#サーフトリップ

  • 【連載:Ride of a Lifetime】カナダからカリフォルニアまで、ヴァンで旅するサーファーの旅の記録_Episode 17/無常迅速
  • 2026.04.15

楽園の夜に突きつけられた現実

南バハにも、北からのスウェルを拾うポイントがある。
トドスサントス——空港のあるラパス、南端のサンホセ・デル・カボといった町が点在し、この一帯に入った瞬間、人の密度が一気に上がった。パームツリー、白砂の浜辺、コバルトブルーの海。それまで人のいない砂漠を抜けてきた僕たちにとっては、大きな変化だった。人が増えれば、窃盗などのリスクも高まる。そう警戒はしていた。
シーズン一発目の北スウェルが届いていた。セリトスというビーチをチェックすると、セットで頭半ほどの波が割れている。ボトムはサンドで、アウトからはクローズ気味の波も入り、久々にビーチブレイク特有のスリリングな感覚を味わった。
町の人の多さに圧倒され、僕らは静かなビーチを求めた。アプリで見つけた無料のキャンプスポットへ向かう。到着すると、大きなショアブレイクの向こうに沈む夕日が、波をエメラルドグリーンに染めていた。釣りをする人や、ほかのキャンパーもいて、ゆったりとした時間が流れている。その夜、僕らは安心して眠りについた。

バハ半島の南端の町、カボ・サンルーカス。カナダやアメリカから冬の寒さをしのぐためにここに集まる

セリトスビーチ。WQSなども行われる観光客にも人気の場所だが、まだ道は舗装されていない

バハに点在するシークレットの一つ。真西に面していて北も南もうねりを拾うが、滞在した4日間一度もサーフィンをすることはできなかった

海へ抜けるためにプライベートエリアを通過することもある。通っていいのかわからないが、前に進むしかない

午前2時頃、ヴァンをノックする音で目が覚めた。この時間に声をかけてくるのは、たいてい警察だ。そう思い緊張が走ったが、外に立っていたのは普通の一般人に見えた。
「六角レンチを貸してほしい」
拙いスペイン語では完全には聞き取れなかったが、何かに困っていることは伝わってきた。奇妙な時間ではあったが、この旅で僕らも多くの人に助けられてきた。今度は自分の番だと思い、持っているレンチを取り出した。そのまま持ち去られるのも嫌だったので、彼と一緒に車まで歩くことにした。出身地はどこか——そんな他愛のない会話をしていると、200メートルほど先に一台の車が止まっており、ほかに3人の男が待っていた。
「どうしたんだろう?」そう思った瞬間だった。
「SHUT UP!!!」
こめかみに冷たいものが押し当てられる。
ピストルだった。
一瞬で状況を理解した。両腕を二人の男に押さえられ、車の中に押し込まれる。
誘拐——その言葉が頭をよぎった。

自分のことより、先に妻の顔が浮かんだ。もしここで消えたら、彼女は一人になる。自分一人なら、いざとなれば逃げることもできるかもしれない。だが、妻を一人にするわけにはいかない。幸いにも、彼らが要求してきたのは金だけだった。
夜中の2時、寝ているところを突然起こされ、「六角レンチを貸してほしい」と言ってきた相手に、まとまった現金を持っているはずがない。そう伝えると、「くそっ!」と、想定外だったかのような反応を見せた。その瞬間、彼らが素人である可能性が頭をよぎった。だが、油断はできない。仮に持っているピストルが本物であれば——抵抗は禁物。この掟は絶対だった。
僕らは、このような事態に備えていた。パスポートやクレジットカードは分散して隠してある。被害は最小限に抑えられるはずだった。
車に乗せられたまま、僕のヴァンのもとへ戻る。ヴァンの中には、手の届く場所にカメラやパソコンがあった。だが彼らは、早く立ち去りたいという焦りからか、車内を細かく調べようとはしなかった。
いつも持ち歩いているポーチを差し出す。中には現金1万5千円ほどとクレジットカード、そして寿司屋で働いていた頃にお客さんからもらったカードケース。そしてスマートフォン。すべてを奪うと、赤いテールランプは闇の中へ消えていった。
まず、妻に危害が及ばなかったことに、心から安堵した。強盗の話は以前から耳にしていたが、まさか自分たちが経験するとは思っていなかった。まだ起きていた近くのキャンパーに事情を説明し、彼らの隣に車を移して夜明けまで過ごしたが、ほとんど眠ることはできなかった。

