

あたたかい海に囲まれた南の島、沖縄には1年中波がある。そして、自然のリズムに寄り添ったサーフカルチャーが根付いている。沖縄生まれの兄妹プロサーファー、宮城和真と有沙。島人(しまんちゅ)に受け継がれる心を胸に、2人仲良く歩みを進める。
沖縄には、月の満ち欠けで時を刻む旧暦の文化が今も息づく。猛烈な台風や熱暑という過酷な自然条件が大きな理由。島人が安全に漁や農耕を行うために、潮の満ち引きや作付け・収穫の時期を計れる旧暦はなくてはならないものなのだ。その影響はサーファーたちにも色濃い。沖縄特有のサーフィンについて、宮城和真はこう話す。
「1日の中でサーフタイムが決まっているんです。満潮の前後2時間が基本とされています」
島のサーフポイントはリーフブレイクのみ。水深が浅いため、干潮時はサンゴ礁が剥き出しになってしまう。それゆえ、月のリズムに呼応した行動が必要なのである。和真の妹・有沙はサーフィンをするにあたって、「気をつけなさい」と父親からよく注意を受けていたという。
「サンゴで怪我をすると跡が残っちゃう。“オキナワンタトゥ”と沖縄のサーファーは言います。子どものころは、ちょっと怖かったですね」
とはいえ、潮、うねり、風のタイミングを見計らえば波は極上。周囲に点在するピークから好みの場所を選んで、楽しいサーフタイムを1年中満喫できる。あたたかい海水の透明度は抜群。波待ちをする足もとにはサンゴの森が広がり、カラフルな熱帯魚が泳ぐ。南の島、沖縄の青く美しい海での波乗りは格別だ。
和真と有沙の両親はサーファー。父・豊和さんは北谷町(ちゃたんちょう)で『ハードリーフ』という名のバー&サーフショップを営み、沖縄サーフライダー連盟の理事長を務めていた。そんな恵まれた環境のもとで育った2人は、ともに若くしてプロサーファーの道を歩む。だが、島でのサーフィンの楽しみ方はそれぞれ違う。
「和真はいろんな波を探して入る。すごく攻める感じ。でも私は、人の少ないところでのんびりやっています。みんなと時間をずらして、めちゃくちゃ浅いときに入ったり」と、大人になった有沙は笑う。
和真の行動範囲は沖縄本島だけにとどまらない。その日のベストウェーブを求めて、大小さまざまな離島まで足を伸ばす。
「波が上がれば、飛行機や船に乗って出かけます。沖縄本島とは違って島が狭い分、地形の角が多い。そこにうねりがラップしてきれいに入ってくる。だから本島では味わえないロングウォールの波もあるんです」

「プロツアーで優勝することが目標。プロの大会の優勝トロフィを沖縄に持ち帰った人がまだいないんです。それをぜったいに叶えたい」©Naoya Kimoto
このように、沖縄のサーフィンはとても多様だ。胸が高鳴るようなチャレンジもできるし、メローになごむこともできる。離島も含めて、無数に存在するグッドウェーブ。なかでも島のサーファーたちにひときわ愛されているサーフポイントがある。それは、和真と有沙が暮らす北谷町にある『砂辺』。2人のホームであり、沖縄のサーファーたちのステージだ。米軍基地がすぐそばにあり、海辺の遊歩道に沿って多国籍なお店が立ち並ぶ。海岸線に低めに設置された防波堤は座って海を眺めるのにうってつけ。砂辺はサーファーのみならず、沖縄に暮らす人々みんなが愛してやまない海なのだと有沙が教えてくれた。
「サーフィンをしない友人は夕陽を見ながらゆっくりしていて、私は波に乗る。スケートパークもあるし、子供連れの家族が過ごせるスペースもある。違うことをしていても、同じ海での時間を誰もが一緒に楽しめるんです。その雰囲気がすごくいい」
和真はこう続ける。
「サーファーと、海を見に来るギャラリーとの距離が沖縄で一番近い。そして、サンセットサーフが沖縄で最も気持ちいい。ピークの延長線上にきれいに太陽が落ちていくんですが、日本一の夕陽だと思っています」
最近、2人を取り巻く環境の変化は目まぐるしい。深い悲しみもあった。沖縄のサーフシーンの中心的役割を果たしていた父・豊和さんが急逝したのだ。
「お父さんはみんなを照らす太陽のような存在でした。サーフィンをテーマに人と人とを繋げていく。一緒に波乗りをしたり、お酒を飲んだりして繋げていく。その偉大さをすごく感じています」と和真は父なき今の心境を語る。いっぽう有沙は「『楽しそうだな』ってずっと思ってました」と懐かしそうに振り返る。

