#シングルフィン

  • 【シングルフィン特集】JALEESA VINCENT_欲しいモノは、すべて自分の手でつくる
  • 2025.10.08

独創的なアートとサーフィンで人気を博し、シェイピングも行うジャリーサ・ヴィンセント。自身のブランド「Pussy Surfboards」では“女性の逞しさ”を表現し、創造性豊なアイテムを展開する。



シングルフィンはあれこれ考えず、“ナチュラル”に

クイーンズランド州サンシャイン・コーストに位置するのんびりとしたサーフタウン、クーラムビーチ。真っ青な海に太陽が降り注ぎ、真っ白で滑らかな砂浜がどこまでも続く。ランダムなビーチブレイクの波が一年を通してコンスタントに割れ、ヌーサ・ヘッズまでクルマで20分ほどで行ける。この恵まれた環境で育ったジャリーサ・ヴィンセントは、兄のジェイクの影響で6歳頃からサーフィンを始めた。彼女が最初に手にしたボードは、ガレージセールで売られていたクラシックなシングルフィンだった。たった5ドルで手に入れたそのボードは美しいデザインで、何人かのサーファーに売って欲しいと頼まれたほどだった。両親はサーフィンをしていなかったため、兄とともに試行錯誤しながら技を磨いていった。
洋服の仕立屋だった母親の影響もあり、ジャリーサは幼い頃から「欲しいものは自分でつくる」というDIY精神が強かった。毎日のように絵を描き、ものづくりに没頭。中学1年生のときにはアートコンテストで優勝し、自分の作品に自信を持つようになる。サーフィンとアートに深くのめり込み、地元でも個性的な存在として知られるようになったジャリーサは、やがてオーストラリアのサーフィン誌『Surfing World』が主催するトリップに招待される。そこで、芸術的な感性を持つオルタナティブなサーファーたちと出会い、音楽や映像制作を通じて交流を深めていった。その過程で、オーストラリアを代表するフリーサーファー集団「RAGE」のメンバーと知り合う。RAGEは、卓越したサーフィンの技術とクリエイティブな才能を併せ持つ者だけが所属できるグループであり、ジャリーサはそのタレント性を認められ、メンバーに加わることとなった。


21歳になると、彼女はバイロンベイの内陸部に移住し、RAGEのメンバーであるエリス・エリクソンやボー・フォスターと共同生活を始める。シェイピングを生業とする彼らの姿を見学するうちに、ジャリーサも「次はお前が作る番だよ」と勧められ、初めてボードを削ることになる。兄のように慕うエリスの指導を受けながら、自らデザインしたテンプレートをベースに仕上げたボードは、これまで乗ってきた中で最高の乗り心地だった。この成功をきっかけに、ジャリーサはシェイピングに魅了され、それ以降、彼女が乗るボードはすべて自作するようになった。その後もエリスのアドバイスを受けながら技術を磨いていき、これまでに20本近くのボードをシェイプ。今後はさらに試行錯誤を重ね、自分のスタイルを確立していきたいと考えている。
「100本削れば、シェイピングの本質を理解できるはず」と語る彼女は、ボードの形をそのときの気分やインスピレーションに委ねながら、独自の表現を追求している。失敗が思わぬ結果をもたらすこともあり、最近もノコギリの角度を2インチ誤り短くしてしまったが、その偶然が最良のボードを生み出した。

ライディングスタイルでも独創性を発揮し、脚光を浴びているジャリーサ。主にスラスターのショートボードを愛用し、得意のレイバック・スラッシュでは波のフェイスにレールを深く入れ込み、閃光のようなスプレーをあげる。また、スリーシックスティやエアなど多彩な技を操り出し、男性顔負けのフリースタイルサーフィンを披露する。しかし、シングルフィンに乗るといつもの鋭いターンやスピードとは異なり、流れるようなスタイルに変わる。ショートボードでは「こうしたい、ああしたい」と常に考えているが、シングルフィンでは波と一体化する感覚を大切にし、波のエネルギーを活かした自然なラインを描く。特にサイズがある波のボトムターンでフィンがしなり、その反動で驚くほどのスピードが生み出される瞬間の、“あの感覚”がたまらないと語る。


2024年、ジャリーサはフィルムメーカーでパートナーのルカ・Rと共に、ミュージカルサーフィン映画『JUJU』を制作し、日本やヨーロッパで上映ツアーを開催した。脚本や音楽も自ら手がけたこの作品には、オッキーやクリード・マクタガートらも出演し、斬新な映像表現が話題を呼んだ。さらに、彼女は自身のブランド「PUSSY SURFBOARDS」を発表し、サーフィンとアートを融合させた独自のスタイルを確立している。


「ブランド名を考えたとき、『Heroin(女英雄)』などいくつか候補があったけど、最終的に『Pussy』に決めたの。サーフィン業界は男性中心の世界だから、女性らしさを前面に出したブランドを作りたかったの」と語るジャリーサ。「Pussy(猫)」という単語には、オーストラリアでは「女々しい」という意味もあるが、彼女はあえてこの言葉を選び、「Pussyボードに乗ることで女性が強くなる」というメッセージを込めた。さらにDIY感溢れるオリジナルアパレルも展開し、そのユニークな活動が注目を集めている。ビジネスよりもクリエイティブな表現を重視し、サーフィンを始めたばかりの女性たちが安心して相談できる場も提供していきたいと、大きな夢も語ってくれた。