翌朝、カボ・サン・ルーカスの交番で被害届を出した。形式的な対応はしてくれたが、実際に捜査が進むことはないだろう。お金を積まない限りは。
その後しばらくは、出会う人すべてを疑ってしまった。だが、それも時間とともに薄れていく。
今回の出来事は、不運だった。ただ、それだけではない。正規のキャンプ場を選んでいれば、防げた可能性は高い。僕らにも落ち度はあった。
それでも——バハという場所を、嫌いになることはなかった。

メキシコ本土に渡ろうか決め悩んでいたところ強盗に遭い、その先は諦めた。代わりにこのバハ半島の南端で1か月過ごした

大好きなプラヤ・パルミージャ。リゾートホテルの中にあるパブリックビーチで監視カメラもある

カボ・サンルーカスから少し東に行くとサンホゼというエリアがある。リゾート地になっていて海がとてもきれい

古川良太(サーファー/鮨職人)
20代の3年間、カナダ、オーストラリア、インドネシア、中南米の波を求めて旅を重ね、サーフィンに明け暮れる。帰国後は鮨職人として6年間修行し、日本文化と真摯に向き合う日々を送る。現在は妻と共にヴァンライフを送りながら、カナダからアメリカ西海岸をロードトリップ中。旅の様子はYouTube「アーシングジャーナル」で定期的に公開。
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  • 【連載:Ride of a Lifetime】カナダからカリフォルニアまで、ヴァンで旅するサーファーの旅の記録_Episode 16/色即是空
  • 2026.04.02

夢の波、記憶の彼方へ

サーファーなら一度は夢見るブレイクが、世界各地に点在する。ここスコーピオンベイも、その一つだ。荒野に囲まれたユニークな地形、そして何より、世界有数のロングライドが楽しめる。
僕らがこの場所に着いたとき、シーズン最後であろうスウェルが押し寄せていた。ここは1st Pointと呼ばれる一番手前のブレイクから、海岸線沿いにポイントが連なっている。一番奥まで行けば6thまであるが、主に人気なのは2ndから4thまでの間だ。南からの大きなスウェルが決まると、普段はそれぞれ独立しているスポットが繋がり、夢のようなロングライドが姿を現すという。2ndから3rd手前の崖の上はすべてキャンプ場となっており、波を眺めながらくつろぐことができる、サーファーにとって最高のロケーションだった。

南からのスウェルが半島を巻き込むように入ってくる。条件が揃うと、戻るのに車が必要になるほどロングライドできる

朝、カーテンを開けると、すでにゆっくりと長く割れる波が連なっていた。コーヒーを挽きながら、潮が引くのを待つ。このスウェルのためにキャンプ場には多くの人が来ていたが、皆それぞれのタイミングを待ち、パドルアウトしていく。誰もガツガツすることなく、有名なスポットとはいえ、穏やかな雰囲気が流れていた。
僕らは初日、2nd Pointでサーフィンをした。このブレイクは大きなベイエリアとなっていて、砂混じりのリーフの上で割れるトロめの波。ロングボーダーや初心者、年配のサーファーも楽しめる人気のスポットだ。横一直線にアプローチするスウェルラインにボードを引っ掛け、テイクオフする。だらだらと崩れていく波は、地形によって何度もリフォームを繰り返し、インサイドまで乗っていける。ターンをするわけでもなく、ただ純粋に波に乗ることを楽しむ。気づけば、1分以上乗っていることもあった。
夕方、僕は一人で3rd Pointに入った。波のフェイスは張りを見せ、3〜4ftのファンウェーブ。足元で水面を走るボードには、確かなスピードを感じる。夕日を背に、自由にラインを描いていく。南半球から何千キロも海を越えてやってきた波の、最後の数十秒を共にする。この瞬間のために、僕はカナダから何千キロも旅をしてきた。ただ波に乗りたくて。
ひとつの夢が叶った瞬間だった。
だが意外にも、その時間はあっという間に過去となり、夢は記憶へと姿を変えていった。

