#サーフトリップ

  • 【連載:Ride of a Lifetime】カナダからカリフォルニアまで、ヴァンで旅するサーファーの旅の記録_Episode 14/雲水行脚
  • 2026.03.04

うねりの季節をまたいで、半島を南へ

バハカリフォルニアには、大きく分けて2つの波がある。夏、南半球から押し寄せるスウェル。そして冬、ハワイから届く北のスウェル。何千年、何万年と繰り返されてきたであろうこの周期が、半島の海岸線を削り、いまの姿をつくり上げてきた。そのほとんどは、護岸工事や港の建設による地形変化の影響を受けることなく、ありのままの姿を保っている。僕らがバハを南へ下り始めたのは、すでに10月に入っていた。南うねりが落ち着き、北うねりが次第に強まりはじめる季節だった。
「頼む、もう一発だけ南うねりが届いてくれ!」
バハといえば、言わずと知れたスコーピオンベイ。そこに照準を合わせ、僕らは南下していた。バハのブレイクは無数に点在している。だが、その多くはメインのハイウェイを外れ、未舗装路を進んだ先にある。1988年式の僕らのヴァンで、本当に辿り着けるのか? それは行ってみなければわからない、ひとつの賭けだった。

道中、至るところに牛の姿が。夜に運転してはいけない理由のひとつは、彼らがふいに道に現れるからだ

途中寄り道をして、バハ最高峰の山、Picacho del Diabloへ

エンセナダの町を越えた瞬間、一気に大自然が広がる。乾いた空気と褐色の山々を貫く一本の道。まさに思い描いていたバハの風景だった。途中で道を折れ、海岸線へ向かう。すでに視界の先には海が見えているのに、路面状況が悪く前へ進めない。結局、来た道を引き返し、回り道を余儀なくされた。
今度は太陽との闘いだ。明るいうちに目的地へ到着したい。そんな焦りが、握ったハンドルをじっとりと湿らせる。誤算も予定のうちに入れておかなければ、大変なことになる。それを初日で学んだ。到着したときにはすでに日が暮れていた。危険だとわかっていながら、ワイルドキャンプをして翌朝を待った。
翌朝、ポイントに到着すると、わずかではあるがサーフィン可能な波が割れていた。サーファーは僕らのほかに、たった一人。混雑とは無縁の世界。波が整っていく様子を眺めながら準備をし、パドルアウトする。上から見ると小さく見えた波も、実際に入ってみるとセットで腹ほどのファンウェーブだった。夕方になると風が落ち着き、うねりもわずかに強まり、コンディションはさらにクリーンになる。サンセットを眺めながら、ひとりだけのセッション。テイクオフした瞬間、いつもとは違うラインが描ける。そこにあるのは波と自分だけ。何にも縛られずることなく、波と融合した魂のダンスだった。

比較的アクセスしやすいロケーションながら、無人で割れ続けるライトハンド。目の前には宿もあり申し分のない条件が揃う

何もない場所で迎えたキャンプ初日。ガイドブックには“危険エリア”とあり、夜は深くは眠れなかった

ここは昔小さなフィッシュキャンプと呼ばれる場所で、家が4軒建ってたことが名前の由来になってる

そこからさらに南へ車を走らせ、次のポイントへ向かう。ここもまた無人の波。岬に沿って巻き込むようにブレイクするライトハンドだ。小さく、ゆっくりと割れていくその波は、ロングボードに乗る妻にとって、まさに楽園のようだった。この先も、こんなポイントがずっと連なっているのだろうか。想像するだけで、思わず笑みがこぼれる。サンディエゴに到着したあの日、バハへ向かう決断をした自分たちを、いまなら心から褒めてあげたい。
未知への恐怖ほど、人を縛るものはない。その先に幸せがあるかもしれないことすら知らず、恐れはしばしば真逆の力となって心を支配する。人生の縮図のような濃密な経験を、いまこの瞬間に実感できていること。それ自体が、何よりの幸せだ。
ただ波に乗るだけではない。サーフィンを通して、生き方のヒントを学ぶ。その姿勢こそが、サーファーの神髄なのではないか。
バハの旅は、まるでクエストのようだ。ことあるごとにイベントが発生する。何百キロもガソリンスタンドがないエリア。土砂崩れで通行不能になる道。カルテルが活発な地域――。すべてが現在進行形で変化し、ガイドブックの情報すら追いつかない。だが、このクエストをクリアした先には極上の波が待っている。そんな期待に胸を膨らませながら、今日もまた南へと進んでいく。

