

海と繋がり、自分の中の好きや小さなときめき、そしていい波を追い求めてクリエイティブに生きる世界中の人々、“Ocean People”を紹介する連載企画。彼らの人生を変えた1本の波、旅先での偶然な出会い、ライフストーリーをお届けします。


Profile
Jessica Multini ジェシカ・マルティーニ
Uriel Jean Armel ウリエル・ジーン・アーメル
バリ島ウルワツ在住。ウルワツにあるサーフショップショップ「KARMAFREE Surf Shop & Café」のオーナー。エシカルで地球に優しいプロダクトを販売しながら、自然に寄り添い、波ともに暮らしている。
あなたのことについて教えて
Jessica Multini:
ブラジルのサンパウロ出身。ブラジルにいた頃は心理学を学びながら企業で働いていたけど、正直あまり幸せじゃなかった。常に不安や鬱のような感覚があり、自分自身や自然から切り離されているように感じていた。そんな時に出合ったのがヨガや瞑想。それをきっかけに少しずつ自分を取り戻し、約11年前にアジアを旅することを決意した。
そしてバリに来て、自然への祈りやお供え物の文化に触れたとき、日々を献身的に生きるその姿に心から惹かれた。その瞬間からバリに恋をし、気づけばもう11年近くここで暮らしている。
Uriel Jean Armel:
生まれ育ちはフランスのビアリッツ。インドネシアに来たのはもう10年前のこと。当時は国際ビジネスを勉強していて、インターンシップのためにシンガポールに滞在していた。その頃からインドネシアへ頻繁に旅をするようになり、この土地の文化や波の良さにどんどん惹かれていった。
そこから少しずつ道がインドネシアへと繋がっていき、勤めていた会社を辞め、自分を新しく作り直すようにして映像や撮影の仕事を始めた。スマトラの離島にあるリゾートでフォトグラファー兼ビデオグラファーとして過ごした時期もある。そして昨年は、仲間と一緒に制作したドキュメンタリー映画を公開。そのタイミングで、自分たちのショップ「KARMAFREE」をバリ・ウルワツにオープンして、大きな節目を迎えた。
ショップ「KARMAFREE」を始めたきっかけ
Jessica:バリに移住したとき、私は不安や鬱を経験した後で「自分の本当の目的に沿ったことを創りたい」と強く思っていた。ヨガや瞑想はその過程で大きな助けとなり、「どうすれば自分の内側に秘められた想いを表現し、分かち合えるのか」という問いを探すようになった。
その答えのひとつが“創造”だった。インドネシアのサステナブルな要素を取り入れ、小さなブランド MEISOUを立ち上げ、ジャーナル用のノートやヨガ・瞑想用のクッション、ヨガウエアなど、自己の成長を支えるアイテムを販売し始めた。私は常に「バリの人々とどのように協力し、自然を傷つけない形でプロダクトを開発できるか」に関心を持ち続けてきた。それが今の活動の原点になっている。
その後Urielと出会い、海とのつながりを深く持ち、強い情熱を抱く彼の影響で私もサーフィンを始めた。波に乗ることを学ぶ中で、自然とふたりで「情熱を組み合わせて何かを創ろう」という流れになっていった。



Uriel:KARMAFREEをオープンしたのはパンデミックの頃。私たちはバリ北部のバリアンに住んでいて、ある朝、長いビーチウォークに出かけた。雨季のビーチは大量のゴミで覆われていて、とても拾いきれない。だから「歯ブラシと歯磨き粉だけに絞ろう」と決めて拾い始めた。家に戻ると、ジェシカが「それを全部どうするの?」と聞いてきた。私は「カルマを浄化しているんだよ」と答えたことを覚えている。人は生まれてからいったい何本の歯ブラシと歯磨き粉を使ってきたのだろう。そのいくつかは違法な埋め立てやビーチに流れ着き、また自分たちの目の前に戻ってくる。これはまさに“カルマ”だと思った。そこから「カルマのないプロダクト、つまり“Karmafree”なものを作るべきだ」というアイデアが生まれた。私は本気で、ガラス瓶に入った化学物質を使わない歯磨き粉を作りたいと思った。レシピを調べて実際に作ってみたが、味があまりにもひどく「これは無理だ」と諦めた。つまり名前は決まったものの、肝心の中身はまだ何もなかった。残ったのは「KARMAFREE」という名前だけだった。
ちょうどその頃、自分のセルフドキュメンタリー制作にも取り組んでおり、資金を集めるためのトレーラーを完成させ、ウルワツやチャングー、ウブドなどバリ各地で上映会を開いた。上映会用に着るシャツが欲しくて、お気に入りのデザインをもとにジェシカに作ってもらった。それが天然染料とオーガニック生地を使った、藍の植物で染められたインディゴブルーのシャツだった。
上映会では多くの人から「そのシャツ素敵!」「どこで買えるの?」と声をかけられ、そこから少しずつシャツ作りを始めた。やがて多くの人に求められるようになり、嬉しい成功体験となった。その流れの中で「自分たちのクリエーションを発表する場を持ちたい」「人々がつながれる場所をつくりたい」と思うようになった。ただモノを作るのではなく、もっとエシカルで責任ある形で、地球を汚さず資源を浪費しないやり方で創造を続けること。それが“KARMAFREE”の根底にある想いだ。
そしてショップを訪れる人々との会話を通じて、その可能性を共有していきたいと考えている。「プラスチックのパッケージを紙やガラスに変えてみた」――そんな小さな工夫でも、コミュニティで分かち合うことでお互いにインスピレーションを与え合い、持続可能な未来への移行を後押しできると信じている。