「サーファーにもサーフィンをやらない人にも『プロサーファーの宮城有紗だよね』って知ってもらえるような、格好いい存在になりたいです」©Hitoshi Onaga
「でも、なんでも引き受けすぎだった。全部イエスでノーがない。悪いことではないけれど、それで『どうしよう、どうしよう』ってなって、私たちが八つ当たりされたり(笑)。だけど、それがお父さんのいいところだったなって思う」
ここ数年で沖縄を訪れる旅行者がいちだんと多くなった。SNSの発達によって島の美しい海の写真が世界中に拡散されたことが最大の要因だ。加えて、働き方の自由度が高まったコロナ禍を機に移住者も増加。そうして沖縄でサーフィンをする人がいっきに増えた。この変化に対し、ハードリーフを窓口に兄妹はアクションを起した。サーフィンのガイドツアーを始めた和真の考えは明るい。
「サーファーが増えれば、トラブルも増える。そうすると“沖縄のサーファー”というひとくくりで印象が悪くなる。だから本土から来る方にサーフタイムのことなど沖縄でのサーフィンのルールを伝えて、ローカルの方とちゃんと繋げて、みんなが楽しめるようにやっていく。そうすれば、環境をよりよくできるチャンスなのかなと思って」
有沙も兄と志を同じく、初心者に向けたスクールをメインに活動。そして、“沖縄の子たちの憧れになれたらうれしい”と自分を磨く。
たんなるサーフィンの楽しみを超えて、地元の文化と自然との調和を象徴する宮城兄妹の物語。人々と絆を深め、海の恵みを分かち合う。そのあたたかい心にこそ、沖縄ならではのサーフィンの魅力が宿っている。


宮城 和真
1999年7月6日生まれ。2017年、沖縄初の高校生プロサーファーとしてプロデビュー。国内外のコンテストを回りながら、父親から受け継いだバー&サーフショップ、ハードリーフを営み、沖縄のサーフシーンを盛り立てる。
宮城 有沙
2000年6月22日生まれ。2019年、JPSAプロテストに合格。沖縄県初の女性プロサーファーとして、ウィメンズサーフィン界のアイコンとなるべく腕を磨く。兄・和真とともにコンテストに参戦、そしてハードリーフを支える。
SALT...#02より抜粋

「SALT…Magazine #02」 ¥550
SALT…#02は待望のタブロイド版!沖縄に根付く“自然に寄り添う”のではなく“共に生きる”というマインド。
SALT…ならではの視点で新しい沖縄の魅力をトータル24ページにわたってお届けします!
photography _ Atsushi Sugimoto text _ Jun Takahashi

ずっと何かに対する不満や焦り、悶々としたものが心のなかに漂っていた。
自分の居場所はここでいいのか、進む方向はこっちであっているのか。そういう意味で、30歳で訪れたカリフォルニアは自分探しの旅でもあった。
キャプテンズヘルム トウキョウで働いて洋服に触れるようになってから、夏輝はそのバックグラウンドにあるストーリーや世界観の価値を知る。それからは自らの装いも変わった。意識やモチベーションが上がると、自ずとやりたいことが見えてきた。それがヘルム本来の世界観をトウキョウで再構築するというもの。しかも本国カリフォルニアと密にコミュニケーションをとりながら。
「日本の売れ筋にあわせるつもりはない。自分が着たいという気持ちを正直にアイテムに落とし込む。カリフォルニア好きなサーファーとして、あくまで雰囲気を大切にしながら」
前回の旅で好きになってから、カリフォルニアをよりいっそう深く知りたくなった。その想いが伝わったのか、今回は誰もが温かく優しく迎えてくれた。同じサーファーとして、同じ世界観を愛するものとして。
「これだけは曲げたくないという芯をみんな持っている。自分の好きなことを嘘なく楽しんでいる人たち。めちゃくちゃ好きなことにとことん熱意と時間を注ぐ。そのなかで新しい発見もあるだろうし、だからこそより良い人生を歩めるんだろうな。だから僕もこれからは、やりたくないことはやらないことにした。好きなことを貫いてライフワークにするために」
心底楽しんでいるなかから生まれるものやブランド。ブライアンやミッチやジェシーからはそれを学んだ。自分もそういうものを生み出したい。
サーフィンでも得るものは大きかった。ミックのようにサーフィンを生業にはしていないものの、仕事とサーフィンの両方にプライドと情熱を持ち続ける姿勢に心を打たれ、そこに目指したい生き方を見た。
「競技のように数字で勝ち負けがつけられないのがスタイル。サーフィンにはアートの要素が多いから、その追求に終わりはない。だから奥深いのかな」
心のなかの霧はすっかり晴れていた。何かを得るために、自分に変化を与えるために、人に会うことが一番の近道だと改めて気づく。「次はうちに泊まれよ」「もうお前はファミリーだ」。また会いに来ようと思える嬉しい言葉をたくさんもらった。たぶんまたすぐに戻ってくる。いま夏輝にとってカリフォルニアは憧れの地から約束の地になった。

