

海と対峙するとき、音楽は円滑油のような効果を発揮する。サーフィンと音楽が絡み合い起こる化学反応。多くの先人たちの言葉を交え時空に綴れ織りを描くとき、サーファーとダンスの関係が見えてくる。
アメリカ西海岸こそ、日本人サーファーにとって手が届く憧れの地だった。ハワイは修行の場、カリフォルニアはファンな波、そしてファッションやサウンドといったサーフカルチャーの中心だった。青い空と乾燥した気候、ハンティントンやマリブに降り注ぐ太陽は別格に感じられていた。
1965年ベトナム戦争に突入すると、若きアメリカンは反戦活動を行動で示した。サンフランシスコを目指し、全米中からラブ&ピースを合言葉に集った歴史がある。反体制的なカウンターカルチャーはヒッピー思想として世界に伝わり、サーファーと深く交わっていく。サーフィンは自由の象徴として、デューク・カハナモクが世界に拡散した歴史と重なる。サーファーがロックに傾倒したのはそのためだ。カリフォルニアでアンチコンテスト派が多数だったのは、サーフィンは競技ではない、順列を争うべきではないという考え方が強かったからである。
ミュージックシーンでもフェスは無料であるべきと捉えられていた。実際に史上最初で最大のフェス「ウッドストック」も入場券が販売されたが、大部分は壁を壊して無料で入っている。出演したジェファーソン・エアプレイン、サンタナ、ジミ・ヘンドリックス、CCRの楽曲は多くのサーフフィルムでも使用されていた。
不思議なことに'69年を境にミュージックシーンは大きな変化を遂げる。ビートルズの解散、ローリング・ストーンズのコンサートでの殺人事件などで音楽業界は大きく揺れ動き、映画『イージー・ライダー』でヒッピーの夢が砕かれ、サーフボードはショートボードが圧倒的に主流となった。
1971年にドゥービー・ブラザーズ、イーグルス、リンダ・ロンシュタット、翌年にはスティーリー・ダン、ジャクソン・ブラウンがデビュー。時代はサイケデリックからニューエイジ、レイドバックへ移行した。1975年ベトナム戦争が終焉を迎えると、サーフィンの世界も大きく形態を変えていく。プロサーフィン組織が設立されたのは翌'76年、日本では第2次サーフィンブームが到来した。この世代のサーファーにとってサーフミュージックといえば西海岸であり、ジミー山田やテッド阿出川等は多種多様なサーフカルチャーをアメリカから持ち帰ったが、なかでもレコードは日本人サーファーに大きな影響を与えた。
1966年にTDKがカセットテープ販売をスタートすると'70年代にはラジカセが大ブレイク、さらにカーステレオの普及で好みの音楽を車中で聴くという文化が芽生えた。1979年にソニーがウォークマンを発売すると、海外サーフトリップに欠かせない存在となる。ソニーは防水ウォークマンを発売するほど、音楽関連産業はサーファーをターゲットにした。サーフィン専門誌やPOPEYE、Fineにレコード会社の広告が多かったのも頷ける。サーファーはヘビーなロックではなく、ライトで洒落たサウンドを好んで聴いた。潮の香りとアコースティックには相通じるものがあり、それは今も変わりない。
【SURF MUSIC makes us "SALTY"バックナンバー】
#01 -潮騒香る音楽に身を委ね踊るとき-
#02 -ショートボード革命とサイケデリックサウンドの相関図-
#03 -世界中で無限の変貌を遂げ始めたフラワーチルドレンの種-
#04 -制限なき選択ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド-
#05 -サーファーだけが知るアンダーグラウンドという美学-
#06 -コラム:DICK DALE/ヘビー“ウェット”ギターサウンズ-
#07 -コラム:KALAPANA/アイランド“クール”ブリージング-
>>特集の続きは本誌でご覧ください。