サーフィンを始めたきっかけ
Uriel:生まれ育ったフランスではほとんどサーフィンをしておらず、本格的に始めたのは20歳のとき、メキシコへの交換留学がきっかけだった。メキシコでサーフィンに出合い夢中になった。当時一緒にいた友人がすごく上手なサーファーで、その冒険についていくようにしてサーフィンを続けた。
でも正直、私にとっては半分“自殺行為”のようなものだった(笑)。何度も危険な状況に飛び込んでしまったけど、その経験が逆に「自分はこれからどこへ向かうべきか」という羅針盤のようになった。
大学では国際ビジネスを専攻していたものの、授業はあまり楽しめず、就職先も都市部が中心だった。リタイアして身体がボロボロになってからサーフィンを始めるなんて考えられなかったら、学生ローンを返し終えたタイミングで「これからは本当にやりたいことに集中しよう」と決めて、インドネシアに移住した。それ以来、波と共に生きている。次に行きたい場所はフレンチポリネシア。

海、自然との関係を言葉で表すなら?
Jessica:サーフィンをしているときはもちろん、ビーチを歩いているときやハイキングをしているときもそう。自然の中にいるときは、“今”という時間に集中できる。日常の喧騒に邪魔されることなく、その場所や、そこにいる人との会話を楽しめる私にとって大切な時間。
あなたの生活に欠かせない3つのものは?
Jessica:良質な睡眠、自然の中で過ごす時間、瞑想
Uriel:旅をすること、サーフィン、家族と友達

今後の夢や目標は?
Uriel:洋服や食べ物といったクリエーションを通して表現を続けながら、その枠を少しずつ広げていきたい。そして同時に「これをもっと記録に残したい」という想いも強くなってきた。そのひとつの形として、ポッドキャストの制作も考えている。これまで私たちにインスピレーションを与えてくれた人たちにインタビューを行い、その声をシェアすることで、さらに多くの人が互いに刺激し合える場をつくりたい。
正直、世界で起きている破壊や環境問題を目の当たりにすると、希望を失いそうになることもある。だからこそ私たちは、お互いに光を分かち合い、励まし合うことが必要だと思う。ポッドキャストはその一つの方法であり、今後はショップでのコミュニティイベントも増やしていきたいと考えている。

text:Miki Takatori
20代前半でサーフィンに出合い、オーストラリアに移住。世界中のサーフタウンを旅し現在はバリをベースに1日の大半を海で過ごしながら翻訳、ライター、クリエイターとして多岐にわたって活動中。Instagram
TAG #Karmafree#Ocean People#ウリエル・ジーン・アーメル#ジェシカ・マルティーニ#ビーチライフ#連載

クルマを走らせるスピード以上に、南へ下るにつれて景色が目まぐるしく変わっていく。最後に雨が降ったのを思い出せないほど、この土地は長らく乾燥しきっていた。空気はどんどんカラッとしていき、緑は減っていく。その代わりに、一度は聞いたことのあるサーフスポットが増えてきた。
予期せぬことで回り道を強いられるのも旅の醍醐味だろう。そのぶん、予期せぬ発見がある。カリフォルニアのロードトリップと言えばビッグサーは欠かせない。僕のバケットリストの一つだったが、不運にも道の一部が崩れて通行止めになっていた。途中の橋までは行くことができたが、いったん引き返し、山の方からまわって南へ下った。道中、クルマの中から鑑賞できるドライブインシアターに立ち寄ったりと、サーフィン中心の旅の中に小さな変化が生まれたのも悪くなかった。

