#サーフヒストリー

  • 創刊号の特集をピックアップ #06_THE HISTORY of SURFING(2000年代〜)
  • 2024.06.28

10年単位でサーフィンの歴史を振り返るTHE HISTORY of SURFING。最終回となる第6回目は、2000年代以降をピックアップ。迎えた新世紀。コンペシーンでは、ウェイン・バーソロミューがASP会長に就任すると、Jベイやチョープーなど世界中のAクラスの波でサーキット・イベントを開催するドリーム・ツアーがスタートする。

2002年からツアーに完全復帰したスレーターはアンディ・アイアンズやミック・ファニングといった好敵手と対峙しながらも、2011年までに5回もワールドタイトルを手中におさめ前人未到の記録を打ち立てる。その後はジョン・ジョン・フローレンス、ブラジリアンの連覇へと時代は移行していく。

サーフボードデザインでは多様化が進み、ショートボードの対極にオルタナティブボードが登場、ずっとスラスター一辺倒だったマーケットは賑やかになった。

2010年以降に目立ったシェイパーには、ダニエル・トムソンやヘイデン・コックスがいる。フィッシュを研究したダニエルは独自に解釈したプレーニングハル理論による革新的なデザインで注目され、ファイヤーワイヤーやスレーターのボードブランドでいくつものモデルを作っている。ヘイデンは、史上もっとも売れたといわれるオールラウンドなショートボード、ヒプト・クリプトで名を馳せた。

 フィッシュのムーブメントも機は熟していた。そこに『シードリング』の制作者トーマス・キャンベルの『スプラウト』(2004年)が公開されると、全世界でフィッシュ・ブームが爆発する。

この時期シーンで目立つ存在だったオルタナ系サーファーのなかには元コンペティターも少なくなく、彼らのサーフィンのレベルは群を抜いていた。また同じころ2度目のロングボードのワールドタイトルを獲得したジョエル・チューダーも元祖レトロボード・マニアとして、ネオクラシックに続くこのレトロ志向の流れを牽引した。こうして二極化していたショートボードとロングボードのあいだに、フィッシュを入口としたオルタナティブという大きな第三のカテゴリーが出来上がっていく。

 サーフィン業界全体の空気や潮流も21世紀に入ってから変わってきた。ひとつの大きな潮目は、パタゴニアのサーフィン界への参入だろう。

環境意識が社会へ浸透し始めた時期とも重なる。アウトドアのイメージが強かった同社だが、ファウンダーのイヴォン・シュイナードはコアなサーファーで、ブランドにはジェリー・ロペスやレラ・サン、ミッキー・ムニョスたちとのリッチなバックストーリーがあった。パタゴニアがサーファーたちの潜在的な環境意識を呼び起こすと、環境問題に向き合うことはサーファーの責務だという空気が少しずつ醸成されていく。

 2010年代以降、サーフィンは見る競技として急速に一般化する。金融危機のあおりで低迷していた大手サーフブランドとともに苦境に立っていたASPは、買収されてWSLに組織替えした。

WSLのSNSでのファン数は激増し、2017年にはWSLのデジタル・ビデオ・コンテンツがNFLとNBAに次いでアメリカで3番目にオンライン視聴されたスポーツになった。その後サーフィンは商業化したオリンピックの競技種目となって世界中の衆目にさらされていく。

どんなにサーフィンが進化し取り巻く環境が発展してビジネス化しようとも、海のリズムを捉え波のエネルギーに運ばれていくときの、サーファーだけが知っている得も言えぬ神聖な感覚は不変である。

全文は本誌もしくは電子書籍でお楽しみください。

text_Takashi Tomita


SALT...#01「THE HISTORY of SURFING」より抜粋
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  • 創刊号の特集をピックアップ #05_THE HISTORY of SURFING(1990年代)
  • 2024.06.25

10年単位でサーフィンの歴史を振り返るTHE HISTORY of SURFING。第5回目は1990年代をピックアップ。意気軒昂で高揚感に満ちていた'80年代が嘘のように、'90年代になると得体の知れない焦燥感のようなものが漂い始める。流れてくる音はひずんだグランジロック。サーファーの装いもオーバーサイズで色味は一気にアースカラーに変わった。

ロングボードの復活によって'60年代のレジンティントやピグメント、ピンラインといったカラーラミネートの技術も蘇った。美しくポリッシュされたロングボードは再び人気となり、マシーンメイドが導入された時代にハンドメイドの美学が再び脚光を浴びることとなった。

