#Andrew Kidman

  • 【特集】SURF MUSIC makes us "SALTY" #13 -抱井保徳コラム:サーフミュージック「NEIL YOUNG」-
  • 2025.03.10

海と対峙するとき、音楽は円滑油のような効果を発揮する。サーフィンと音楽が絡み合い起こる化学反応。多くの先人たちの言葉を交え時空に綴れ織りを描くとき、サーファーとダンスの関係が見えてくる。


サマー・オブ1973。時空の旅人が到達したポジション

 自分にはサーフミュージックなんて1968年まで存在してなかった。それ以前、5才上の兄がビーチボーイズの音楽付きサーフィン動画番組を観ていたのは覚えているが、サーフィンを始めた頃はまだ、グループサウンズや作詞家先生が作詞して作曲家先生が作曲、それをプロの歌手が立派に謳いあげる……だったような気がする。だからサーフィンと出合い物心がついてくると、サーフィンの影にはカーペンターズの「クロース・トゥ・ユー」や、サイモン&ガーファンクルの一連のヒット曲がつきまとっていた。けど、それって全然サーフミュージックなんかじゃない。だいたい洋楽はトランジスタラジオで聴くみのもんたの「カム・トゥギャザー」って番組が頼りで、進駐軍放送(FEN)は北京放送の電波妨害のせいか、千葉の漁師町には素直に入ってこなかった。だからどうしても音楽の嗜好や指向の選択肢は限られていたのだ。それが1971年、15歳の春に地元の漁師町からサーフィンの本場、安房鴨川のサーフィン文化に飛び込むと、すぐにサーフィンに欠かせない音楽があることを知った。当時鴨川でサーフィンをしていた鴨川少年団に、サンタナを教え込まれたのだ。曲は「Oye Como Va/僕のリズムを聞いとくれ」。連中はまだ13歳の中学生のくせして、(4行しかないけど)その歌詞を諳んじていた。

 '71年の初夏、鴨川にNONKEYサーフショップが誕生し、いろんなサーファーが集まって来ていた。音楽もレコード盤という形で入ってきて、鴨川少年団はもろにその洗礼を受けた。その洗礼を浴びせたのが、オーナーの野村アキラさんだった。鴨川のサーフショップには、冬の暗黒時間を生き残るための道具ギターが置いてあって、アキラさんはそこでボブ・ディランなんかを弾いていた。アキラさんはサーフィンのスタイルからして恰好いい。ちょっと無茶なところもあるけど、少年団には優しいし、なによりパッチワークのジーンズを穿いていた。そのパッチワーク・ジーンズの出どころがニール・ヤングだった。

「4 way streetのジャケットの端っこに、幽霊みたいなのがいるだろう? あれがニール・ヤングだよ」だから自分も'73年の全日本サーフィン選手権には、パッチワークのジーンズで出かけた。もっとも自分のジーンズはほころびだらけで、パッチワークなしでは穿けなかったのだ。当時ミッキー川井さんの奥様がチャンズリーフというサーフィン用のトランクスを作っていて、そこで余った生地をいくらでももらえた。それを持って帰り、空中分解寸前のジーンズに縫い付けパッチワークとした。仕上がったジーンズを目にした野村さんに「おめえ、それで外に出るなよ」と言われたけど、他に穿くものがなかったので、そのまま大会会場の銚子・君ヶ浜に向かった。全日本に連れて行ってくれたのは鴨川の先輩、香取のカッちゃん。クルマは丸っこいホンダシビック、カーステにはニール・ヤングの「ハーベスト」のカセットがすでに入っていた。なにしろ世界の流行が遅れていっぺんに入ってくるので、「アフター・ザ・ゴールドラッシュ」も「ハーベスト」もほぼ同時期に聴くことができた。その2枚以前のニール・ヤングについての知識は皆無。CSN&Y(クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング)だって、アキラさんの話だけでしか知らない存在だった。