ロータイドのときの2nd point。手前にリーフが見えるが、昔はすべて砂浜だったと聞いた

波がいいと自然と駆け足になっていく! 崖からビーチまでのアクセスが急で降りるのが意外大変

ここでもボリュームのあるボードが大活躍だった。厚めに割れる波でもボードが滑り出すのが早い

水温も温かくタッパーがあれば十分。手前のリーフが鋭いのでロータイドのときは注意が必要


満月の夜、同じキャンプ場にいた老夫婦にキャンプファイヤーに誘われた。意外にも、バハを旅している若者はあまり多くない。ほとんど出会うのは、年配の人たちだ。そして彼らには、一つの共通点があった。
「1980年代からバハに通っている」
彼らもまた、若い頃に訪れて以来、この地の虜になっていた。火を囲みながら、昔の話を聞かせてくれた。橙色に照らされた彼らの顔の陰影に、僕は40年後の自分の姿を重ねていた。そして彼らの優しい眼差しもまた、僕らに若かりし日の自分たちを重ねているようだった。
消費社会の中で、日々すり減っていく充足感。そんな世界とは対照的に、バハは昔から変わらず、今もそこに在り続けているのだと思う。
「足るを知る」
電波も何もない場所にあったのは、お金では決して買うことのできない経験だった。一つひとつ経験を重ね、自分の世界を広げていく。世界は広いようで狭く、狭いようで広い。手の届かない場所にあると思いきや、それはすぐそばにあることもある。近くにありながら、それに気づかなければ、触れることすらできない。

サンセットをバックにサーフィン。サーファーはいたが、ポイントが広いため混んでいる印象はなかった

古川良太(サーファー/鮨職人)
20代の3年間、カナダ、オーストラリア、インドネシア、中南米の波を求めて旅を重ね、サーフィンに明け暮れる。帰国後は鮨職人として6年間修行し、日本文化と真摯に向き合う日々を送る。現在は妻と共にヴァンライフを送りながら、カナダからアメリカ西海岸をロードトリップ中。旅の様子はYouTube「アーシングジャーナル」で定期的に公開。
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  • 【連載:Ride of a Lifetime】カナダからカリフォルニアまで、ヴァンで旅するサーファーの旅の記録_Episode 15/千里一到
  • 2026.03.18

スコーピオンベイへの長い道

スコーピオンベイへのアプローチには、主に2つのルートがある。サン・イグナシオという町から、ひたすら塩の平原や砂地を抜けていくノースルート。もう一つはハイウェイ1沿いを進み、南からアプローチするルートだ。だが、マップでさらに調べてみると、内海側から一直線に抜ける道も存在した。ガイドブックによれば、どのルートを選んでも未舗装路は避けられない。北は距離が短い代わりにダートが長く、万が一スタックすれば、数日間誰も通らない可能性もあるという。南は安全だが遠回りになる。熟考の末、内海側からのルートが最も合理的に思えた。週末にかけて波が上がる予報だった。そのタイミングに合わせ、僕らはスコーピオンベイへ向かった。
内海は、これまで通ってきたバハとはまた違う表情を見せた。穏やかで、スカイブルーに透き通った海。緑も増え、気温も幾分か高い。人がほとんどいない太平洋側とは違い、町もあり、ところどころ栄えている印象だった。ハイウェイから隠れた誰もいないビーチでキャンプをしたり、少しずつ車を進めていく。予定に縛られていないから、急いで運転する必要もない。きれいな場所があれば寄るし、キャンプしたい場所があればキャンプする。特に何をするわけでもなく、ただその場所にいる。旅がライフスタイルになっている僕らにとって、時間の使い方は無限だった。