現在、彼女はNSWミッドノースコーストの小さな集落に拠点を構え、サーフィンと創作活動、そしてベジガーデンの手入れをしながら、新たなプロジェクトを企画中だ。彼女の手から生まれるボードやアートワークは、どれも自由な発想と情熱に満ちている。次にどんな作品が生まれるのか……そのワクワクする未来から、目が離せない。


ジャリーサ・ヴィンセント

1998年生まれ、サンシャインコースト出身。フリーサーファー、画家、ミュージシャン、シェイパー。近年は精力的に映像制作を行い、2024年にはサーフィンとミュージカルを融合させたショートムービー『JUJU』をリリース。


photography & text _ Zack Balang

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サーフィン、暮らし、生き方、そして思考をより本質的なものへと回帰。シンプルで持続可能な在り方を追求することこそが、真の豊かさにつながる。

<Contents>
⚪︎Burleigh Single Fin Festival
⚪︎未知なる領域へ̶̶ サーフィンの新境地
⚪︎シングルフィンを愛する10人のインタビュー
⚪︎STILL AND TRUE
⚪︎笹子夏輝 ~カリフォルニア・スタイル巡礼の旅
⚪︎サーフィンによるマインドセットのススメ
⚪︎Stories Behind the Waves
⚪︎今を生きるサーファーたちのダイアログ
⚪︎世界の果て、南ポルトガル・サグレス
⚪︎Column _ Miyu Fukada

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  • 【シングルフィン特集】ELLIS ERICSON_ジョージ・グリノーの技術とその精神を引き継ぐ男
  • 2025.09.26

「あの頃はシングルフィンを持っているだけで笑われたりした。だからこそシングルフィンにどっぷりハマるのはクールで、そこからボードの乗り方を学び直すのが面白かった」。


レール全体を使うことがシングルフィンの真髄

オーストラリア最東端に位置し、自由な空気と潮風が満ちるユートピア、バイロンベイ。世界でも有数のサーフポイントを擁し、アートやオーガニックカルチャー、大自然が調和するこの楽園で、エリスは生まれ育った。
シェイパーだった父の影響を受け、幼少の頃からサーフィンに明け暮れ、11歳頃からコンテストに出場し、オーストラリアのジュニアタイトルを手にしたこともある。しかし18歳のとき、コンテストで使用される細くて薄いボードを操り、“ルールに従ったサーフィン”をすることに限界を感じ、徐々にサーフィンに対しての情熱が薄れていった。やがてコンテストの世界を離れ、新たな自分を見つけるためシドニーへと移住した。そこで旧友であり、サーフボードデザイナーのマット・チョナスキーと再会する。サーフィンの歴史や文化に造詣が深いマットの影響で、エリスは古いサーフボードやシングルフィンの魅力に目覚め、その奥深いカルチャーにのめり込んでいった。特に1967年以降、ジョージ・グリノーがカリフォルニアからオーストラリアに渡り、ボブ・マクタビッシュらと共にサーフボードの革新を生み出した時代に強く惹かれている。ロングボードが全盛だった時代に、ショートボードがどのように誕生したのかを学び、その歴史と文化に触れることで、新しい世界が開けたような感覚を覚えた。


子供の頃から父親がシェイピングする姿を見て育ったエリスが、本格的にシェイプを始めたのは20歳の頃。自ら作ったシングルフィンを試しながら改良を重ね、独自のスタイルを追求していく。コンテストから離れ、サーフボード作りに没頭する日々は新鮮で、探究心を持ってシェイピングに取り組んだ。ちょうどその頃、カリフォルニアからアレックス・ノストが訪れ、近所の駐車場で彼女とヴァン生活をしていた。ある土砂降りの日、せめて雨風をしのげるようにとエリスは彼を自宅に招き入れる。当時、アレックスはサーフィン業界の異端児として注目を集め、オルタナティブなスタイルで独自のサーフィンを追求していた。ロング、ミッドレングスのシングルフィンを駆使し、既成概念を打ち破るその姿に、エリスは大きなインスピレーションを受ける。当時のオーストラリアではショートボード文化が主流で、シングルフィンに乗る者は珍しく、ときには嘲笑されることもあった。しかし、アレックスたちは意に介さず、スタイリッシュなサーフィンを追求。音楽やアートと融合したクールなサブカルチャーとしてのシングルフィンの世界を確立していった。エリスは「好きなことを、好きな道具で、好きなようにやる」ことの大切さを学び、アレックスとは今も互いの家を行き来しながら、新たなボードデザインを研究している。