 ニール・ヤングの音楽は、'73年のサーファーに自然と受け入れられていた。自分もそう。なんか雰囲気がいい。「ハーベスト」のジャケットもいいな~と感じた。いま聴くと困ってしまうような曲もあるけど、当時はこの次はこの曲と、全部が必要だった。なかでも「ハート・オブ・ゴールド」は開放弦のコードが多く、身近な感じではまった。でも音痴な人間にとって、出だしのアイウォナリブ~の“リブ~”の音階が全然わからなくて、サーフィンの波待ちの最中に大声で練習した。なにしろ平日の昼間は人がいないことが多かったので、気の済むまで練習できた。

 その後マイナーな日本のサーフィン時代が終わっていくのと同時に、ニール・ヤングを聴くのもやめた。SURFER誌の広告で見た新譜のオン・ザ・ビーチもいいかな? と期待したけど、わかったのはサーフィンを取り巻く環境も含め、誰も'73年のままではなくなっていたってゆうこと。だから自分が聴くニール・ヤングは、2枚のアルバムだけ。もっとも現在、その全部を好んで聴けるわけではないけど、「テル・ミー・ホワイ」や「アウト・オン・ザ・ウィークエンド」はオールタイム、逆に言えばそれ以外の曲はもう聴かないってことか? そんなんで自分から聴きはしないけど、今でも不意に「ハート・オブ・ゴールド」が流れてくると、瞬時に'73年の自分に引き戻される。

 あのアルバムが発売された時期は知らないけど、'73年の夏、ニール・ヤングの音楽で過ごすことができたのは、なんて言うか……。銚子のピーナツ畑の自動販売機でハイシー(オレンジ味飲料)を買って、香取のカッちゃんのシビックに戻ったとき、ちょうど「ハーベスト」が流れていた。その数時間前に全日本のジュニアクラスで優勝したばかりだったし、サーファーとしてこれ以上の人生があるなんて、とうてい考えられなかった。まだ“old enough to repay”でも“young enough to sell”でもなかったのだから。


【Profile】
抱井保徳
1956年南房総出身、現在は稲村ケ崎在住。日本のプロサーフィン黎明期から数多くのタイトルをショートとロングで獲得する一方、ウィンドサーフィンやSUPから木片、ボディサーフィンまで美しく波に乗る。日本を代表する名シェイパーでもある。

【SURF MUSIC makes us "SALTY"バックナンバー】
#01 -潮騒香る音楽に身を委ね踊るとき-
#02 -ショートボード革命とサイケデリックサウンドの相関図-
#03 -世界中で無限の変貌を遂げ始めたフラワーチルドレンの種-
#04 -制限なき選択ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド-
#05 -サーファーだけが知るアンダーグラウンドという美学-
#06 -コラム:DICK DALE/ヘビー“ウェット”ギターサウンズ-
#07 -コラム:KALAPANA/アイランド“クール”ブリージング-
#08 -コラム:CALIFORNIA BLUE/西海岸からの潮風-
#09 -コラム:REBEL MUSIC/反骨心の魂を追う、サーフミュージックの側面-
#10 -コラム:SURFER' S DISCO & AOR/サーファーズ・ディスコとAOR-
#11 -コラム:ON THE RADIO/そこでしか聴けない音楽が、サーファーを魅了する-
#12 -アンドリュー・キッドマンが語るサーフミュージック-



>>特集の続きは本誌でご覧ください。

「SALT…Magazine #01」 ¥3,300

本誌では24ページにわたってSURF MUSICを特集。“サーフィンと音楽”の蜜月関係から、アンドリュー・キッドマンのインタビュー、抱井保徳さんのコラムなど掲載。潮の香りをまとったソルティな音楽は、サーフィンライフを豊かにしてくれる。


photography _ Aition

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  • 【特集】SURF MUSIC makes us "SALTY" #12 -アンドリュー・キッドマンが語るサーフミュージック-
  • 2025.01.23

海と対峙するとき、音楽は円滑油のような効果を発揮する。サーフィンと音楽が絡み合い起こる化学反応。多くの先人たちの言葉を交え時空に綴れ織りを描くとき、サーファーとダンスの関係が見えてくる。