太平洋側は乾燥していて砂漠だったが、内海に行くとパームツリーも生えてて、違う国に来たように景色を変えた

内海にある海の目の前のキャンプ場。メキシコ本土との間で湾になっていて穏やかな時間が流れる


翌日、グーグルマップを頼りに太平洋側へと右折する。
「あれ?」
地図上では太い道だった。途中までは舗装路だと思っていたが、実際にはオフロードだった。だが、そこまでの悪路でもなかったので、とりあえずタイヤの空気圧を下げて、ただまっすぐ進んだ。バハの太陽がじりじりと肌を刺す。奥へ進めば進むほど、道は険しくなっていく。妻に車から降りてもらい、足場を確認してもらわなければ通れないような崖際の道を抜ける。ハンドルを握る手は震えていた。こんな道をあと100キロも進まなければならないと考えると気が遠くなる。だが、もしかしたらこの難所を抜ければ平坦な道が続くのではないか。そんな期待を抱きながら進んでいったが、道はさらに悪くなる一方だった。前方から一台のトラックキャンパーがやってくるのが、遠目に確認できた。すれ違えるスペースで停車し、話を聞いた。この先に1メートルを超えるギャップがあり、彼らの四駆の車でも通れないと判断して引き返してきたのだという。到底、僕らのヴァンでは無理だ。僕らも彼らに次いで引き返すことにした。

南に下っていくとだんだんとサボテンが増えていった

ハイウェイの途中にあったサボテンと大きな岩で囲まれるキャンプ場

これぞバハという景色! サンダルで歩き回っていたが、ガラガラヘビやサソリがいるらしい

迷い込んでしまった内海から太平洋へとつながる道。途中でトラブルが無く出てこれて本当に良かった

仮に最後まで進んで通れない場所があったとしたら——。この道に入ってから1時間の地点で引き返せたのは、むしろ幸運だった。だが、僕は焦っていた。翌日がベストコンディションになるとわかっていたからだ。しかし、南からの道は4時間はかかる。メインのハイウェイに戻ってきたときには、すでに16時を回っていた。明るいうちに着けないのはわかっていた。それでも、強行するしか僕の頭にはなかった。
そこからは太陽との競争だった。いかに日が沈む前に距離を稼げるか。夜になり視界が悪くなると、さまざまな危険がある。センターラインをはみ出してくる大型トレーラー。道を渡ろうとする牛。カルテル。警察ですら、人目につかない場所では何をするかわからない。残り150キロのところで陽は完全に沈み、辺りは街灯もなく真っ暗になった。車のヘッドライトだけが視界を照らす。視界が悪いので速度を落として走っていると、道のど真ん中に一頭の牛がいた。こんなのに突っ込んだらひとたまりもない。ゆっくり走っていて本当によかったと、心の底から思った。南からの道も、最後の30キロは未舗装路だとガイドブックには書いてあった。だが、なんとスコーピオンベイの町まで走りやすいように舗装されていて、なんとか20時ごろには到着することができた。

海辺の崖の上にヴァンを停めると、月明かりが海面を静かに照らしていた。時折、セットの波が崖下に押し寄せる。その音は、うねりがすでに入り始めている証だった。とうとうここまで来た。12秒間隔で規則正しく割れる波の音を聞きながら、高鳴る鼓動を静かに落ち着かせ、僕は眠りについた。