1994年神奈川県茅ヶ崎市生まれ、鎌倉市在住。18歳から25歳までのプロ活動を経て、フリーサーファーに転向。現在はキャプテンズヘルムに勤務する傍ら、サーフブランド〈DANBUOY〉をハンドリング。次世代のプロサーファーへ道を示すべ く、日々活動を続けている。
photography & text _ Takashi Tomita
>>SALT...#04から抜粋。続きは誌面でご覧ください
TAG #A PILGRIMAGE to CALIFORNIA#笹子夏輝

フリーサーファー笹子夏輝は、現状に何ともいえない焦燥感を覚えていた。どうすれば解消できるのか、何をすれば次のステージに進めるのか、その答えを探しに南カリフォルニアに旅に出た。出会うサーファーたちのスタイルと生き方にヒントを求めて……。
カリフォルニアに来たからには、キャプテンズヘルム トウキョウで働く者として会わなければならない人がいる。言わずと知れた本家キャプテンズヘルムのファウンダー、ミッチ・アブシャーである。実はこれが今回の旅の裏テーマだった。
夏輝にはどうしてもミッチに会って伝えたい想いがあった。
「湘南で生まれ育ちプロサーファーになった僕は、ずっと海にばかりいた。でもヘルムで仕事をするようになってからは東京のストアに通勤し、サーフィン以外の多種多様な趣味の世界にも触れて視野を広げることができた。楽しみの引き出しはたくさん増えたけれど、そこで改めて気づいたのは、やっぱり自分は海が好きでサーファーなんだということ。同時に、いま多角的なテイストで展開しているキャプテンズヘルム トウキョウのなかに、もう一度サーフィンの要素を、ミッチが打ち出したキャプテンズヘルムのコアな部分を呼び戻したい、そんな想いが芽生えてきた」
生意気かもしれないけれど、その偽らざる気持ちをミッチにぶつけたかった。
ミッチといえば、キャプテンズヘルムやキャプテンフィン、ビーチドデイズなど、さまざまなビジネスやブランドを手掛けてきた、南カリフォルニアのサーフシーンの重要人物。ジョエル・チューダー同様に早くからロングボードに乗り始め、10代前半にはドナルド・タカヤマのライダーとショップボーイになり、年配者たちから多くのことを吸収してきた。早くにコンペに見切りをつけた彼は、楽しくなければ意味がないとばかりに、自分の気持ちに正直に生きてきた。陰に日向に後進を育て、道を開く手助けをしてきたモダン・ロングボード・シーンの兄貴分でもある。またダクトテープでは初回からディレクターとして裏方に徹し、若いサーファーたちを鼓舞し続けている。