「SALT…Magazine #01」 ¥3,300
本誌では24ページにわたってSURF MUSICを特集。“サーフィンと音楽”の蜜月関係から、アンドリュー・キッドマンのインタビュー、抱井保徳さんのコラムなど掲載。潮の香りをまとったソルティな音楽は、サーフィンライフを豊かにしてくれる。
photography_Mitsuyuki Shibata text_Tadashi Yaguchi
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オレゴンでは緑が生い茂っていたのに、カリフォルニアに入った途端に空気は乾き、木々の姿がまばらになっていった。それと同時にガソリンの値段もぐっと上がる。同じ国とはいえ、さすがは合衆国。州によって税金は異なり、物価もまるで違う。
向かったのはボーダー近くの町、クレセントシティ。セピア色にくすんだ少し寂れた街並みは、どこか哀愁を帯びている。ヴァンライフの先輩ナンシーから「治安があまり良くない」と聞いていたから、少し身構えながらクルマを走らせた。

クレセントシティから1時間半ほど南に下ったポイントのキャメルロック
知らない町に着いたら、まずはサーフショップに行くのが僕のルール。地元の情報を知るには、それがいちばん早い。町を散策していると、小さなサーフショップを見つけた。こじんまりとした店内には、センスのいいサーフボードやアパレルが並んでいる。店主に声をかけ、この辺りのサーフスポットについて尋ねた。
この町には大きく分けて2つのポイントがある。北西部のリーフブレイク、そして南向きのビーチブレイク。ウネリの向き次第でどちらも楽しめるらしい。ほかにも南のポイントや治安のことなど、ロードトリップで気になる情報を丁寧に教えてくれた。特に細かく話してくれたのは(正直あまり聞きたくなかったが)サメの話だった 笑。
オレゴンコーストから北カリフォルニアにかけては、ホホジロザメが多く生息しており、食物連鎖が活発に行われているという。つい先日も、ここから30分ほど南の河口でカヤッカーが襲われたらしい。河口には魚が集まり、それを狙ってアシカやアザラシがやってくる。そして、そこを狙ってサメも寄ってくるのだとか。ありがたい情報ではあるが、せっかく良さそうな波を見つけても、サーフィンする気が削がれてしまったのは言うまでもない。

ハイウェイ1の道中のサーフスポット。この辺り一帯はレッドトライアングルと呼ばれ、多くの海洋生物が生息する。波は良かったが誰も入ってないのでスルーした

クレセントシティ北西部のリーフポイント。右側からメローに割れる波は初心者にも優しい。沖に見える島にはアシカが多く生息していて、鳴き声がなかなかうるさい
その後、多少ウネリが入っていたサウスビーチで、偶然出会ったおじさんとサーフィンをした。日常生活では祖父母世代の人と話す機会などほとんどないが、サーフィンという共通の情熱が、年齢という壁を越えて僕らをつないでくれる。出会って間もないのに、どこか魂が共鳴するような感覚があった。
昔、友人が言っていた。「人はそれぞれ周波数を持っていて、それが合う者同士が出会う」と。まさにその言葉の通り、心地いいラジオを聴いているような感覚で彼の言葉に耳を傾け、気づけば頬が痛くなるほど笑っていた。