バハでも名の知れたブレイクのひとつだが、シーズン終盤ということもあり、海にいるのは僕らだけ

腰腹サイズのメローウェーブ。バハはハードなのではと構えていた妻にとって、ここはまるで楽園のようなブレイクだった

世界で3番目に星が美しく見えると言われるSan Pedro Martir。バハの荒野を登った先に森が広がる、知る人ぞ知る穴場スポット

古川良太(サーファー/鮨職人)
20代の3年間、カナダ、オーストラリア、インドネシア、中南米の波を求めて旅を重ね、サーフィンに明け暮れる。帰国後は鮨職人として6年間修行し、日本文化と真摯に向き合う日々を送る。現在は妻と共にヴァンライフを送りながら、カナダからアメリカ西海岸をロードトリップ中。旅の様子はYouTube「アーシングジャーナル」で定期的に公開。
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  • 【連載:Ride of a Lifetime】カナダからカリフォルニアまで、ヴァンで旅するサーファーの旅の記録_Episode 13/日々是好日
  • 2026.02.18

知られたくない海、知りすぎない自由

アメリカより物価は安いと聞いていた。だが実際には、毎日のキャンプ代がじわじわと積み重なり、ガソリン代も高い。気づけば、アメリカをロードトリップしていた時よりも出費はかさんでいた。さらにバハでは、四駆が望ましいとされている。途中には険しい道も多く、車両の整備にもある程度の投資が必要だった。幸い、メキシコのメカニックは古いクルマにとにかく強く、知識があり、工賃も安い。かなりのパーツを交換したが、アメリカでかかるであろう金額の5分の1くらいですんだ。
「ここなら大丈夫だろう」そう思い、節約のつもりで町の無料駐車場に泊まった夜もあった。だが朝方、運転席側のドアを開けようとする音で飛び起きた。
「メキシコは、安全をお金で買う国だ」
バハに入って間もなく、エンセナーダで寿司屋を営む日本人に言われた言葉が、強く胸に刺さった。生活に慣れると、人はすぐに油断する。だが、メキシコはそんな甘さを許してはくれなかった。

ヴァンの修理をお願いしたメカニック。飛び込みでお願いしたのに快く引き受けてくれた

旅の道中では現地の魚を握ることも。エンセナーダに店を構えるお寿司屋さん「村治郎」でもその機会をもらった

国境から南へ1時間ほど下ると、コアなサーファーの間では知られたポイントがある。
San Miguel(サンミゲル)──。
文字だけのガイドブックを頼りに辿り着いたそのポイントは、バハ半島でも屈指のブレイクを誇る。1980年代に未知なる波を求めて国境を越えたアメリカ人サーファーたちによって発見された、メキシコで最初にサーフされた場所とも言われている。現在ポイントの目の前は駐車場兼キャンプ場になり、入口にはゲートが設けられている。地元の人間によって守られたエリアだ。
サイクロンの残りスウェルで、きれいなライトが割れていた。自然とワックスを塗る手が速くなる。手前の大きな玉石と、石の間に潜むウニに注意しながらアウトへ出る。水量が多く、パワーがあり、ほどよく立ち上がりながらスピードよくブレイクしていく波だ。久しぶりにショートボードに乗りたくなった。
有名なポイントは、ベストコンディションの映像をSNSで何度も目にしているせいで、目の前の波に対する純粋な感動が薄れることがある。だがバハには、かつて「海に行くだけでワクワクしていた」あの感覚を思い出させる力があった。未知のブレイクを見つけた瞬間の高揚感は、良い波に乗れた時以上のものになることもある。波を眺めながらマインドサーフィンする、あの感覚だ。だが実際にパドルアウトすれば現実に引き戻され、自分の下手さに嫌気がさすこともある。それでも、この一連の流れごと新しい波と向き合う行為こそが、シンプルで、究極で、僕にとっての最大の営みなのだ。

