海と繋がり、自分の中の好きや小さなときめき、そしていい波を追い求めてクリエイティブに生きる世界中の人々、“Ocean People”を紹介する連載企画。彼らの人生を変えた1本の波、旅先での偶然な出会い、ライフストーリーをお届けします。

Profile
Ben Roose ベン・ルース
ベルギー生まれ。24歳でインドネシアを訪れたことをきっかけにサーフィンと出合い、人生が大きく変わる。その後、父との別れや事業の失敗など人生のどん底を経験するも、メンタワイ諸島へ移住。ジャングルを自ら切り拓き、手づくりでサーフキャンプ「Driftwood」を築き上げた。
あなたのことについて教えて
生まれ育ちはベルギー。自然はそれほど多くなく、海岸線もほんのわずかしかない国。サーフィンはできるけれど、水は驚くほど冷たい。もともとはスノーボードばかりしていて、世界中の冬を追いかけるように旅をしていた。24歳の頃、友人に「インドネシアへ行こう」と誘われて、軽い気持ちでサーフィンを始めてみた。ところが、一度波に乗ったら完全に夢中になってしまい、気づけばスノーボードよりサーフィンをしている時間のほうがずっと長くなっていた。
決して早いスタートではなかったけれど、人生を変えるには十分だったと思う。海に入ると、自然との距離がぐっと近くなる。サーフィンのおかげで出会えた人も、経験も、そのすべてが今の僕をつくってくれたと思う。
メンタワイとの出合い
インドネシアへ来る数年前、スイスの山で小さなフードトラックを始めた。仕事は楽しかった。でも心のどこかでは、「もっと違う人生があるはずだ」と感じていた。二度目にインドネシアを訪れたとき、いろいろな島を巡りながら、「いつか自分の居場所をつくりたい」とぼんやり考えるようになっていた。ただ、その頃は夢を実現できるようなお金なんてなかった。
そんなとき、友人から「メンタワイへ行ってみたら?」と勧められた。正直、それまでメンタワイ諸島のことはほとんど知らなかった。でも、たった5日間滞在しただけで心を奪われてしまった。道路もない、電気もほとんどない。あるのは、手つかずの自然だけ。西洋社会の慌ただしさの中で生きてきた僕にとって、その場所はまるで時間が止まったような世界だった。
そこで出会ったのが、エルサという女性だ。彼女は長年この地域でローカルマネージャーを務めながら、小さなホームステイを営んでいた。僕は彼女に、「お金を貯めて必ず戻ってくる。一緒に何かをつくろう」と伝え、メンタワイをあとにした。

人生のどん底とメンタワイ
今振り返ると、あの頃は人生でいちばん苦しい時期だった。父を自殺で亡くし、ビジネスにも失敗して、本当にどん底だった。そんな壊れかけた状態で、僕はメンタワイを訪れた。その後、ノルウェーでフードトラック事業をもう一度始めようとしたけれど、待っていたのは寒さと孤独、そして失敗の連続だった。ようやく営業できる場所を見つけたと思ったら、除雪車にトラックをぶつけられてしまった。それまで持っていたお金も時間も、すべてをつぎ込んでいたから、本当に何も残らなかった。そのとき思ったんだ。「もういい。持っているものを全部売って、メンタワイへ移住しよう」と。
もちろん怖かった。でも、不思議とそれ以上にワクワクしていた。そして2019年2月、僕は一人でメンタワイへ戻った。



Driftwoodの始まり
島に到着し、すぐにエルサと再会した。彼女は本当に働き者で、頭の回転も速い。二人で「とりあえず何かやってみよう」と話しながら、少しずつ計画を立て始めた。最初に6000ユーロでボートを2隻購入した。あれが人生でいちばん大きな買い物だったかもしれない。当初予定していた土地は使えなくなってしまったけれど、別の家族が所有する美しい土地を紹介してもらえた。そこにはヤシの木が生い茂り、目の前には完璧なレフトブレイクがあった。
以前、同じ夢を抱いていた誰かが建設を始めたものの、途中で放棄した場所だったらしい。ジャングルの中には、バンガローやヨガシャラの基礎だけが残り、すべてが緑に飲み込まれていた。その景色を目の前にした瞬間、「ここが自分の未来になるかもしれない」と感じた。

