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栗山 遥 - Haruka Kuriyama -
1996年生まれ。学生時代にヨガと出合い、正しい身体の使い方や哲学を知り、もっと深めたいと思いRYT200を取得。現在では海の近くに暮らしながら、ヨガだけではなく、マインドフルネスやエシカルな活動をSNSやYouTubeを通じて幅広く広めている。
環境に配慮した生活を送りたい、身体に良いことを取り入れたい。そんな前向きな思いがあるのに、時には「完璧にしなければ」と感じて息苦しくなったことはないだろうか?
ヨガインストラクターの栗山遥さんが教えてくれたのは、自分軸に合わせた「心地よいエシカルライフ」の作り方。少し視点を変えるだけで、もっと自然体で持続可能な生活が手に入る。
ヘルシーなライフスタイルを送るヨガインストラクター、栗山遥さんは、自然体で過ごしながら環境に配慮した「エシカルアクション」を発信し、多くの人々に共感を呼んでいる。だが、彼女がこのマインドセットに到達するまでには、試行錯誤があったという。
「サーフィンを始めたことがきっかけで、海のゴミの多さに気づいたんです。それから環境問題について深く知るようになり、環境に良いとされることはとにかく実践する日々が続きました。プラスチック製品を使わない、ヴィーガン生活をするなど、できる限りのアクションを取り入れることに夢中になりました」
しかし、完璧を追求しすぎた生活は次第に苦しくなってしまったと栗山さんは振り返る。
「最初は環境汚染に対する恐怖から、とにかく行動しなきゃって焦っていたんです。でも、その生活を続けていくうちに、無理が出てきてしまいました。持続可能な生活とは、無理なく自分に合った形で続けられることが大切なんだと気づきました」
今では、身体と心に無理のない範囲でエシカルな行動を実践し、それが結果的に環境に優しい選択になっているという。自分に合ったライフスタイルを見つけることで、より続けやすく、心地よい日々が送れるようになったと教えてくれた。
栗山さんが試行錯誤の末にたどり着いたのは、完全なヴィーガンやゼロ・ウェイストではなく、自分の体調やライフスタイルに合わせた食生活とエコな習慣だ。たとえば、お肉を控える代わりに魚を中心とした食生活に切り替え、身体のバランスを取ること。
さらに、プラスチック製品の使用を完全に排除するのではなく、リユースできるものを選ぶなど、負担なく続けられる選択も取り入れること。そうすることで、視野が広いエシカルアクションを叶えている。
「たとえば、エコバッグやマイボトルを使う、コスメはリサイクル可能な容器のものを選ぶことを心がけています。無理にすべてのプラスチックを排除しようとするのではなく、心地よく続けられる方法を見つけることが大切だと私は思うんです」
また、栗山さんは自身の価値観を反映したエシカルファッションブランド〈seed and soil〉を2021年に立ち上げた。ブランドでは、「土から生まれ、土に還る」という循環を意識した素材を使用し、環境に配慮したモノづくりを行っている。質の高い素材とシンプルなデザインが特徴で、年齢を問わず長く愛用できるアイテムを提供するのも栗山さんらしい。
栗山さんが伝えるメッセージは、いたってシンプル。「無理をせず、長く続けられる形でエシカルな選択をすること」。それは、環境に優しいだけでなく、自分自身の心と体にとってもいい選択であることを、改めて考えさせられた。
「自分の心地よさを大切にしながら、環境にも配慮できる選択をすることで、長く続けることができるんです。みなさんも無理をせず、自分に合った形でエシカルライフを楽しんでください」
「SALT…Magazine #01」 ¥3,300
本誌では栗山さんが「アーユルヴェーダで学んだ体質に合わせたセルフケア」のエピソードも掲載!