'80年代以前のサーフィン映画は、音楽使用に関して自由だった。著作権も関係なく、多くの監督たちは自分好みの楽曲を言わば勝手に使っていた。'80年代に入ると「サーフィン映画だけが特例なのはおかしい」と著作権協会が目を光らせるようになり、楽曲使用料が徴収されるようになる。'70年代はジミ・ヘンドリックス、クリーム、サンタナとやりたい放題だったが、'80年を境に一変した。1976年ホール&マッコイ作の『チュブラー・スウェウルズ』に使用されている楽曲は、100万枚セールスを記録するバンドのオンパレードだったが、'81年の『ストームライダース』ではオープニングのドアーズ「ライダーズ・オン・ザ・スートーム」を除き全曲が自国オーストラリアのバンドで構成されている。理由はプロモーション契約を結び、楽曲を無料で提供してもらえたから。音楽使用に関する著作権は劇場公開、テレビ、ビデオなど使用用途で金額が異なっていた。テイラー・スティールの『モーメンタム』はビデオオンリーのため金額が低く、グリーン・デイ、オフスプリング、ペニー・ワイズ、バッド・レリジョン、スプラング・モンキーなど当時の人気バンドを使用できた。つまり劇場公開しない限り安価に使用できたわけだ。

サーフムービーは、波とサーファー、映画そのもののコンセプトが最も重要だが、同時に映像と音楽のマッチングの高さも完成度に比例する。シドニー・ニューポートビーチの鬼才アンドリュー・キッドマン(現在はバイロン在住)は、おそらく誰よりも音楽にこだわりをもつアーティストであろう。1997年にリリースされた『リトマス』は、ショートボード一辺倒のサーフシーンに終止符を打った。スキップ・フライのフィッシュでジェフリーズベイのハイラインを走るデレク・ハインド、シングルフィン・ノーリーシュでフリーサーフィンを享受するトム・カレン、チューリップテールでリトルアバロンのチューブをメイクするガス・ディケンソン。当時は映像が粗く、ドラッグシーンなど問題が多すぎるとサーフショップでの販売すら拒否されたが、数年後に世界で最も影響を与えたサーフムービーとなる。


サーフムービーは、サーフミュージックを反映するアートだ

SALT...(以下、S)_ サーフィンと音楽の関係とは?
Andrew Kidman(以下、A)_ どちらも自然に発生する創造物で、音の波長と海の波長に対する反応だと思う。音に乗るのも波に乗るのも同じ喜びだ。どちらも正しく調律されるように、常日頃から訓練を積むべきだと思う。それが創造力の源だ。

S _ フィルム用に曲を作ることは?
A _ 現実には今まではなかった。シンプルに作詞作曲する喜びから曲作りをしていた。映像をイメージしながらしたことはない。でもそれは面白いアイデアだと思うし、近い将来実践してみたい。

S _ 質問は重なりますが、撮影の前か後に音楽をイメージすることは?
A _ 確かにどちらのケースもある。ときに予測していないことが起きることもある。作詞作曲をして、それに合うフィルムを撮影することもある。逆のケースもあり、撮影したフッテージを映画の一部に使用するために音楽をレコーディングすることもある。自分の中でこれといった決め事はしていない。

S _ なぜ音楽にこだわり続けるのか? アンドリュー以外、自ら作詞作曲し、歌い、演奏するフィルムメーカを知らない。
A _ うーん、私にとって音楽がすべてで、追及してもキリがないほど繊細かつ無限だ。その効果は果てしないと思う。映像を観る人たちは音楽によって印象が変わってくる。私は視覚的要素と聴覚的要素を結合することに、ずっとこだわり続けている。