この時代はビッグウェーブ・サーフィンも再び盛り上がりをみせる。ワイメア、マーヴェリックス、ジョーズ、コルテス・バンクなどへのチャージも盛んになり、ビッグウェーバーという肩書きのプロも増えた。

'92年にはバジー・カーボックスやレアード・ハミルトン、ダリック・ドーナーらがジェットスキーで牽引し波に乗るトーイン・サーフィンを実験的に始めると、それまでパドルでは乗れなかった巨大な波にも挑めるようになる。フットストラップ付きのトーイン用の短いボードはディック・ブルーワーらによって開発が進められていく。

 '90年の主役といえばニュースクールと呼ばれる新進気鋭の勢力で、彼らはテイラー・スティールの初ビデオ作品『モメンタム』(1992年)のメインキャストであったことから、モメンタム世代とも呼ばれている。

ニュースクールのなかでも突出した存在だったのがケリー・スレーターだ。'92年、20歳にして初のワールドタイトルを史上最年少で獲得。翌年は膝の怪我もありタイトルをデレック・ホーに譲ったが、'94年~'98年までは5年連続でワールドチャンピオンの座をキープし続け、完全にワールドツアーを支配した。なかでも'95年はパイプライン・マスターズで優勝し、トリプルクラウンでも優勝、最後の最後でワールドタイトルをもぎとり、サーフィン史上初のハットトリックを達成、その後の偉業の礎を築いた。

ロキシーガールは現象だった。サーフィンの世界でこれほどセンセーショナルで一世を風靡した女性ブランドがあっただろうか。

アイコンとなったのは、ほとんどが20歳前の若いモデルたち。ロングボードでサーフィンを楽しむ彼女たちに、ハイパフォーマンスや勝ち負けといったコンペティションが内包する試練や過酷さはいっさい感じられない。彼女たちはスイムウエアにヤシの葉のハットやフラのラフィアスカートを身につけ、ダイヤモンドヘッドをバックに太陽の下で永遠に終わらない夏の波をシェアライドした。

この時代の後半に発表されたふたつの映像作品がカタルシスとなった。アンドリュー・キッドマンの『リトマス』とトーマス・キャンベルの『シードリング』だ。

両先に共通するのは、この時代に流行したプロモーション主導のビデオ作品などにはない強いメッセージ性と、静寂感のある映像と郷愁感漂うバックトラックの秀逸さ、そして何よりコンペや商業色から完全に切り離されたサーフィンの崇高さを讃える独自の世界観を持っている点である。

全文は本誌もしくは電子書籍でお楽しみください。
次回は、2000年代以降をピックアップします。

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  • 創刊号の特集をピックアップ #04_THE HISTORY of SURFING(1980年代)
  • 2024.06.20

10年単位でサーフィンの歴史を振り返るTHE HISTORY of SURFING。第4回目は1980年代をピックアップ。ベトナム戦争終結後もしばらく鬱屈として重たかった'70年代の空気は'80年代になると一変、軽薄という言葉がぴったりなほど軽くなった。しかし一方では、ボードデザインやマニューバー、カルチャー、ファッション、マーケティングが急速に進歩した時代でもあった。

1981年からロングビーチでASR(アクションスポーツ・リテーラー)トレードショーが始まって以降、爆発的な第二次サーフィンブームの追い風もあってインダストリー全体が上昇気流に乗っていた。とくに大手サーフ系アパレルブランドの成長が著しい。業界を潤した巨額のマネーはコンペティションにも流れ、'80年代の初頭に比べて末には賞金額が10倍近くに増えている。

1983年、イアン・カーンズが新組織ASP(アソシエーション・オブ・サーフィン・プロフェッショナルズ)を設立し、IPSに代わってワールドツアーをオーガナイズするようになる。

ASP設立を機に、年間ツアーの最終盤にハレイワ、サンセット、パイプラインでの3つのイベントで構成されるトリプルクラウンがスタート。これはワールドチャンピオンシップに次いで栄誉あるタイトルであり、初のタイトルを手にしたのは地元ハワイのマイケル・ホーだった。