冬の北うねりで本領発揮をするサンミゲル。沖合にはビッグウェーブで有名なスポットもある

知り合いから教えられなかったらスルーしてたであろうポイント。両方向にブレイクし、手前はビギナーでも楽しめる

別のポイントで撮影をしながらサーフィンしていた時、アメリカ人サーファーに声をかけられた。
「バハは昔のスタイルを大切にしている。SNSには上げないでくれ」
良い波が知られれば、すぐに人が集まり、たちまち有名スポットへと変わってしまう。知られたくない。そして、自分も知りたくない。そこに辿り着くまでは。アニメのネタバレをしてほしくないのと、きっと同じ感覚だ。未知の世界へ踏み込む勇気を持った者だけが味わえる波。サーファーのユートピアは、サーファー自身の手で守られていた。
世界のサーフスポットはほぼ発掘され尽くした現代でもなお、個々による未知の波を探し求める開拓が続いている。バハ半島に直撃しそうなサイクロンの様子を伺いながら、2週間滞在したエンセナーダを離れ、さらに奥へと進んでいった。

美味いタコス屋はスタッフの顔がとにかくいい! 自信が溢れる料理はやっぱりうまい

ワールドクラスの波の目の前でキャンプができる、サーファーにとっては夢の場所


古川良太(サーファー/鮨職人)
20代の3年間、カナダ、オーストラリア、インドネシア、中南米の波を求めて旅を重ね、サーフィンに明け暮れる。帰国後は鮨職人として6年間修行し、日本文化と真摯に向き合う日々を送る。現在は妻と共にヴァンライフを送りながら、カナダからアメリカ西海岸をロードトリップ中。旅の様子はYouTube「アーシングジャーナル」で定期的に公開。
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  • 【連載:Ride of a Lifetime】カナダからカリフォルニアまで、ヴァンで旅するサーファーの旅の記録_Episode 12/行脚無住
  • 2026.02.04

バハ・カリフォルニア、国境の先で

辺りに漂う下水の臭い。舗装はされているが、穴だらけの道。車窓に広がる景色は砂ぼこりで霞み、国境を越えた瞬間、世界はガラリと姿を変えた。
このロードトリップを計画した当初から、バハへの旅は選択肢のひとつにあった。ただ、8年前のように一人で我武者羅に旅をしていた頃とは状況が違う。今回は妻と一緒だ。その事実が、安全面において簡単に「行く」という決断を許さなかった。
アメリカを南下する道中、バハに行くつもりだと話すと、サンディエゴに近づくにつれて、よりリアルな情報が集まり始めた。ネットに流れてくる情報をすべて鵜呑みにしてはいけない。“メキシコ=危険”というイメージが根強く存在するのは確かだ。だが、メキシコにも普通に生活している人たちがいる。修羅の国に足を踏み入れようとしているわけではない。僕たちは、楽園に向かっているのだ。

国境を越えた道中。右手に設けられている高い柵がアメリカとメキシコとの国境

バハに行ったことがある人たちは、口を揃えてこう言う。「バハは最高だ。また戻りたい」。この一言に、すべてが詰まっている気がした。とはいえ、楽園にも危険な側面があるのは事実だ。約2年前、オーストラリア人2人とアメリカ人サーファー1人が、井戸の中で見つかるという事件があった。旅行者がトラブルに巻き込まれる話を耳にすることもある。だが、それが日常茶飯事というわけではない。守るべきことは2つだけ。陽が落ちたら運転しないこと。管理されたキャンプ場に泊まること。これさえ守れば、ほとんどの危険は回避できると聞いていた。
バハ・カリフォルニアは、サーファーの間では秘境とされている。「本当のカリフォルニアは、バハにある」そんな言葉を耳にしたこともある。アメリカとの国境から、南端のカボ・サン・ルーカスまでの直線距離は約1200キロ。日本に当てはめると、北海道の北端から九州の南端までに相当する。その間に、数えきれないほどのサーフスポットが点在している。しかも、その多くが無人波だ。電波が安定しない場所も多く、ナビゲーションは必然的にアナログになる。そのため、アメリカのサーフショップでバハ・カリフォルニアの“バイブル本”を購入した。
サーフフィルムで目にするバハの映像は、ほとんどの場合、場所が明かされない。果てしなく続く一本道、巨大なサボテン、メローな無人波、そしてタコス。危険を顧みずとも、サーファーの欲望を満たすには十分すぎる冒険だ。ようやく、旅らしい旅が始まった。そんな気がした。