カリフォルニアロードトリップでは欠かせないビッグサー

最も有名な絶景ポイント「ビクスビーブリッジ」
同じカリフォルニアでも、ここだけ時間の流れが違っているかのように優雅で気品のある空気が流れていた。その上品さは、ここに根付くサーフスタイルにも溶け込んでいる。洗練されたサーフィンの象徴とも言えるのが、ローカルレジェンドのトム・カレンだ。サーフカルチャーを語るうえで、この土地は外せない。波がないとわかっていたが、訪れないわけにはいかなかった。沖合にはチャネル諸島という群島があり、うねりを遮って夏は波がほとんど立たないのだ。サーフボードブランド「Channel Islands」も、この島々から名を取ったこともここで初めて知った。
サンタ・バーバラには“海岸の女王”と称される「リンコン」がある。そう、ショートボード革命が起きた歴史的な場所だ。僕が訪れたとき、女王は真の姿をベールの奥に隠したままだったが、また来たいと思える理由になった。海沿いのハイウェイをさらに南へ走ると、空気がすうっと変わる。サンタ・バーバラの上品で穏やかな風とは違う、少し素朴で粗削りな潮の匂いが混ざってきた。

クラフトマンシップが息づく空間で、サーフカルチャーの核に触れられるChannel Islands Surfboard 本店

1961年から店を構えるSurf n' Wear’s Beach House。サーフィン黎明期から現代までのイェーター・サーフボードが展示

サンタバーバラに入ると、街はスペインを想起させるような彩りが多くなってきた
ハイウェイから見えるパームツリーが密集したサーファーズポイントは、砂漠のオアシスを彷彿とさせた。たった50キロしか南下していないが、海は明らかに表情を変えた。水温が温かくなり、水着のサーファーも増え、幅広くブレイクするポイントにはロングからショートまでさまざまなスタイルが混じっていた。ローカル、ビジター関係なくピースフルな雰囲気が漂い、皆の顔には穏やかな笑みがこぼれる。まるでサーフムービーの一コマを切り取ったような、ゆったりとした時間が流れる。そんな雰囲気が気に入り、まだ薄暗いうちに駐車場に着き、桟橋の後ろから昇る朝日を見ながらサーフィンをするのが毎日の日課となった。
サーフィンでの日々の成長は微々たるもので気づきづらい。だが、妻が日を追うごとにベンチュラの波とシンクロし、自信を大きくしていくのを目の当たりにするのは、見ていて嬉しかった。ベンチュラで過ごした日々は、ただ波に乗るだけの時間ではなかった。毎朝同じポイントに通ううちに、潮の満ち引きや風の変わり目、ローカルたちの習慣までもが、少しずつ身体に染み込んでいくのを感じた。旅は常に新しい刺激にあふれているけれど、こうして一つの場所に腰を落ち着け、海と向き合い続けることでしか見えてこない景色もある。気づけば、僕たちはこの街の空気に自然と馴染んでいた。

シャワーやトイレなどが整備されたベンチュラの公園。サーフィン後のんびりするのにちょうどいい

朝日が昇る前に海に向かう妻。サーフィンに向かう時のモチベーションは誰よりも高い

TAG #Ride of a Lifetime#ヴァンライフ#サーフトリップ#古川良太#連載

旅をしていると必ず聞かれる。「これまでサーフィンした中で、一番よかった波は?」と。けれど、この質問ほど難しいものはない。世界の名だたるブレイクを巡ってきたが、必ずしも“当たり”に出合えるわけではない。期待して彷徨った末に、最初に入ったスポットが一番よかった——そんな経験はサーファーなら一度はあるはずだ。風が変わり、どこも良くなくなる日もある。「right place at right time」。極上の波に巡り会えるのは、本当に稀な奇跡だ。
パイプラインで日本人初の10点を叩き出した小川直久さんでさえ、「家の前で入った波が、これまでで一番良かった」と語っていた。波は、ときに何の前触れもなく黄金色に輝く瞬間を見せる。