クレセントシティで出会ったサーファーのロブ。若い頃からアドベンチャー好きで色々無茶もしたらしい。今できることを全力で楽しむことが大切と教えてくれた
このあたりに来てから、会う人みんなに同じことを言われる。
「早く南カリフォルニアへ行け」と。
それもそのはず、北カリフォルニアもオレゴン同様、メインシーズンは冬。7月の今は、夏がシーズンとなる南カリフォルニアへ向かうべき時期だ。その後はサーフスポットをチェックしながらもサーフィンはせず、サメから逃げるように南を目指した。
ちょうどその頃、南ウネリが反応し始め、僕らにとって初めてのグランドスウェルがやってきた。ハイウェイ1をサンフランシスコへ向けて走る途中、各地のポイントでは徐々に波が上がり、それとともにサーファーの数も増えていった。どこもコンスタントに胸〜頭サイズのいい波が割れていたが、まだ“これだ!”という波ではなかった。途中妻のロングボードでもできそうな場所で1ラウンド入ったものの、そこでもローカルたちに「もっと南へ行け、サンタクルーズは今いい波だ」と背中を押された。
夢だったゴールデンゲートブリッジを渡り、ついにサンフランシスコへ入った。多くの人から観光を勧められていたが、よりによって南ウネリが重なってしまった。
――波を追うしかないじゃないか。
街中にクルマを停めておくとほぼ間違いなく盗難に遭うと聞いていたので、いくつか行きたい場所を駆け足でまわり、すぐに街を後にした。

カリフォルニアロードトリップで外せないスポット。橋の下でもサーフィン可能だが、大きな北ウネリが必要

サンフランシスコ北のポイント、ボリナスビーチ。腰くらいのサイズが最もキレイにまとまる
サンフランシスコを抜けると、有名なサーフスポットが続く。オーシャンビーチ、そしてハーフムーンベイのマーベリックス。ビッグウェーブは立っていなかったが、聖地を見ておきたかった。「早くいい波でサーフィンしたい」という気持ちを抑えながら、ポイントを一つひとつチェックしていった。
道路標識に“Santa Cruz”の文字が見えた瞬間、胸の鼓動が高鳴った。街に入るとヤシの木が並び、空気が一気に南国めいてくる。海沿いの道を灯台の方へ進み、左カーブに差し掛かった岬の先端を見下ろすと、そこにはサーフマガジンで何度も見た光景が広がっていた。

海岸線沿いを走るハイウェイ1。目まぐるしいほど変わっていく景色は、何十キロ走っても飽きることはない

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ロードトリップの途中、気持ちが高揚する瞬間は数えきれないほどある。なかでも、予期せぬ良い波に巡り会えた時の高揚感は格別だ。それがシークレットスポットなら、なおさら心が躍る。
アゲートビーチから南にあるいくつかのサーフスポットを友人に教えてもらったが、ほとんどは波が小さいか風が入り、ノーサーフが続いた。しかし、ある場所だけはまったく違った。どの波情報サイトにも載っていないそのポイントは、ビーチから写真を撮っていると「頼むからソーシャルメディアにはあげないでくれ」と声をかけられる、まさしく“シークレットスポット”だった。とはいえ、ローカルが厳しく管理しているわけではなく、サーファーなら知る人ぞ知るといった雰囲気。海に入っている人たちも北や南から来ていて、外国人の僕でもすんなり入れ、ギスギスした空気はまったくなかった。
大きな岩の前からブレイクする、美しいレギュラーの波。テイクオフゾーンはやや速いが、それを抜けるとパワフルでありながらトロく、インサイドまでカットバックで繋いでいける。僕のシングルフィンとの相性は抜群だった。

場所をしっかりを把握しておかないと見逃してしまうポイント。メインブレイクはライトだがうねりの向きによってレフトも割れる

この藪を抜けた先にブレイクが存在する。良い波があると分かっていると自然と足取りが速くなる

南オレゴンは無人スポットが点在するが、夏は乏しいウネリと北風の影響でこのようなコンデションがほとんど

緑の森とシースタックがオレゴン州を象徴する。この辺にもサーフスポットがあるが、ボードを抱えて1時間ほどハイキングが必要
そもそも、ショートボードで育った僕がシングルフィンに乗り始めたのは、旅をするようになってからだ。サーフィンを始めたての高校生の頃は、プロのようなサーフィンに憧れ、できるだけ短く薄いボードこそ“カッコいい”と思い込んでいた。だが、基礎もない独学の我流では上達は乏しかった。
オーストラリアを旅していたときにミック・ファニングの本を読み、サーフィンの上達にはシングルフィンが良いと知った。そこから初めてトライフィン以外に興味を持ち、中南米の旅の相棒には、オーストラリアのアイセミテリー、マックス・スチュワートがシェイプするトム・キャロルと共同で作っていた5’9”のシングルフィンを選んだ。
トライフィンの足先だけでサーフィンをしてきた僕には、それは本当に難しかった。波の形状を感じ取りながら、体重移動でレールを入れてターンする。無理に動かそうとするのではなく、波に合わせる。そこには、現代のハイパフォーマンスボードでは感じにくくなった“サーフィン本来の形”があった。