バイロンベイ郊外のサフォークパークやブロークンヘッドで毎日のようにサーフィンをしていたエリスは、子供の頃から近所に住むジョージ・グリノーの姿をよく見かけていた。ジョージは夜明け前にビーチに現れるとボートを海に出して、釣りに出かけるというファントムのような存在だった。26歳のとき、エリスはデイブ・ラスタビッチとモルディブへボートトリップに出かける。そこでデイブからジョージが考案したエッジボードを見せられ、そのコンセプトと乗り味に衝撃を受ける。帰国するとすぐにデイブを通じてジョージの元を訪れ、彼のシェイピングを間近で見て学ぶことに。エリスはエッジボードのデザイン哲学を理解し、自らの技術を磨いていった。83歳になったジョージは今でもサーフボード作りに対する情熱を失わず、新しい発見があればすぐに共有してくれる。さらに彼の教えはサーフクラフトにとどまらず、オーガニックなライフスタイルや健康にも及ぶ。エリスにとって、ジョージは単なる師ではなく、人生における大切なメンターである。


「シングルフィンに乗るときに大切なのは、マニュアル車を運転するようにギアの切り替えを意識すること。いきなりトップスピードを出すのではなく、波のエネルギーを活かしながら加速していく。たとえば、ボトムターンが『1速』、そこからハイラインに入ると『2速』、一度スピードを落としターンして『3速』、再びハイラインへ戻って『4速』といった具合に、段階的に加速する。シングルフィンは、適当に動かしてもスピードは出ない。波の力を最大限利用し、ボードと一体になって乗ることが大切だ。そして、フィンだけでなくレール全体を活かして乗ることがシングルフィンの真髄である。良いシングルフィンは、バランスの取れたレールと、適度なロールとタックエッジがあり、ボード全体がしっかり機能するように作られている。レールワークを意識して、前後に動きながらボードをコントロールすることが大切だ。モダンボードのようにフィンに頼ったターンではなく、ボード全体の動きを活かすことが求められる。そのため、乗るときはダンスを踊るようにボードの上でステップを踏み、自由に動き回るといい。“Like a Dance”—それこそが、シングルフィンが美しく見える理由なのさ」


エリスは、将来について特に決まった目標を掲げていない。ただ、その時々のフィーリングを大切にしながら、シェイピングを通じてサーフボードデザインに貢献していきたいと語る。その未知なる探究心に、終わりはない。

エリス・エリクソン
1989年生れ、バイロンベイ出身。ジョージ・グリノーが考案したエッジ・ボードデザインの継承者。現在はNSWミッド・ノースコーストに移住し、大自然に囲まれた家の裏庭にシェイピングベイを構え、日々ボードデザインを探求している。


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<Contents>
⚪︎Burleigh Single Fin Festival
⚪︎未知なる領域へ̶̶ サーフィンの新境地
⚪︎シングルフィンを愛する10人のインタビュー
⚪︎STILL AND TRUE
⚪︎笹子夏輝 ~カリフォルニア・スタイル巡礼の旅
⚪︎サーフィンによるマインドセットのススメ
⚪︎Stories Behind the Waves
⚪︎今を生きるサーファーたちのダイアログ
⚪︎世界の果て、南ポルトガル・サグレス
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  • 【シングルフィン特集】OZZY WRIGHT ⁄ WRONG_無限に湧き上がるクリエイティビティ
  • 2025.09.02

「絵を始めたきっかけなんてないよ。子供の頃はみんな描くだろ? 俺はそれを続けてきただけだよ。ずっとね」。独自の道を歩み続けるオージーの、現在のライフスタイルとは?



「シングルフィンで“ピット”にハマったときは最高だね」

「16歳のとき、ジュニアコンテストでアメリカの『SURFERS MAGAZINE』のインタビューを受けたんだ。そのとき、『チャンピオンになりたくない』って言ったら、それが記事の見出しになっちゃって(笑)」
オージーはその言葉通り、早い段階でコンテストを離れ、フリーサーファーやアーティストとしての道を歩み始めた。その後、WSLに出場しているオーウェン・ライトと名前をよく間違われるようになり、アーティスト名を「ライト(正しい)」ではなく、「ロング(間違い)」に改名する。

遊び心を常に忘れない。彼の佇まいはアンダーグランドの枠から突き出た、ポップアーティストのようだ

オージーと初めて会ったのは、5年前のパーティだった。そこにはサーファーたちも多く集まっていたが、中でも一際目を引く男がいた。背が高く、真っ黒に日焼けした肌、毛むくじゃらのたくましい腕、潮風に傷んだ金髪。穴の空いたTシャツには、カラフルなペンキが付着していた。その風貌から放たれるオーラはまさにサーファーそのもので、ポジティブなエネルギーに満ち溢れていた。
フリーサーファー、画家、ロックミュージシャン、ボルコムの看板ライダーとして、その圧倒的な個性とキャラクターは他のプロサーファーたちとは一線を画し、常に業界の最前線で活躍してきたオージー。シドニー郊外のノーザンビーチで生まれ育ち、幼少期から毎日波と戯れながらサーフィン漬けの日々を送った。高校時代には、最高で1日14時間サーフィンをしていたこともあるという。彼のアドレナリン全開のラフでパンキッシュなスタイルは、まさにその環境が育んだものだった。

