#サーフヒストリー

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  • 創刊号の特集をピックアップ #04_THE HISTORY of SURFING(1980年代)
  • 2024.06.20

10年単位でサーフィンの歴史を振り返るTHE HISTORY of SURFING。第4回目は1980年代をピックアップ。ベトナム戦争終結後もしばらく鬱屈として重たかった'70年代の空気は'80年代になると一変、軽薄という言葉がぴったりなほど軽くなった。しかし一方では、ボードデザインやマニューバー、カルチャー、ファッション、マーケティングが急速に進歩した時代でもあった。

1981年からロングビーチでASR(アクションスポーツ・リテーラー)トレードショーが始まって以降、爆発的な第二次サーフィンブームの追い風もあってインダストリー全体が上昇気流に乗っていた。とくに大手サーフ系アパレルブランドの成長が著しい。業界を潤した巨額のマネーはコンペティションにも流れ、'80年代の初頭に比べて末には賞金額が10倍近くに増えている。

1983年、イアン・カーンズが新組織ASP(アソシエーション・オブ・サーフィン・プロフェッショナルズ)を設立し、IPSに代わってワールドツアーをオーガナイズするようになる。

ASP設立を機に、年間ツアーの最終盤にハレイワ、サンセット、パイプラインでの3つのイベントで構成されるトリプルクラウンがスタート。これはワールドチャンピオンシップに次いで栄誉あるタイトルであり、初のタイトルを手にしたのは地元ハワイのマイケル・ホーだった。

 '80年代はじめ、多くのコンペティターのあいだではツインフィンがスタンダードだった。しかしツイン神話はサイモン・アンダーソンの革新によって終わりを告げる。

'81年のツアーを3戦スキップし、スラスターの開発に勤しんだサイモン同年のケイティン・プロアマでは結果が出なかったものの、18フィートの巨大なベルズでその真価が発揮された。不安定なライディングをするツインフィン・サーファーと'70年代風のビッグターンを見せるシングルフィン・サーファーとはまったく異次元の、ドライブが効いたマニューバーを6'6"のスラスターで見せつけ、見事に優勝。続くコークコンテストでも優勝し、12月にはスワローテールの7'6"スラスター・ミニガンでパイプライン・マスターズに挑み、ここでも優勝を飾る。

 '80年代といえば、比類なきスタイリストとしてサーフィンというスポーツに多大な影響を与えたトム・カレンを忘れてはいけない。

1982年、18歳になる直前にプロに転向。翌年8位、その翌年は4位と順調にレイティングを上げ、1985年にワールドチャンピオンに輝く。1976年にサーキットが設立されて以来、ワールドタイトルを手にする初めてのアメリカ人男性サーファーとなった。翌年連覇を果たすも、その後レイティングは下降、一度ツアーから姿を消すが、再び1990年に復帰すると3度目のワールドタイトルを獲得する。

 派手な色彩と先鋭化するショートボードの世界に支配されていたように見える'80年代。しかしこの時代に、世の中から消えてなくなったと思われていたロングボードが密かに戻ってくる。

1986年、ASPにロングボード部門ができ、何の因果か20年前にロングボードにとどめを刺したナット・ヤングが初代チャンピオンとなった。彼は1990年までの5年間に4度もタイトルを手にし、リバイバル・ムーブメントをリードする立役者となる。

全文は本誌もしくは電子書籍でお楽しみください。
次回は、1990年代をピックアップします。

text_Takashi Tomita


SALT...#01「THE HISTORY of SURFING」より抜粋
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  • 創刊号の特集をピックアップ #03_THE HISTORY of SURFING(1970年代)
  • 2024.06.17

10年単位でサーフィンの歴史を振り返るTHE HISTORY of SURFING。第3回目は1970年代をピックアップ。サーフボードデザインとサーフィンの基準が定まらないまま突入した1970年代。一時期はブルーワーのミニガンかマクタビッシュのVボトムかの二択といわれていたが、多様なデザイン実験の末に、後世にも愛されるボードがこの時代に次々と誕生している。

