなサーフタウンだったけど、今ではジムやサウナ、おしゃれなカフェが増え、若いママたちの姿もよく見かけるようになった。
バリでの子育ては良い面と悪い面もあるけど、私は海のそばで、素晴らしいサーファーたちに囲まれながら、のびのびと子どもを育てられていることに感謝している。
サーフィンを始めたきっかけ、お気に入りのスポット、次に行きたい場所は?
約8年前、初めてサーフィンをしたのは意外にもベトナムだった。その経験がきっかけでサーフィンに夢中になり、オーストラリアやバリでは、時間があればとにかく海へ向かっていた。お気に入りのスポットはウルワツの「Temples」。メインのピークより少し先にあるこのポイントには、良いスウェルが入るとプロサーファーたちも集まり、バレルのセッションになることも。顔なじみのメンバーも多く、雰囲気も最高。ここへ行けば、海の中で仲間たちとキャッチアップできるのも楽しみのひとつ。
次に訪れたい場所は、インドネシアの離島とモロッコ。
子どもが生まれてからは、サーフィンが私の生活にとってこれまで以上に欠かせないものになった。手が空いた時間を見つけて、潮の満ち引きやスウェルに合わせながらベストなスポットを選び、海へ向かう。そこで過ごす時間は、まさに私だけのひととき。日常の出来事を少しだけ忘れて、“今この瞬間”を心から楽しむことができる。
子どもたちも海が大好きで、周りの友達にもサーファーが多いから、自然な流れでサーフィンを始めてくれたら嬉しいな。いつか、一緒にラインナップに並ぶ日が来るのを楽しみにしている!
海、自然との関係を言葉で表すなら?
帰る場所。多くのサーファーにとってそうであるように、私も数日間海に入らないと、どこか物足りなさを感じる。「海に帰らなきゃ! 海に戻りたい!」そんな思いが日常的によく湧き上がる。今一緒に時間を過ごしている友達も、みんな海を通じて出会った大切でクールな仲間たち。サーフィンがすべてをつなげてくれて、これなしの生活なんて考えられない。
あなたの生活に欠かせない3つのものは?
サーフィン、家族、美味しい食べ物!
20歳の頃の自分に、何かアドバイスをするとしたら?
30歳になった今、これまでの自分を振り返ると、特に計画を立てずに思うままに生きてきた。でも、その中にはいつも明確な意図があった。そして気づけば、欲しいものや住みたい場所、理想のライフスタイルが自然と実現していた。「何かやりたい!」と情熱が湧いたときこそ、そのエネルギーに従うのが一番だと思う。
text:Miki Takatori
20代前半でサーフィンに出合い、オーストラリアに移住。世界中のサーフタウンを旅し現在はバリをベースに1日の大半を海で過ごしながら翻訳、ライター、クリエイターとして多岐にわたって活動中。Instagram
TAG #Ocean People#クリスティン・エレナ・クラーク#バリサーフィン#ビーチライフ#連載
海が似合う“素敵なあの人”が偏愛する、モノやコトを紹介するこの企画。今回は様々な場所で暮らした経験を持つモデル・インスタグラマーのAmiさんが、最終的に移住したハワイでの暮らしをご紹介。
Profile
Ami Angel
千葉県出身、現在はハワイ・オアフ島在住。日本とペルーにルーツを持ち、モデルやインフルエンサーとして活躍中。また自身のファッションブランド『Sunkissed Sunflower』も手がける。
「行ったことがない場所に行くとすごくワクワクして、胸が躍るんです。ひとりで色々な場所を訪れましたが、いちばん居心地が良かったのがハワイでした」と話すのは、昨年ハワイ移住を叶えたAmi Angelさん。
23歳のときにロサンゼルスで1年半を過ごしたあと、サンディエゴ、ニューヨークと移り住み、ハワイ・オアフ島に辿り着いた。
「小さい頃から海に連れて行ってもらっていたせいか、海が大好きで。旅先もあたたかい場所を選びがちです(笑)。ハワイは旅行で何度も来ていたけれど本当に大好きで、住みたいなって思って移住を決めました。
特にサンセットの色が毎日違うのが大好き。ここ、違うプラネット? って思うくらいきれい。お気に入りは、以前ステイしていたことがある、カイムキの坂の上から眺めるサンセット。空全体がピンクとパープルのグラデーションに染まった中に、少しだけ灯りがついたワイキキの街並みが見渡せて。奥にはダイヤモンドヘッドとブルーの海が見えるの! もう、とろけちゃいそうな美しさです」
