• 【シングルフィン特集】TERRY FITZGERALD_スピードの皇帝が追い求め到達したシングルフィン
  • 2025.07.22

ホットバタード・サーフボードの創始者であり、コンペティター、シェイパーとしてショートボード革命の次の世界を開拓し閃光を放ったテリー・フィッツジェラルド。普遍的かつ伝統的な“一枚刃”の魅力を語る。



高速スピードがすべてを可能にする

テリー・フィッツジェラルドのサーフィンはオーセンティック—— 「権威に基づいた本物」と評される。これ以上の誉め言葉はないだろう。ジェリー・ロペスは「エレガンス」、ジョエル・チューダーは「プロディジー」、ウエイン・リンチは「ジーニアス」、デレク・ハンドは「エキセントリック」と形容する。これに対し、テリーはこう語る。「嬉しいが、おそらく“個性的”ということなのだろう。個性はサーフィンにおいてとても重要な要素であり、特にシングルフィンではそれが顕著に表れる。かつては自分のボードは自分で削るのが一般的で、シェイパーの立場からしてみれば、どんなサーフィンをしたいかを即座に反映し、発展させることができた。各自のスタイルとサーフボードのデザインは並行して発展し、流行に左右されない純粋なスタイルの追求が行われていた。今もその欲望は変わらない。当時は、自分のサーフィンのためにボードを創造する時代だった。だからこそ、サーフインとイクイップメントの革新が同時に進んでいた。もちろん、削ったボードが理想とかけ離れてしまうこともあった。追い求めるスタイルと合わず、試行錯誤を繰り返した。『やっちまった! クレージーな失敗だ』なんてことも。でも、誰もが異なるスタイルを持ち、ボードのデザインも似ているようでも同じものはなかった。次世代のサーファーは、オールドスクールが築いたものを受け継ぎながら、さらに進化させていく。それは今も変わらない。特にシングルフィンは可動範囲が限られているぶん、サーフィンを学ぶ上で最適だ。まずはシングルフィンで波を滑る感覚を掴み、その後、試合で勝ちたければトライフィンを選べばいい。ただ、私の場合はシングルフィンしか選択肢がなかったけれどね」

アウトライン、コーンケーブ、ウィング、リトルスワローテール、ロッカー、エアブラシに至るまで、サーフボードにおける概念をすべて塗り替えた

ウェイクボード、スノーボード、スケートボード、ウィンドサーフィンなど、横乗りスポーツはボードに乗ることから始まる。しかし、サーフィンだけは違う。ボードに乗る前に“波に乗る”ことが必要だ。シングルフィンは、正しい位置に立たなければ、波に乗り続けることはできない。ほんの少しでもズレると、波の力を最大限かつ適正に受けることができない。裏返せば、波のパワーを最大限に捉えられれば、最速で走ることができる。パワーポイントはボトムとトップにある。ボトムターンの重要性は、どれだけレールを傾けられるかにある。レールが長ければ、それだけスピードが増す。またトライフィンと比べてシングルフィンは難しい。シングルフィンでエアリアルを決めるのは困難極まりないように、現代サーフィンのパフォーマンスを追求するなら、シングルフィンに優位性はない。それでも、シングルフィンで正しいポジションを取れれば、波の最も力強い部分をシンプルに体感できる。どこで前後の力の入れ方を加減するか、どこでレールを傾けるか、シングルフィンはマルチフィンと比較して体感率が高い。そして波のフェイス、特にハイラインを維持するとき重力から解放され、異次元のスピードを発揮する。前後の体重のプレッシャーとリリースと左右の傾きを、正しく学ぶことが大切だ。

サンセットのピークからフェード気味にボトムに切り込む。この唯一無二のスタイルこそ熱狂的で、豪州のみならずUSAメディアも挙って取り上げた

「私のサーフィンの進化には、生まれ育ったノースナラビーンの環境が大きく影響している。ここは世界屈指のコンペティションなピークがあり、年間を通して安定した波が立つ。1964年にサーフクラブが設立され、毎月150名が参加する大会が行われていた。勝ちたいという欲求はときにトラブルを生んだが、それが鍛錬へと繋がり、次のコンテストへの挑戦を促した。キッズたちは先輩から学び、その伝統は今に受け継がれている。私の息子、カイとジョエルをはじめ、年齢性別を問わず数多くのワールドチャンプと名サーファーを輩出する、まさにスクールだ」
シングルフィンの時代は、勝つためにスタイルを進化させ、サーフボードのデザインを適応させる時代だった。グッドボトムターンから鋭いトップターン、加速を得るためのカットバック、そしてバレル。勝つためにデレク・ハンドはツインフィンを、さらにサイモン・アンダーソンはスラッシャーを開発した。それは単なるオルタナティブボードの流行ではなく、純粋なサーフインの進化だった。デレクの才能は別格で、他のサーファーとの比較は不可能だ。アンドリュー・キッドマンが1997年に発表した映画『リトマス』で、デレクはジェフリーズベイの長い壁のハイラインをフィッシュで走り、オルタナティブ時代の門戸を開いた。時代が進むにつれてインダストリーの商業化が進み、そこにメディアが加担し、結果多くのサーファーはどこへ進めば良いか分からなくなった。“波に乗る”という基本を忘れ、“サーフボードに乗る”ことに集中し過ぎたのだ。さらにインターネットの時代になると情報量が各自の技量を上回り、進むべき方向をさらに惑わせた。「サーファーは消費者であるべきはない」これがテリーの持論だ。