リスペクトの意思表示として夏輝が着ていったのは、ブライアン・ベントから譲り受けた初期キャプテンフィンのT シャツ

ブリクストンのファウンダーのスタダード兄弟やミッチらが新しく始めたアイウエア・ブランドDECADE

夏輝が心酔して止まない、強烈にSo-Cal 感を漂わせるヘルムの世界観

古着の商品は毎日入れ替わるので、滞在中に何度足を運んだことか
ミッチはいま、仕事のあるカリフォルニアと家族と暮らすテネシーとのデュアルライフを送っている。だからカリフォルニアにいるときは実に忙しい。それでも彼は夏輝のために時間を作り、オーシャンサイドのキャプテンズヘルムのストアで温かく出迎えてくれた。夏輝はキャプテンズヘルムのオリジナルのコンセプトへの敬愛やこれからのビジョンを熱く語った。大事なのは語学力ではなく熱意。その想いはミッチにしっかりと届いていた。これまでも才能とやる気のある若手にチャンスを与えサポートしてきたミッチ。「やりたいようにやってごらん、できることがあれば何でも協力するから」。どうやら夏輝のことを気に入ったよう。ふたりは徐々に打ち解け、最後はヘルムでショッピング。ミッチ自らが夏輝にあうものを選んでくれた。
何かアクションを起こしたい、そう旅の前に語っていた夏輝。「これはそのアクションの最初の一歩。これからが大事。ミッチに認めてもらえるように結果を出していきたい」
この瞬間、夏輝の腹は決まった。

長くS.Coast Hwy 沿いにあるストアはオーシャンサイドを代表する存在だ

店内の一角にはミッチの親友が運営するコーヒーショップが。一息つける場所が、またコミュニティを惹きつける

キャプテンズヘルムでミッチ・アブシャーと会う。それが夏輝にとってどれだけ意味があることか。上手く語れたかどうかはわからないが、これからのプロジェクトの起点になったことは間違いない

Founder of Captain’s Helm
南カリフォルニアのサーフカルチャー、モダン・ロングボード・シーンにおいてもっとも影響力のあるサーファーのひとり。プロデューサーやディレクターとして若い才能にずっと光を当ててきた。さまざまな映像作品から雑誌「Beached Days」まで手がけたメディアも多数。
photography & text _ Takashi Tomita
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フリーサーファー笹子夏輝は、現状に何ともいえない焦燥感を覚えていた。どうすれば解消できるのか、何をすれば次のステージに進めるのか、その答えを探しに南カリフォルニアに旅に出た。出会うサーファーたちのスタイルと生き方にヒントを求めて……。
謙虚な性格で、けしてサーフシーンのなかで目立つ存在ではないが、そのロングボードでのテクニックは夏輝を魅了し続けている。ミック・ロジャーズ。本業は消防士である。会って一緒にサーフィンしてみて、その人がらも大好きになった。
「チャドにもコーリーにも、次元の違うサーフィンを見せつけられたけど、ミックはさらに異次元だった」
サンディエゴのノースカウンティ。パイプスでのミックとのセッションで、夏輝はシングルフィン・ログのスタイルの奥義のようなものを思い知らされた。日本でもずっとミックのサーフィン映像に見惚れていて、実はもっとも一緒にサーフィンしたかったサーファーだった。ダクトテープ・インヴィテーショナルに縁がなくても、群を抜いて上手いローカルヒーローのようなサーファーはけっこういる。この層の厚さがサーフィンのメッカ、カリフォルニアだ。