「ずっと海まで歩いて行ける距離に住むのが夢だったので、今はとっても幸せ。サーフィンはワイキキで、ロングボードでマイペースに楽しむのが好き。ちなみに最近ワイキキの端に穴場のビーチを見つけたので、そこでただ横になったり、シュノーケルをしたり、友達とお話をしたりするのがお気に入り。ビーチで編みものをするのもハマっているんです」
海が好きだからこそ、やはり環境のことも気になるAmiさん。彼女自身海に入るときは環境に負担がかからないよう、日焼け止めは塗らないのだとか。
「ケミカルな日焼け止めを塗って海に入る観光客の方が多いのですが、それがサンゴへ悪影響を与え、海の色まで変わってきているんです。私は自分の周りから変えられたらと思い、オーガニックな製品を使ったり、なければ塗らずに入ることもあります」
ビーチで過ごすだけでなく、ハイクへ行く機会も多いという。
「年末に友人と岩山に登ったんですが、頂上で友達がファイアーパフォーマンスをしてくれて。すごくクールで、幻想的でした。その日がちょうど満月の日だったので、2024年に嫌だったことや手放したいことをみんなで紙に書いて燃やしたんです。
そのあとは2025年にやりたいことをジャーナリングしたり、メディテーションをしたんですが、なんだか感極まって泣いてしまって……。そういうイベントごとをハイクや自然の中でできるのも、ハワイに住んでいる醍醐味だなって感じます」
「今年の目標は、『心のままに』。自分の気持ちに従って行動することが大事だなって思うから。行きたい場所に行って、会いたい人に会って、やりたいことを実行する。移住って、不安や心配なことも多いです。でも絶対になんとかなるって、自分を信じること。もしやりたいことで迷っている人がいたら、そう言葉をかけてあげたいです」。
text _ Miri Nobemoto
TAG #Ami Angel#ハワイ移住#ビーチライフ#素敵なあの人の偏愛事情
海と繋がり、自分の中の好きや小さなときめき、そしていい波を追い求めてクリエイティブに生きる世界中の人々、“Ocean People”を紹介する連載企画。彼らの人生を変えた1本の波、旅先での偶然な出会い、ライフストーリーをお届けします。
Profile
Tavo Tenorio タボ・テノリオ
コスタリカの北西部サンタテレサ出身のサーファー、サーフコーチ。得意のロングボードでクロスステップやスタイリッシュなライディングを魅せる。
あなたのことについて教えて
生まれも育ちもコスタリカのサンタテレサ。ここでビギナーの方にサーフレッスンを行ったり、ロングボーダーにはクロスステップやハングファイブを教えたりしている。サーフィンを始めたのは12歳のときだから、今から20年ほど前。学校帰りや休日はいつもビーチに行き、釣りをしたり、ボディボードをしたり、とにかく海にいることが生活の中心だった。ある日ショートボードに乗ったサーファーを見かけて、母親に「あんな風にサーフィンがしたい!」と言ったのを覚えている。コスタリカでの生活はまさに“Pura Vida”という言葉がピッタリ。よく会話に出てくる言葉なんだけど「人生を純粋に楽しむ!」という意味。街中ですれ違う人はみんな笑顔で、リラックスした雰囲気。そして自然が近くにあるから、都会と自然が調和した暮らしをおくっている。
お気に入りのサーフスポットと次に行きたい場所は?
Pavones/パボネス(コスタリカ)というスポット。コンディションが良ければ1km近くロングライドができるレフトの波。それとバリ・ウルワツのスウェルが入った日。ワールドクラスの波にたった10人ほどのサーファーしかいなくて興奮する。あとはホームのサンタテレサのビーチブレイク。次に行きたい場所はタヒチとフィジー。
海、自然との関係を言葉で表すなら?
海にいるときは、人生と繋がっている感じがする。海はすべてを教えてくれるし、海が近くにない生活は考えられない。サーフィンはもちろんのこと、ダイビングや釣りなど海でできることは無限大。毎日のこの生活に感謝しているよ。
今後の夢や目標は?