1日1本のペースで、4本のボードにアートを施した。日本から輸入した中古のエルグランドに詰み込み、サーフショップへ納品

2001年、20代前半のオージーはヨーロッパやインドネシアを旅し、映画『156 Tricks』を制作。タイトル通り、156回のエアリアルやチューブライディング、スラッシュなどのトリックを、ビデオカメラとスーパー8で収録した。その斬新かつエッジの効いた映像は、カウンターカルチャーやオルタナティブ文化に傾倒する若者の間で瞬く間に話題となる。2004年には、トム・キャロルやケリー・スレーターなどレジェンドサーファーを収録した『DOPED YOUTH』を発表。この作品をきっかけにオージーは唯一無二の存在となり、その名は世界中に知れ渡ることとなる。

現在はレノックスヘッドから5分ほど内陸に入った、自然豊かなエリアに暮らしている。朝7時に目を覚ますとエスプレッソを淹れ、バナナを手にワゴン車で波チェックへ。お気に入りのレフトの波を見つけると、エキサイトした少年のように海に飛び込み、GoProを片手にチューブに入って自撮りをするのが日課だ。帰宅後はウクレレを奏でながらリラックスし、アート制作に取り掛かる。彼の作品はカラフル且つ大胆で、絶妙なバランスで色を組み合わせている。ユニークなキャラクターやメッセージ性のあるフレーズを多く描き、思わず笑ってしまうようなコミカルな要素も含まれている。これまでに1000本以上のサーフボードに絵を施し、仕事でも「楽しむことが最優先」というスタイルを貫いている。“Anti Bad Vibes Club(アンチ・バッド・ヴァイブス・クラブ)”というフレーズを使ったアートは彼のトレードマークであり、これは、「ネガティブなエネルギーを排除し、常にハッピーでいようぜ」というメッセージを込めたもの。最近ではミシンを購入し、リサイクルショップで買ったファブリックをつなぎ合わせたアートを制作している。その理由は、「大きな作品でも簡単に収納でき、海外へ持ち運べるから」だという。

家のバルコニーに散乱した筆を手に取り、おもむろにアートを描き出す。スプレー、アクリル、クレヨンなどを使い分け、カラフルに表現

また彼はミュージシャンとしての顔も持ち、『GOONS OFDOOM』というパンクロックバンドでベース兼ボーカルを務めている。20年前に幼なじみと結成し、毎晩のようにガレージでセッションを繰り返した。そのサウンドは彼らのライフスタイルそのもので、エネルギッシュなパーティロックである。社会的なメッセージを含んだ楽曲もあり、ライブでは常に大盛り上がりとなる。

オージーがベースとボーカルを務める『Goons of Doom』のミュージックビデオの撮影現場にて

普段はツインかトライフィンのショートボードに乗ることが多いオージー。操作性に優れ、エアに必要なスピードを得ることができるから。アーティストでもある彼は、シングルフィンのように決められたラインを走るメローなスタイルよりも、自由にラインを描き、ターンを刻みながら走るライディングを好む。その滑りは、まさに波のキャンバスにアブストラクトアートを描いているかのよう。それでもたまに、シングルフィンに乗ることもあるという。

「インドネシアのホローな波では、シングルフィンを選ぶことがある。友人のボードやその場にあるボードを借りたりもする。スラスターはスピードがつきすぎてチューブから飛び出してしまうこともあるけど、シングルフィンならポケットにしっかりハマり、ステイすることできる。波との一体感を長く楽しめるんだ」
彼は毎年バリで開催される「ウルワツ・シングルフィン・クラシック」に招待されており、2019年には1本の波で3度バレルを抜け、10ポイント満点を叩き出し優勝を果たした。仕事と遊びの境界をなくし、自由なライフスタイルを確立したオージー。今日もクレヨンを手に絵を描き、ウクレレを奏でながら鼻歌を歌い、周囲の人々を楽しませている。


オージー・ライト/ロング

1976年生まれ、シドニー・ノーザンビーチ出身。フリーサーファー、アーティスト、ミュージシャン。エアリアルの先駆者であり、唯一無二のスタイルマスター。日本にもファンが多い。


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  • 【シングルフィン特集】NEALPURCHASE JR._シングルフィンを進化させた“デュアル”
  • 2025.08.19

端正なルックスと大きな身体、クローズ気味のスタンスで波を刻んでいく。シングルフィンに現代的なアプローチを取り入れ、「DUO」を開発したニール・パーチェスJr. 。そのシェイプ理論に迫った。


スピード、操作性、推進力を兼ね備えたボードを目指して

レノックスエリアに住んでいるニール・パーチェスJr.。ホームポイントはボルダーとシャーぺス。ノースボルダーはこの辺りでは貴重なレフトの波がブレイクしており、通称“パーチェス・レフト”と呼ばれている。そう、ニールが毎日のようにサーフィンすることから、そう名付けられた。2005年からシェイプを始め、もうすぐ20年を迎える。1年間に400本近く削っているので、生涯本数はおおよそ9000本。実は’90年代にも20本ほどシェイプしたことがあったが、当時はサーフボード作りに興味を持てず、それ以降続かなかった。その理由についてニールは、「市場にスラスターしかなかったから」と振り返る。