ミックのシグネチャーモデル“ コンチネンタル” でセッション。3本とも同じモデルだが、実験のための細工が施されていて微かに異なる

青空のイメージが強いカリフォルニアだが、実はヘイジーな天気の日も多い。ときには海辺では沖の波が見えないほどの濃霧になることも

さまざまな妙技を見せつけてくれたミック。同時に生き方でも夏輝を感化した

日を重ねるごとにノーズライドが上手くなっていった夏輝
以前ビング・サーフボードのファクトリースタッフとして働いていたミックは、数年前に一念発起して夢だった消防士/救急救命士の資格試験を受け、見事に合格。いまは南サンディエゴのナショナルシティにある消防署に勤務している。消防士はアメリカでもっとも尊敬されている職業。まさに市民の味方、ローカルヒーローだ。いまでも彼はビングのライダーで、夏輝との待ち合わせもビングのファクトリーだった。サーフインダストリーが軒を連ね、エンシニータスでもっとも歴史ある“ザ・ヒル”と呼ばれるエリアにファクトリーはある。そこにはヴィンテージのヌイーバ・ノーズライダーなどのミュージアム級のお宝がたくさん。さすがにそれには乗れないので、ミックのシグネチャーモデルを借りることにした。最初はミックとふたりで、翌日はビングのヘッドシェイパーのマット・カルバニも加わり、連日セッションすることができた。ミックとマットはテストと称してパテやワックスでテールを盛ってキックをつけ、微妙な乗り味の違いを探っていた。
「即興でキックをつけたりしてボードデザイン開発のリアルな現場を目の当たりにした。あれがライダーとシェイパーの理想的な姿だと思う」
夏輝自身、恩師ともいえる茅ヶ崎のシェイパー大場衛さんとボード作りに取り組んでいる。ミックとマットがデザインと乗り味を語りあう姿に触発されていた。ミックのサーフィンに刺激されたのか、彼のモデルが乗りやすかったのか、明らかに夏輝は安定したノーズライドを見せるようになり、ログの扱いも様になってきた。ただ夏輝には、テクニックよりもミックの生き方のほうが強く印象に残った。
「あまり多くを語らないけど、ログに対する強い情熱を感じた。消防士としての生業にもプライドを持っている。仕事と家族とサーフィンのバランスが最高にかっこいい。彼と過ごした時間が今回のハイライトだったかもしれない」

ミックとビングのヘッドシェイパーのマットは、ワックスを切ってテールに貼り付け、テールキックを調整していた。こうしてつねに実験が行われている

ファクトリーの2階でミックがラックから出してきたのは、’60年代製のヌイーバ・ノーズライダー。歴史を感じさせる一本だ

以前ミックが働いていたビングのファクトリーを案内してもらう

Firefighter
LA のサウスベイ育ち。’60年代を知る父親からサーフィンの本質を伝授され、シングルフィン・ログでのクラシックなスタイルを確立。素早いフットワークと超絶的なノーズライド・スキルにより、老舗ビングのトップライダーとして長年にわたりモデルの開発にも携わる。
photography & text _ Takashi Tomita
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フリーサーファー笹子夏輝は、現状に何ともいえない焦燥感を覚えていた。どうすれば解消できるのか、何をすれば次のステージに進めるのか、その答えを探しに南カリフォルニアに旅に出た。出会うサーファーたちのスタイルと生き方にヒントを求めて……。
従兄弟のグリフィン・コラピントから刺激を受けショートボードの世界へ身を投じるも、競争社会に幻滅しフリーサーファーへ。コーリー・コラピントのキャリアにもまた、共感できるものがある。彼はその先にシェイプの世界があることも教えてくれた。
いまはSNSのダイレクトメールを通して世界中の誰とでも文字どおりダイレクトに繋がれる時代。そして一度も会ったことがなくても友だちになった気になっている。実は夏輝もコーリーとはそんなオンラインのみでの関係だった。それがこの旅でやっとオフライン・ミーティングが叶うことに。彼のサーフィンを生で見て、そのボードを実際に体感してみたい。それができるのが旅の醍醐味である。
マリブ出身の父親とハワイ出身の母親との間にホノルルで生まれたコーリーは、家族全員がサーファーという恵まれた環境で育ち、5歳から父親とタンデムで波の上を滑っていた。その後ショートボードに夢中になりコンペティションにも出始めるが、高校生のころには燃え尽きてしまう。父親は、そんな彼をかつてよくタンデムしていたサンノーに誘い出し、ロングボードでのサーフィンのピュアな楽しさを改めて思い出させてくれた。
「父がなぜ小さい波であんなにもストークしていたのかが、ロングボードに乗るようになってやっとわかった」
彼にはクリエイティブな一面もある。CJネルソン・デザインズのライダーとしてボードのデザイン開発に関わっていたため、ボードを削るようになるのは時間の問題だった。いまは自分でシェイプしたボードで自由なマニューバーを描く。そのサーフィンはいわゆるロギングとは少し違うようだ。

長めのボードは10フィートほどありグライダーやスピードシェイプに近く、ドライブとグライドが気持ちいい

もう一本は8フィート台の長めのミッドレングスで、こちらもスワローテール。ノーズライドも可能で、コーリーは多種多様な技を見せ、ボードのポテンシャルの引き出し方を教えてくれた