アイセミテリー、ロスト・ラブ改。エルサルバドルの厚くパワーのある波が最高にマッチしたがターンに苦戦した。
それ以降、僕のサーフィンへの向き合い方は変わった。「自分に合うボードを探す」のではなく、「目の前にあるものでいかに楽しむか」。ボードの性能を最大限に引き出す乗り方を追求するようになった。体力は10年前より落ちたし、ハードな波にチャージする意欲も減った。だが、受け入れることを覚えたことで精神的に成熟し、今のほうがずっと楽しく、うまく波に乗れている。ボードとの出合いは偶然ではなく、必然なのかもしれない。僕がボードを選んだのではなく、ボードが僕を選んだ。そう考えると、ライディングの幅は大きく広がる。
今回の旅で相棒にしたのは、クリステンソンの7’10” ウルトラトラッカー。自然が生み出すエネルギーと同調して楽しむのがサーフィンだとすれば、波とボードに自分を合わせることこそ本来の姿だ。10分に一度訪れるセットの波を6人で乗り回し、インサイドまで乗り繋ぐ。パドルバックするときは、次のサーファーが気持ちよくライドする姿を笑顔で眺める。波待ちの間には、「さっきの波、最高だった!」と自然に言葉が交わされ、穏やかな空気が流れる。
いい波を、いい仲間とシェアする。
雑念から解き放たれ、ただ“今”を楽しむ――この瞬間こそ、誰もがサーフィンに求めるナチュラルハイではないだろうか。

クリステンソンの7'10"ウルトラトラッカー。ノーズとテールが薄く、レールもシャープに絞られてるので実際の長さよりも短く感じる

この自然が作り出す芸術は、オレゴンコーストに来たら訪れるべき場所の一つである。カリフォルニア州に入る手前に観光名所が集合する

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海と繋がり、自分の中の好きや小さなときめき、そしていい波を追い求めてクリエイティブに生きる世界中の人々、“Ocean People”を紹介する連載企画。彼らの人生を変えた1本の波、旅先での偶然な出会い、ライフストーリーをお届けします。

Profile
Patricia Phithamma パトリシア・ピサンマ
ハワイ生まれサンディエゴ在住。機能性とデザインを兼ね備えたスイムウエアブランド「Tan Madonnas」を立ち上げ、海を愛するすべてのアクティブな女性たちに向けて発信している。
あなたのことについて教えて
生まれはハワイのオアフ島。6歳のときにアメリカ本土のワシントン州へ引っ越したけれど、それ以降も頻繁にハワイには戻っていた。父がサーファーだったこともあって、幼い頃から海で過ごす時間が大好き。いつか自分もあんなふうにサーフィンができたら──とずっと憧れていた。
高校を卒業した8年前、カリフォルニアのサンディエゴにへ移り住み、今もここを拠点に生活している。サンディエゴは、サーフィンとアメリカのカルチャーがバランスよく混ざり合う、とてもクールなサーフタウン。サーフィンを本格的に始めたのも、この街に引っ越してきてから。
お気に入りのサーフスポットは地元のラホヤ。特別に波がいいわけではないけれど、海に行けば必ず友達に会える。その“ホーム感”がたまらなく好き。
そして、世界で最もパーフェクトな波がある──インドネシアのメンタワイ諸島。あそこは本当に特別だと思う。
次に行きたい場所はモルディブ。楽しそうなライトの波がたくさんあるし、サーフィン以外にもできるアクティビティが充実してるから、近々行きたいと思っている。
ブランドを始めたきっかけ
スイムウエアブランド 「Tan Madonnas」を立ち上げたのは2022年。海の中でもしっかりホールドしてくれるビキニ、そしてアクティブウエアとしても着られるデザイン性のあるビキニをずっと探していたけれど、なかなか“これだ”と思えるものに出合えなかった。それに、サンディエゴ発のブランドって意外と少なくて、だったら、自分で作ってみよう! と思ったのがきっかけ。最初は試行錯誤の連続だったけど、今ではブランドの方向性も明確になり、どんなデザインを展開していきたいかもクリアになってきた。やっと軌道に乗ってきたなって感じている。
「Tan Madonnas」を着た女の子たちがサーフィンやスケートをしている写真を見ると、「本当に作ってよかった」と心から思う。これからの目標は、もっと多くの人に手に取ってもらうこと。そして、アクティブでクールなガールズたちが繋がれるコミュニティや、サーフトリップなども企画していきたいと思っている。