作ることは、生きることだった
正直なところ、「サーフリゾートをつくろう」なんて大それたことを考えていたわけじゃなかった。毎日、目の前にある問題をひとつずつ解決していくだけだった。
今日はココナッツを探そう。
今日は流木を集めよう。
今日は何とか小道をつくろう。
そんな毎日の繰り返しだった。
仕事というより、子どもの頃の遊びに近かったのかもしれない。気がつけば、人生で初めて、もう一度"遊べる"自分になっていた。
メンタワイでは、それまでのように何かから逃げ続けることはできない。島では日常から切り離され、サーフィン以外にできることもあまりない。建設作業の合間には毎日のように波に乗り、自然の中で過ごしていると、それまで心の奥に押し込めていた悲しみや苦しみが、少しずつ溶けていくのを感じた。メンタワイは、僕が抱えていた痛みを静かに受け止め、癒やしてくれた場所だった。
自然と共に生きるということ
メンタワイの人たちは、自然と完全に共存して暮らしている。家はサンゴや木材で作られていて、柱にはマングローブの木を使う。木は一度海水に浸けてから樹皮を剥がすことで、美しい柱へと生まれ変わる。彼らにとって自然は「資源」ではない。「共に生きる存在」なのだ。
メンタワイへ来て3〜4カ月が経った頃、ようやく宿らしい形が見えてきた。下に2部屋、上に1部屋。本当にシンプルな建物だった。あの頃は何ヶ月も島を離れられず、髭も伸び放題。まるで映画『キャスト・アウェイ』のトム・ハンクスみたいな姿になっていた。その頃には、資金もほとんど底をついていた。持っていたお金はすべてボートと建設費に消え、この宿が成功する保証なんてどこにもなかった。
「どうやってお客さんに来てもらえばいいんだろう」そんなことばかり考えながら、ある日バリへ向かった。夕暮れどき、チャングー近くのビーチを歩いていると、ポケットの中で携帯電話が震えた。メールを開くと、そこには予約の知らせが届いていた。
「最初のお客さんが来る」その文字を見た瞬間、自分でも信じられなかった。そこから、少しずつ宿は動き始めた。当時の自分は、宿の経営なんて何も分かっていなかった。部屋はシンプル、食事もシンプル。電気が使えるのは、夜に発電機を回している時間だけ。もちろんWi-Fiもない。毎日のように失敗ばかりしていた。それでも不思議なことに、少しずつ前へ進んでいった。
エルサは親族をスタッフとして迎え入れ、その頃から一緒に働き始めたメンバーは、今でも変わらずここにいる。みんなで手探りでお客さんを迎え、ボートを出し、試行錯誤を繰り返す。毎日が本当に楽しかった。そして8ヶ月ほどが過ぎ、「これからだ」と思ったタイミングで、世界はパンデミックに飲み込まれた。でも今になって振り返ると、それも悪いことばかりではなかったのかもしれない。僕たちは一度も宿を閉めなかったし、スタッフを解雇することもなかった。みんなの仕事を守りながら、その間も少しずつ建設を続けていった。
今では世界中のサーファーが知っている「Driftwood」。ここまで広がった理由は何だと思う?
最初は口コミで少しずつお客さんが来てくれて、あとはウェブサイトで広告を出していたくらいだった。でも、一番大きな転機になったのはコロナ禍だった。当時、Instagramのフォロワーは700〜800人ほど。そこで「サーフトリップが当たるプレゼント企画」を投稿した。今では珍しくない企画だけれど、当時はまだほとんど誰もやっていなかった。それに、タイミングも完璧だった。世界中がロックダウンしていて、誰もサーフィンへ行けない時期だったから、その投稿は一気に拡散された。
人生で初めて、「バズる」という経験をした。夜に投稿して眠り、翌朝起きたら通知が止まらなくなっていたんだ。あとで聞いた話だけれど、当時パタゴニアで働いていた友人が、「あの投稿について社内でミーティングまでしていたよ」と教えてくれた(笑)。
「どうしてこんなに伸びたんだろう。このマーケティングは面白いね」って話題になっていたらしい。でも僕からすれば、自分の部屋でいつも通り投稿しただけだった。もちろん、フォロワーが増えたからといって、急に予約でいっぱいになったわけではない。でも、あの出来事をきっかけに、自分たちは「メンタワイという場所の魅力を伝える発信者」になれた気がしている。
正直、この場所は大きなお金を生むビジネスではない。運営コストもとても高い。だから利益を追い求めるというより、稼いだお金のほとんどを宿やスタッフ、そして島へ還元してきた。そのほうが、この場所はもっと面白くなると思っているから。