 '80年代はじめ、多くのコンペティターのあいだではツインフィンがスタンダードだった。しかしツイン神話はサイモン・アンダーソンの革新によって終わりを告げる。

'81年のツアーを3戦スキップし、スラスターの開発に勤しんだサイモン同年のケイティン・プロアマでは結果が出なかったものの、18フィートの巨大なベルズでその真価が発揮された。不安定なライディングをするツインフィン・サーファーと'70年代風のビッグターンを見せるシングルフィン・サーファーとはまったく異次元の、ドライブが効いたマニューバーを6'6"のスラスターで見せつけ、見事に優勝。続くコークコンテストでも優勝し、12月にはスワローテールの7'6"スラスター・ミニガンでパイプライン・マスターズに挑み、ここでも優勝を飾る。

 '80年代といえば、比類なきスタイリストとしてサーフィンというスポーツに多大な影響を与えたトム・カレンを忘れてはいけない。

1982年、18歳になる直前にプロに転向。翌年8位、その翌年は4位と順調にレイティングを上げ、1985年にワールドチャンピオンに輝く。1976年にサーキットが設立されて以来、ワールドタイトルを手にする初めてのアメリカ人男性サーファーとなった。翌年連覇を果たすも、その後レイティングは下降、一度ツアーから姿を消すが、再び1990年に復帰すると3度目のワールドタイトルを獲得する。

 派手な色彩と先鋭化するショートボードの世界に支配されていたように見える'80年代。しかしこの時代に、世の中から消えてなくなったと思われていたロングボードが密かに戻ってくる。

1986年、ASPにロングボード部門ができ、何の因果か20年前にロングボードにとどめを刺したナット・ヤングが初代チャンピオンとなった。彼は1990年までの5年間に4度もタイトルを手にし、リバイバル・ムーブメントをリードする立役者となる。

全文は本誌もしくは電子書籍でお楽しみください。
次回は、1990年代をピックアップします。

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  • 創刊号の特集をピックアップ #03_THE HISTORY of SURFING(1970年代)
  • 2024.06.17

10年単位でサーフィンの歴史を振り返るTHE HISTORY of SURFING。第3回目は1970年代をピックアップ。サーフボードデザインとサーフィンの基準が定まらないまま突入した1970年代。一時期はブルーワーのミニガンかマクタビッシュのVボトムかの二択といわれていたが、多様なデザイン実験の末に、後世にも愛されるボードがこの時代に次々と誕生している。

サンディエゴのニーボーダーのスティーブ・リズは1967年にデュアルフィンでスプリットテールのフィッシュを生み出す。それがサンディエゴで独自に進化し、'70年代になるとヌヒワやジム・ブレアーズがフィッシュに乗ってコンペで優勝し一気に流行する。キャンベル・ブラザースが作った3フィンボンザーも、イアン・カーンズが1973年のスミノフ・プロアマで乗って優勝したことで、そのポテンシャルが証明された。他にもエッグをスキップ・フライが、ハルをグレッグ・リドルが、スティンガースワローをアイパがデザインし、ボードのカテゴリーは多岐にわたっていった。

また、いまでは当たり前のサーフギアもこの時代に多数発明・開発されている。

取り外しが可能なフィンシステムW.A.V.E.をトム・モーリーが開発すると、フィンの位置調整が可能なガイダンス・システムが登場し、フィンズ・アンリミテッドも同様のコンセプトのフィンボックスで1971年に特許を取得。初のサーフリーシュもこの時代の発明である。直後にリーシュプラグもコン・コルバーンによって開発される。セックスワックスやスティッキーバンプスなどが'70年代初頭に創業、ワックス市場も活況を呈した。

サーフボードデザインのバラエティ化にともない、スタイルごとにサーファーも多様化した'70年代。

ハイパフォーマンス・サーフィンといえばラリー・バートルマン、マイケル・ピーターソン、デーン・ケアロハ、パワー・サーフィンならジェフ・ハックマン、バリー・カナイアウプニ、テリー・フィッツジェラルド、チューブライディングならジェリー・ロペス、ローリー・ラッセル、ショーン・トムソンといった具合だ。

反戦運動と世界的なヒッピームーブメント、'60年代から沸き起こったさまざまな人権運動などを経て反体制的なムードがピークに達して幕を開けた'70年代は、サーファーのマインドが大きく変わった時代でもある。

ハワイのノースショアはアメリカ本土のサーファーにとっては徴兵から逃れる格好の逃避先となった。実際に野宿同然の暮らしをする者や自家菜園を持ち自給自足するサーファーも、長閑なオアフの海岸線沿いには少なからずいた。

アンチコンペの空気が漂っていた'70年代前半にも、それまでと変わらずコンテストは世界各地で開催されていた。ただそれらはずっと、異なる独立した団体により運営されていた。