海、自然との関係を言葉で表すなら?
海のない生活は考えられない。仕事で行き詰まったとき、リフレッシュするためにパドルアウトして、思いがけずいい波に乗れた瞬間に、ムードが一気に変わったりする。サーフィンをしていなかったら行かなかったような場所にも行くようになったし、海以外では出会えないような面白い人たちにも出会えた。いい意味で、サーフィンは人生を変えてくれたと思う。
他のスポーツや趣味と違って、サーフィンには終わりがない。長く続けているからといって必ず上手くなるわけじゃないし、ひとつの技を習得するのに何年もかかることもある。それに気づいたとき、焦らず自分のペースで続けようと思えた。サーフィンは私の人生の一部だし、これからもずっと人生の基盤であり続けると思っている。
あなたの生活に欠かせない3つのものは?
ビーチサロン、サーフボード、そしてもうひとつはすごくランダムだけど——アイブロウペンシル!


何か新しいことを始めたい人へのアドバイス
何かを始めるときに、すべてが揃うまで待たなくてもいいと思う。まずは始めてみて、そこから試行錯誤を重ねればいい。完璧なタイミングなんてないと思う。
そして、ときにはプロの力を借りることも大切。ウェブサイトを作ってもらったり、デザイナーに相談したり。自分では気づけない視点を持っている人たちから、学べることって本当にたくさんあるから。

text:Miki Takatori
20代前半でサーフィンに出合い、オーストラリアに移住。世界中のサーフタウンを旅し現在はバリをベースに1日の大半を海で過ごしながら翻訳、ライター、クリエイターとして多岐にわたって活動中。Instagram
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生い茂る森が海岸線で突如途切れ、断崖となって海とぶつかる。波と風に削られて残った硬い岩は「シースタック」と呼ばれ、洞窟の天井が崩れ落ちてすり鉢状になった地形は「悪魔の盃」と呼ばれる。もとは陸続きだった海岸線が、何万年もの時をかけて彫刻のような姿へと変わった。それがオレゴンの海岸だ。正直、ここに来る前の予備情報は「美しいコーストライン」だけ。サーフィンに関する情報は皆無で、ただ“ドライブが気持ちよさそう”という軽い動機だった。

オレゴンの海岸線をドライブしていると、時折出合う無人ブレイク。人影のない海は少し心細いけれど、サメへの恐怖を抑えてボードを準備した
カナダより南にあるのだから、気候も海水も暖かくなるだろう——そう思っていた。しかし、現実はまるで逆。冷たいカリフォルニア海流の影響で、夏でも沿岸は驚くほど涼しい。内陸との寒暖差で朝は霧が立ちこめ、水は茶色く濁り、手足が痺れるほど冷たい。サーファーの姿も少なく、どこか孤独な海だった。それもそのはず。オレゴンのサーフシーズンはカナダ同様、冬。北からのうねりが炸裂し、15〜20フィートの波が現れる。そんな冷たく過酷な環境に挑むハードコアサーファーたちの季節だ。一方、夏はほとんど波が立たず、初心者が多くなるという。