サンタクルーズは南に面してるので西海岸でも夕日は山の方に沈んでいく

キャピトラビーチでのサーフィン後。ヤシの木が増えてきてメキシコの雰囲気が流れる
スティーマーレーンの安定した波の強さは、うねりだけでは説明できない。海底の独特なリーフ形状がうねりを極上のブレイクへと変え、世界中のサーファーを虜にする。象徴的なのは、崖沿いに巻き込むように割れるライトのポイントブレイク。かなり長い距離を乗れ、最奥のピークでは崖の裏側からエキスパートたちが乗ってくる。
崖に作られた階段を降り、手に絡みつく海藻を払いながらパドルアウトするだけで、この場所の空気の濃さが伝わってくる。乗り損ねがほとんどないほど波は安定している。波を捕まえるのに一苦労だが、さすがのグランドスウェル! 50人以上入っていても、全員が楽しめるだけの波が次々と押し寄せた。
一本乗るたびにスイッチが入り、何本か続けて波に乗れたものの、まだ“これだ”という1本には出合えなかった。“1本だけでいい”。その1本を求めて辛抱強く待った。セットが入ると、ファーストピークは速すぎて誰も乗れない。ドルフィンができないほどボリュームのあるボードを選んでいた僕は、少し外れたポジションで待ち続けた。そして、その判断が正解だった。目の前に求めていた一本が現れた。
押し出されるようにテイクオフし、斜面を駆け下りた瞬間、すべての音が遠のいた。波が呼吸に寄り添い、静寂のなかでダンスをする。この海を駆け抜けた先人たちの息遣いが、潮騒に溶けて聞こえたような気がした。象徴的なこの場所の歴史に、ほんの少し触れた気がした。

スティーマーレーンの崖の上から。この横の階段から降りていく

たまに入ってくるクリーンアップセット。突如として海が盛り上がるから予測しづらい
サンタクルーズを語るうえで欠かせないアイコニックスポットがもう一つある。プレジャーポイントだ。ショートからロングまで幅広く楽しめ、ポイントも広く、ゆったりとしたブレイクがいくつも連なる。レーンとはまた違った“やさしさ”がある。
生粋のローカルは、スティーマーレーンとプレジャーポイントのどちらか一方にしか入らないと聞いた。クルマで15分ほどの距離なのに、文化圏が明確に分かれている。崖の上から波を見つめる人々の眼差しに、この地にサーフカルチャーが深く根付いてることを感じた。
サンタクルーズのサーフカルチャーの奥深さは、“波”だけで生まれたものではない。オニールの創業者ジャック・オニールが1959年に世界初のサーフショップを開いた場所であり、現代のウェットスーツの礎が築かれた場所でもある。歴史とは、人と場所と時間が重なり続けることで生まれる。ここではその重なりが日常の風景となり、未来へとつながっていく。
街全体がひとつのテーマパークのようだった。自然がつくり出すアトラクションを、誰もが当たり前のように楽しんでいた。気づけば4日間があっという間に過ぎ、波は少し落ち着き、サーファーも減り始めていた。まるで閉館を告げる音楽が流れ始めたような、ほんの少しの寂しさが残った。
きっと「一番良かった波」を一つに絞ることはできない。それでも、スティーマーレーンで出合ったあの一本は、確かに心の深いところに刻まれた。

北カリフォルニアのユニークな地形。午前中は必ず白く靄がかっていて、午後になると快晴になる

ポイントの目の前に無料の駐車場、シャワー、トイレもついていてサーファーの為に作られたような街だった

サンタクルーズには実際にテーマパークもあり、サーフィンをしなくても楽しめる観光地となっている

TAG #Ride of a Lifetime#ヴァンライフ#サーフトリップ#古川良太#連載

オレゴンでは緑が生い茂っていたのに、カリフォルニアに入った途端に空気は乾き、木々の姿がまばらになっていった。それと同時にガソリンの値段もぐっと上がる。同じ国とはいえ、さすがは合衆国。州によって税金は異なり、物価もまるで違う。
向かったのはボーダー近くの町、クレセントシティ。セピア色にくすんだ少し寂れた街並みは、どこか哀愁を帯びている。ヴァンライフの先輩ナンシーから「治安があまり良くない」と聞いていたから、少し身構えながらクルマを走らせた。