1976年にサーキット形式の世界選手権プロサーフィンツアーを運営する団体IPS(インターナショナル・プロフェッショナル・サーファーズ)がフレッド・ヘミングスとランディ・ラリックにより発足する。以前からスポンサー集めに長けていてオーガナイザーとしての高い資質を持っていたヘミングスは、'70年代前半のハワイで行われる主要イベントでコンテスト・ディレクターを務めていた。

全文は本誌もしくは電子書籍でお楽しみください。
次回は、1980年代をピックアップします。

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  • 創刊号の特集をピックアップ #02_THE HISTORY of SURFING(1960年代)
  • 2024.06.14

1950年代以前、それ以降10年単位でサーフィンの歴史を振り返るTHE HISTORY of SURFING。本誌で最も反響が高かった特集のひとつであるが、第2回目の今回は1960年代をピックアップ。歴史的に見て、'60年代はサーフィンの世界が大きな転換期を迎えた時代。’60年代初頭、サーフィンのメッカがハワイからカリフォルニアに移り始め、映画『ギジェット』の公開とともに一大ブームが到来した。

未曾有のサーフィン人気でカリフォルニアの多くのサーフブレイクは大混雑に見舞われた。マリブのラインナップの人口密度も10倍以上増加し、その大半が初心者だった。サーフィンと南カリフォルニアのビーチカルチャーを題材にしたB級映画も数多く作られ、サーフィンとサーファーに対する世間のイメージが定着する。

アメリカの新しいスポートとなったサーフィンは、サーフボードやショップに加え、ケイティンやハングテンなどのクロージングブランド、サーファー誌をはじめとする雑誌、さらにTV番組サーフズ・アップが登場した。また、波のない日にサーフィン気分を味わえる遊びとしてサードウォークサーフィン(スケートボード)が普及したのも’60年からだ。

もっとも有名なのは赤いデッキがトレードマークのローラーダービーだろう。その後ライフガードのラリー・スティーブンソンが'60年代を代表するマカハ・スケートボードを立ち上げる。初めてスケートチームを結成したのもマカハで、チームライダーにはフィル・エドワーズやマイク・ドイル、マイク・ヒンソンといった当時のホットなサーファーたちが名を連ねていたことから、スケートボードはサーファーのマストアイテムになっていく。

サーフィンが上手いだけでなく、個性が際立ったサーファーも増え始めた。いわゆる“スタイル”である。ピッグ以降のポストモダン世代のサーファーたちは確固たるスタイルでサーフィン界のスターになっていき、やがてサーフボードレーベルはそうした彼らのスター性をビジネスに利用するアイデアを思いつく。シグネチャーモデルである。

1963年、ワールドクラスのサーファーとして当時絶対的な人気を誇っていたフィル・エドワーズのモデルがホビーからリリースされる。10フィートのスリーストリンガー、クリアボランのこのモデルが業界初のシグネチャーモデルだ。これが憧れのサーフスターに近づきたい一般サーファーたちの購買意欲を大いに刺激し、大当たりする。

サーフィンがスポーツとして広く捉えられるようになると、コンペティションも盛んになる。1954年から始まったマカハ・インターナショナル・サーフィン・チャンピオンシップが最も古く、続いて1956年リマで開催されたペルー・インターナショナルが2番目に大きい。

1964年、シドニーのマンリー・ビーチで栄えある第1回ワールド・サーフィン・チャンピオンシップが開催され、ミジェット・ファレリーが優勝を飾った。翌1965年にカリフォルニアで開催されたトム・モーリー・インヴィテーショナルでは1,500ドルの賞金が用意され、このスポーツに初めて賞金システムが導入された。

‘60年代を語る上で欠かせないのがショートボード・レボリューションであり、その起源はジョージ・グリーノーだった。’60年代半ばに彼がオーストラリアに持ち込んだラディカルなカービングサーフィンとデザインコンセプトを、オーストラリアのサーフコミュニティはすぐに受け入れた。

マクタビッシュはグリーノーのニーボード「ヴェロ」をスタンドアップ・サーフィンに転換するデザインとしてVボトムを考え出す。一般的なロングボードよりも2フィート短く、1インチ薄かった。1967年の秋にデューク・カハナモク・インヴィテーショナルに招待されたマクタビッシュとヤングは、プラスティック・マシーンと命名したVボトムでサンセットの波に挑むもスピンアウトを繰り返し苦渋を舐める。ただその後、マカハとマウイのホノルアベイではVボトムが見事に本領を発揮した。ノーストリンガーならではのフレックスから、ターンで溜め込んだエネルギーを解放するときの爆発力は驚異的で、ヘビーなボトムターンからハイラインに上がるスピードはそれまでのサーフィンの常識を覆すものだった。