有名なキャノンビーチ。海にそびえる一枚岩「ヘイスタックロック」は高さ72メートル。多くの海鳥が棲むこの景観は、まさに大自然のモニュメント

ミアーズ岬から望む風景は、オレゴンを象徴する海岸線そのもの。運が良ければ、クジラやアシカなど多くの海洋生物を観測できる
最初にたどり着いたのは、玉石の岬に沿ってレフトの波が割れるシーサイドというポイント。ローカルにとってはあまりコンディションが良くないのか、僕が入ったときは他に一人だけだった。それでもサイズは腹くらいあり、うまく乗れれば3〜4発は当てられる。日本なら激混みになりそうな波を、ほぼ貸し切りで楽しむことができた。ただ、知らないポイントで人が少ないと、波待ちの時間がやけに長く感じる。濁った水と魚の匂いに、頭の中ではついサメを想像してしまう。実際、ここオレゴンはホホジロザメの生息地なのだ。
日が沈むまで海にいたが周りには誰もいなくなり、最後は潔く上がった。冷たい海を考慮してか、無料の公共シャワーが温水なのはありがたかった。後で知ったが、冬のうねりが完璧に決まると、ここは北米屈指のチューブが巻くらしい。ただし、ローカルがかなりキツく、知り合いがいないと入るのは難しいという。

シーサイドポイント。こんな良い波が割れているのに、ほとんど誰もいないのが不思議。玉石の上を進むパドルアウトも、戻る時もひと苦労
オレゴンでは、人との出会いもあった。
78歳で保護犬とヴァンライフを送るナンシー。サーフィンやハイキングが趣味なわけではなく、行くあてもなく気の向くままに車を走らせ、生活をしている。こんなにもパワフルに生きる78歳がいるだろうか。彼女はいつかこの生活をしてみたかったらしいが、そのチャンスは突然やってきたという。知り合いの車を安く手に入れることができ、まずはお試しで半年間のヴァン生活を始めてみた。そして、一応残しておいた家に戻った時には、もう決心がついていた。持っている家具の中から、バンに積めるものだけを選び、家も家具もすべて手放して旅に出たのだ。孫までいるおばあちゃんが、なんて型破りで自由なんだろう。
「私の余生はもうそんなに長くないけど、死ぬまでこの生活を続けたい」
その言葉には、“何かを始めるのに遅すぎることはない”、“迷っている時間があるなら、やれるうちにやったほうがいい”——そんなメッセージが込められているようだった。

「パスタを作りすぎたから食べない?」そう声をかけてくれたヴァンライフの先輩。旅の知恵をたくさん教えてくれた、アメリカの“お母さん”のような存在
南米を共に旅した旧友との再会もあった。彼ともまた、人生哲学について深く語り合った。人生のゴール。自分のやりたいことと仕事のバランス。一社会人としてキャリアを積む将来像と、若い頃のように旅をし、自由に暮らしたいという欲。どこまで追いかければ満足するのか——。そんな答えがあるようで、今の僕らにはまだ分からない問いを、7年越しに語り合った。分かったのは、結局「今を精一杯生きるしかない」ということ。ビーチで焚き火を囲み、ビールを片手に眺めたサンセットを記憶に刻みながら、「また再会した時に続きを話そう」と約束した。

夏でも比較的コンスタントに波のあるアゲートビーチ。右手の崖が北風を遮り、いつもクリーンなフェイスを保っている。気づけば1週間滞在していたお気に入りの場所

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打ち寄せる波は常に移り変わり、同じ波は二度と訪れない。波があれば海へ、なければ山へハイキングやキャンプを楽しみに行く。場所に囚われることなく、その時々で好きな場所へ向かう。制約から解き放たれ、自然に身を委ねる自由こそがヴァンライフの醍醐味だ。そこで感じるのは一期一会。同じ瞬間は二度とない。