バハのサーフスポットを網羅しているガイドブック。古い情報もあるのでアップデートが必要

バハに来て最初のタコス。手作りのトルティーヤと炭火で焼かれた牛肉の香りがたまらない


僕たちは国境を越えた先の町、ティファナをスルーし、途中のタコス屋で腹を満たして、最初のサーフスポットを目指した。K38。高速道路38km地点にあることから名付けられたポイントだ。サンディエゴから車で30分ほどという距離もあり、アメリカ人サーファーにも人気がある。この日はすでに風が入り、コンディションは落ちていた。そのため、先にあるキャンプ場で一泊し、出直すことにした。
翌朝、ポイントへ向かうと波はしっかりと割れていた。目の前のブレイクは少し速そうだったため、左奥のポイントへパドルアウト。北上していたストームのうねりで、サイズは5フィートほど。有名なポイントだけあって人は多かったが、十分に楽しめる波だった。

K38ビーチ。沖合にウニのファームがあるようで、インサイドはウニ地獄になっている

セットの波が手前で掘れ上がるので、タイミングを見計らってエントリー

久しぶりに味わった、まとまっていて力強い波長12秒のうねり

パワーはあるものの厚めの波だった、K38 1/2と呼ばれる次のブレイク

3000円で泊まれるキャンプ場。週末はローカルたちで賑わう

僕たちは、まだ北の玄関口に立ったに過ぎない。この先、どんな世界が待っているのか。鼓動が早くなるこの感覚は、新たな旅への高揚なのか。それとも、拭いきれない危険への恐れなのか。きっと、その両方だ。そんな気持ちを胸に抱きながら、僕たちはさらに南へと車を走らせた。

毎夕見れるサンセットはいつも違う姿を見せてくれる


古川良太(サーファー/鮨職人)
20代の3年間、カナダ、オーストラリア、インドネシア、中南米の波を求めて旅を重ね、サーフィンに明け暮れる。帰国後は鮨職人として6年間修行し、日本文化と真摯に向き合う日々を送る。現在は妻と共にヴァンライフを送りながら、カナダからアメリカ西海岸をロードトリップ中。旅の様子はYouTube「アーシングジャーナル」で定期的に公開。
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  • 【連載:Ride of a Lifetime】カナダからカリフォルニアまで、ヴァンで旅するサーファーの旅の記録_Episode 11/無碍自在
  • 2026.01.21

波と境界のあいだで

サンオーからさらに南へクルマを走らせ、オーシャンサイドの町に差しかかった頃には、僕たちの目的地であるサンディエゴが、すでに目と鼻の先にあることに気づいた。というのも、このあたりから南の地域一帯は、大きなくくりで「サンディエゴ」と認識されていることが多い。意識的に「着いた」と思う前に、僕たちはすでに目的地へと足を踏み入れていたのだ。
オーシャンサイドからサンディエゴの街まで続くコーストラインには、サーフスポットが途切れることなく連なっている。ビーチブレイクからリーフブレイクまで実にバリエーション豊かで、温暖な気候と安定した波質が揃う。そこには、僕が理想としてきた世界が、確かに広がっていた。その中でも、スワミズは特にお気に入りのスポットだった。

州立公園Cardiff by the sea

エンシニータスに位置し、海へと落ちる崖に設えられた145段の階段を下りると、右手にそのポイントが現れる。リーフの上でブレイクする波は、冬の大きなうねりでこそ真価を発揮すると言われているが、夏の穏やかなうねりの中でも、ほぼ毎日のようにサーフィンを楽しむことができた。基本的にはライトのポイントブレイクだが、うねりの角度やピークの位置次第ではレフトにも走ることができる。ピークからはトロく割れ、とてもフレンドリーな波だ。駐車場が小さいことに加え、隣に州立公園のサーフスポットがあるため、人が一箇所に密集しにくい。ここでも僕たちは早朝から海に入り、サーフィンをし、合間にパソコンを開いて仕事をする。そんな一日を、のんびりと過ごすのが日課になっていた。