クレセントシティから1時間半ほど南に下ったポイントのキャメルロック
知らない町に着いたら、まずはサーフショップに行くのが僕のルール。地元の情報を知るには、それがいちばん早い。町を散策していると、小さなサーフショップを見つけた。こじんまりとした店内には、センスのいいサーフボードやアパレルが並んでいる。店主に声をかけ、この辺りのサーフスポットについて尋ねた。
この町には大きく分けて2つのポイントがある。北西部のリーフブレイク、そして南向きのビーチブレイク。ウネリの向き次第でどちらも楽しめるらしい。ほかにも南のポイントや治安のことなど、ロードトリップで気になる情報を丁寧に教えてくれた。特に細かく話してくれたのは(正直あまり聞きたくなかったが)サメの話だった 笑。
オレゴンコーストから北カリフォルニアにかけては、ホホジロザメが多く生息しており、食物連鎖が活発に行われているという。つい先日も、ここから30分ほど南の河口でカヤッカーが襲われたらしい。河口には魚が集まり、それを狙ってアシカやアザラシがやってくる。そして、そこを狙ってサメも寄ってくるのだとか。ありがたい情報ではあるが、せっかく良さそうな波を見つけても、サーフィンする気が削がれてしまったのは言うまでもない。

ハイウェイ1の道中のサーフスポット。この辺り一帯はレッドトライアングルと呼ばれ、多くの海洋生物が生息する。波は良かったが誰も入ってないのでスルーした

クレセントシティ北西部のリーフポイント。右側からメローに割れる波は初心者にも優しい。沖に見える島にはアシカが多く生息していて、鳴き声がなかなかうるさい
その後、多少ウネリが入っていたサウスビーチで、偶然出会ったおじさんとサーフィンをした。日常生活では祖父母世代の人と話す機会などほとんどないが、サーフィンという共通の情熱が、年齢という壁を越えて僕らをつないでくれる。出会って間もないのに、どこか魂が共鳴するような感覚があった。
昔、友人が言っていた。「人はそれぞれ周波数を持っていて、それが合う者同士が出会う」と。まさにその言葉の通り、心地いいラジオを聴いているような感覚で彼の言葉に耳を傾け、気づけば頬が痛くなるほど笑っていた。

クレセントシティで出会ったサーファーのロブ。若い頃からアドベンチャー好きで色々無茶もしたらしい。今できることを全力で楽しむことが大切と教えてくれた
このあたりに来てから、会う人みんなに同じことを言われる。
「早く南カリフォルニアへ行け」と。
それもそのはず、北カリフォルニアもオレゴン同様、メインシーズンは冬。7月の今は、夏がシーズンとなる南カリフォルニアへ向かうべき時期だ。その後はサーフスポットをチェックしながらもサーフィンはせず、サメから逃げるように南を目指した。
ちょうどその頃、南ウネリが反応し始め、僕らにとって初めてのグランドスウェルがやってきた。ハイウェイ1をサンフランシスコへ向けて走る途中、各地のポイントでは徐々に波が上がり、それとともにサーファーの数も増えていった。どこもコンスタントに胸〜頭サイズのいい波が割れていたが、まだ“これだ!”という波ではなかった。途中妻のロングボードでもできそうな場所で1ラウンド入ったものの、そこでもローカルたちに「もっと南へ行け、サンタクルーズは今いい波だ」と背中を押された。
夢だったゴールデンゲートブリッジを渡り、ついにサンフランシスコへ入った。多くの人から観光を勧められていたが、よりによって南ウネリが重なってしまった。
――波を追うしかないじゃないか。
街中にクルマを停めておくとほぼ間違いなく盗難に遭うと聞いていたので、いくつか行きたい場所を駆け足でまわり、すぐに街を後にした。

カリフォルニアロードトリップで外せないスポット。橋の下でもサーフィン可能だが、大きな北ウネリが必要

サンフランシスコ北のポイント、ボリナスビーチ。腰くらいのサイズが最もキレイにまとまる
サンフランシスコを抜けると、有名なサーフスポットが続く。オーシャンビーチ、そしてハーフムーンベイのマーベリックス。ビッグウェーブは立っていなかったが、聖地を見ておきたかった。「早くいい波でサーフィンしたい」という気持ちを抑えながら、ポイントを一つひとつチェックしていった。
道路標識に“Santa Cruz”の文字が見えた瞬間、胸の鼓動が高鳴った。街に入るとヤシの木が並び、空気が一気に南国めいてくる。海沿いの道を灯台の方へ進み、左カーブに差し掛かった岬の先端を見下ろすと、そこにはサーフマガジンで何度も見た光景が広がっていた。

