10年単位でサーフィンの歴史を振り返るTHE HISTORY of SURFING。第5回目は1990年代をピックアップ。意気軒昂で高揚感に満ちていた'80年代が嘘のように、'90年代になると得体の知れない焦燥感のようなものが漂い始める。流れてくる音はひずんだグランジロック。サーファーの装いもオーバーサイズで色味は一気にアースカラーに変わった。
ロングボードの復活によって'60年代のレジンティントやピグメント、ピンラインといったカラーラミネートの技術も蘇った。美しくポリッシュされたロングボードは再び人気となり、マシーンメイドが導入された時代にハンドメイドの美学が再び脚光を浴びることとなった。
この時代はビッグウェーブ・サーフィンも再び盛り上がりをみせる。ワイメア、マーヴェリックス、ジョーズ、コルテス・バンクなどへのチャージも盛んになり、ビッグウェーバーという肩書きのプロも増えた。
'92年にはバジー・カーボックスやレアード・ハミルトン、ダリック・ドーナーらがジェットスキーで牽引し波に乗るトーイン・サーフィンを実験的に始めると、それまでパドルでは乗れなかった巨大な波にも挑めるようになる。フットストラップ付きのトーイン用の短いボードはディック・ブルーワーらによって開発が進められていく。
'90年の主役といえばニュースクールと呼ばれる新進気鋭の勢力で、彼らはテイラー・スティールの初ビデオ作品『モメンタム』(1992年)のメインキャストであったことから、モメンタム世代とも呼ばれている。
ニュースクールのなかでも突出した存在だったのがケリー・スレーターだ。'92年、20歳にして初のワールドタイトルを史上最年少で獲得。翌年は膝の怪我もありタイトルをデレック・ホーに譲ったが、'94年~'98年までは5年連続でワールドチャンピオンの座をキープし続け、完全にワールドツアーを支配した。なかでも'95年はパイプライン・マスターズで優勝し、トリプルクラウンでも優勝、最後の最後でワールドタイトルをもぎとり、サーフィン史上初のハットトリックを達成、その後の偉業の礎を築いた。
ロキシーガールは現象だった。サーフィンの世界でこれほどセンセーショナルで一世を風靡した女性ブランドがあっただろうか。
アイコンとなったのは、ほとんどが20歳前の若いモデルたち。ロングボードでサーフィンを楽しむ彼女たちに、ハイパフォーマンスや勝ち負けといったコンペティションが内包する試練や過酷さはいっさい感じられない。彼女たちはスイムウエアにヤシの葉のハットやフラのラフィアスカートを身につけ、ダイヤモンドヘッドをバックに太陽の下で永遠に終わらない夏の波をシェアライドした。
この時代の後半に発表されたふたつの映像作品がカタルシスとなった。アンドリュー・キッドマンの『リトマス』とトーマス・キャンベルの『シードリング』だ。
両先に共通するのは、この時代に流行したプロモーション主導のビデオ作品などにはない強いメッセージ性と、静寂感のある映像と郷愁感漂うバックトラックの秀逸さ、そして何よりコンペや商業色から完全に切り離されたサーフィンの崇高さを讃える独自の世界観を持っている点である。
全文は本誌もしくは電子書籍でお楽しみください。
次回は、2000年代以降をピックアップします。
text_Takashi Tomita
SALT...#01「THE HISTORY of SURFING」より抜粋
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