サンディエゴのニーボーダーのスティーブ・リズは1967年にデュアルフィンでスプリットテールのフィッシュを生み出す。それがサンディエゴで独自に進化し、'70年代になるとヌヒワやジム・ブレアーズがフィッシュに乗ってコンペで優勝し一気に流行する。キャンベル・ブラザースが作った3フィンボンザーも、イアン・カーンズが1973年のスミノフ・プロアマで乗って優勝したことで、そのポテンシャルが証明された。他にもエッグをスキップ・フライが、ハルをグレッグ・リドルが、スティンガースワローをアイパがデザインし、ボードのカテゴリーは多岐にわたっていった。

また、いまでは当たり前のサーフギアもこの時代に多数発明・開発されている。

取り外しが可能なフィンシステムW.A.V.E.をトム・モーリーが開発すると、フィンの位置調整が可能なガイダンス・システムが登場し、フィンズ・アンリミテッドも同様のコンセプトのフィンボックスで1971年に特許を取得。初のサーフリーシュもこの時代の発明である。直後にリーシュプラグもコン・コルバーンによって開発される。セックスワックスやスティッキーバンプスなどが'70年代初頭に創業、ワックス市場も活況を呈した。

サーフボードデザインのバラエティ化にともない、スタイルごとにサーファーも多様化した'70年代。

ハイパフォーマンス・サーフィンといえばラリー・バートルマン、マイケル・ピーターソン、デーン・ケアロハ、パワー・サーフィンならジェフ・ハックマン、バリー・カナイアウプニ、テリー・フィッツジェラルド、チューブライディングならジェリー・ロペス、ローリー・ラッセル、ショーン・トムソンといった具合だ。

反戦運動と世界的なヒッピームーブメント、'60年代から沸き起こったさまざまな人権運動などを経て反体制的なムードがピークに達して幕を開けた'70年代は、サーファーのマインドが大きく変わった時代でもある。

ハワイのノースショアはアメリカ本土のサーファーにとっては徴兵から逃れる格好の逃避先となった。実際に野宿同然の暮らしをする者や自家菜園を持ち自給自足するサーファーも、長閑なオアフの海岸線沿いには少なからずいた。

アンチコンペの空気が漂っていた'70年代前半にも、それまでと変わらずコンテストは世界各地で開催されていた。ただそれらはずっと、異なる独立した団体により運営されていた。

1976年にサーキット形式の世界選手権プロサーフィンツアーを運営する団体IPS(インターナショナル・プロフェッショナル・サーファーズ)がフレッド・ヘミングスとランディ・ラリックにより発足する。以前からスポンサー集めに長けていてオーガナイザーとしての高い資質を持っていたヘミングスは、'70年代前半のハワイで行われる主要イベントでコンテスト・ディレクターを務めていた。

全文は本誌もしくは電子書籍でお楽しみください。
次回は、1980年代をピックアップします。

text_Takashi Tomita


SALT...#01「THE HISTORY of SURFING」より抜粋
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  • 創刊号の特集をピックアップ #02_THE HISTORY of SURFING(1960年代)
  • 2024.06.14

1950年代以前、それ以降10年単位でサーフィンの歴史を振り返るTHE HISTORY of SURFING。本誌で最も反響が高かった特集のひとつであるが、第2回目の今回は1960年代をピックアップ。歴史的に見て、'60年代はサーフィンの世界が大きな転換期を迎えた時代。’60年代初頭、サーフィンのメッカがハワイからカリフォルニアに移り始め、映画『ギジェット』の公開とともに一大ブームが到来した。

未曾有のサーフィン人気でカリフォルニアの多くのサーフブレイクは大混雑に見舞われた。マリブのラインナップの人口密度も10倍以上増加し、その大半が初心者だった。サーフィンと南カリフォルニアのビーチカルチャーを題材にしたB級映画も数多く作られ、サーフィンとサーファーに対する世間のイメージが定着する。