とあるシークレットスポット。波は小さかったが形よく割れていて、ロングに最高の波


古川良太(サーファー/鮨職人)
20代の3年間、カナダ、オーストラリア、インドネシア、中南米の波を求めて旅を重ね、サーフィンに明け暮れる。帰国後は鮨職人として6年間修行し、日本文化と真摯に向き合う日々を送る。現在は妻と共にヴァンライフを送りながら、カナダからアメリカ西海岸をロードトリップ中。旅の様子はYouTube「アーシングジャーナル」で定期的に公開。
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  • 【連載:Ride of a Lifetime】カナダからカリフォルニアまで、ヴァンで旅するサーファーの旅の記録_Episode 14/雲水行脚
  • 2026.03.04

うねりの季節をまたいで、半島を南へ

バハカリフォルニアには、大きく分けて2つの波がある。夏、南半球から押し寄せるスウェル。そして冬、ハワイから届く北のスウェル。何千年、何万年と繰り返されてきたであろうこの周期が、半島の海岸線を削り、いまの姿をつくり上げてきた。そのほとんどは、護岸工事や港の建設による地形変化の影響を受けることなく、ありのままの姿を保っている。僕らがバハを南へ下り始めたのは、すでに10月に入っていた。南うねりが落ち着き、北うねりが次第に強まりはじめる季節だった。
「頼む、もう一発だけ南うねりが届いてくれ!」
バハといえば、言わずと知れたスコーピオンベイ。そこに照準を合わせ、僕らは南下していた。バハのブレイクは無数に点在している。だが、その多くはメインのハイウェイを外れ、未舗装路を進んだ先にある。1988年式の僕らのヴァンで、本当に辿り着けるのか? それは行ってみなければわからない、ひとつの賭けだった。

道中、至るところに牛の姿が。夜に運転してはいけない理由のひとつは、彼らがふいに道に現れるからだ

途中寄り道をして、バハ最高峰の山、Picacho del Diabloへ

エンセナダの町を越えた瞬間、一気に大自然が広がる。乾いた空気と褐色の山々を貫く一本の道。まさに思い描いていたバハの風景だった。途中で道を折れ、海岸線へ向かう。すでに視界の先には海が見えているのに、路面状況が悪く前へ進めない。結局、来た道を引き返し、回り道を余儀なくされた。
今度は太陽との闘いだ。明るいうちに目的地へ到着したい。そんな焦りが、握ったハンドルをじっとりと湿らせる。誤算も予定のうちに入れておかなければ、大変なことになる。それを初日で学んだ。到着したときにはすでに日が暮れていた。危険だとわかっていながら、ワイルドキャンプをして翌朝を待った。
翌朝、ポイントに到着すると、わずかではあるがサーフィン可能な波が割れていた。サーファーは僕らのほかに、たった一人。混雑とは無縁の世界。波が整っていく様子を眺めながら準備をし、パドルアウトする。上から見ると小さく見えた波も、実際に入ってみるとセットで腹ほどのファンウェーブだった。夕方になると風が落ち着き、うねりもわずかに強まり、コンディションはさらにクリーンになる。サンセットを眺めながら、ひとりだけのセッション。テイクオフした瞬間、いつもとは違うラインが描ける。そこにあるのは波と自分だけ。何にも縛られずることなく、波と融合した魂のダンスだった。