撮影日は生憎波がよくなかったが、30分だけと言って入水。クラシックなスタイルと波のパワーを活かした、流れるようなサーフィンを披露

彼のシェイピングベイは、海からクルマで20分ほどの工場地帯にあり、すぐ隣にはバリナ・バイロン・ゲートウェイ空港がある。’80年代後半にできた建物には5人のシェイパーが部屋を借りており、かつてはエリス・エリクソンもここでシェイプしていた。日々多くのシェイパーが訪れ、日夜サーフボード談義が交わされる環境は、ニールにも少なからず影響を与えた。しかし、最も影響を受けたのは、父であるニール・パーチェス・シニアだと言う。
「子供の頃、父がシェイプをしている姿をよく見ていた。ある日突然、『お前も削ってみろ』と言われ、ブランクスを手渡された。最初は父がアウトラインを削り、仕上げの部分を私が担当していた」

「もしラスターしかなかったら、シェイパーにはなってなかったと思う」とニール。妻とふたり、家族経営でブランドを運営している

コンペティターだったニールは、’83年までフラットデッキのスラスターに乗り、15歳から20歳までコンテストに参戦していた。ナラビーンで開催されたプロジュニアでは3位入賞、’99 年ヌーサでのオーストラリアタイトルでは2位を獲得。ASPサーキットもフォローし、千葉で行われた丸井プロにも出場した。マーチン・ポッターと対戦したことも記憶に新しい。’88 年から’91 年までビラボンとスポンサー契約を結び、広告用の写真撮影だけでなく、自身が描いたグラフィックを提供したこともあった。その後、ホットツナ、リズムと契約し、8年前まではアート活動も行っていた。さらに時間があればバンド活動もするなど、クリエイティブな一面も持ち合わせている。そんなニールがオルタナティブボードに興味を持つきっかけになったのは、アンドリュー・キッドマンのフィルム『リトマス』だった。デレク・ハインドがスキップ・フライのフィッシュでJ BAYを滑走するシーンを観たとき、衝撃を受けたという。当時の映像はプロのサーフスターしか取り上げていなかったため、自由なサーフィンと独自のスタイルに深く感動したのだ。
2000年代初頭からツインフィン、2+1、クアッドなどが注目されるようになり、ニールも本格的にシェイプを開始。しかし、その当時のオーストラリアにはオルタナティブボードを削るシェイパーはほとんどいなかったため、リッチ・パヴェルやスキップ・フライといった、カリフォルニアのシェイパーから影響を受けた。ニールにとってシェイプは“流れ”が重要であり、まず最初に完成形をイメージし、一度削り始めたら途中で止めることなく最後まで仕上げる。その過程で苦戦することも多かったが、ある日突然、すんなりできるようになったという。現在、NEAL PURCHASE DESIGNSには10種類ほどのモデルあり、その中にシングルフィンもある。ピンテールが特徴的で、希望に応じてカスタムオーダーも受け付けている。2010年当時、ニールはシングルフィンに夢中になり、ほぼそれしか乗っていかった。フィルム『グラスラブ』では、グリーンマウントでバックサイド・チューブを披露したが、そのとき乗っていたのはリッチ・パヴェルのシングルフィンだった。そんな彼が生み出したシングルフィンの進化系が、DUO(デュオ)である。

スピードを維持しながら、ツインフィンのようなターンが可能なDUOZA。波のポケットでの加速とドライブ、ターン時のグリップ力はDUOを上回る

「シングルフィンのフィーリングを残しながら、パフォーマンス性能を高められないかずっと模索していた。そこで、2本のフィンをパラレルにセットすることでドラッグを抑え、縦へのアプローチも可能になると閃いたんだ」
このデュアルフィン(ツインではない)は、シングルフィン同様にレールやロッカー、テール幅の影響を受けやすく、試行錯誤を重ねた末に理想のカタチへと辿り着いた。その答えが、「2本のフィンの間隔を6インチ、テールからフィンまでの距離も6インチにする」という数式。この数値は、ボードの長さが変わっても不変だ。さらに、フィンをダブルフォイルすることでスピードを損なわず、スムーズな走りとパワーのあるターンを実現。乗り心地はシングルとツインの中間で、2+1に近い感覚だ。またフィン自体のベース幅、高さ、レイクのバランスも微調整を続け、最適なデザインが完成した。見た目こそレトロだが、そのパフォーマンス性能は圧倒的に高いDUO。それをさらに進化させたのが、2年前に開発した「DUOZA(デュオザ)」である。DUOZAはDUOにボンザーのコンセプトを組み合わせ、サイドバイトフィンを追加したモデル。これにより、ターン時のホールド感とドライブ性能がさらに向上している。
長年にわたってシングルフィンに乗り、多種多様な形状、テンプレート、サイズを試しながら、デュアルフィンという革新的なデザインを開発したニール。その挑戦は、これからも続いていく。


ニール・パーチェスJr.