海岸線沿いを走るハイウェイ1。目まぐるしいほど変わっていく景色は、何十キロ走っても飽きることはない

TAG #Ride of a Lifetime#ヴァンライフ#サーフトリップ#古川良太#連載

ロードトリップの途中、気持ちが高揚する瞬間は数えきれないほどある。なかでも、予期せぬ良い波に巡り会えた時の高揚感は格別だ。それがシークレットスポットなら、なおさら心が躍る。
アゲートビーチから南にあるいくつかのサーフスポットを友人に教えてもらったが、ほとんどは波が小さいか風が入り、ノーサーフが続いた。しかし、ある場所だけはまったく違った。どの波情報サイトにも載っていないそのポイントは、ビーチから写真を撮っていると「頼むからソーシャルメディアにはあげないでくれ」と声をかけられる、まさしく“シークレットスポット”だった。とはいえ、ローカルが厳しく管理しているわけではなく、サーファーなら知る人ぞ知るといった雰囲気。海に入っている人たちも北や南から来ていて、外国人の僕でもすんなり入れ、ギスギスした空気はまったくなかった。
大きな岩の前からブレイクする、美しいレギュラーの波。テイクオフゾーンはやや速いが、それを抜けるとパワフルでありながらトロく、インサイドまでカットバックで繋いでいける。僕のシングルフィンとの相性は抜群だった。

場所をしっかりを把握しておかないと見逃してしまうポイント。メインブレイクはライトだがうねりの向きによってレフトも割れる

この藪を抜けた先にブレイクが存在する。良い波があると分かっていると自然と足取りが速くなる

南オレゴンは無人スポットが点在するが、夏は乏しいウネリと北風の影響でこのようなコンデションがほとんど

緑の森とシースタックがオレゴン州を象徴する。この辺にもサーフスポットがあるが、ボードを抱えて1時間ほどハイキングが必要
そもそも、ショートボードで育った僕がシングルフィンに乗り始めたのは、旅をするようになってからだ。サーフィンを始めたての高校生の頃は、プロのようなサーフィンに憧れ、できるだけ短く薄いボードこそ“カッコいい”と思い込んでいた。だが、基礎もない独学の我流では上達は乏しかった。
オーストラリアを旅していたときにミック・ファニングの本を読み、サーフィンの上達にはシングルフィンが良いと知った。そこから初めてトライフィン以外に興味を持ち、中南米の旅の相棒には、オーストラリアのアイセミテリー、マックス・スチュワートがシェイプするトム・キャロルと共同で作っていた5’9”のシングルフィンを選んだ。
トライフィンの足先だけでサーフィンをしてきた僕には、それは本当に難しかった。波の形状を感じ取りながら、体重移動でレールを入れてターンする。無理に動かそうとするのではなく、波に合わせる。そこには、現代のハイパフォーマンスボードでは感じにくくなった“サーフィン本来の形”があった。

アイセミテリー、ロスト・ラブ改。エルサルバドルの厚くパワーのある波が最高にマッチしたがターンに苦戦した。
それ以降、僕のサーフィンへの向き合い方は変わった。「自分に合うボードを探す」のではなく、「目の前にあるものでいかに楽しむか」。ボードの性能を最大限に引き出す乗り方を追求するようになった。体力は10年前より落ちたし、ハードな波にチャージする意欲も減った。だが、受け入れることを覚えたことで精神的に成熟し、今のほうがずっと楽しく、うまく波に乗れている。ボードとの出合いは偶然ではなく、必然なのかもしれない。僕がボードを選んだのではなく、ボードが僕を選んだ。そう考えると、ライディングの幅は大きく広がる。
今回の旅で相棒にしたのは、クリステンソンの7’10” ウルトラトラッカー。自然が生み出すエネルギーと同調して楽しむのがサーフィンだとすれば、波とボードに自分を合わせることこそ本来の姿だ。10分に一度訪れるセットの波を6人で乗り回し、インサイドまで乗り繋ぐ。パドルバックするときは、次のサーファーが気持ちよくライドする姿を笑顔で眺める。波待ちの間には、「さっきの波、最高だった!」と自然に言葉が交わされ、穏やかな空気が流れる。
いい波を、いい仲間とシェアする。
雑念から解き放たれ、ただ“今”を楽しむ――この瞬間こそ、誰もがサーフィンに求めるナチュラルハイではないだろうか。

クリステンソンの7'10"ウルトラトラッカー。ノーズとテールが薄く、レールもシャープに絞られてるので実際の長さよりも短く感じる

この自然が作り出す芸術は、オレゴンコーストに来たら訪れるべき場所の一つである。カリフォルニア州に入る手前に観光名所が集合する

TAG #Ride of a Lifetime#ヴァンライフ#サーフトリップ#古川良太#連載

海と繋がり、自分の中の好きや小さなときめき、そしていい波を追い求めてクリエイティブに生きる世界中の人々、“Ocean People”を紹介する連載企画。彼らの人生を変えた1本の波、旅先での偶然な出会い、ライフストーリーをお届けします。