他にも観光ファーストではない、レスポンシブル・ツーリズムとリジェネラティブ・ツーリズムの考え方を、トータル48ページにわたって特集しています。
ぜひチェックしてみてください!
photography _ Pak Ok Sun composition _ Ayaka Takaura
TAG #SALT…#01#エシカルライフ#ビーチライフ#ライフスタイル#創刊
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笹子 夏輝 - Natsuki Sasako -
1994年神奈川県茅ヶ崎市生まれ、鎌倉市在住。18歳から25歳までのプロ活動を経て、フリーサーファーに転向。現在はキャプテンズヘルムに勤務する傍ら、サーフブランド〈DANBUOY〉をハンドリング。次世代のプロサーファーへ道を示すべく、日々活動を続けている。
2019年にプロを引退後、フリーサーファーやブランドプロデューサーとして、ネクストステージで活躍する笹子夏輝。競技時代とは一転、オルタナティブなサーフィンで見る者を魅了する彼が、移住や旅、人との出会いを経てたどり着いた“思いがけない発見”とは。
「今日は陽射しが暖かいけど、風がちょっと冷たいですね」
ビーチでの撮影後、インタビューのために入った鎌倉のカフェで、夏輝が静かにそうこぼした。「そんな日にごめんね」と恐縮すると、彼は白い歯を見せて「おかげでコーヒーが美味い」。こちらに気を遣ってくれたのか、それとも素の感想なのか。いたずらっぽい笑顔からはうまく読み取れなかったが、夏輝は子どもの頃からそんなふうに、どこかミステリアスな魅力を持っていた。
プロを退いたのが25歳。以降、フリーサーファーになった彼は、数年前、生まれ育った茅ヶ崎を離れて鎌倉に移り住んだ。なるほど、茅ヶ崎で彼の姿を見なくなったわけはそういうことか。でも、いったいどうして?
「特に理由はないんですよね。強いていうと、新しい世界をのぞいてみたかったから」と言うと、夏輝はコーヒーで唇を湿らせてから続けた。「会社の上司が近所に住んでいるんですよ。その生き方に影響されて、というのも大きかったかもしれない」
東京・千駄ヶ谷のセレクトショップに勤め出したのが27歳。少し前までプロサーファーだった夏輝にとって湘南と都内の往復生活はストレスフルにも思えたが、「見方を変えればチャンスだった」という。
「この際だからいろいろ学ばせてもらおうと思って。お店の業態的にサーフィン以外の商品ラインナップも豊富で、スノーやキャンプなどの業界にも関わりやすかったんです。そこで感じたのは、“同じアウトドアなのに、カルチャーが全く違う”ということでした」
幼い頃から親しんできたサーフィンから離れることでたどり着いた境地。すると、普段から何気なくまとっていた洋服や装飾品の一つひとつに、歴史や文化が詰まっていることに気づいた。
「この前、カリフォルニアを旅したとき、サーフィンついでに古着屋へ寄ってみたんです。お店に入ってみたら、サーフィンとまた違った面白さがあって。うまく言葉にできないけど、全てがかっこよかった。そういう経験をしたおかげで、最近は洋服をちゃんと選んで着るようになりました。サーフトリップのときも、スウェットにビーサンじゃなくて、ジージャンに革靴を履くようになったんです。今は『海に出かけるときこそ決めていこう』と密かに考えています」。
>>インタビューの続きは本誌でご覧ください。
「SALT…Magazine #01」 ¥3,300
本誌では笹子夏輝のインタビューを全文掲載。昨年、同世代のフリーサーファー小林直海と立ち上げた冬のサーフギアブランド〈DANBUOY〉のこだわりから、「夏輝にとって海とは?」について語ってくれています。
photography _ Pero, Shuji Nihei(surfing) text_Ryoma Sato
TAG #CAPTAINS HELM#DANBUOY#SALT…#01#ビーチライフ#笹子夏輝
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畠山 晶 - Akira Hatakeyama-
1985年生まれ。神奈川・葉山で漁師として修行をし、2013年に葉山漁協の準会員、2015年に正会員に。葉山漁協初の女性漁師として、ワカメ漁、ヒジキ漁、潜り漁などを行う。漁師仲間と開催する朝市や直売所、地域の教育現場での授業や魅力を伝える活動も人気。
女性だから、男性だからという理由で、自分のやりたいことを諦めるのはもったいない。前例がないのは怖い。でも、それを貫くことで幸せの形が見えてくるということを、漁師の畠山晶さんが教えてくれた。
漁師と一児の母の顔を持つ彼女の生き方とは。
葉山の美しい海と山に囲まれて働く畠山晶さん。彼女はなぜ漁師になることを決めたのでしょうか?