Driftwoodの今後
ようやく、Driftwoodはすべてが安定してきた。素晴らしいスタッフがいて、信頼できるパートナーがいて、無理なく回るようになった。だから、これ以上大きくしたいとは思っていない。他のリゾートのように20人、30人、40人と泊まれる場所にするつもりはない。これからも12人くらいの、小さな宿であり続けたいと思っている。その代わり、「もっと人数を増やそう」ではなく、「もっと体験を豊かにしよう」という方向へ進んでいきたい。
例えばジェットスキーを導入したり、スピアフィッシングへ出かけたり、スタッフと一緒にBBQをしたり、近くの島へ遊びに行ったり。そういう時間こそ、人の心に深く残るものだと思う。もちろん、素晴らしい波は忘れられない。でも、本当に記憶に残るのは、現地の人たちと笑いながら魚を焼いた夜だったり、みんなで何気なく過ごした時間だったりするんじゃないかな。
だから僕たちは、ただサーフィンをする場所ではなく、メンタワイの文化や暮らし、人とのつながりまで体験できる場所でありたいと思っている。
メンタワイで学んだ「豊かさ」の意味
ある日、海がもう少し見えるようにしたくて、ヤシの木の枝を少し切ったことがあった。すると、その木の持ち主が本気で怒った。最初は、なぜそこまで怒るのか理解できなかった。でも、あとになってようやく分かった。彼にとってその木は、単なる所有物ではなく、家族のような存在だったんだ。本当に申し訳なくて、サーフボードを渡して謝ろうとしたくらいだった。みんなで集まり、何度も話し合いを重ねた。
メンタワイには昔から受け継がれてきたルールがある。夫婦のこと、土地のこと、家のこと。そして自然との向き合い方にも、この島ならではの決まりがある。木もまた、一つの命として大切にされている。その価値観に触れたとき、自分たちがどれほど自然から離れた暮らしをしてきたのかを思い知らされた。
コロナ禍には、ボートのエンジンが故障して、真っ暗な海を何時間も漂流したこともある。ようやく陸へたどり着き、その日は現地の家族の家に泊めてもらった。その夜、エルサがぽつりとこう言った。
「いつかヨーロッパへ行って、雪を見てみたいの。それがずっと夢なのよ」
その言葉を聞いた瞬間、ハッとした。世界中の人たちは、何十万円もかけてメンタワイへやって来る。誰かにとっては、一生に一度は訪れたいサーフィンの聖地。でも、その土地に暮らす人たちは、外の世界に憧れている。人はみんな、自分が持っていないものを求める。だけど、本当に多くの人が人生をかけて探している豊かさは、実は彼らが当たり前のように持っているものなのかもしれない。ここへ来る人たちは、仕事も悩みも、すべて置いてくる。ただ波に乗って、ただ遊んで、ただ自然の中で過ごす。お店もない。ショッピングモールもない。レストランもほとんどない。だからこそ、人生で初めて「何もしない時間」を過ごせる。自然には、人を"今、この瞬間"へと連れ戻してくれる力があるのだと思う。
あなたが夢中になれるもの、心がときめく3つの瞬間
1つ目は、コミュニティ。どんなにつらい状況でも、大切な仲間がいれば、人は乗り越えていける。
2つ目は、自然とのつながり。自然の中にいると、自分もその一部なんだと実感できる。
そして3つ目は、健康。身体だけではなく、心も健康であること。この3つがそろったとき、人は本当の意味で幸せになれるんじゃないかな。

これからの夢
Driftwoodは、僕にとってお金を稼ぐためのビジネスではなかった。安心して生きられる場所をつくり、自由を手に入れるための土台だった。ようやくその土台ができた今、一つの章が終わろうとしているような気がしている。だから次の人生では、もっとクリエイティブなことをやってみたい。
音楽をつくることかもしれない。人に新しい体験を届けることかもしれない。生まれたときよりも、世界をほんの少しだけ良くして去っていけたら、それだけで十分だと思っている。
新しいことに挑戦したい人へ
失敗することよりも、何もしないまま人生を終えることのほうが、僕はずっと怖い。それは、ずっと変わらない信念だ。失敗してもいい、何度どん底を経験してもいい。挑戦した結果が成功でも失敗でも、その経験は必ず人生の財産になる。
僕たちは、おそらく一度しか人生を生きられない。だからこそ、怖くても飛び込んでみる価値がある。いつか振り返ったとき、「あの挑戦をしてよかった」と思える人生のほうが、きっと素敵だから。