今後の数年は世界中のサーフスポットへ行き、大きな波、質の良い波でサーフィンしたい。昨年インドネシアで数ヶ月過ごしたんだけど、良い刺激になった。多くのサーファーと繋がることができ、もっと世界で見なきゃいけない場所があることを知った。もう一つは健康で強い身体を作ること。サーフィンをしながら旅するのはエネルギーを使うし、年齢が上がるに連れて健康でいることが一番大切だと気づいた。
あなたの生活に欠かせない3つのものは?
サーフボード、家族・友達と過ごす時間、自然の中で過ごす時間。
サーフィンを上達したい人にアドバイスを
すでにサーフィンをしていてもっと上達したいなら、良いコーチを見つけること。サーフィンを始めたときのワクワク感や向上心は忘れず、ワイプアウトも楽しむこと。波に乗ることは自分のリフレクションだと思っている。ポジティブなエネルギーで海に入れば良い波は必ずやってくる。もしその日のセッションに満足行かなくても自分に厳しく当たらず、次のセッションを楽しめばいい。
text:Miki Takatori
20代前半でサーフィンに出合い、オーストラリアに移住。世界中のサーフタウンを旅し現在はバリをベースに1日の大半を海で過ごしながら翻訳、ライター、クリエイターとして多岐にわたって活動中。Instagram
TAG #Ocean People#コスタリカ#タボ・テノリオ#ビーチライフ#連載
海と対峙するとき、音楽は円滑油のような効果を発揮する。サーフィンと音楽が絡み合い起こる化学反応。多くの先人たちの言葉を交え時空に綴れ織りを描くとき、サーファーとダンスの関係が見えてくる。
'80年代以前のサーフィン映画は、音楽使用に関して自由だった。著作権も関係なく、多くの監督たちは自分好みの楽曲を言わば勝手に使っていた。'80年代に入ると「サーフィン映画だけが特例なのはおかしい」と著作権協会が目を光らせるようになり、楽曲使用料が徴収されるようになる。'70年代はジミ・ヘンドリックス、クリーム、サンタナとやりたい放題だったが、'80年を境に一変した。1976年ホール&マッコイ作の『チュブラー・スウェウルズ』に使用されている楽曲は、100万枚セールスを記録するバンドのオンパレードだったが、'81年の『ストームライダース』ではオープニングのドアーズ「ライダーズ・オン・ザ・スートーム」を除き全曲が自国オーストラリアのバンドで構成されている。理由はプロモーション契約を結び、楽曲を無料で提供してもらえたから。音楽使用に関する著作権は劇場公開、テレビ、ビデオなど使用用途で金額が異なっていた。テイラー・スティールの『モーメンタム』はビデオオンリーのため金額が低く、グリーン・デイ、オフスプリング、ペニー・ワイズ、バッド・レリジョン、スプラング・モンキーなど当時の人気バンドを使用できた。つまり劇場公開しない限り安価に使用できたわけだ。
サーフムービーは、波とサーファー、映画そのもののコンセプトが最も重要だが、同時に映像と音楽のマッチングの高さも完成度に比例する。シドニー・ニューポートビーチの鬼才アンドリュー・キッドマン(現在はバイロン在住)は、おそらく誰よりも音楽にこだわりをもつアーティストであろう。1997年にリリースされた『リトマス』は、ショートボード一辺倒のサーフシーンに終止符を打った。スキップ・フライのフィッシュでジェフリーズベイのハイラインを走るデレク・ハインド、シングルフィン・ノーリーシュでフリーサーフィンを享受するトム・カレン、チューリップテールでリトルアバロンのチューブをメイクするガス・ディケンソン。当時は映像が粗く、ドラッグシーンなど問題が多すぎるとサーフショップでの販売すら拒否されたが、数年後に世界で最も影響を与えたサーフムービーとなる。
SALT...(以下、S)_ サーフィンと音楽の関係とは?
Andrew Kidman(以下、A)_ どちらも自然に発生する創造物で、音の波長と海の波長に対する反応だと思う。音に乗るのも波に乗るのも同じ喜びだ。どちらも正しく調律されるように、常日頃から訓練を積むべきだと思う。それが創造力の源だ。
S _ フィルム用に曲を作ることは?
A _ 現実には今まではなかった。シンプルに作詞作曲する喜びから曲作りをしていた。映像をイメージしながらしたことはない。でもそれは面白いアイデアだと思うし、近い将来実践してみたい。
S _ 質問は重なりますが、撮影の前か後に音楽をイメージすることは?