アメリカの新しいスポートとなったサーフィンは、サーフボードやショップに加え、ケイティンやハングテンなどのクロージングブランド、サーファー誌をはじめとする雑誌、さらにTV番組サーフズ・アップが登場した。また、波のない日にサーフィン気分を味わえる遊びとしてサードウォークサーフィン(スケートボード)が普及したのも’60年からだ。

もっとも有名なのは赤いデッキがトレードマークのローラーダービーだろう。その後ライフガードのラリー・スティーブンソンが'60年代を代表するマカハ・スケートボードを立ち上げる。初めてスケートチームを結成したのもマカハで、チームライダーにはフィル・エドワーズやマイク・ドイル、マイク・ヒンソンといった当時のホットなサーファーたちが名を連ねていたことから、スケートボードはサーファーのマストアイテムになっていく。

サーフィンが上手いだけでなく、個性が際立ったサーファーも増え始めた。いわゆる“スタイル”である。ピッグ以降のポストモダン世代のサーファーたちは確固たるスタイルでサーフィン界のスターになっていき、やがてサーフボードレーベルはそうした彼らのスター性をビジネスに利用するアイデアを思いつく。シグネチャーモデルである。

1963年、ワールドクラスのサーファーとして当時絶対的な人気を誇っていたフィル・エドワーズのモデルがホビーからリリースされる。10フィートのスリーストリンガー、クリアボランのこのモデルが業界初のシグネチャーモデルだ。これが憧れのサーフスターに近づきたい一般サーファーたちの購買意欲を大いに刺激し、大当たりする。

サーフィンがスポーツとして広く捉えられるようになると、コンペティションも盛んになる。1954年から始まったマカハ・インターナショナル・サーフィン・チャンピオンシップが最も古く、続いて1956年リマで開催されたペルー・インターナショナルが2番目に大きい。

1964年、シドニーのマンリー・ビーチで栄えある第1回ワールド・サーフィン・チャンピオンシップが開催され、ミジェット・ファレリーが優勝を飾った。翌1965年にカリフォルニアで開催されたトム・モーリー・インヴィテーショナルでは1,500ドルの賞金が用意され、このスポーツに初めて賞金システムが導入された。

‘60年代を語る上で欠かせないのがショートボード・レボリューションであり、その起源はジョージ・グリーノーだった。’60年代半ばに彼がオーストラリアに持ち込んだラディカルなカービングサーフィンとデザインコンセプトを、オーストラリアのサーフコミュニティはすぐに受け入れた。

マクタビッシュはグリーノーのニーボード「ヴェロ」をスタンドアップ・サーフィンに転換するデザインとしてVボトムを考え出す。一般的なロングボードよりも2フィート短く、1インチ薄かった。1967年の秋にデューク・カハナモク・インヴィテーショナルに招待されたマクタビッシュとヤングは、プラスティック・マシーンと命名したVボトムでサンセットの波に挑むもスピンアウトを繰り返し苦渋を舐める。ただその後、マカハとマウイのホノルアベイではVボトムが見事に本領を発揮した。ノーストリンガーならではのフレックスから、ターンで溜め込んだエネルギーを解放するときの爆発力は驚異的で、ヘビーなボトムターンからハイラインに上がるスピードはそれまでのサーフィンの常識を覆すものだった。

全文は本誌もしくは電子書籍でお楽しみください。
次回は、1970年代をピックアップします。

text_Takashi Tomita


SALT...#01「THE HISTORY of SURFING」より抜粋
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  • 創刊号の特集をピックアップ #01_THE HISTORY of SURFING(〜1950年代)
  • 2024.06.05