カリフォルニアの中でも特にお気に入りだったスワミズ。全米で一番土地が高いのは住みやすい気候にあるのだろう

駐車場ではチルなバイブスが流れていて、音楽セッションが始まることや、コーヒーを売っていることもある

カリフォルニアですっかりロングボードにハマってしまった

夜はハイウェイ沿いのレストエリアや、線路脇で夜間駐車禁止のサインがない場所に駐車し、寝泊まりしていた。バンライフがひとつのカルチャーとして根付いているカリフォルニアだが、市や郡によっては、夜間の車中泊を禁止している場所も少なくない。そうした事情を深く気に留めていなかった僕たちは、夜中、眠っているところを町の保安官に起こされることもあった。
「ここでは寝泊まりできないから、別の場所へ行ってくれ」そう言われ、すぐに移動しようとしたのだが、カナダのナンバープレートに気づいた彼と話が弾み、昔、日本で交換留学をしていたことを話してくれた。幸いにも「今日だけはここで寝ていい」と、最終的には見逃してくれた。バンライフが文化として根付くカリフォルニアには、ある程度の理解があるのだと感じた出来事だった。
既存の価値観が中心にある社会への反抗として生まれたスタイルこそ、カウンターカルチャーの起源だ。だが、その言葉は後付けに過ぎない。本質は反抗そのものではなく、多様性にある。主流に流されず、自分なりの生き方を表現すること。その結果として生まれたものが、ムーブメントになったに過ぎない。

オーシャンサイドから下の海は水温が下がる。日が落ちると真夏でもかなり寒い

カールズバッドエリア。どこも開発されていてとても過ごしやすいエリアだ

ブラックスビーチ。ボードを抱えて崖を上り下りするのは一苦労だが、幸運にも崖の下までクルマで降りられるパスを借りれた

振り返れば、毎日はとても濃く、充実していた。それでも体感としては、本当にあっという間だった。サンディエゴに到着したはずなのに、僕も妻も、どこか不完全燃焼のような感覚を抱えたまま、約3週間、オーシャンサイドからミッションビーチの間を行き来していた。ゴールに着いたはずなのに、道半ばのような気分だったのも無理はない。僕たちはまだ、カリフォルニアコーストの半分までしか来ていなかったのだから。僕たちが旅してきたこの土地には、1800年代前半、メキシコ領だった頃の呼び名がある。アルタ・カリフォルニア。「アルタ」とはスペイン語で「上の」という意味だ。対になる「下」がなければ、「上」と呼ばれる理由はない。僕たちは国境を越え、バハ(下の)・カリフォルニアへ向かうことを決めた。


古川良太(サーファー/鮨職人)
20代の3年間、カナダ、オーストラリア、インドネシア、中南米の波を求めて旅を重ね、サーフィンに明け暮れる。帰国後は鮨職人として6年間修行し、日本文化と真摯に向き合う日々を送る。現在は妻と共にヴァンライフを送りながら、カナダからアメリカ西海岸をロードトリップ中。旅の様子はYouTube「アーシングジャーナル」で定期的に公開。
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  • 【連載:Ride of a Lifetime】カナダからカリフォルニアまで、ヴァンで旅するサーファーの旅の記録_Episode 10/体得理解
  • 2026.01.07

サンクレメンテ、5キロの海岸線を身体で知る

ロサンゼルス空港から南にクルマを走らせること約1時間。南北に5キロにも満たない間に、サーファーにとって夢のようなコーストラインが広がっている。そこが、サンクレメンテだ。
トラッセルズという名前は、WSLの大会やサーフメディアを通して幾度となく目にしてきた。サーファーであれば、一度は耳にしたことがあるだろう。だが、それぞれのポイントがどこに位置し、どんな個性を持っているのか。そこに足を運び、肌で感じるまでは、僕はほとんど理解できていなかった。
北はコットンズから、南はサンオノフレまで。短い海岸線の中に、世界中のショートボーダーが憧れるハイパフォーマンスウェーブのローワートラッセルズ、初級者から中級者まで楽しめるミドルズやチャーチ、そして南端にはマリブと並んでロガーの聖地と称されるサンオーが連なっている。ショートボードで育った僕にとって、サンオーの存在は、正直なところアメリカに来るまで知らなかった。しかし、周囲のサーファーから繰り返し勧められるうちに、その期待はすこしずつ膨らんでいった。