text:Miki Takatori
20代前半でサーフィンに出合い、オーストラリアに移住。世界中のサーフタウンを旅し現在はバリをベースに1日の大半を海で過ごしながら翻訳、ライター、クリエイターとして多岐にわたって活動中。Instagram
TAG #Ben Roose#Driftwood#Ocean People#ビーチライフ#ベン・ルース#メンタワイ#連載
海と繋がり、自分の中の好きや小さなときめき、そしていい波を追い求めてクリエイティブに生きる世界中の人々、“Ocean People”を紹介する連載企画。彼らの人生を変えた1本の波、旅先での偶然な出会い、ライフストーリーをお届けします。

Profile
Bella Francesca Rock ベラ・フランチェスカ・ロック
アメリカ・ピッツバーグ出身、現在28歳。バリとメンタワイ諸島を行き来しながらグラフィックデザイナー、フォトグラファーとして活動している。
あなたのことについて教えて
生まれ育ちはアメリカ・ペンシルベニア州のピッツバーグ。海から遠く離れた、田舎のファームで育った。10歳のとき父と一緒にカリフォルニアを旅行して、そのときに初めてサーフィンをした。その瞬間から海に惹かれていったのを覚えている。それから3年後、大好きだった父が亡くなり、生きる意味を見つけるのがとても難しい時期があった。でも、母がフロリダに家を買ったことがきっかけで自然の中で過ごすことが増え、サーフィンやダイビング、釣りにどんどんハマって行ったの。20歳のときにカリフォルニアに移住して、それ以来サーフィンは私の生活の一部になった。
2021年、当時付き合っていた彼とバリへの旅行を計画していたんだけど、旅のはじめに「別々の道を歩もう」と決めたの。でも、初めて訪れたバリの美しさにすっかり恋をしてしまって……。最初は数ヶ月滞在するつもりだったんだけど、気がつけばもう4年も経っている。
今はウルワツを拠点に、メンタワイ諸島を行き来しながら生活している。仕事は、大学で学んだグラフィックデザインを活かしてデザイナーをしつつ、メンタワイではフォトグラファーとして、ボートトリップに訪れるサーファーたちを撮影している。


カメラを始めたきっかけと新しいビジネス
写真はもともと趣味程度で始めたの。当時付き合っていた彼がフィルムメーカーで働いていたからカメラ機材はすべて揃っていて、遊び半分で撮り始めたのがきっかけだった。
初めて“仕事”として撮影したのは、ボートトリップ。完璧な写真を求められていたわけではなかったからプレッシャーを感じることなく、自然体で撮影することができた。その旅は、これまで何度も訪れたメンタワイの中でも一番の思い出。写真を撮る楽しさも、手つかずの自然や世界トップクラスの波を体験できたのも、すべてが今の自分につながっていると感じている。
インドネシアの波、文化、人々——この土地は、本当にたくさんのものを私に与えてくれた。そしてそれが、今の私を形づくっている。だから今度は私がこの場所に恩返しをしたいと思って、ブランドを立ち上げたの。フィンを入れるバッグなんだけど、インドネシアのローカルなバティック柄の生地を使っていて、利益の一部は地域のコミュニティに還元する予定。


海、自然との関係を言葉で表すなら?
“Mother Nature”という言葉がピッタリ当てはまると思う。その日の波のコンディションによって、毎回違う気付きや学びを得ることができる。例えば、波が大きな日には自分を謙虚にさせてくれるし、逆にあまり期待せずに行った日に限って、人生最高の1本に巡り合ったりする。自然は、自分ではコントロール出来ないということを優しく、でも力強く教えてくれる母なる存在。
お気に入りのボードとサーフスポットは?
最近は、ツインフィンに乗るのがマイブーム。小波でも楽しめるロングボードも気になっていて、中古のボードを買おうかどうかちょうど迷っているところ。
お気に入りのサーフスポットは、バリのビンギンとメンタワイ諸島のテレスコープ。どちらも何度も訪れたくなる、大好きな場所。
次はモロッコとスリランカに行ってみたい。豊かな文化に惹かれる性格だから、この2カ国はずっと行きたいと思っている憧れの場所。
あなたの生活に欠かせない3つのものは?
コーヒー、波、サーフボード。サーフィンがない生活は考えられないわ。