サブタイトル「サーフヒストリーをトリムする」と題した、黎明期からのサーフィンの歴史を紐解いた特集。普遍的なコンテンツは本誌のスタンスを示しており、なかでもヒストリーは創刊号に相応しい特集となった。ジェームス・クックの航海に乗船していた外科医、ウィリアム・アンダーソンがタヒチで波に乗る先住民を記録したストーリーから始まり、’60年代、’70年代、ラストは2000年以降と10年単位で記事は展開されています。

サーフィンは古代ポリネシアが起源というのが通説だが、少なくとも、クックらヨーロッパ人たちが目撃した18世紀には、ハワイやタヒチでポリネシアンたちが日常的に波乗りを楽しんでいたことは間違いない。さらにかつての木製の板が文化的遺産としてハワイに残されていること、実際にハワイ諸島が波の宝庫であることから、この通説は広く支持された。

古代のサーフボード、アライアやオロ、パイポが登場し、それぞれの素材や乗り味、特徴までも紹介。1900年代初頭、ジョージ・フリースによって世界に広がっていったサーフィンの話は興味深い。

1907年、ロサンゼルス~レドンド~ハンティントン鉄道の開通プロモーションの一環としてサーフィンのデモンストレーションが企画され、ハワイから呼ばれたジョージ・フリースがハンティントン・ピアで波に乗ってみせた。その後もジョージはヴェニスなど海岸沿いを旅してサーフィンとライフガードの技術を広めていった。

サーフィンの復興、世界に普及させた人物といえばデューク・カハナモク。現代サーフィンの父として知られるデュークだが、彼が1914年シドニーでサーフィンのエキシビションを行ったことで、一気に世界に広がった。これは、デュークがオリンピック金メダリストというアスリートとしての成功と名声が大いに役に立っている。

デュークが使っていたのは長さ8'6"、幅23インチ、厚さ3インチ、重さ78ポンドで、それ以前に比べて軽くて短く、より操作性に優れていたという。シドニーのフレッシュウォーター・ビーチのサーフクラブにはいまもデュークが当時乗ったとされるシュガーパインのプランクが大切に保管されている。

デュークたちハワイアンが波に乗る楽しさを体現する一方、サーフィンを体系的に論述したのが、発明家でもあるトム・ブレイクである。トムはリーシュコードやカメラ用水中ハウジングの開発から、サーフィンに関する最初の専門書「ハワイアン・サーフボード」の出版、「ポピュラー・サイエンス」誌にサーフボードの構造に関する記事を執筆している。

トムの最大の功績は、1935年にサーフボードのテール寄りのボトムにスタビライザーフィンをつけたことだろう。これによりサーファーは方向を自在に変えてボードを操ることができるようになった。それは、古来からずっと板状のものだったサーフボードのデザインに起こった大革命であり、その後のサーフィンというスポーツもしくはカルチャーの発展と飛躍に大きく影響を与えるものだった。

第二次世界対戦までサーフィンといえばハワイ・ワイキキだったが、戦後はカリフォルニアのマリブがメッカになっていく。岸まで長く乗れる波をフィールドにサーフボードのデザインや構造の実験が行われ、冷たい海でもサーフィンできるようウェットスーツが開発。そしてビジネスも芽生え始める。

1950年頃、ロサンゼルスのサウスベイ界隈ではサーフィンのビジネスが徐々に芽生え始める。デイル・ヴェルジーがマンハッタン・ビーチでサーフボードを市販し始めたのだ。ヴェルジーは'50年代半ばにはハップ・ジェイコブスと共同経営のショップ、ヴェルジー&ジェイコブスを開き、その後マリブやハワイに支店を出していく。それまでサーフボードは、ボードビルダーに直接頼んで削ってもらうものだったが、ヴェルジー以降、サーフボードはお店で買うのが当たり前になっていく。

全文は本誌もしくは電子書籍でお楽しみください。
次回は、1960年代をピックアップします。

text_Takashi Tomita


SALT...#01「THE HISTORY of SURFING」より抜粋

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