#ケイン・マッカートニー

  • 【特集:Ocean People】海から始まるストーリー/38_ケイン・マッカートニー
  • 2026.08.19

海と繋がり、自分の中の好きや小さなときめき、そしていい波を追い求めてクリエイティブに生きる世界中の人々、“Ocean People”を紹介する連載企画。彼らの人生を変えた1本の波、旅先での偶然な出会い、ライフストーリーをお届けします。

Profile
Kane Macartney ケイン・マッカートニー
オーストラリア出身のサーファー。建築を学んだ後、バリの竹建築教育機関「Bamboo U」を経て、現在はスンバ島を拠点に「Sumba Safari」を運営。サーフィン、文化、そしてローカルとのつながりを通して、この島ならではの魅力を届けている。

あなたのことについて教えて

生まれ育ったのは南オーストラリア、アデレードの西の外れにあるグレンジという小さな町。サーフィンに出合ったのは12歳、ハワイのノースショアへ家族旅行に行ったとき。そこでパイプラインを目の前で見て、その瞬間にこのスポーツに恋をした。その旅では実際にサーフィンはしなかったけど、ただただ「サーフィンって世界で一番かっこいいスポーツだ」と、強烈に思ったのを覚えている。
その年のクリスマスに、小さなソフトトップのサーフボードをもらった。サーフショップのものじゃなくて、アウトドア用品店で買ったような代物。決して良いボードではなかった。でも、それがすべての始まりだった。水泳やライフセービングを通して少しずつ水に慣れていって、気づけばサーフィンが人生の選択の中心にあるようになっていた。
高校では、交換留学生として1年間、熊本で過ごした経験もある。日本の文化にも、人にも、食べ物にも、何もかもすっかり魅了された。今でも日本語は理解できるし、あの1年は、サーフィンとはまた違う形で、自分の世界を広げてくれた時間だった。
大学卒業後、モルディブのヨットでサーフガイドの仕事をした。1日6時間以上海に入る生活で、当時はそれが世界で一番いい仕事だと思っていた。
その後、大学で学んだ建築の分野に戻りたいと思うようになり、サステナブルなデザインと、実践的な竹建築のワークショップを通じて、世界中のクリエイター、デザイナー、建築家がつながる教育機関「Bamboo U」で働いた。2017年、バリに移住して2年間過ごし、平日は働き、空いた時間はサーフィンに費やした。2019年までバリでBamboo Uの仕事を続けていたけれど、パンデミックの影響で一度オーストラリアに帰り、半年ほどロックダウンの中で過ごすことになった。それでもインドネシアに戻りたいという気持ちはずっとあった。

スンバとの出合い

バリにいた頃、駐在している人たちの間でスンバの噂をよく耳にしていた。バリから飛行機で1時間の東にある島。だんだん興味が湧いてきて、コロナの間もずっと調べ続けていた。スンバの文化、波、景色。島の宗教はキリスト教が中心だけど、地元のマラプという信仰と結びついていて、それがとても興味深かった。いつか必ずここに行くと、なんとなく確信していた。
実際にスンバを訪れたのは今から4年前で、10日間の滞在だった。そのときは母の60歳のお祝い旅行で、家族と一緒だったため、あまりサーフィンはできなかった。同じ年、今度は一人で訪れたが、このときはサーフィンだけに集中した。どんな波があるのかリサーチし、島への想いは一層深くなっていった。
2023年7月、自分の30歳の誕生日をスンバで祝うことにした。今までの人生に関わってくれた人たちに、誰彼構わず声をかけた。それくらいスンバへの想いが強かったし、実際に来てもらえれば、みんなも同じように感じてくれると確信していたから。結果的に、30人が集まってくれた。
誕生日の前に、1ヶ月間、はっきりとした意図を持ってこの島で過ごした時期がある。この頃には、それが自分の求めている暮らし方だとわかっていた。家を建てるか、ビジネスを始めるか。どちらにしても、ただの外国人としてではなく、この場所にちゃんと根を張り、地域社会に還元できる存在になりたかった。そのためには時間を積み重ねるしかなかった。週に一度顔を出す程度では意味がない。何度もローカルと会話をし、儀式に誘われたら参加し、少しずつ、お互いの信頼が生まれていく。正直、「もう無理かもしれない」と思った瞬間も何度もあった。土地を探そうとして失敗した人、揉め事になった人、アクセスのない土地を売りつけられた人、そんな話をたくさん聞いた。同じ目に遭いたくないから、慎重に、きちんと手続きを踏む。公証人を見つけて証明書が本物かどうか確認し、土地の測量も行うなど、全部に時間がかかった。それでも、これが自分の望む人生だとわかっていたから、やり続けられた。