比較的アクセスしやすいロケーションながら、無人で割れ続けるライトハンド。目の前には宿もあり申し分のない条件が揃う

何もない場所で迎えたキャンプ初日。ガイドブックには“危険エリア”とあり、夜は深くは眠れなかった

ここは昔小さなフィッシュキャンプと呼ばれる場所で、家が4軒建ってたことが名前の由来になってる

そこからさらに南へ車を走らせ、次のポイントへ向かう。ここもまた無人の波。岬に沿って巻き込むようにブレイクするライトハンドだ。小さく、ゆっくりと割れていくその波は、ロングボードに乗る妻にとって、まさに楽園のようだった。この先も、こんなポイントがずっと連なっているのだろうか。想像するだけで、思わず笑みがこぼれる。サンディエゴに到着したあの日、バハへ向かう決断をした自分たちを、いまなら心から褒めてあげたい。
未知への恐怖ほど、人を縛るものはない。その先に幸せがあるかもしれないことすら知らず、恐れはしばしば真逆の力となって心を支配する。人生の縮図のような濃密な経験を、いまこの瞬間に実感できていること。それ自体が、何よりの幸せだ。
ただ波に乗るだけではない。サーフィンを通して、生き方のヒントを学ぶ。その姿勢こそが、サーファーの神髄なのではないか。
バハの旅は、まるでクエストのようだ。ことあるごとにイベントが発生する。何百キロもガソリンスタンドがないエリア。土砂崩れで通行不能になる道。カルテルが活発な地域――。すべてが現在進行形で変化し、ガイドブックの情報すら追いつかない。だが、このクエストをクリアした先には極上の波が待っている。そんな期待に胸を膨らませながら、今日もまた南へと進んでいく。

バハでも名の知れたブレイクのひとつだが、シーズン終盤ということもあり、海にいるのは僕らだけ

腰腹サイズのメローウェーブ。バハはハードなのではと構えていた妻にとって、ここはまるで楽園のようなブレイクだった

世界で3番目に星が美しく見えると言われるSan Pedro Martir。バハの荒野を登った先に森が広がる、知る人ぞ知る穴場スポット

古川良太(サーファー/鮨職人)
20代の3年間、カナダ、オーストラリア、インドネシア、中南米の波を求めて旅を重ね、サーフィンに明け暮れる。帰国後は鮨職人として6年間修行し、日本文化と真摯に向き合う日々を送る。現在は妻と共にヴァンライフを送りながら、カナダからアメリカ西海岸をロードトリップ中。旅の様子はYouTube「アーシングジャーナル」で定期的に公開。
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  • 【連載:Ride of a Lifetime】カナダからカリフォルニアまで、ヴァンで旅するサーファーの旅の記録_Episode 13/日々是好日
  • 2026.02.18

知られたくない海、知りすぎない自由

アメリカより物価は安いと聞いていた。だが実際には、毎日のキャンプ代がじわじわと積み重なり、ガソリン代も高い。気づけば、アメリカをロードトリップしていた時よりも出費はかさんでいた。さらにバハでは、四駆が望ましいとされている。途中には険しい道も多く、車両の整備にもある程度の投資が必要だった。幸い、メキシコのメカニックは古いクルマにとにかく強く、知識があり、工賃も安い。かなりのパーツを交換したが、アメリカでかかるであろう金額の5分の1くらいですんだ。
「ここなら大丈夫だろう」そう思い、節約のつもりで町の無料駐車場に泊まった夜もあった。だが朝方、運転席側のドアを開けようとする音で飛び起きた。
「メキシコは、安全をお金で買う国だ」
バハに入って間もなく、エンセナーダで寿司屋を営む日本人に言われた言葉が、強く胸に刺さった。生活に慣れると、人はすぐに油断する。だが、メキシコはそんな甘さを許してはくれなかった。

