波と境界のあいだで
サンオーからさらに南へクルマを走らせ、オーシャンサイドの町に差しかかった頃には、僕たちの目的地であるサンディエゴが、すでに目と鼻の先にあることに気づいた。というのも、このあたりから南の地域一帯は、大きなくくりで「サンディエゴ」と認識されていることが多い。意識的に「着いた」と思う前に、僕たちはすでに目的地へと足を踏み入れていたのだ。
オーシャンサイドからサンディエゴの街まで続くコーストラインには、サーフスポットが途切れることなく連なっている。ビーチブレイクからリーフブレイクまで実にバリエーション豊かで、温暖な気候と安定した波質が揃う。そこには、僕が理想としてきた世界が、確かに広がっていた。その中でも、スワミズは特にお気に入りのスポットだった。

州立公園Cardiff by the sea
エンシニータスに位置し、海へと落ちる崖に設えられた145段の階段を下りると、右手にそのポイントが現れる。リーフの上でブレイクする波は、冬の大きなうねりでこそ真価を発揮すると言われているが、夏の穏やかなうねりの中でも、ほぼ毎日のようにサーフィンを楽しむことができた。基本的にはライトのポイントブレイクだが、うねりの角度やピークの位置次第ではレフトにも走ることができる。ピークからはトロく割れ、とてもフレンドリーな波だ。駐車場が小さいことに加え、隣に州立公園のサーフスポットがあるため、人が一箇所に密集しにくい。ここでも僕たちは早朝から海に入り、サーフィンをし、合間にパソコンを開いて仕事をする。そんな一日を、のんびりと過ごすのが日課になっていた。

カリフォルニアの中でも特にお気に入りだったスワミズ。全米で一番土地が高いのは住みやすい気候にあるのだろう

駐車場ではチルなバイブスが流れていて、音楽セッションが始まることや、コーヒーを売っていることもある

カリフォルニアですっかりロングボードにハマってしまった
夜はハイウェイ沿いのレストエリアや、線路脇で夜間駐車禁止のサインがない場所に駐車し、寝泊まりしていた。バンライフがひとつのカルチャーとして根付いているカリフォルニアだが、市や郡によっては、夜間の車中泊を禁止している場所も少なくない。そうした事情を深く気に留めていなかった僕たちは、夜中、眠っているところを町の保安官に起こされることもあった。
「ここでは寝泊まりできないから、別の場所へ行ってくれ」そう言われ、すぐに移動しようとしたのだが、カナダのナンバープレートに気づいた彼と話が弾み、昔、日本で交換留学をしていたことを話してくれた。幸いにも「今日だけはここで寝ていい」と、最終的には見逃してくれた。バンライフが文化として根付くカリフォルニアには、ある程度の理解があるのだと感じた出来事だった。
既存の価値観が中心にある社会への反抗として生まれたスタイルこそ、カウンターカルチャーの起源だ。だが、その言葉は後付けに過ぎない。本質は反抗そのものではなく、多様性にある。主流に流されず、自分なりの生き方を表現すること。その結果として生まれたものが、ムーブメントになったに過ぎない。

オーシャンサイドから下の海は水温が下がる。日が落ちると真夏でもかなり寒い

カールズバッドエリア。どこも開発されていてとても過ごしやすいエリアだ

ブラックスビーチ。ボードを抱えて崖を上り下りするのは一苦労だが、幸運にも崖の下までクルマで降りられるパスを借りれた
振り返れば、毎日はとても濃く、充実していた。それでも体感としては、本当にあっという間だった。サンディエゴに到着したはずなのに、僕も妻も、どこか不完全燃焼のような感覚を抱えたまま、約3週間、オーシャンサイドからミッションビーチの間を行き来していた。ゴールに着いたはずなのに、道半ばのような気分だったのも無理はない。僕たちはまだ、カリフォルニアコーストの半分までしか来ていなかったのだから。僕たちが旅してきたこの土地には、1800年代前半、メキシコ領だった頃の呼び名がある。アルタ・カリフォルニア。「アルタ」とはスペイン語で「上の」という意味だ。対になる「下」がなければ、「上」と呼ばれる理由はない。僕たちは国境を越え、バハ(下の)・カリフォルニアへ向かうことを決めた。

