S _ あなた以外のフィルムメーカーは、既存の音楽を使用するのが常です。DVDが普及する前に『リトマス』はビデオテープとCDのセットで販売されていました。ビデオだけ欲しい、CDだけが欲しいという人もいたと思うが。
A _ 映像を強く印象づけるために音楽は重要だし、音楽を聴いて映像を思い起こすことも大切だ。だからセットで販売した。私は自分の音楽を聴いてもらいたいし、場合によってはすでにある音楽を使用することもある。理由はそれ以上の作品を創り出せないからだ。映像とこれ以上のシンクロはないという曲がある。例えば『グラスラブ』のオープニング、キャット・パワーの歌は完璧だ。無垢で魔法のような詩、この作品がなければフィルムは成功しなかった。運命の出合いと言える。

S _ 映画『ホットバタード・ソウル』のサウンドトラックを担当されていますが、演奏はすべてインプロビゼーション(即効演奏)だったそうだが?
A _ その通り、大きなスクリーンに映し出された映像を観ながら、すべてその場で創り出された。もちろんある程度のリハーサルはした。リーダーはティム・ゲイズ、彼は『モーニング・オブ・ジ・アース』をはじめ『エボリューション』や『シー・オブ・ジョイ』など数多くのサーフムービーの音楽を担当するするマスターだ。彼はミュージシャン全員に言葉では言い表せない精神的影響を与えた。全員が全員の音を聴きながらグルーブしあった。私は普段座りながらリズムギターを刻むが、マスターの演奏に合わせ、次にどう弾くのか予想しながらテンポや強弱を付けた。まるでサーフィンするかのように演奏した。

S _ ところで『リトマス』のデレク・ハインドのシーンで使用されているバンド、ギャラクシー500、それに『グラスラブ』のキャット・パワーを選んだ理由は?
A _ ギャラクシー500はデレクが教えてくれた。それまでは知らなかったが、凄いバンドだ。まるで現代のヴェルヴェット・アンダーグラウンドだ。キャットは何度も何度もライブを観ていた、大好きな女性シンガーだ。私にとってサーフミュージックは、カントリーミュージックのようなものだ。たくさんのバリエーションがある。中には身の毛のよだつようなものもある。ジョージ・グリーノーの『クリスタル・ボヤージャ』で使用されているピンク・フロイドの「エコーズ」の1曲のみで全22分のパートは、完璧だ。全く真逆だけれどウィーリー・ネルソンの「レッド・ヘデッド・ストレンジャー」は私にとってサーフカントリミュージックの原点だ。音楽とサーフィンは、どちらも波、その波長にチューンすることが大切さ。

【Profile】
アンドリュー・キッドマン
若くして豪サーフィンライフ誌の編集長になるが、コンペシーンに嫌気がさして辞職。その後オルタナティブボードにスポットを当てた映画『リトマス』を発表。写真家、版画家、シンガーソングライター、シェイパーとして才能を発揮している。

【SURF MUSIC makes us "SALTY"バックナンバー】
#01 -潮騒香る音楽に身を委ね踊るとき-
#02 -ショートボード革命とサイケデリックサウンドの相関図-
#03 -世界中で無限の変貌を遂げ始めたフラワーチルドレンの種-
#04 -制限なき選択ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド-
#05 -サーファーだけが知るアンダーグラウンドという美学-
#06 -コラム:DICK DALE/ヘビー“ウェット”ギターサウンズ-
#07 -コラム:KALAPANA/アイランド“クール”ブリージング-
#08 -コラム:CALIFORNIA BLUE/西海岸からの潮風-
#09 -コラム:REBEL MUSIC/反骨心の魂を追う、サーフミュージックの側面-
#10 -コラム:SURFER' S DISCO & AOR/サーファーズ・ディスコとAOR-
#11 -コラム:ON THE RADIO/そこでしか聴けない音楽が、サーファーを魅了する-


>>特集の続きは本誌でご覧ください。

「SALT…Magazine #01」 ¥3,300

本誌では24ページにわたってSURF MUSICを特集。“サーフィンと音楽”の蜜月関係から、アンドリュー・キッドマンのインタビュー、抱井保徳さんのコラムなど掲載。潮の香りをまとったソルティな音楽は、サーフィンライフを豊かにしてくれる。


photography _ Andrew Kidman

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