ヴァンの修理をお願いしたメカニック。飛び込みでお願いしたのに快く引き受けてくれた

旅の道中では現地の魚を握ることも。エンセナーダに店を構えるお寿司屋さん「村治郎」でもその機会をもらった

国境から南へ1時間ほど下ると、コアなサーファーの間では知られたポイントがある。
San Miguel(サンミゲル)──。
文字だけのガイドブックを頼りに辿り着いたそのポイントは、バハ半島でも屈指のブレイクを誇る。1980年代に未知なる波を求めて国境を越えたアメリカ人サーファーたちによって発見された、メキシコで最初にサーフされた場所とも言われている。現在ポイントの目の前は駐車場兼キャンプ場になり、入口にはゲートが設けられている。地元の人間によって守られたエリアだ。
サイクロンの残りスウェルで、きれいなライトが割れていた。自然とワックスを塗る手が速くなる。手前の大きな玉石と、石の間に潜むウニに注意しながらアウトへ出る。水量が多く、パワーがあり、ほどよく立ち上がりながらスピードよくブレイクしていく波だ。久しぶりにショートボードに乗りたくなった。
有名なポイントは、ベストコンディションの映像をSNSで何度も目にしているせいで、目の前の波に対する純粋な感動が薄れることがある。だがバハには、かつて「海に行くだけでワクワクしていた」あの感覚を思い出させる力があった。未知のブレイクを見つけた瞬間の高揚感は、良い波に乗れた時以上のものになることもある。波を眺めながらマインドサーフィンする、あの感覚だ。だが実際にパドルアウトすれば現実に引き戻され、自分の下手さに嫌気がさすこともある。それでも、この一連の流れごと新しい波と向き合う行為こそが、シンプルで、究極で、僕にとっての最大の営みなのだ。

冬の北うねりで本領発揮をするサンミゲル。沖合にはビッグウェーブで有名なスポットもある

知り合いから教えられなかったらスルーしてたであろうポイント。両方向にブレイクし、手前はビギナーでも楽しめる

別のポイントで撮影をしながらサーフィンしていた時、アメリカ人サーファーに声をかけられた。
「バハは昔のスタイルを大切にしている。SNSには上げないでくれ」
良い波が知られれば、すぐに人が集まり、たちまち有名スポットへと変わってしまう。知られたくない。そして、自分も知りたくない。そこに辿り着くまでは。アニメのネタバレをしてほしくないのと、きっと同じ感覚だ。未知の世界へ踏み込む勇気を持った者だけが味わえる波。サーファーのユートピアは、サーファー自身の手で守られていた。
世界のサーフスポットはほぼ発掘され尽くした現代でもなお、個々による未知の波を探し求める開拓が続いている。バハ半島に直撃しそうなサイクロンの様子を伺いながら、2週間滞在したエンセナーダを離れ、さらに奥へと進んでいった。

美味いタコス屋はスタッフの顔がとにかくいい! 自信が溢れる料理はやっぱりうまい

ワールドクラスの波の目の前でキャンプができる、サーファーにとっては夢の場所


古川良太(サーファー/鮨職人)
20代の3年間、カナダ、オーストラリア、インドネシア、中南米の波を求めて旅を重ね、サーフィンに明け暮れる。帰国後は鮨職人として6年間修行し、日本文化と真摯に向き合う日々を送る。現在は妻と共にヴァンライフを送りながら、カナダからアメリカ西海岸をロードトリップ中。旅の様子はYouTube「アーシングジャーナル」で定期的に公開。
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  • 【連載:Ride of a Lifetime】カナダからカリフォルニアまで、ヴァンで旅するサーファーの旅の記録_Episode 12/行脚無住
  • 2026.02.04

バハ・カリフォルニア、国境の先で

辺りに漂う下水の臭い。舗装はされているが、穴だらけの道。車窓に広がる景色は砂ぼこりで霞み、国境を越えた瞬間、世界はガラリと姿を変えた。
このロードトリップを計画した当初から、バハへの旅は選択肢のひとつにあった。ただ、8年前のように一人で我武者羅に旅をしていた頃とは状況が違う。今回は妻と一緒だ。その事実が、安全面において簡単に「行く」という決断を許さなかった。
アメリカを南下する道中、バハに行くつもりだと話すと、サンディエゴに近づくにつれて、よりリアルな情報が集まり始めた。ネットに流れてくる情報をすべて鵜呑みにしてはいけない。“メキシコ=危険”というイメージが根強く存在するのは確かだ。だが、メキシコにも普通に生活している人たちがいる。修羅の国に足を踏み入れようとしているわけではない。僕たちは、楽園に向かっているのだ。