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  • 創刊号の特集をピックアップ #01_THE HISTORY of SURFING(〜1950年代)
  • 2024.06.05

サブタイトル「サーフヒストリーをトリムする」と題した、黎明期からのサーフィンの歴史を紐解いた特集。普遍的なコンテンツは本誌のスタンスを示しており、なかでもヒストリーは創刊号に相応しい特集となった。ジェームス・クックの航海に乗船していた外科医、ウィリアム・アンダーソンがタヒチで波に乗る先住民を記録したストーリーから始まり、’60年代、’70年代、ラストは2000年以降と10年単位で記事は展開されています。

サーフィンは古代ポリネシアが起源というのが通説だが、少なくとも、クックらヨーロッパ人たちが目撃した18世紀には、ハワイやタヒチでポリネシアンたちが日常的に波乗りを楽しんでいたことは間違いない。さらにかつての木製の板が文化的遺産としてハワイに残されていること、実際にハワイ諸島が波の宝庫であることから、この通説は広く支持された。

古代のサーフボード、アライアやオロ、パイポが登場し、それぞれの素材や乗り味、特徴までも紹介。1900年代初頭、ジョージ・フリースによって世界に広がっていったサーフィンの話は興味深い。

1907年、ロサンゼルス~レドンド~ハンティントン鉄道の開通プロモーションの一環としてサーフィンのデモンストレーションが企画され、ハワイから呼ばれたジョージ・フリースがハンティントン・ピアで波に乗ってみせた。その後もジョージはヴェニスなど海岸沿いを旅してサーフィンとライフガードの技術を広めていった。

サーフィンの復興、世界に普及させた人物といえばデューク・カハナモク。現代サーフィンの父として知られるデュークだが、彼が1914年シドニーでサーフィンのエキシビションを行ったことで、一気に世界に広がった。これは、デュークがオリンピック金メダリストというアスリートとしての成功と名声が大いに役に立っている。

デュークが使っていたのは長さ8'6"、幅23インチ、厚さ3インチ、重さ78ポンドで、それ以前に比べて軽くて短く、より操作性に優れていたという。シドニーのフレッシュウォーター・ビーチのサーフクラブにはいまもデュークが当時乗ったとされるシュガーパインのプランクが大切に保管されている。

デュークたちハワイアンが波に乗る楽しさを体現する一方、サーフィンを体系的に論述したのが、発明家でもあるトム・ブレイクである。トムはリーシュコードやカメラ用水中ハウジングの開発から、サーフィンに関する最初の専門書「ハワイアン・サーフボード」の出版、「ポピュラー・サイエンス」誌にサーフボードの構造に関する記事を執筆している。

トムの最大の功績は、1935年にサーフボードのテール寄りのボトムにスタビライザーフィンをつけたことだろう。これによりサーファーは方向を自在に変えてボードを操ることができるようになった。それは、古来からずっと板状のものだったサーフボードのデザインに起こった大革命であり、その後のサーフィンというスポーツもしくはカルチャーの発展と飛躍に大きく影響を与えるものだった。

第二次世界対戦までサーフィンといえばハワイ・ワイキキだったが、戦後はカリフォルニアのマリブがメッカになっていく。岸まで長く乗れる波をフィールドにサーフボードのデザインや構造の実験が行われ、冷たい海でもサーフィンできるようウェットスーツが開発。そしてビジネスも芽生え始める。

1950年頃、ロサンゼルスのサウスベイ界隈ではサーフィンのビジネスが徐々に芽生え始める。デイル・ヴェルジーがマンハッタン・ビーチでサーフボードを市販し始めたのだ。ヴェルジーは'50年代半ばにはハップ・ジェイコブスと共同経営のショップ、ヴェルジー&ジェイコブスを開き、その後マリブやハワイに支店を出していく。それまでサーフボードは、ボードビルダーに直接頼んで削ってもらうものだったが、ヴェルジー以降、サーフボードはお店で買うのが当たり前になっていく。

全文は本誌もしくは電子書籍でお楽しみください。
次回は、1960年代をピックアップします。

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