青空、岩山、氷河、湖、そしてヴァン。ロードトリップに欠かせないすべての要素が揃った夢の景色。どこを切り取っても、絵本の中にいるようだった
カナダ西海岸のサーフスポットは大きく3つに分けられる。トフィーノ、ソンブリオ、そしてジョーダンリバー。冬のハワイにうねりを運ぶ嵐は太平洋を越え、カナダにも届く。日本の台風と同じく、狙うべきは直撃する3〜400キロ沖にいて、風の影響は少ないが波長の確かなスウェルか、嵐が去った後にやってくるバックスウェルだ。
トフィーノはスウェルを遮る島がほとんどなく、太平洋のエネルギーをそのまま受け止める。ソンブリオとジョーダンリバーはオリンピック半島との海峡にあり、北西からのうねりが欠かせない。玉石のポイントブレイクでコンディションが整うと、まるでウェーブプールのように規則正しく波が割れる。
僕が訪れたのは夏。基本的には小さな波が続いたが、ソンブリオで奇跡的にサイズのある波を当てることができた。それは、わずか3時間だけの出来事だ。朝の段階では小さかった波が、1時間後にはセット頭半まで上がっていた。波を目にした瞬間、口角が上がり、鼓動が速くなる。波情報を見ていなかったからこそ、予期せぬ興奮は倍増した。急いでウェットに着替えてパドルアウトし、ラインナップに向かう。力強く押し出されるテイクオフに久しぶりのパワーを感じる。サーファーの数が少ないカナダでは、良い波の日でも十分に波をシェアできる。これも大きな魅力だろう。だが楽しい時間は永遠には続かない。昼過ぎには、すでにサイズダウンしていた。

小さい日のソンブリオ。セット腹のきれいなレギュラーが割れていたが、サーフィンしているのは僕を含めて2人だけ。カナダは今でも、極上の波を思う存分堪能できる

サーフスポットの目の前のビーチはキャンプ場。波を眺めながらバーベキューや宿泊もできる、自然好きにはたまらない場所だ
今回の旅はサーフィンが主目的だったが、どうしても訪れたかった場所がある。バンフ国立公園だ。道の両脇には天地を突き破るような岩山がそびえ、その頂に積もる氷河から絶えず雪解け水が流れ落ちる。やがて一箇所に集まり、この世のものとは思えないほど鮮やかなエメラルド色に染まる。果てしない山脈の谷間を貫く一本道は、まるで異世界へと続いているかのようだった。人間の尺度を超えた壮大な自然の中で、自分は迷い込んだちっぽけな旅人にすぎないと痛感させられた。

バンフからジャスパーへと続く一本道。標高2000メートルを超える岩山に囲まれながら走る道は、人生で一番の絶景ドライブだった

無加工でも絵の具を垂らしたように鮮やかなエメラルドブルー。氷河が削った岩の粉が水に浮かび、光を散乱させることでこの色が生まれる
しかしどれだけ山や森に浸ろうと、塩水が恋しくなるのがサーファーの宿命だ。遠回りをしながらも、次の海を求めてアメリカ国境を目指す。入国には少し緊張したが、「日本人」というブランドと「ハネムーン」という魔法の言葉が背中を押し、難なく通過できた。
そしてたどり着いたのは、初めてのアメリカ本土。カナダで触れた人々の温かさに心を和ませながらも、未知の土地オレゴンへと気を引き締めて進む。まだ見ぬ波、景色、人との出会いを思うと、自然とアクセルを強く踏み込んでいた。