Profile
Patricia Phithamma パトリシア・ピサンマ
ハワイ生まれサンディエゴ在住。機能性とデザインを兼ね備えたスイムウエアブランド「Tan Madonnas」を立ち上げ、海を愛するすべてのアクティブな女性たちに向けて発信している。
あなたのことについて教えて
生まれはハワイのオアフ島。6歳のときにアメリカ本土のワシントン州へ引っ越したけれど、それ以降も頻繁にハワイには戻っていた。父がサーファーだったこともあって、幼い頃から海で過ごす時間が大好き。いつか自分もあんなふうにサーフィンができたら──とずっと憧れていた。
高校を卒業した8年前、カリフォルニアのサンディエゴにへ移り住み、今もここを拠点に生活している。サンディエゴは、サーフィンとアメリカのカルチャーがバランスよく混ざり合う、とてもクールなサーフタウン。サーフィンを本格的に始めたのも、この街に引っ越してきてから。
お気に入りのサーフスポットは地元のラホヤ。特別に波がいいわけではないけれど、海に行けば必ず友達に会える。その“ホーム感”がたまらなく好き。
そして、世界で最もパーフェクトな波がある──インドネシアのメンタワイ諸島。あそこは本当に特別だと思う。
次に行きたい場所はモルディブ。楽しそうなライトの波がたくさんあるし、サーフィン以外にもできるアクティビティが充実してるから、近々行きたいと思っている。
ブランドを始めたきっかけ
スイムウエアブランド 「Tan Madonnas」を立ち上げたのは2022年。海の中でもしっかりホールドしてくれるビキニ、そしてアクティブウエアとしても着られるデザイン性のあるビキニをずっと探していたけれど、なかなか“これだ”と思えるものに出合えなかった。それに、サンディエゴ発のブランドって意外と少なくて、だったら、自分で作ってみよう! と思ったのがきっかけ。最初は試行錯誤の連続だったけど、今ではブランドの方向性も明確になり、どんなデザインを展開していきたいかもクリアになってきた。やっと軌道に乗ってきたなって感じている。
「Tan Madonnas」を着た女の子たちがサーフィンやスケートをしている写真を見ると、「本当に作ってよかった」と心から思う。これからの目標は、もっと多くの人に手に取ってもらうこと。そして、アクティブでクールなガールズたちが繋がれるコミュニティや、サーフトリップなども企画していきたいと思っている。


海、自然との関係を言葉で表すなら?
海のない生活は考えられない。仕事で行き詰まったとき、リフレッシュするためにパドルアウトして、思いがけずいい波に乗れた瞬間に、ムードが一気に変わったりする。サーフィンをしていなかったら行かなかったような場所にも行くようになったし、海以外では出会えないような面白い人たちにも出会えた。いい意味で、サーフィンは人生を変えてくれたと思う。
他のスポーツや趣味と違って、サーフィンには終わりがない。長く続けているからといって必ず上手くなるわけじゃないし、ひとつの技を習得するのに何年もかかることもある。それに気づいたとき、焦らず自分のペースで続けようと思えた。サーフィンは私の人生の一部だし、これからもずっと人生の基盤であり続けると思っている。
あなたの生活に欠かせない3つのものは?
ビーチサロン、サーフボード、そしてもうひとつはすごくランダムだけど——アイブロウペンシル!


何か新しいことを始めたい人へのアドバイス
何かを始めるときに、すべてが揃うまで待たなくてもいいと思う。まずは始めてみて、そこから試行錯誤を重ねればいい。完璧なタイミングなんてないと思う。
そして、ときにはプロの力を借りることも大切。ウェブサイトを作ってもらったり、デザイナーに相談したり。自分では気づけない視点を持っている人たちから、学べることって本当にたくさんあるから。

text:Miki Takatori
20代前半でサーフィンに出合い、オーストラリアに移住。世界中のサーフタウンを旅し現在はバリをベースに1日の大半を海で過ごしながら翻訳、ライター、クリエイターとして多岐にわたって活動中。Instagram
TAG #Ocean People#Tan Madonnas#パトリシア・ピサンマ#ビーチライフ#連載

生い茂る森が海岸線で突如途切れ、断崖となって海とぶつかる。波と風に削られて残った硬い岩は「シースタック」と呼ばれ、洞窟の天井が崩れ落ちてすり鉢状になった地形は「悪魔の盃」と呼ばれる。もとは陸続きだった海岸線が、何万年もの時をかけて彫刻のような姿へと変わった。それがオレゴンの海岸だ。正直、ここに来る前の予備情報は「美しいコーストライン」だけ。サーフィンに関する情報は皆無で、ただ“ドライブが気持ちよさそう”という軽い動機だった。