父、シニアからシェイピングの英才教育を受け、2005年から本格的にシェイプをスタート。100%ハンドメイドで作られるボードはオルタナティブが中心で、DUO、APEX TWIN、DUOZAが代表的なモデル。サーファーとしても高い評価を受けている。


photography _ MACHIO

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  • 【シングルフィン特集】MATT CHOJNACKI_歴史から未来を模索する稀有なサーファー
  • 2025.08.16

少年時代からサーフィン史に接し、1950 年代のシングルフィンで当時のスタイルを再現するマット・チョナスキー。今年の冬、偉大なる先人たちに倣いノーリーシュでハワイの大波にチャージした。


SALT..(以下、S):この冬、ハワイに行ってたよね。ノースショアはどうだった?

Matt(以下、M): 12月からサイズが上がるのを待ち続けてたんだ。幸運にも、ハワイアンエアラインのチケットは何度でも変更可能だったため、毎日ドキドキしながら波を待っていた。サンセットではリーシュをつけずに入ったよ。何度も砂浜まで泳ぐ羽目になったが、一度ワイプアウトすると平均45分は泳ぐ。パイオニアたちの苦労と挑戦、その偉大さを実感できた。

S:ワイメアでのチャレンジは衝撃的だったと聞いたけど?

M:そうだね。使用したのは’67年のディック・ブリューワーの9’9”レプリカガン。ショートボード・レボリューション直前のデザインで、ロングボードガン的な特性を持ったシングルフィン。あと、12フィートのグライダーも使用した。これはシドニー・ブルックベールのサーフミュージアムに展示されている、オーストラリアの歴史的ビッグウェーバー、ボブ・パイクが削り、最大級の大波を乗ったもの。ブルックベールはサーフインダストリーの中心地で、シェーン・サーフボード、ベネット・サーフボードはいまも健在している。古いKEYOやホットバタード、スコット・ディランの跡地を巡るのは楽しい。何度も通い、ついにレプリカを手に入れたんだ。先人たちの体験を追体験することで、学ぶことは多い。それから、ロージャー・エリクソンの娘エミーが、10フィートのガンを貸してくれた。50年前のボードのレプリカでワイメアを滑ることには、特別な意味がある。この40年間で、「エディ・アイカウ・ビッグウェイブ・インビテーショナル」はわずか11回しか開催されていない。この大会を観ることは叶わなかったが、同じポイントでこれまで経験できなかったことを実践できたのは大きな収穫だった。オーストラリアにはワイメアと比較できるビッグウェイブポイントは存在しないが、ロングリーフのアウトサイドやベルズ、マンリーのデッドマンなど、大波に挑戦できるポイントはいくつかある。

鍛え抜かれた体躯の理由は、「毎日サンセットで泳いでいたからさ」と笑顔で答える。WLTに参戦しながらコメンテーターとしても活躍

S:今から25年ほど前、KEYOサーフボードのジョン・ギルが「子供ながらクラシックスタイルのロングボードを乗りこなす天才がいる」と紹介されたが。

M:7歳の頃、学校の先生は授業の合間にサーフィンの話しをしてくれた。図書館には土地柄もあってサーフィン関連の本が豊富に揃っていた。例えば「ナット・ヤング」、「ミジェット・ファレリー」、「マーク・ウォーレンのサーフィンアトラス」などを、夢中になって読み漁った。ノーザンビーチには、ミジェット・ファレリーやボー・ヤング、キャロル兄弟、クリス・デビッドソン、ネーザン・ヘッジ、ダミアン・ハードマン、バートン・リンチ、サイモン・アンダーソンといった伝説的なサーファーが数多くいる。さらに、ケリー・スレーターやマーティン・ポッターも定期的に訪れており、世界のトップサーファーを間近で見る機会に恵まれた。スタイルは異なるが、オジー・ライトのアート性は際立っていた。私の双子の姉妹はバレーをしているが、サーフィンとバレエはどこか似ている気がする。フィル・エドワーズ、ミッキー・ドラ、テリー・フィッツジェラルド、バリー・カナイアウプニ、ジョエル・チューダー── 彼らのサーフィンは、エレガントで力強いバレリーナのようだ。どちらもアート性を追求している点が共通する。サーフィンは単なるスポーツではなく、アートだ。サーフボードの進化も目まぐるしいが、その基本はシングルフィン。すべてはそこから始まった。

S:最近、シングルフィンに乗る人が増えているけど?

M:シングルフィンが再び脚光を浴びているのには理由がある。現代社会は複雑化しすぎて、選択肢が増えすぎた。その反動の「メイク・イット・シンプル」の精神で、シングルフィンへと回帰する流れが生まれていると思う。トラディショナルなロングボードとシングルフィンには共通性がある。コンペティション用のボードとは異なり、ライディングを通じて海との繋がりを深く感じることができるんだ。

スタイルこそすべて! ライディングのみならず、ファッションやクルマに至るまで、トラディショナルブームの火付け役である

S:ノーズライドに適したフィンは?

M:ベースが広く厚みがあるもので、ボードの後方にセットするのが基本だ。テールにスープが覆い被さるため、安定性が重要となる。グリノー・フィンの影響もあり、チップ部分に柔軟性を持たせることで、水中での重力に対する反発力を得ることができる。但し、この特性の好みは、サーファーによって異なる。できるだけ多くのフィンで試すことも、楽しみのひとつだ。

S:話は変わるが、なぜ’50年代から’60年代にこだわるの? アレックス・ノストやサイラス・サットンがカリフォルニアから訪ねて来ていたが、互いに影響しあってる?