国境を越えた道中。右手に設けられている高い柵がアメリカとメキシコとの国境

バハに行ったことがある人たちは、口を揃えてこう言う。「バハは最高だ。また戻りたい」。この一言に、すべてが詰まっている気がした。とはいえ、楽園にも危険な側面があるのは事実だ。約2年前、オーストラリア人2人とアメリカ人サーファー1人が、井戸の中で見つかるという事件があった。旅行者がトラブルに巻き込まれる話を耳にすることもある。だが、それが日常茶飯事というわけではない。守るべきことは2つだけ。陽が落ちたら運転しないこと。管理されたキャンプ場に泊まること。これさえ守れば、ほとんどの危険は回避できると聞いていた。
バハ・カリフォルニアは、サーファーの間では秘境とされている。「本当のカリフォルニアは、バハにある」そんな言葉を耳にしたこともある。アメリカとの国境から、南端のカボ・サン・ルーカスまでの直線距離は約1200キロ。日本に当てはめると、北海道の北端から九州の南端までに相当する。その間に、数えきれないほどのサーフスポットが点在している。しかも、その多くが無人波だ。電波が安定しない場所も多く、ナビゲーションは必然的にアナログになる。そのため、アメリカのサーフショップでバハ・カリフォルニアの“バイブル本”を購入した。
サーフフィルムで目にするバハの映像は、ほとんどの場合、場所が明かされない。果てしなく続く一本道、巨大なサボテン、メローな無人波、そしてタコス。危険を顧みずとも、サーファーの欲望を満たすには十分すぎる冒険だ。ようやく、旅らしい旅が始まった。そんな気がした。

バハのサーフスポットを網羅しているガイドブック。古い情報もあるのでアップデートが必要

バハに来て最初のタコス。手作りのトルティーヤと炭火で焼かれた牛肉の香りがたまらない


僕たちは国境を越えた先の町、ティファナをスルーし、途中のタコス屋で腹を満たして、最初のサーフスポットを目指した。K38。高速道路38km地点にあることから名付けられたポイントだ。サンディエゴから車で30分ほどという距離もあり、アメリカ人サーファーにも人気がある。この日はすでに風が入り、コンディションは落ちていた。そのため、先にあるキャンプ場で一泊し、出直すことにした。
翌朝、ポイントへ向かうと波はしっかりと割れていた。目の前のブレイクは少し速そうだったため、左奥のポイントへパドルアウト。北上していたストームのうねりで、サイズは5フィートほど。有名なポイントだけあって人は多かったが、十分に楽しめる波だった。

K38ビーチ。沖合にウニのファームがあるようで、インサイドはウニ地獄になっている

セットの波が手前で掘れ上がるので、タイミングを見計らってエントリー

久しぶりに味わった、まとまっていて力強い波長12秒のうねり

パワーはあるものの厚めの波だった、K38 1/2と呼ばれる次のブレイク

3000円で泊まれるキャンプ場。週末はローカルたちで賑わう

僕たちは、まだ北の玄関口に立ったに過ぎない。この先、どんな世界が待っているのか。鼓動が早くなるこの感覚は、新たな旅への高揚なのか。それとも、拭いきれない危険への恐れなのか。きっと、その両方だ。そんな気持ちを胸に抱きながら、僕たちはさらに南へと車を走らせた。

毎夕見れるサンセットはいつも違う姿を見せてくれる


古川良太(サーファー/鮨職人)
20代の3年間、カナダ、オーストラリア、インドネシア、中南米の波を求めて旅を重ね、サーフィンに明け暮れる。帰国後は鮨職人として6年間修行し、日本文化と真摯に向き合う日々を送る。現在は妻と共にヴァンライフを送りながら、カナダからアメリカ西海岸をロードトリップ中。旅の様子はYouTube「アーシングジャーナル」で定期的に公開。
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