オレゴンの海岸線をドライブしていると、時折出合う無人ブレイク。人影のない海は少し心細いけれど、サメへの恐怖を抑えてボードを準備した
カナダより南にあるのだから、気候も海水も暖かくなるだろう——そう思っていた。しかし、現実はまるで逆。冷たいカリフォルニア海流の影響で、夏でも沿岸は驚くほど涼しい。内陸との寒暖差で朝は霧が立ちこめ、水は茶色く濁り、手足が痺れるほど冷たい。サーファーの姿も少なく、どこか孤独な海だった。それもそのはず。オレゴンのサーフシーズンはカナダ同様、冬。北からのうねりが炸裂し、15〜20フィートの波が現れる。そんな冷たく過酷な環境に挑むハードコアサーファーたちの季節だ。一方、夏はほとんど波が立たず、初心者が多くなるという。

有名なキャノンビーチ。海にそびえる一枚岩「ヘイスタックロック」は高さ72メートル。多くの海鳥が棲むこの景観は、まさに大自然のモニュメント

ミアーズ岬から望む風景は、オレゴンを象徴する海岸線そのもの。運が良ければ、クジラやアシカなど多くの海洋生物を観測できる
最初にたどり着いたのは、玉石の岬に沿ってレフトの波が割れるシーサイドというポイント。ローカルにとってはあまりコンディションが良くないのか、僕が入ったときは他に一人だけだった。それでもサイズは腹くらいあり、うまく乗れれば3〜4発は当てられる。日本なら激混みになりそうな波を、ほぼ貸し切りで楽しむことができた。ただ、知らないポイントで人が少ないと、波待ちの時間がやけに長く感じる。濁った水と魚の匂いに、頭の中ではついサメを想像してしまう。実際、ここオレゴンはホホジロザメの生息地なのだ。
日が沈むまで海にいたが周りには誰もいなくなり、最後は潔く上がった。冷たい海を考慮してか、無料の公共シャワーが温水なのはありがたかった。後で知ったが、冬のうねりが完璧に決まると、ここは北米屈指のチューブが巻くらしい。ただし、ローカルがかなりキツく、知り合いがいないと入るのは難しいという。

シーサイドポイント。こんな良い波が割れているのに、ほとんど誰もいないのが不思議。玉石の上を進むパドルアウトも、戻る時もひと苦労
オレゴンでは、人との出会いもあった。
78歳で保護犬とヴァンライフを送るナンシー。サーフィンやハイキングが趣味なわけではなく、行くあてもなく気の向くままに車を走らせ、生活をしている。こんなにもパワフルに生きる78歳がいるだろうか。彼女はいつかこの生活をしてみたかったらしいが、そのチャンスは突然やってきたという。知り合いの車を安く手に入れることができ、まずはお試しで半年間のヴァン生活を始めてみた。そして、一応残しておいた家に戻った時には、もう決心がついていた。持っている家具の中から、バンに積めるものだけを選び、家も家具もすべて手放して旅に出たのだ。孫までいるおばあちゃんが、なんて型破りで自由なんだろう。
「私の余生はもうそんなに長くないけど、死ぬまでこの生活を続けたい」
その言葉には、“何かを始めるのに遅すぎることはない”、“迷っている時間があるなら、やれるうちにやったほうがいい”——そんなメッセージが込められているようだった。

「パスタを作りすぎたから食べない?」そう声をかけてくれたヴァンライフの先輩。旅の知恵をたくさん教えてくれた、アメリカの“お母さん”のような存在
南米を共に旅した旧友との再会もあった。彼ともまた、人生哲学について深く語り合った。人生のゴール。自分のやりたいことと仕事のバランス。一社会人としてキャリアを積む将来像と、若い頃のように旅をし、自由に暮らしたいという欲。どこまで追いかければ満足するのか——。そんな答えがあるようで、今の僕らにはまだ分からない問いを、7年越しに語り合った。分かったのは、結局「今を精一杯生きるしかない」ということ。ビーチで焚き火を囲み、ビールを片手に眺めたサンセットを記憶に刻みながら、「また再会した時に続きを話そう」と約束した。

夏でも比較的コンスタントに波のあるアゲートビーチ。右手の崖が北風を遮り、いつもクリーンなフェイスを保っている。気づけば1週間滞在していたお気に入りの場所


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