M:サーフボード以外も’50年代のモダンカルチャーが好きで、彼らも同じ志向があった。サーフミュージックという言葉が生まれる前のロックンロールなファッションやライフスタイルには、共通点が多い。不思議なことに、当時のサーファーたちも同じようなファッション、クルマ、生活様式を好んでいた。ホットロッドやバイク、ユースカルチャーは互いに影響を与え合っている。父が車の修理工場を経営していたこともあり、古いクラシックカーの手入れ方法も学んだ。エンジンを分解したり、板金塗装をしたりしているうちに、「こんなクルマで海に行けたらクール」と思いやってみた。実際かなり目立ったけど、途中で故障し路上で修理することも多かった。サーフボードもヴィンテージカーも手間はかかるけど、モダンを理解するのに欠かせない知識を得ることができる。

オールドタイマーたちから英才教育を受けたマットは、次の世代を育てている。誰もいない沖で一人波待ちする時間は、ある種の瞑想状態と例える

S:最後に、これから目指す方向性は?

M:スクールでも提唱しているが、「アート・オブ・トリム」を進めていきたい。そのために、ヨーガやマーシャルアーツ、太極拳なども取り入れている。“トリム”の意味は人それぞれで異なるが、波のカールの直前で動かず静止した状態で、速く・滑らかに進むこと。まるで禅のような心境に至る感覚だ。これは、静かな熟達の境地とも言える。ロングボードやトラディショナルなサーフィンでは、トリムこそが最も基本的な波との接点とされている。派手ではないが、トリムなくして海とのコネクションやパワーを感じ取るはできない。だからこそトリムの重要性を伝えていくことに、注力していきたい。

マット・チョナスキー
1988年生まれ、シドニー出身。幼少期よりレジェンドサーファーたちと交流し、クラシック・ロングボードで頭角を現す。独自のスタイルを築きながら、ビッグウェイブへの挑戦や、WLTコンテストの参戦など幅広く活躍。


photography _ courtesy of MATT CHOJNACK Collection text _ Tadashi Yaguchi

>>SALT...#04から抜粋。続きは誌面でご覧ください

「SALT…Magazine #04」 ¥3300
サーフィン、暮らし、生き方、そして思考をより本質的なものへと回帰。シンプルで持続可能な在り方を追求することこそが、真の豊かさにつながる。

<Contents>
⚪︎Burleigh Single Fin Festival
⚪︎未知なる領域へ̶̶ サーフィンの新境地
⚪︎シングルフィンを愛する10人のインタビュー
⚪︎STILL AND TRUE
⚪︎笹子夏輝 ~カリフォルニア・スタイル巡礼の旅
⚪︎サーフィンによるマインドセットのススメ
⚪︎Stories Behind the Waves
⚪︎今を生きるサーファーたちのダイアログ
⚪︎世界の果て、南ポルトガル・サグレス
⚪︎Column _ Miyu Fukada

オンラインストアにて発売中!

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  • 【シングルフィン特集】KAI ELLICE-FLINT_理想のライディングを求め自らボードを削る
  • 2025.08.01

父親から7’11”のシングルフィンを譲り受け、自然とサーフィンを始めたカイ・エリス=フリント。グラッサー、シェイパーとしてサーフボード作りに携わりながら、世界タイトルを狙う。


静と動のコントラストが観るものを魅了する

シドニーからクルマで北に約1時間半の場所にあるユーミナビーチ。都市の喧騒から離れたこのエリアは、“隠れた楽園”と称される程の美しさを誇る。手つかずの自然が広がり、どこまでも続く美しい白浜には、穏やかなうねりが打ち寄せる。視線を向ければ、対岸にはパームビーチがあり、そこには1960年代に都心を離れたヒッピーたちが移り住み、ボブ・マクタビッシュをはじめとするクリエイティブなシェイパーたちが暮らしている。そんな自由な文化と洗練されたサーフインンの歴史が息づく環境で、カイは育った。
カイがサーフィンを始めたのは幼少期。父親から譲り受けた7’11”の古いシングルフィンのボードが、彼の人生を大きく変えた。幼い頃から『Morning of the Earth』や『Endless Summer』、『Longer』といったクラシックなサーフィン映画を繰り返し観るうちに、彼の心にはある確信が芽生えていた。“シングルフィンこそ、自分のスタイルに最も合ったボード”ということ。シングルフィンの特性上、自らスピードを生み出すのではなく、波のエネルギーを的確に捉え、その流れに沿ってスムーズに乗る技術が求められる。波と一体化し、無駄のない動きでライディングする——そのシンプルでエレガントなスタイルに、カイは強く惹かれていった。