「水産高校卒業後、高校の恩師から地元の海のNPO法人を紹介してもらい、チャレンジドの方にディンギーなどを教えていました。そこで定置網の漁師さんと出会い、船に乗せてもらうように。大量のハンマーヘッド、巨大なマンボー、朝焼けのなかアーチを描いで飛ぶトビウオ、可愛らしいアザラシの子供など、雄大な海の生き物との出合いに感動したことを今でも覚えています。
でも都会の仕事に憧れもあり、冬場の閑散期は朝から2時間電車に乗り、ヒールを履いて都内へ仕事に通う日々。けれど、やっぱり地元で仕事がしたいと感じ、都会から離れました。そして、24歳の時に鎌倉の女性漁師さん、新丸の優子ちゃんと知り合いになったんです。彼女の姿を見て、お手伝いをするなかで、私も葉山で漁師をしたいと目指し始めました」
畠山さんが日々感じているのは、地球温暖化による海の変化。水温が上昇し、漁獲量にも影響が出ているといいます。
「冬はわかめ漁が盛んですが、今年は水温が高く、魚たちが活発に動き続けました。3月に水温が低くなり始めたものの、年々海の温度が上がっているのを感じます」
また、海藻の養殖にも取り組んでおり、わかめや昆布の他、保全目的でカジメやアカモクも育てています。
「海藻は二酸化炭素を吸収し、地球の循環に不可欠な存在。このままでは、10年後に海藻がなくなるかもしれないという危機感があります。だからこそ、人の手で海の豊かさをサポートする必要があるんです」
畠山さんの活動は、漁業だけに留まらない。彼女は地元の子供たちに海の大切さを教え、朝市や直売所で地元の海産物の魅力を発信することで、葉山の海の未来を守るための取り組みを続けている。
葉山の唯一の女性漁師である畠山晶さん。その挑戦と決意、そして海と共に生きる姿勢は、私たちに新しい生き方を教えてくれました。
「SALT…Magazine #01」 ¥3,300
本誌では畠山さんが漁師と子育てを両立しているエピソードも掲載!
他にも観光ファーストではない、レスポンシブル・ツーリズムとリジェネラティブ・ツーリズムの考え方を、トータル48ページにわたって特集しています。
ぜひチェックしてみてください!
photography _ Junji Kumano composition _ Ayaka Takaura
TAG #SALT…#01#ビーチライフ#ライフスタイル#創刊
2020年、滋賀県出身の20代サーファーによって結成された「グンジョウマル・レディオ」。彼らは改装したワゴンに乗り込み、日本各地のサーフスポットを巡りながら、旅先での記録を『Keep on...』という雑誌にして出版している。その誕生のきっかけとなったのは10月に訪れた北海道。すし詰めのワゴン車に乗り込み、苫小牧から東へ。襟裳岬、フンベの滝を経由しながら知床まで、2週間弱の長旅だった。
「男10人の大所帯だったので、さすがに全員で車内泊はできんくて、何人かはテント。ある日の夜は、寒すぎてサーフブーツを履いて寝ました。そんな感じの貧乏旅行だったけど楽しかった。海に入ったらアザラシに出くわしたり、見たことないくらい綺麗な夕焼けに遭遇したり、いい景色をいっぱい見られたこともいい思い出。極めつけに、帰りに寄った室蘭で生涯で一番いい波に乗れました」
大変なこともあったけれど、いい波にあたればすべて忘れられる。サーファーってアホだと思わされるけれど、アホになるから楽しめることもある
北海道斜里町の「天へと続く道」といわれる場所。男10人、安飯も安宿も、みんなで経験したら、かけがえのない思い出になった
旅の終盤、東側を走行中に撮った1枚。この辺り一帯どこもいい波が割れていた。どこで入るか悩みながらクルマを走らせる
雑誌の販売にあたり、意識したことがひとつあった。それは、“手売り”にこだわったこと。リリース当時はコロナ禍。人と人との繋がりが希薄になり、世の中が暗く澱んでいたときだ。
「感染対策を万全にして、来られる人だけに来てもらえるように呼びかけてローンチパーティをしました。それでもたくさんの人が来場してくれはったんです。僕らもこの旅を知ってもらうんじゃなしに、雑誌をきっかけに会いに来てくれた人たちと、ただ話をしたかった」
来場者の反応に自信をつけた彼らは、その後も宮崎や島根、湘南などさまざまな場所に出向くように。訪れたのは、どこもグッドスウェルで知られるサーフスポットばかり。そして、その旅の様子はもちろんVol.2以降の『Keep on...』にまとめられている。