波が良ければ、わずか10秒足らずでパドルアウトできるロケーションが魅力

州立公園として管理されているサンオーは、カリフォルニア州内の州立公園の中でも屈指の来場者数を誇る。週末ともなれば、開園1時間前に到着しても、すでにゲート前には長い列ができている。それもそのはず、サンオーの魅力はサーフィンだけに留まらないからだ。ポイントの目の前に駐車できる敷地内には、サーファーが求めるすべてのものが揃っている。良質な波、パームツリーが点在する独特の景観、バレーボールコートやピクニックテーブル。シャワーも景観を損なわぬよう笹で囲われ、どこか素朴な風情がある。バンライフを送る僕らにとって、ここはまさに理想郷だった。サンオーでは、海に入る時間だけでなく、その後に過ごす時間までもが、サーフィンの一部なのだ。

人気の縦列駐車エリア。朝イチでこの場所を確保するのが早起きのモチベーションとなっていた

州立公園はトータル10日以上使用するのであれば年間パスを購入するのがオススメ

笹で囲われたシャワー。景観を保つと共に周りからの視線を遮る。ボードラックも設備されているサーファーフレンドリーな公園

西海岸といえばサンセット! 乾いた空気の中、毎日のように太陽が水平線へと沈んでいく

サンオーはマリブと同様、1950年代から地元サーファーに愛されてきた場所だ。ただし、決定的に異なるのはその空気感である。シェアライドの精神が今も自然に息づき、ラインナップには穏やかな時間が流れている。メインのピークは大きく3つに分かれているが、横に広がるスポット全体は、沖からインサイドまで波の割れるフィールドが非常に広い。それぞれが自分の居場所を見つけ、思い思いのペースで波に乗っていく。メローにブレイクし、インサイドまで乗り継げる波は、まさにロングボーダーの楽園だった。
数日間、朝から晩までサンオーで波に乗ったある日、僕らはローワートラッセルズまで歩いてみることにした。プロの映像では、電動バイクで向かったり、線路を渡って歩いていくシーンが印象に残っている。世界中から、パーフェクトな波を求めてトッププロが集まる場所。Aフレームで左右どちらにも行けるものの、ピークは基本的にひとつ。その中で波を掴むのは、至難の業だろうと覚悟していた。
「少しおこぼれをもらえれば、それで十分」そう思ってパドルアウトしたが、結果はいい意味で裏切られた。皆がセットのベストウェーブを狙う一方で、サイズのない波や形の整わない波には、ほとんど目が向けられない。そのおかげで、わずか20分ほどの短いセッションにもかかわらず、驚くほど多くの波に乗ることができた。この日は風向きこそ良くなかったが、それでも波の形は申し分ない。トップからボトムまで規則正しくブレイクする波を前に、ローワーがなぜこれほどまでにサーファーを惹きつけるのか、その理由がすぐに腑に落ちた。

ローワートラッセルズへ向かうにはこの線路を渡る。米軍の管理下におかれていたため建造物が少なくアクセスが大変

仕事するもよし、ぼーっとするもよし、昼寝するもよし。ポイントの目の前で生活する日々は夢のようだった

サンオーのメローで穏やかな時間と、ローワーに漂う張り詰めた緊張感。わずか数キロの海岸線の中に、これほど対照的な世界が共存している場所が、果たして他にあるだろうか。映像や地図だけでは決して伝わらない、この海岸線の本当の価値。それは、パドルアウトし、肌で感じて初めて理解できるものだった。


古川良太(サーファー/鮨職人)
20代の3年間、カナダ、オーストラリア、インドネシア、中南米の波を求めて旅を重ね、サーフィンに明け暮れる。帰国後は鮨職人として6年間修行し、日本文化と真摯に向き合う日々を送る。現在は妻と共にヴァンライフを送りながら、カナダからアメリカ西海岸をロードトリップ中。旅の様子はYouTube「アーシングジャーナル」で定期的に公開。
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  • 【連載:Ride of a Lifetime】カナダからカリフォルニアまで、ヴァンで旅するサーファーの旅の記録_Episode 9/和而不同
  • 2025.12.24

サーフスタイルの多様性は、カルチャーの深さと比例する

サーファーなら誰もが知っている最低限のルールといえば、前乗りだろう。タブーとされているその行為すら、ここマリブではスタイルの一部のように錯覚してしまい、自分自身を疑った。基本的には、ここでもほかの人の波を邪魔しないのがルールだし、誰もが前乗りし合う無法地帯というわけではない。秩序は、確かに保たれている。だが、それにしても前乗りの数が圧倒的に多かった。しかしそれは、マリブの波の性質や、そこに集まる人の多さゆえの、一種の戦略なのではないかとも思えてくる。