これから何か新しいことを始めたい人へのアドバイスをするとしたら?
やりたいことがあるなら、思い切って始めることかな。考えれば考えるほど障害物が出てくるから、直感で思いついたアイデアを信じてみること。
今後の夢や目標は?
今は、新しく始めるビジネスを育てていくことがひとつの目標。ビジネスといっても、あまり堅く考えているわけじゃなくて、好きなことから始めたことだから、自然な形でうまくいったらいいなって思っている。
それから、もっとインドネシアの島々を巡りたいというのも、ずっと心にある夢。ついつい波が豊富な場所にばかり足を運びがちだけど、それ以外にも手つかずの大自然が広がる島がたくさんある。そんな場所をこの目で見て、感じてみたいと思ってる。

text:Miki Takatori
20代前半でサーフィンに出合い、オーストラリアに移住。世界中のサーフタウンを旅し現在はバリをベースに1日の大半を海で過ごしながら翻訳、ライター、クリエイターとして多岐にわたって活動中。Instagram
TAG #Ocean People#ビーチライフ#ベラ・フランチェスカ・ロック#メンタワイ#連載
海と繋がり、自分の中の好きや小さなときめき、そしていい波を追い求めてクリエイティブに生きる世界中の人々、“Ocean People”を紹介する連載企画。彼らの人生を変えた1本の波、旅先での偶然な出会い、ライフストーリーをお届けします。

Profile
Margarita Salyak イネス・マリア・カラチェド
ロシア出身の水中フォトグラファー/アーティスト。インドネシアを拠点に、メンタワイやハワイで世界中のサーファーをカメラに収める。
あなたのことについて教えて
生まれ育ちはロシアのモスクワ。幼い頃からアートに興味があって、大学でもアートを専攻していた。在学中のプロジェクトがひと段落した頃、6ヶ月の休暇を使って初めてバリを訪れたのが19歳のとき。サーフィンやライフスタイルなどその全てが私の理想で、ここに長く滞在したいと思った。そのために仕事を探していたとき、メンタワイでサーフィンフォトグラファーとして働く機会をもらった。今までイベントやファッションの撮影経験はあったけど水中カメラは触ったことがなく、それに当時(10年前)のインドネシアは今では想像できないほど手付かずの状態で、メンタワイを知っている人も少なかった。
ただただ海・サーフィンが好きで、どうにかしてインドネシアに滞在したくて、“Yes”と答えて片道切符でメンタワイへ向かった。水中撮影ができるハウジングなどのカメラギアも揃え、一日のほとんどの時間を海の中で過ごした。当時20歳だったけど不安はあまりなくて、最高の波がある場所で思う存分学び、今後に生かせるよう経験を積むことが純粋に嬉しかった。
撮影中に怖い経験もたくさんした。ハワイのパイプラインで撮影していた時、いきなり天気が嵐のように変わり、強いカレントのせいでビーチに戻ることが出来なかった。波もかなり大きかったから、とても怖かったのを覚えてる。

サーフィンを始めたきっかけとお気に入りのスポットは?
インドネシアにはもう10年以上住んでいるけど、サーフィンを本格的に始めたのは4年くらい前。パンデミックで観光客がいなくなった海に毎日入り、そのお陰でだいぶ自信がついた。それまではメンタワイとハワイを行き来しながら生活していて、どちらも初心者には難しい波だった。だから撮影に専念して、キャリアを築いていた。
お気に入りのサーフスポットはやっぱりメンタワイ。最高の波で地球の楽園のような場所。次に行きたい場所はタヒチと日本!


海、自然との関係を言葉で表すなら?
私のライフスタイルと自然は密接に繋がっている。仕事も私生活も海があるからこそ成り立っていて、考え事や不安なことがある時は、いつも海へ戻るようにしている。サーフィンでもビーチを散歩するだけでも、自然の中にいることが私を謙虚にさせてくれる。




あなたの生活に欠かせない3つのものは?
海(サーフィン)、友達と家族、あとは大好きなチョコレートかな。
何か新しいことを始めたい人へのアドバイスを
やると決めたら、その直感を信じてとにかく行動すること! 不安や迷い、失敗したら……と考えることもあるかもしれないけど、やってみないと分からないこともたくさんあるから。その過程で出会う人々や、新たなコネクションもきっとあるはず。

text:Miki Takatori
20代前半でサーフィンに出合い、オーストラリアに移住。世界中のサーフタウンを旅し現在はバリをベースに1日の大半を海で過ごしながら翻訳、ライター、クリエイターとして多岐にわたって活動中。Instagram
TAG #Ocean People#サーフィンフォトグラファー#ビーチライフ#マルガリータ・サルヤック#メンタワイ#連載