右上から時計回りに_沖縄の旅で。急にサイズアップした無人のポイントでサーフィンを楽しんだ/『KEEP ON…』Vol.1のリリースパーティのときにみんなでサーフィン。ボードの長さも、厚さも、形もそれぞれ。みんなちがって、みんないい/定例イベント「THE DOGGIE DOOR」開催時に撮影。場所は滋賀県彦根のマーレーキッチン/北海道トリップ最初の朝、綺麗な波が割れるノーバディのポイントを発見! 極寒の夜を乗り越えた先に見つけた忘れられない景色/北海道釧路。スケートでトンネルを滑走していると「日本一の夕陽」が差し込んできた/バンドの十八番は「ロングヘアでロングライド」。偶然か必然か、メンバーの髪は押し並べて肩まで長い/瀬長島からのサンセット。旅の醍醐味はこういう風景に出逢えるところ/2023年9月、宮崎に来日していたオージーサーファー3人とセッションし、そのま数日かけて滋賀まで旅をした
photography _ Keisuke Nakamura text _ Ryoma Sato
「SALT…Magazine #01」 ¥3,300
グンジョウマル・レディオの旅のモットーは、“小さな波も幸せも、しっかりキャッチ”。時代の波に逆らうように、リアルで人と繋がり、ノンフィクションを生きる。そんな彼らの次の行き先は、果たして……。続きは本誌をチェックしてください。
TAG #GUNJOUMARU RADIO#SALT…#01#サーフトリップ#ビーチライフ
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坂口 憲二- Kenji Sakaguchi -
1975年、東京都生まれ。1999年のデビュー以来、俳優として活躍。2018年、難病の治療のため芸能活動を休止。ポートランドの旅をきっかけに焙煎士としての道を歩む。2019年春に〈ライジングサンコーヒー〉の東京店、2021年はじめに横浜・鶴見店をオープン。
難病の治療に専念するために、芸能活動を休止していた坂口憲二さんが昨年、ドラマ『教場』に出演し話題を呼んだ。現在はセカンドキャリアであるコーヒーの焙煎士を続けながら、東京・千葉・神奈川にコーヒーショップを展開する経営者だ。コーヒーに、サーフィンに、人生に。坂口さんが今の生活に思うこととはーー。
週の半分を千葉の焙煎所で過ごしながら、経営する〈ライジングサンコーヒー〉のブランドプロモーションに携わる坂口さん。東京、千葉に続き、昨年はじめにオープンした横浜・鶴見店の業績も順風満帆のようで……。
「でも、僕が決めているのは経営方針や商品開発とか、大枠だけ。現場を仕切るのは若い子たちです。お店のことは彼らに一任。鶴見店も、30代の店長にデザインから任せました。その代わり『自分たちの店だっていう自負を持てよ』と話しています」
愛用するドイツ・プロバット社製の焙煎機。「焙煎士のやりがいは、失敗も成功もローストすればそのままコーヒーの風味として出てくるところ。でも、コーヒーって淹れてしまえば色はほとんど一緒ですよね。途中の工程を手抜きしても、パッと見て素人にはわからない。だからこそウソをついたらダメ」
一方で坂口さんは、看板メニューである「アフターサーフ」や「ワイプアウト」に次ぐブレンドを開発するべく、よりよい豆の組み合わせや焙煎方法を模索中。それにしてもサーファーのコーヒーショップとはいえ、飲み物に「転倒」とはユニークだ。
「アフターサーフ」は、読んで字のごとく、“海上がりの舌”を想定してつくられた。メインはナチュラルプロセスの「ブラジル/シティ・ダ・トーレ」。そこに、香り豊かな「ケニア/ングルエリ」をアクセントで加えた。口当たりよく、ボディ感のあるテイストは、毎日飲んでいても飽きがこない
「波の上で転んだときのガツン! という衝撃を、飲みごたえのあるブレンドで表現したかったんです。スマトラ島北部のアチェ地区とリントン地区からとれたマンデリンを、生豆の状態で1:1でプレミックスして焙煎。そうすることで、より複雑な味わいに仕上がりました」
そうして生まれた「ワイプアウト」は、千葉・大網店のみならず、サーファー人口の少ない鶴見店でも一躍人気に。補足するように、坂口さんはあるエピソードを披露してくれた。
「お店を開いたばかりの頃、地元の人は恐る恐る様子を見にくるといった感じでした。でも、何人かがリピーターになったのを機に評価してくれたみたいで。今では商店街のおばちゃんが『ワイプアウトある?』って買いにきてくれます。“海から縁遠いところで、サーファー用語が飛び交う”という光景が、見ていて面白いです」
