#宮城和真

  • 沖縄のプロサーファー兄妹、宮城和真と有沙。島人(しまんちゅ)に受け継がれるこころ
  • 2024.12.09

あたたかい海に囲まれた南の島、沖縄には1年中波がある。そして、自然のリズムに寄り添ったサーフカルチャーが根付いている。沖縄生まれの兄妹プロサーファー、宮城和真と有沙。島人(しまんちゅ)に受け継がれる心を胸に、2人仲良く歩みを進める。


沖縄には、月の満ち欠けで時を刻む旧暦の文化が今も息づく。猛烈な台風や熱暑という過酷な自然条件が大きな理由。島人が安全に漁や農耕を行うために、潮の満ち引きや作付け・収穫の時期を計れる旧暦はなくてはならないものなのだ。その影響はサーファーたちにも色濃い。沖縄特有のサーフィンについて、宮城和真はこう話す。

「1日の中でサーフタイムが決まっているんです。満潮の前後2時間が基本とされています」

 島のサーフポイントはリーフブレイクのみ。水深が浅いため、干潮時はサンゴ礁が剥き出しになってしまう。それゆえ、月のリズムに呼応した行動が必要なのである。和真の妹・有沙はサーフィンをするにあたって、「気をつけなさい」と父親からよく注意を受けていたという。

「サンゴで怪我をすると跡が残っちゃう。“オキナワンタトゥ”と沖縄のサーファーは言います。子どものころは、ちょっと怖かったですね」

 とはいえ、潮、うねり、風のタイミングを見計らえば波は極上。周囲に点在するピークから好みの場所を選んで、楽しいサーフタイムを1年中満喫できる。あたたかい海水の透明度は抜群。波待ちをする足もとにはサンゴの森が広がり、カラフルな熱帯魚が泳ぐ。南の島、沖縄の青く美しい海での波乗りは格別だ。

 和真と有沙の両親はサーファー。父・豊和さんは北谷町(ちゃたんちょう)で『ハードリーフ』という名のバー&サーフショップを営み、沖縄サーフライダー連盟の理事長を務めていた。そんな恵まれた環境のもとで育った2人は、ともに若くしてプロサーファーの道を歩む。だが、島でのサーフィンの楽しみ方はそれぞれ違う。

「和真はいろんな波を探して入る。すごく攻める感じ。でも私は、人の少ないところでのんびりやっています。みんなと時間をずらして、めちゃくちゃ浅いときに入ったり」と、大人になった有沙は笑う。

 和真の行動範囲は沖縄本島だけにとどまらない。その日のベストウェーブを求めて、大小さまざまな離島まで足を伸ばす。

「波が上がれば、飛行機や船に乗って出かけます。沖縄本島とは違って島が狭い分、地形の角が多い。そこにうねりがラップしてきれいに入ってくる。だから本島では味わえないロングウォールの波もあるんです」

「プロツアーで優勝することが目標。プロの大会の優勝トロフィを沖縄に持ち帰った人がまだいないんです。それをぜったいに叶えたい」©Naoya Kimoto

このように、沖縄のサーフィンはとても多様だ。胸が高鳴るようなチャレンジもできるし、メローになごむこともできる。離島も含めて、無数に存在するグッドウェーブ。なかでも島のサーファーたちにひときわ愛されているサーフポイントがある。それは、和真と有沙が暮らす北谷町にある『砂辺』。2人のホームであり、沖縄のサーファーたちのステージだ。米軍基地がすぐそばにあり、海辺の遊歩道に沿って多国籍なお店が立ち並ぶ。海岸線に低めに設置された防波堤は座って海を眺めるのにうってつけ。砂辺はサーファーのみならず、沖縄に暮らす人々みんなが愛してやまない海なのだと有沙が教えてくれた。

「サーフィンをしない友人は夕陽を見ながらゆっくりしていて、私は波に乗る。スケートパークもあるし、子供連れの家族が過ごせるスペースもある。違うことをしていても、同じ海での時間を誰もが一緒に楽しめるんです。その雰囲気がすごくいい」

 和真はこう続ける。

「サーファーと、海を見に来るギャラリーとの距離が沖縄で一番近い。そして、サンセットサーフが沖縄で最も気持ちいい。ピークの延長線上にきれいに太陽が落ちていくんですが、日本一の夕陽だと思っています」


 最近、2人を取り巻く環境の変化は目まぐるしい。深い悲しみもあった。沖縄のサーフシーンの中心的役割を果たしていた父・豊和さんが急逝したのだ。

「お父さんはみんなを照らす太陽のような存在でした。サーフィンをテーマに人と人とを繋げていく。一緒に波乗りをしたり、お酒を飲んだりして繋げていく。その偉大さをすごく感じています」と和真は父なき今の心境を語る。いっぽう有沙は「『楽しそうだな』ってずっと思ってました」と懐かしそうに振り返る。

「サーファーにもサーフィンをやらない人にも『プロサーファーの宮城有紗だよね』って知ってもらえるような、格好いい存在になりたいです」©Hitoshi Onaga

「でも、なんでも引き受けすぎだった。全部イエスでノーがない。悪いことではないけれど、それで『どうしよう、どうしよう』ってなって、私たちが八つ当たりされたり(笑)。だけど、それがお父さんのいいところだったなって思う」

 ここ数年で沖縄を訪れる旅行者がいちだんと多くなった。SNSの発達によって島の美しい海の写真が世界中に拡散されたことが最大の要因だ。加えて、働き方の自由度が高まったコロナ禍を機に移住者も増加。そうして沖縄でサーフィンをする人がいっきに増えた。この変化に対し、ハードリーフを窓口に兄妹はアクションを起した。サーフィンのガイドツアーを始めた和真の考えは明るい。

「サーファーが増えれば、トラブルも増える。そうすると“沖縄のサーファー”というひとくくりで印象が悪くなる。だから本土から来る方にサーフタイムのことなど沖縄でのサーフィンのルールを伝えて、ローカルの方とちゃんと繋げて、みんなが楽しめるようにやっていく。そうすれば、環境をよりよくできるチャンスなのかなと思って」

 有沙も兄と志を同じく、初心者に向けたスクールをメインに活動。そして、“沖縄の子たちの憧れになれたらうれしい”と自分を磨く。

 たんなるサーフィンの楽しみを超えて、地元の文化と自然との調和を象徴する宮城兄妹の物語。人々と絆を深め、海の恵みを分かち合う。そのあたたかい心にこそ、沖縄ならではのサーフィンの魅力が宿っている。

宮城 和真
1999年7月6日生まれ。2017年、沖縄初の高校生プロサーファーとしてプロデビュー。国内外のコンテストを回りながら、父親から受け継いだバー&サーフショップ、ハードリーフを営み、沖縄のサーフシーンを盛り立てる。


宮城 有沙
2000年6月22日生まれ。2019年、JPSAプロテストに合格。沖縄県初の女性プロサーファーとして、ウィメンズサーフィン界のアイコンとなるべく腕を磨く。兄・和真とともにコンテストに参戦、そしてハードリーフを支える。

SALT...#02より抜粋

「SALT…Magazine #02」 ¥550
SALT…#02は待望のタブロイド版!沖縄に根付く“自然に寄り添う”のではなく“共に生きる”というマインド。
SALT…ならではの視点で新しい沖縄の魅力をトータル24ページにわたってお届けします!

photography _ Atsushi Sugimoto text _ Jun Takahashi 

TAG ####