海から上がってもまだ波が気になる

ボードとウェットスーツを持ってトレイルを歩いてビーチにアクセス。こういう体験がサーフィンライフを豊かにしてくれる
一緒にサーフィンする約束をし、早朝に待ち合わせた。場所はサンノーのさらに奥のトレイルズ。パーキングは有料でそこからビーチまでトレイルを10分ほど降りていかなければならないが、それだけに海は空いている。なるほど、コーリーのインスタで見る映像はこういうところで撮っていたのか。ふたりはボードとウェットスーツを抱え、周りに人工物がまったくない未舗装のトレイルを降りていく。これもカリフォルニアのサーフィンライフだ。しばらくビーチを歩いてポイントに着くと、ラインナップは無人だった。ふたりはパドルアウトし、ボードと波をシェアしながらリアルなオフ会を楽しんだ。
セッションの後、コーリーはサンクレメンテの住宅地のなかにある、秘密のシェイピングベイに連れていってくれた。それは知人宅のバックヤードの奥に広がる小さなランチ(牧場)に建つ小屋だった。入り口には「チキン・シャック・シェイピングルーム」と書かれている。ニワトリ小屋に併設されているようで、仲間たちと共同で使っているらしい。そこで夏輝は、コーリーの手ほどきで初めてシェイプを体験する。クリエイティブな若いシェイパーが次々に育つカリフォルニアの豊かな土壌が羨ましかった。

コラボ・シェイピングで作ったのもテールの割れたデザインだった。次回、このボードに乗る楽しみができた

「 君もシェイプしてみないか」。急遽コーリーの提案で夏輝もちょっとだけシェイピング。このカジュアルさがいい

シェイピングベイはニワトリ小屋の隣。ここをシェアしてる仲間たちも遊びに来た

Shaper
ショートボードのコンペを辞めログの世界観に目覚めると、ターン、トリム、ノーズライドに磨きをかけ、エレガントなスタイルを身につける。Kookapinto Shape レーベルではシングルフィン・ログとフィッシュの特性を融合したユニークなデザインを生み出している。
photography & text _ Takashi Tomita
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フリーサーファー笹子夏輝は、現状に何ともいえない焦燥感を覚えていた。どうすれば解消できるのか、何をすれば次のステージに進めるのか、その答えを探しに南カリフォルニアに旅に出た。出会うサーファーたちのスタイルと生き方にヒントを求めて……。
長い歴史のなかでボードデザインは進化し、インダストリーは芽生え、カルチャーが醸成されてきた。サーフィンの世界には商業主義やコンペとは異なる、もうひとつの側面がある。豊かなサーフカルチャーとヒストリー。それを夏輝は肌で感じた。
「ロングボードを始めるようになり、ビーチで年長者のサーファーからカルチャーやヒストリー、レジェンドシェイパーの話をよく聞くようになった。でも自分には全然そんな知識がなくて……」
ショートボードと向きあう時間が長かった夏輝にとって、カルチャーやヒストリーは少し遠い話で、レジェンドの名も、聞いたことはあっても何者かまでは詳しく知らない。ただロングボードのバックグラウンドにあるものに徐々に興味が湧いてきたのも事実。旅中は、そんなサーフィンの文化面にごく自然と触れることができた。サーフィンが一世紀以上の歴史を持つカリフォルニアとは、そういう場所なのだ。
サーフミュージアムはもちろん、土地の歴史を扱うミュージアムでもスケートボードやサーフィンを扱うディープなエキシビションが開催され、サーファーのみならず老若男女が観に訪れる。カルチャーとクラフトとアートが薫るサーフショップも見て回った。流行りのボードレーベルは知っていたが、老舗レーベルの歴史に裏打ちされた揺るぎない価値のようなものも感じた。サーフィンの歴史とその内包する文化は奥深い。今後はそうした世界を探訪する旅も楽しみになった。

サーフィンの歴史が学べる「サーフィン・ヘリテージ&カルチャー・センター」。一角にはコンペ史上で価値ある勝者のボードが一堂に介していた

ヴィスラのクリエイターズ&イノヴェーターズのひとりエヴァン・マークスが運営するNPO「エコロジーセンター」。オーガニックな農業とコミュニティを繋ぐ場所で、ランチのピッツァも美味かった