ビーチから見るとサーファーがただ横に広がってるように見えるが、実はピークに向かって列をなしている

サイズが一定以上になると、ファーストピークから手前のピアまでキレイにブレイクする

海岸線は弧を描き、南西に向いている。歴史的にも有名なFirst Pointをはじめ、Second、Thirdと呼ばれる連続するポイントは、リーフや砂の形状が波を右へと導くため、ライト方向オンリー。ロングボード向きの、ゆったりとしたブレイクが長く続く。
ピークから静かに波が立ち上がると、リーフに沿って「崩れる」というよりも、「剥がれ落ちる」という表現がふさわしいほど、リップが美しくブレイクしていく。そんなライト方向のポイントブレイクにもかかわらず、ロサンゼルスの都市部から近いこともあり、集まるサーファーは数知れない。ピークには、ノーリーシュでスタイリッシュにノーズを決めるベテランサーファーがいる一方、手前には初心者サーファーもいる。混雑のピーク時にはカオスになるが、それでもマリブの波にこだわり、足繁く通うサーファーが後を絶たない。そんなポイントで波に乗るには、それなりの戦略が必要だ。

朝はまだ人が少ないからオススメだが、太陽が昇り周囲が明るくなるとすでに50人以上のサーファーがいた

ハイウェイ沿いに路駐してクルマから眺めるお気に入りの景色

週末になるとサーファーに限らす人が集まり、ビーチが賑わう


このポイントを俯瞰的に観察していると、それぞれの波への向き合い方が見えてくる。ピークでセットの波を狙う人もいれば、小さくても本数を乗れる手前で待つ人もいる。早朝、まだ日が昇る前の真っ暗な中でパドルアウトする人もいれば、日が沈んだ後、桟橋の灯りを頼りにサーフィンをする人もいた。それぞれが、いかに多くの波に乗れるかを考え抜いた末のスタイルなのだろう。
その中に、前乗りをスタイルとして見出してしまうことには驚かされた。後ろから乗ってきているのを目視しながら、それでもテイクオフする。これまで自分が信じてきたサーフィンの常識は覆され、この現実を飲み込むには時間がかかった。飲み込むくらいなら、いっそここでのサーフィンをやめたいと思うほど、心を乱された。それでも、自分が意図的に前乗りをするのは、やはり違う。僕はマリブの洗礼を受けたのだ。

この壁の前のサーフボードはマリブのアイコニックフォトだ

それでも、ここには人を引きつける魅力がある。マリブの波は、語りかけてくる。「焦るな」ここでは、時間が伸びる。一歩足を前に出すと、世界がゆっくりと動き出す。ボードは、線路の上を走る列車のように、迷いなく進んでいく。呼吸とともに波とシンクロし、一種のトランス状態に入った僕は、ただその瞬間を楽しんでいた。気がつくと、桟橋の横まで乗ってきていた。マリブの海で何度も考えさせられたのは、正解がひとつではないという事実だった。ルール、マナー、スタイル。そのどれもが間違いではなく、この場所の密度と歴史の中で、形を変えながら共存している。受け入れ難さと、美しさが同時に存在する海。その矛盾を否定せず、波に身を委ねたとき、ようやくこの場所の輪郭が見えた気がした。長く伸びるライトのフェイスを静かに滑りながら、雑念はいつの間にか後ろへと流れていく。残ったのは、ただ「今、ここにいる」という感覚だけだった。
マリブは教えてくれた。スタイルとは主張ではなく、積み重ねられた選択の結果なのだと。夕暮れ時、薄ピンク色に染まる空を見上げながら、その答えがゆっくりと腑に落ちていった。

ビーチでゆっくり過ごしながら、波が良くなったらさくっと入れる環境が魅力


古川良太(サーファー/鮨職人)
20代の3年間、カナダ、オーストラリア、インドネシア、中南米の波を求めて旅を重ね、サーフィンに明け暮れる。帰国後は鮨職人として6年間修行し、日本文化と真摯に向き合う日々を送る。現在は妻と共にヴァンライフを送りながら、カナダからアメリカ西海岸をロードトリップ中。旅の様子はYouTube「アーシングジャーナル」で定期的に公開。
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