Sumba Safariを始めたきっかけ

この島に何度も通ううちに、あるパターンに気づくようになった。せっかくスンバまで来た旅行者たちが、まるで迷子のように、どこに泊まればいいのか、どこで食べればいいのか、どの道を進めばいいのかもわからず途方に暮れていた。旅の段取りを考えるだけで半日が過ぎてしまい、それが本来の体験を奪っている。
同じ質問を何度も受けるうちに、ここには本当にニーズがあると気づいた。スンバに来たいけど、アクセスの方法がわからない人たち。もちろん、道中で宿を探しながら旅を楽しむ、いわゆるノマド的な旅行者もいる。でも、誰もがそんな旅ができるわけじゃなく、快適さを求める人だっている。そこにギャップがあった。自分自身、旅程を組み立てる作業が好きだったというのも大きいかもしれない。
最初のきっかけは、まさに自分の30歳の誕生日旅行。空港からの送迎、アクティビティの手配、サーファーの友人たちにどのブレイクをいつ狙うか、村での英語教室、地元の女性たちとの機織り体験、文化ツアー、船でしか行けないブレイクへの送迎。すべてを自分で組んでみて、実際にどれだけの労力がいるのかを学んだ。
ここで届けたいのは、贅沢な体験ではない。それはスンバじゃないから。見るだけじゃなくて、感じてほしい。文化も、言葉も、食べ物も、それがここで提供したいものだと思っていた。一人旅で来る人にも、安全に、ちゃんと体験してもらえる形を作りたかった。それがSumba Safariの一番の目的。

スンバで生きるということ

この島で一番心に残っている出来事のひとつが、The Holeという波のこと。一人で、初めてこの波に乗った日。ボートは波の裏側に停めて、波はライトにもレフトにも割れていた。目の前には切り立った崖、その手前には浅いリーフ。とてもパワフルで、つながればロングライドできるパーフェクトな波だけど、テイクオフをミスすると、次から次へ来るセットに押されて、崖の方へどんどん流されていく。
最初の波でいきなりチューブに入ることができ、「この波、最高だ!」と感動した。少し自信過剰になっていたときに次のセットが来て、もっと深い位置からチューブを狙おうと思ってテイクオフした瞬間、パーリングした。ボードが横を向き、レールが思い切り鎖骨にあたった。危険なワイプアウト。息が整わないうちに、後ろに控えた2〜3本の波をなんとかダックダイブでやり過ごした。船長が気づくまで20分かかり、ようやく陸に戻ることができた。
あの日は結局1本しか乗れなかったけど、いい教訓になった。一人であのポイントに行き、何も起きないと思っていた自分は、少し浅はかだった。スンバに来るなら慎重さが必要だ。一番近い病院まで40分、深刻な状態ならバリに行くしかない。
この島にはカフェもコーヒーショップもない。サーフショップすらなく、ワックスも手に入らない。先週、友人に「何か必要なものある?」と聞かれて、答えたのが白いタオルとワックス3個だった。それくらい、何もない。でも正直、今のままの状態であってほしいと願う自分もいる。
スンバを3つの言葉で表すなら、手つかず、文化、そして純粋さ。火山がなくて、島全体が石灰岩でできていて、水は驚くほど透明。ドローンで撮った映像を見ると、まるでモルディブのように見える。
30歳の誕生日の翌日には、忘れられない出来事があった。村の葬儀に誘われて、会場に着くと5メートルおきくらいに17頭の水牛が家や木につながれていた。墓石で囲まれた砂地の広場で、次々と水牛が捧げられていく。友人の中には目を背ける人もいたけど、自分はこの島に暮らしたいと思っていたから、最後まで見届けることにした。
深夜2時、ようやくすべての儀式が終わった。地元の人たちはそのまま夜通しで牛を解体し、参加した人に肉を持たせてくれる。水牛はこの地域では富と地位の象徴。マラプの信仰では、儀式で動物を捧げることで、亡くなった人があの世で心地よく過ごせると考えられている。捧げる動物が多いほど、その人の来世での地位も高くなる。だからそれは犠牲ではなく、大切な人へ最善を尽くすという、シンプルな愛情の形なのだ。
3週間前、僕は名づけの儀式を受けた。土地の持ち主の家族に正式に迎え入れられる儀式で、今ではその人の弟という立場になった。彼は僕を「ケイン」ではなく、「アマル」という現地の名前で呼んでいる。その儀式の一環として、豚を生贄に捧げることが求められた。外国人だから断ることもできたけど、地域での本当の信頼を得るためにやると決めた。今まで一度も動物を殺したことがなかったから、直前まで本当に緊張していたが、60人ほどのローカルに見守られて無事儀式を終えることができた。