スタイリッシュなハングテン。波と完全にシシンクロし、両足が完全にノーズを捉えると時空が歪んだかのような一瞬を体感する

いまはバイロンベイに移住し、WSLに出場するための遠征費用を稼ぐべく、グラッサーとして忙しい日々を送っている。仕事の合間を縫って海に行き、自らデザインし、シェイプしたボードでサーフィンをする。彼のライディングは決して派手ではない。冷静に波と向き合い、独特なリズムでボードを操る様子は、まるでスローモーションの映像を見ているかのようである。波のパワーゾーンを探りながら余計な動きは一切排除し、ターンの瞬間に鋭いカービングで秘めた力を解放する。その静と動のコントラストが、彼の個性を際立たせ、多くのサーファーを魅了している。
10年前、カイはグラッシングだけでなくシェイピングにも本格的に取り組み始めた。サーフボードの製作過程をすべて理解しなければ、自分が理想とするライディングが実現できないと考えたからだ。彼は’60年代からのデザインの進化を研究し、’70年〜’80年代に興った技術革新を積極的に取り入れた。その結果、ロビン・キーガルとドナルド・タカヤマのスタイルの中間に位置するようなボード作りを目指すようになる。伝統的なデザインを尊重しながらも、最新のフォイルやテクノロジー、素材を駆使し、軽量かつフレックス性の高いパフォーマンスボードを開発している。

グラッサーの仕事を終えて帰宅し、シャワーを浴びると再びシェイピングベイに戻り自分のボードを削る

1965年当時のGordon & Smithからテンプレートを取る。厚みを薄くし、テールをシャープにするなどアレンジを加えてアップデート

バイロンベイのサーフショップ「ワイルドシングス」とコラボレーションし、フィンのデザインを手掛ける一方で、自らが100%納得できるボードデザインが完成するまで、自身のブランド「Higher Statement Surfboard」のカスタムオーダーを停止している。収益を追求するよりも、理想のボード作りに専念するその姿勢は、レジェンドシェイパーたちと共通するものがある。
9歳からコンテストに出場し始めたが、ここ10年ほどは競技への情熱を失っていた。遠征先ではパーティ三昧の日々を送り、次第に自分を見失い、何を目指しているのかさえ分からなくなっていた。そんな自暴自棄に陥っていたとき、転機が訪れる。2024年10月、エルサルバドルで開催されたコンテストの帰路、CJ・ネルソンが主催するメンズ・メンタルヘルスのリトリートに参加することになる。そこで、自分がどれだけ恵まれていたか、そしてどれほど人生を無駄にしていたかを痛感した。
帰国後、彼は生活を一変させた。朝4時に起床し、ランニング、ヨガ、瞑想を取り入れ、心と体を鍛え直した。そして、これまでの20年間を費やしてきたサーフィンに、改めて真剣に向き合うことを決意する。2025年2月、ゴールドコーストで開催されたWSLオープンに出場し、ついに決勝の舞台へと進んだ。決勝戦では2度も岩場にボードを流し、泳いで取りに行くことで体力を消耗してしまう。残り3分、必要なポイントは7.1ポイント——カイは心の中で自分に言い聞かせた。「本当に勝ちたいなら、ここで踏ん張れ。何をしにきたのか思い出せ!」。

波のパワーゾーンをキープしフィンと水が噛み合う僅かな振動を感じ取る。フェイスの曲線をなぞるようにレールを入れたターン

ヨガで心身を整え、日の出と共に海に向かう。ボードにセットされているフィンは、オリジナルデザインの「レガシー9.8”」

自然に身を委ね、海の感触を確かめ、顔に吹きつけるオンショアの風と波しぶきを感じながら、最後のセットを待つ。そして、その波で見事7.2ポイントを叩き出し、劇的な逆転勝利を果たした。これは単なる偶然ではなかった。カイは“ラスト数分でスコアが必要な状況でも、絶対に勝てる”と信じられる自分を作るために、数ヶ月間フィジカルとメンタルの両方を徹底的に鍛えてきた。そして、その努力がついに報われたのだ。
いまは自らの経験を活かし、若手サーファーの育成にも力を注いでいる。自身のブランドの再開準備を進めながら、次なる世界大会への挑戦を視野に入れ、さらなる進化を目指している。彼のサーフィンにかける思いは、これからも変わることなく続いていくだろう。

カイ・エリス=フリント
1996年生まれ、バイロンベイ在住。シェイパー、フリーサーファー、コンペティター。WSLロングボードランキング11位(2025年3月)、理想のライディングを求め、自らボードを削る。


photography & text _ Zack Balang

>>SALT...#04から抜粋。続きは誌面でご覧ください

「SALT…Magazine #04」 ¥3300
サーフィン、暮らし、生き方、そして思考をより本質的なものへと回帰。シンプルで持続可能な在り方を追求することこそが、真の豊かさにつながる。

<Contents>
⚪︎Burleigh Single Fin Festival
⚪︎未知なる領域へ̶̶ サーフィンの新境地
⚪︎シングルフィンを愛する10人のインタビュー
⚪︎STILL AND TRUE
⚪︎笹子夏輝 ~カリフォルニア・スタイル巡礼の旅
⚪︎サーフィンによるマインドセットのススメ
⚪︎Stories Behind the Waves
⚪︎今を生きるサーファーたちのダイアログ
⚪︎世界の果て、南ポルトガル・サグレス
⚪︎Column _ Miyu Fukada

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