オレゴンの海岸線によく見られる海から突き出す岩。かつては陸続きだったものが、長い年月をかけて波や風に削られ、硬い部分だけが残っている

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朝日が木々の間をすり抜け、ゆっくりとビーチをオレンジ色に染めていく。同時に海から霧が立ち上り、潮の香りとともに町全体を包み込んだ。カナダ西海岸の小さなサーフタウン、トフィーノ。ここで僕は「自然と調和して生きること」を教えてもらった。久しぶりに訪れた町の景色は、以前と変わらず生の自然と人々の生き生きとした生活に満ちていた。
バンクーバーから約5時間。フェリーで島に渡り、古代の森を抜け、山の谷間を縫う一本道の終点に、海と山に抱かれたトフィーノはある。この一帯はユネスコの生態圏保護区に指定され、多様な生命が息づいている。空にはイーグルが舞い、ビーチを熊が散歩することも。夜になれば、プラネタリウムのように輝く満天の星と、暗がりで無数に光る目がこちらを見つめている。多くはアライグマだが、クーガーという大型の山猫も生息しているため油断はできない。子どもを1人で歩かせてはいけないのは、不審者のせいではなく、クーガーから守るためだ。

街の桟橋から望む景色はいつ見ても飽きない。正面のミアーズ島にはネイティブカナディアンのビレッジが残る

パシフィックリム国立公園の中にあるフローレンシアベイ。大自然のサーフスポットの空にはイーグルが飛翔する
“カナダのサーフィンの聖地”と呼ばれるトフィーノは、夏でもウェットスーツとブーツは必須で、ドルフィンをすれば凍てつく水が頭を突き刺す。2時間も入れば顔の筋肉が引き攣るほどだ。そんな、修行ともいえるカナダのサーフシーンを世界的に有名にしたのがローカルレジェンドのピート。コールドウォーターサーフィンの第一人者で、ケリー・スレーターが「フル装備でピートほど自由に動ける人はいない」と評するほどの存在だ。ここトフィーノこそが、彼のホームタウンである。

ピートの芸術的なカットバック。テイクオフからノートリムでターンし、スピードを落とさずパワーゾーンに戻る
南北に伸びる海岸線にはいくつかポイントが点在するが、トフィーノといえばやはりコックスベイ。うねりに敏感で、他がフラットでもここなら波がある。ある日、ここでサーフィンをしていたとき、何発もターンを決めるサーファーが目に入った。ピートだった。テイクオフからフィニッシュまで全く無駄のない動きに、すぐに卓越した技術を感じた。すると彼が笑顔で声をかけてきた。
「やぁ! いい波乗れてるかい?」
驚きと同時に嬉しさが込み上げた。ローカルレジェンドが、見ず知らずの外国人に自ら話しかけてくれるなんて。オーストラリアから中南米まで、色々な場所でサーフィンしてきたが、こんな体験は初めてだった。ファンであることを伝えると、彼は「ようこそカナダへ」と握手をしてくれた。

コックスベイの知る人ぞ知る穴場の夕日スポット。海、森、夕日が同時に楽しめる絶景
トフィーノの人々は優しさに溢れている。カフェでもビーチでも、誰もが生き生きとしている。散歩する犬ですら笑っているように見えるほどだ。その理由は、この町と自然が持つ力にある。朝日とともに町が動き出し、水平線に沈む夕日とともに一日を終える。夏は22時まで明るく、仕事を終えたローカルは夕暮れのビーチに集まる。気づけば23時になっていることもある。自然の中で、時間の感覚を忘れてしまうのだ。自然と近いのではなく、自然の一部として生きている。サーフィンは自然が生み出すエネルギーと身体を融合させる最大の行為だと思っていたが、この土地は僕に「すでに自然の一部であること」を気づかせてくれた。

サーフタウンのお手本と言わんばかりに、小さいエリアにサーフショップいくつも集まる。夏は毎日サーフレッスンで大忙し

温帯雨林が広がるトフィーノでは、湿地帯の上をボードウォークで抜けビーチにアクセスすることがよくある


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