あなたの生活に欠かせない3つのもの

サーフィン、旅(ただの旅行じゃなくて、観光地化されていない場所への旅)、そして家族。血のつながった家族はもちろんだけど、この島で出会った家族も含めて。

これから何か新しいことを始めたい人へのアドバイス

直感を信じること。これは本当に大事だと思う。ちゃんと調べて、そして思い切ってすべてを懸ける。怖さと楽しさは、いつも同じくらいの大きさで存在している。心地良い場所に留まることもできるけど、それで将来満足できるかというと、多分できない。
「リスクを取らなければ、得るものもない」という言葉があるけど、大事なのはそのリスクに根拠があるかどうか。まずは自分の気持ちを確かめることから始めるべきだと思う。どんな暮らしをしたいのか、何が自分を喜ばせるのか。それが1年後だけじゃなく、5年後も10年後も、変わらずそうであり続けられるかどうか。
この場所がこれから栄えていくことは、直感だけじゃなく、実際に調べてわかっている。出会う人たちの層、ここに流れ込んでいる投資、SNSでの広がり方。インドネシア政府も、スンバを観光地として発展させる計画をどんどん進めている。これは直感じゃなくて、ちゃんと調べた上での判断。
全部を懸けたことで、犠牲にしたものもたくさんある。家族と過ごす時間、恋愛、誰にでも合う生き方じゃないというのはわかっている。だからこそ、それなりの犠牲を払ってきた。簡単なことなんて何もない。自分のために何かを選び、人生を変えようとすることは、決して簡単なことじゃない。
でも、モチベーションをくれる人、インスピレーションをくれる人たちに囲まれていると、それだけで少し楽になる。支えは環境かもしれないし、パートナーかもしれないし、友人のグループかもしれない。週に一度、家族に電話するだけでもいい。そんな小さなつながりが、挑戦を続けるための支えになってくれる。

今後の夢と目標

これからの数年で目指しているのは、Safariのための拠点を作ること。体験そのものをもっと洗練させて、プロフェッショナルなチームを作り上げたい。豪華な部屋も、エアコンも、専用バスルームも必要ない。もっとみんなで一緒に過ごせるような、共同体的な空間を作りたい。ツアーは少人数、6人までと決めていて、ラインナップを混雑させたくないし、この島の「手つかず」という感覚をできる限り守りたいから。
夜になったら、みんなで焚き火を囲んで、その日あった出来事を話す。それがスンバらしさだと思う。オフロードで、荒々しくて、冒険的で。ずっと記憶に残るような時間。僕はこれを「サーフィンへのノマド的な原点回帰」と呼んでいる。サーフィンが世界中に広がりすぎる前、サーファーたちが本来持っていた感覚。それがスンバにはある。

text:Miki Takatori
20代前半でサーフィンに出合い、オーストラリアに移住。世界中のサーフタウンを旅し現在はバリをベースに1日の大半を海で過ごしながら翻訳、ライター、クリエイターとして多岐にわたって活動中。Instagram

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