A _ 確かにどちらのケースもある。ときに予測していないことが起きることもある。作詞作曲をして、それに合うフィルムを撮影することもある。逆のケースもあり、撮影したフッテージを映画の一部に使用するために音楽をレコーディングすることもある。自分の中でこれといった決め事はしていない。
S _ なぜ音楽にこだわり続けるのか? アンドリュー以外、自ら作詞作曲し、歌い、演奏するフィルムメーカを知らない。
A _ うーん、私にとって音楽がすべてで、追及してもキリがないほど繊細かつ無限だ。その効果は果てしないと思う。映像を観る人たちは音楽によって印象が変わってくる。私は視覚的要素と聴覚的要素を結合することに、ずっとこだわり続けている。
S _ あなた以外のフィルムメーカーは、既存の音楽を使用するのが常です。DVDが普及する前に『リトマス』はビデオテープとCDのセットで販売されていました。ビデオだけ欲しい、CDだけが欲しいという人もいたと思うが。
A _ 映像を強く印象づけるために音楽は重要だし、音楽を聴いて映像を思い起こすことも大切だ。だからセットで販売した。私は自分の音楽を聴いてもらいたいし、場合によってはすでにある音楽を使用することもある。理由はそれ以上の作品を創り出せないからだ。映像とこれ以上のシンクロはないという曲がある。例えば『グラスラブ』のオープニング、キャット・パワーの歌は完璧だ。無垢で魔法のような詩、この作品がなければフィルムは成功しなかった。運命の出合いと言える。
S _ 映画『ホットバタード・ソウル』のサウンドトラックを担当されていますが、演奏はすべてインプロビゼーション(即効演奏)だったそうだが?
A _ その通り、大きなスクリーンに映し出された映像を観ながら、すべてその場で創り出された。もちろんある程度のリハーサルはした。リーダーはティム・ゲイズ、彼は『モーニング・オブ・ジ・アース』をはじめ『エボリューション』や『シー・オブ・ジョイ』など数多くのサーフムービーの音楽を担当するするマスターだ。彼はミュージシャン全員に言葉では言い表せない精神的影響を与えた。全員が全員の音を聴きながらグルーブしあった。私は普段座りながらリズムギターを刻むが、マスターの演奏に合わせ、次にどう弾くのか予想しながらテンポや強弱を付けた。まるでサーフィンするかのように演奏した。
S _ ところで『リトマス』のデレク・ハインドのシーンで使用されているバンド、ギャラクシー500、それに『グラスラブ』のキャット・パワーを選んだ理由は?
A _ ギャラクシー500はデレクが教えてくれた。それまでは知らなかったが、凄いバンドだ。まるで現代のヴェルヴェット・アンダーグラウンドだ。キャットは何度も何度もライブを観ていた、大好きな女性シンガーだ。私にとってサーフミュージックは、カントリーミュージックのようなものだ。たくさんのバリエーションがある。中には身の毛のよだつようなものもある。ジョージ・グリーノーの『クリスタル・ボヤージャ』で使用されているピンク・フロイドの「エコーズ」の1曲のみで全22分のパートは、完璧だ。全く真逆だけれどウィーリー・ネルソンの「レッド・ヘデッド・ストレンジャー」は私にとってサーフカントリミュージックの原点だ。音楽とサーフィンは、どちらも波、その波長にチューンすることが大切さ。
【Profile】
アンドリュー・キッドマン
若くして豪サーフィンライフ誌の編集長になるが、コンペシーンに嫌気がさして辞職。その後オルタナティブボードにスポットを当てた映画『リトマス』を発表。写真家、版画家、シンガーソングライター、シェイパーとして才能を発揮している。
【SURF MUSIC makes us "SALTY"バックナンバー】
#01 -潮騒香る音楽に身を委ね踊るとき-
#02 -ショートボード革命とサイケデリックサウンドの相関図-
#03 -世界中で無限の変貌を遂げ始めたフラワーチルドレンの種-
#04 -制限なき選択ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド-
#05 -サーファーだけが知るアンダーグラウンドという美学-
#06 -コラム:DICK DALE/ヘビー“ウェット”ギターサウンズ-
#07 -コラム:KALAPANA/アイランド“クール”ブリージング-
#08 -コラム:CALIFORNIA BLUE/西海岸からの潮風-
#09 -コラム:REBEL MUSIC/反骨心の魂を追う、サーフミュージックの側面-