5月下旬、過去10年で最高のスウェルがインドネシアに入ってきた。多くのプロサーファーがインドネシアのそれぞれの島へストライクミッションを行うなか、メンタワイへのトリップを計画していた9人の女性サーファーたちがいた。まさかこのタイミングで最高のスウェルが入ってくるとは! 強運を持ち合わせた9人のガールズサーファーたちの、泣いて笑ってサーフィンし尽くした12日間の旅の記録。
5月の終わりのある日、9人のグループチャットは、スウェルの大きさ、方向、風、すべてがインドネシアにとって完璧な予報と、盛り上がっていた。普段使っているボードより長めのサーフボード、無数のワックスとビキニ、予備のリーシュが詰まった大きなボードバッグを抱え空港を歩いていると、同じような大きなボードバッグを持ったガールズサーファーたちがいた。彼女たちが今回の旅の仲間だと、言葉を交わさなくてもわかった。
私たち9人はボートが出航するパダンで初めて出会い、その場で意気投合した。ハワイ、フランス、カリフォルニア、バリ、オーストラリア、アイルランド、世界中のサーフスポットから集まったエネルギーに満ち溢れたメンバーたち。20代後半で友達作るのはなかなか難しいけど、サーフィンで繋がる友達は一生モノ。




目の前でブレイクする波に誰よりも早く乗りたくて、8時半にはベッドに入る生活がスタート。「モーニン〜グ!」と目をこすりながらコーヒーを啜り、暗くてよく見えない波を横目に早朝5時半から人生トーク。日焼け止めを塗りながら、ストレッチをしながら、ワックスアップしながら、ボーイフレンド、キャリア、セルフラブについて語った。サーフガイドもびっくりするほど、朝からフル回転のガールズたち!
ハイシーズン中にも関わらず、ラインナップには誰もいない日が何日もあった。これがどれだけ幸せなことか、いつも混雑した海でサーフィンをしている人ならわかるはず。まさにこれがこの旅を特別にしてくれた大きな理由だった。
女性サーファーが、体格もパワーも上回る男性と競い合って波を捕まえるのは難しい。混雑したローカルのラインナップから離れることで波の取り合いから解放され、テクニックに集中することができる。メンタワイはそれを叶えてくれる場所だ。仲間たちだけで波をシェアし、誰にも邪魔されずにチャージ! 極上のメンタワイの波にガールズみんなが恋をした。

今までサーフィンしてきたなかで、一番大きくてパーフェクトな波。まさにパラダイスという言葉がピッタリ! 順番に波に乗り、誰かが良い波に乗ると歓声と興奮の声が海に響き渡る。ただただ純粋に波に乗ることを楽しみ、自然と一体になるサーフィンのあるべき姿。旅の後半、自分たちのサーフィンがどれだけ上達したかビデオでチェック。セットの波にテイクオフをする、チューブに入る、スタイリッシュなターンをする……それそれが目標として掲げていたことが、この12日間で実現した。
朝くたくたになるまでサーフィンをして、朝食をとった後2〜3時間昼寝をして、夕方になったらサンセットサーフィン。どこを見渡してもココナッツの木があり、透き通った海と真っ白なビーチが視界いっぱいに広がる。このパラダイスに、年に一度は帰ってきたいと思った。


電波も入らないインド洋のど真ん中で仲間との会話を楽しみ、お腹いっぱいサーフィンをして、体力的にも精神的に良い意味で疲れ果てていた。当分サーフィンしなくていい状態になっていたが、翌日スウェルが到着したバリに戻ると、やっぱりボードを片手に海に走っていた。まさにサーフィン中毒。
12日間の旅が終わりボートを降りる頃にはみんな姉妹みたいに仲良くなり、お別れするのが悲しく大きなハグと共に涙が溢れた。メンタワイで築いた絆は言葉では上手く言い表せない特別なもので、このトリップは私たち9人の心の中に一生残るものになった。

text:Miki Takatori
20代前半でサーフィンに出合い、オーストラリアに移住。世界中のサーフタウンを旅し現在はバリをベースに1日の大半を海で過ごしながら翻訳、ライター、クリエイターとして多岐にわたって活動中。Instagram
© SALT… Magazine All Rights Reserved.
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