1971年、シドニーでホットバタードを設立。同年ディック・ブリューワーに招待され、カウアイのシェイプルームで次の時代の匠を伝授された

「シングルフィンは最もシンプルで、原点回帰の源である。何度も繰り返すがサーフィンとは波に乗る行為で、サーフボードはあくまで波とサーファーを結ぶ媒体であることを忘れてはいけない。私が1980年にドリフタを開発したのには理由があった。シングルフィンのサイドに小さなフィンを付けることで、小波でのスナップに安定性を持たせ、スピードを維持したまま素早く方向を変えられるようにした。波のフラットの部分でもレールを傾ければ安定し、ドライブする利点があった。ライトプレイス、ライトタイム、そしてライトボード。1976年のジェフリーズベイで、6’9”ウィング・スワローテール、7’4”ピンウィングを完成させたが、それまでに5年を要した。フィンもトライ&エラーの末、ベースが広い方が波の力を捉え安定すると分かった。何もかもが実験と失敗の繰り返しだった。12フットのサンセットで8回連続ワイプアウトをし、そこで新しいコンケーブを思いついた。ウィングピンは波のフェイスを滑り切れず、跳ねるように振り落とされた。サンセットのビッグウェーブで良い結果を出せるまで、さらに5年を費やした」

今でも年間数十本削っているが、昔からのカスタマーもしくは自分用限定。テリーがシェイプしたボード以外乗らないという支持者もいる

1976年プロサーフィン組織が設立された当時、スポンサーシップなど存在せず、とにかく多くのサーフボードを削って稼ぐしか手はなかった。他のサーファーたちも同じで、ジェリー・ロペス、リノ・アベリラ、バリー・カナイアウプニなども実験的なボードをシェイプしていた。だが今は全く状況が違う。サーファー、シェイパー、マネージャー、コーチなど役割が細分化され、サーフィンは一つのビジネスとして成立している。当時のテリーは自分がアスリートいう意識はなく、ただ純粋にサーフィンをしたいという思いだけだった。
「シングルフィンを乗りこなす秘訣は、まず波をキャッチしたらすぐに立つこと。立つ位置は波によって異なるが、大切なのは“トリムに集中する”こと。それ以外は考えず、足の裏で波のパワーを感じ取り、方向を変えたいときは足のポジションや力加減を調整する。ワイプアウトが続くときこそ、この方法は有効だ。シングルフィンの最大の魅力は、波のパワーをダイレクトに感じられること。それに尽きる」。

今でも現役で、ノースナラビーンのセッションでは別格扱いされている。世界最初のプロジュニアのコンテストを組織化した功績の大きさは計り知れない

テリー・フィッツジェラルド
1950年シドニー出身、ホットバタード・サーフボード創始者。コンケーブをはじめ、数多くの革命的デザインを開発。1970年ワールドチャンプシップで見せた衝撃的なスタイルは、それ以前のトラディショナルとマナーを完全に変えた。


photography _ courtesy of Hot Buttered Collection text _ Tadashi Yaguchi

>>SALT...#04から抜粋。続きは誌面でご覧ください

「SALT…Magazine #04」 ¥3300
サーフィン、暮らし、生き方、そして思考をより本質的なものへと回帰。シンプルで持続可能な在り方を追求することこそが、真の豊かさにつながる。

<Contents>
⚪︎Burleigh Single Fin Festival
⚪︎未知なる領域へ̶̶ サーフィンの新境地
⚪︎シングルフィンを愛する10人のインタビュー
⚪︎STILL AND TRUE
⚪︎笹子夏輝 ~カリフォルニア・スタイル巡礼の旅
⚪︎サーフィンによるマインドセットのススメ
⚪︎Stories Behind the Waves
⚪︎今を生きるサーファーたちのダイアログ
⚪︎世界の果て、南ポルトガル・サグレス
⚪︎Column _ Miyu Fukada

オンラインストアにて発売中!

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