#10 -コラム:SURFER' S DISCO & AOR/サーファーズ・ディスコとAOR-
#11 -コラム:ON THE RADIO/そこでしか聴けない音楽が、サーファーを魅了する-
>>特集の続きは本誌でご覧ください。
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本誌では24ページにわたってSURF MUSICを特集。“サーフィンと音楽”の蜜月関係から、アンドリュー・キッドマンのインタビュー、抱井保徳さんのコラムなど掲載。潮の香りをまとったソルティな音楽は、サーフィンライフを豊かにしてくれる。
photography _ Andrew Kidman
TAG #Andrew Kidman#SALT#01#SURF MUSIC#SURF MUSIC makes us "SALTY"#サーフミュージック
海と繋がり、自分の中の好きや小さなときめき、そしていい波を追い求めてクリエイティブに生きる世界中の人々、“Ocean People”を紹介する連載企画。彼らの人生を変えた1本の波、旅先での偶然な出会い、ライフストーリーをお届けします。
Profile
Mollie Caughey-Wade モリー・コウイー・ワデ
西オーストラリア出身。ヨガ、サーフィンをしながらオーストラリア国内や海外を旅し、自然と調和したライフスタイルを送っている。
あなたのことについて教えて
生まれ育ちは西オーストラリアのパース。20歳の頃から旅に出始めて、パースからクイーンズランド州のヌーサ(距離にして約5.000km、オーストラリア半周)を4WDで周ったり、バリやスリランカに長期滞在しながらオンラインで仕事をしている。気分が赴くままに、行きたいところへ行く自由な生活を楽しんでる。5年前からマーガレットリバーに家を借りて、今はここが拠点。この辺りは小さなサーフタウンで、旅先から帰ってくるといつもグラウンディングされる。
オーストラリアを半周したことは、今までの人生の中でやってよかったことのNo.1。当時付き合っていた彼との別れもあって、自分と向き合う時間を作れたり、慣れ親しんだ環境から抜け出して新しいことに挑戦することができた。初めての4WDだったからもちろん不安はあったけれど、海岸線を運転しながら壮大な景色を眺め、波がよければ何日間かそこにステイしてサーフィンするなど、流れに身を任せてやりたいことができた。また、行く先々で新たな出会いや友達を作れたことは一生の思い出。
サーフィンを始めたきっかけとお気に入りのスポットは?
サーフィンを始めたのは5年前、マーガレットリバーに引っ越してから。波やその日のコンディションに合わせて、ロング / ショートを使い分けるのが好き。
お気に入りのスポットはメンタワイ、ヌーサ、それと最近行ったスリランカ。スリランカはメローな波が多くて人が少なく、リーフで怪我をする心配もなくて最高の時間だった。今年はヨーロッパに行く計画も立てていて、ポルトガルとスペインでサーフィンしたいと思ってる。
海、自然との関係を言葉で表すなら?
サーフィンしているとき、波を待っているとき、静かな海に浮かんでいるときは言葉にならないほどの安心感、平和を感じる。“Only surfers know that feeling” サーファーにしか分からない感情ってよく言われるけど、まさにそれがピッタリ。
あなたの生活に欠かせない3つのものは?
ヨガマット、ジャーナル、もう1つはすごくランダムだけどグアシャ(刮痧)。顔をマッサージするのに最高で、毎日のセルフケアに欠かせなくなったわ。
今後の夢や目標は?
やりたいことが出来る今のライフスタイルを継続しながら、もっと旅に出ることかな。最近ヨガを教えることにも興味がでてきて、コミュティを作ったり、何かビジネスに繋げられたらいいなと思っている。
何か新しいことを始めたい人へのアドバイスを
まずは自分の好きなこと、やりたいことを明確にすること。外からのプレッシャーに負けないほど100%注ぎ込める情熱があれば、必ず何か得ることが出来ると思う。
text:Miki Takatori
20代前半でサーフィンに出合い、オーストラリアに移住。世界中のサーフタウンを旅し現在はバリをベースに1日の大半を海で過ごしながら翻訳、ライター、クリエイターとして多岐にわたって活動中。Instagram
TAG #Ocean People#ビーチライフ#モリー・コウイー・ワデ#連載
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