ニューポートビーチの「デイドリーム」。商品セレクトに鋭い審美眼を感じる

ヴェニスの「モラスク」。ここもオルタナティブ・サーフィンの発信源だ

ボードを借りたビング・サーフショップ。とにかくボードのバリエーションが豊富だった

サンタモニカにある「カリフォルニア・ヘリテージ・ミュージアム」ではドッグタウンの回顧展が催されていた。エネルギーに満ちていた’70年代のカリフォルニアにインスパイアされる
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フリーサーファー笹子夏輝は、現状に何ともいえない焦燥感を覚えていた。どうすれば解消できるのか、何をすれば次のステージに進めるのか、その答えを探しに南カリフォルニアに旅に出た。出会うサーファーたちのスタイルと生き方にヒントを求めて……。
佇まいそのものがかっこいい。コーヒーをすする、タバコをふかす、そんなちょっとした仕草も絵になる。憧れの存在でありつつ親近感も抱いていたジェシー・グーグルマナ。アートにサーフボード。創り出すものすべてに類まれなセンスが宿る。
以前から夏輝は、気になるサーファーとしてジェシーの名をよく挙げていた。10代のころからクイックシルバーにスポンサーされショートボートのコンペティターだったこと、その後コンペを離れフリーサーファーに転身したこと、そして気づけばロギングでも輝きを放つようになったことなど、ジェシーの歩みに自分と重なるものを勝手に感じていた。
南カリフォルニアで生まれ育ち、子どものころはスケートボードにハマっていたジェシーは、家族とカウアイ島に引っ越したのをきっかけにサーフィンにのめり込む。ただコンペには馴染めなかった。その後クロージングブランド「ブリクストン」のライダーになると、その類まれなセンスがデザイナーのピーター・スタダードの目に留まり、ブリクストンのデザイナーに大抜擢される。着こなしがかっこよければ、デザイン未経験でも服を作るチャンスを得ることができる。そんなエピソードがキャプテンズヘルム トウキョウで働く夏輝には輝いて見えた。
「サーフボードにしてもクロージングにしても、ジェシーの作ったものなら手に入れたくなる。なぜならそこには彼の確固たる世界観が感じられるから。そういう存在に憧れる」
ジェシーがクリエイトしたものには味がある。ヴィンテージクロージングに刺繍やスクリーンプリントを施しアップサイクルした彼のブランド「チャンバー」のアイテムにもそんな彼のセンスが宿っている。それらは古着好きにはたまらない一点ものばかり。ニューポートビーチのジェシーの仕事場を訪れるや否や、夏輝はチャンバーのカーディガンを一着ゲットした。

ジェシーのスタジオは、いい意味でカオスな雰囲気で、アーティストがものを生み出す現場そのものだった。彼は夏輝にギフトとしてフィンを一本手渡した

メタル製の重すぎるスケートボードなど、スタジオは面白い創作物で溢れている

ペインティングのセクション。ダークなジェシーの世界観が全開だ

エントランスのギャラリースペース。このときはアートをディスプレイしていたが、スケートボードや自身のブランド「チャンバー」のクロージングのショールームになることも
祖母から受け継いだスクリーンプリント業がジェシーの生業。とはいえ本業のスペースより彼の創作空間のほうが広い。ペインティングのスペースにシェイピングベイ、エントランスには小ぶりなギャラリースペースも。スケートボードも作っているというから、これまたひとつの肩書で収まらない多才ぶりだ。
いまはキャプテンフィンのライダーを務めていて、ミッチ・アブシャーとも極めて近い存在だ。「全部かっこよすぎる。彼と何かコラボできたら最高だな」。夏輝の頭のなかではいろんな妄想が渦巻きだした。
ペインティングには4年の歳月をかけた作品もある。サーフボードも一部のショップの店置きを除きカスタムシェイプがメイン。クロージングも手間ひまをかけるので量産はできない。すべてが時間をかけて創り出されるレアもの。そのかけた時間から付加価値が生まれることを改めて学んだ。

「コーヒーでも飲もうか」。スタジオからすぐのショップ「デイドリーム」で一息入れ、打ち解けるふたり

シェイピングベイの削りかけのボードも気になる

サーフボードやフィン、ドローイングアートやインピレーションブックを見せてもらいながら、クリエイティブな話が弾む

Artist, Shaper
アンダーグラウンドな雰囲気が魅力のフリーサーファー。ハンティントン・ビーチで生まれサンクレメンテやカウアイのノースショアで育つ。シェイピングは父の影響で始める。10年ほど前からログにも乗るようになり、ここ数年そのオールラウンドなサーフィンが人を魅了する。
photography & text _ Takashi Tomita
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