それもこれも、坂口さんの愛のある焙煎が、お客さんの心をつかんだからに他ならない。興味深い話だが、そもそも〈ライジングサンコーヒー〉のきっかけは、活動休止中、坂口さんがアメリカ・オレゴン州ポートランドを旅したこと。
「初めて訪れたときにカフェ巡りをしてみたんです。すると気づいたのは、その規模の大きさ。『これ本当にコーヒー屋なの?』という外観の、倉庫みたいなショップがあって。そこでボサボサのヒゲを生やしたおじさんや、がっつりタトゥの入ったパンクなお姉さんが、すごく丁寧にコーヒーを淹れていたんです。コーヒーが人々の生活に強く結びついている様子に強く惹かれました。と同時にその光景が、昔、サーフトリップで訪れたカリフォルニアの風景と重なったんです。『こんな感じでサーフィン前後に立ち寄れる、渋くて洒落た場所があればいいな』と」。
>>インタビューの続きは本誌でご覧ください。
愛車は“HONDA XL230”。バイクに乗っているときも、サーフィンをしているときもいつも自然体。「『やっていて心地がいいかどうか』をライフスタイルの基準にして以来、自分らしくいられている気がする」と語る
「SALT…Magazine #01」 ¥3,300
本誌では坂口憲二さんのインタビューを全文公開。アメリカから帰国してコーヒーの勉強を始め、バリスタ・ロースターの元で修行を重ね、〈ライジングサンコーヒー〉をオープン。セカンドホームでもある、千葉・九十九里での生活などを語ってくれています。
photography _ Yasuma Miura text_Ryoma Sato
TAG #SALT…#01#ビーチライフ#ライジングサンコーヒー#坂口憲二
現代の忙しい生活の中で、心身のバランスを保つことは非常に重要。アーティストとして活躍するmoriharuさんは、重度のヘルニアを経験したことをきっかけに、自分を整えるための習慣を見直しました。
今回ご紹介するのは、moriharuさんが大切にしている3つのルーティーン。朝と夜のヨガやストレッチ、旬のものを食べること、そして日記&読書タイム。これらの習慣が彼女の生活にどのような変化をもらたしているのでしょうか。
Profile
森 温 - moriharu -
1982年兵庫県生まれ。イラストレーター、シルクスクリーン作家。2021年に種子島へ移住。自然に囲まれた暮らしや、サーフィンからインスピレーションを受けて表現をし続けている。最近はサーフボードに描いたり、漂着ごみをモチーフにするなど、形にとらわれないアートを制作。
重度のヘルニアを経験したことで、体のメンテナンスの大切さを痛感しました。アート制作に夢中で姿勢が悪かったことが原因かもしれません。それ以来、朝と夜にヨガやストレッチは欠かしません。
ヨガはマインドフルネスとストレッチを両方実現できるので大好き。愛猫のトムに私の動きを観察されながら、mariko先生のYouTubeチャンネルを見て行っています。
種子島には外食できるスポットが少ないため、自然と自炊が習慣となりました。近所の物産店で旬の食材を購入し、それを中心に料理しています。旬の食材はエネルギーが豊富で、素材の旨みや甘みが楽しめるため、シンプルな味付けで十分です。
私のナイトルーティーンは寝る前に日記を書くことと読書です。日記は中学生の頃から続けており、田舎で一人暮らしをしている現在、メンタルを整えるためにも大切な時間となっています。
日記を書くことで考えや気持ちが整理され、心の中をつぶやく良い機会となります。また、読書も大好きで、母のおすすめをよく聞いています。今は江戸時代の時代劇ものを読んでいます。
「SALT…Magazine #01」 ¥3,300
本誌ではmoriharuさんが種子島へ移住したエピソードも掲載!
他にも観光ファーストではない、レスポンシブル・ツーリズムとリジェネラティブ・ツーリズムの考え方を、トータル48ページにわたって特集しています。
ぜひチェックしてみてください!
photography _ Yusuke Matsuo composition _ Ayaka Takaura
© SALT… Magazine All Rights Reserved.
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