10年単位でサーフィンの歴史を振り返るTHE HISTORY of SURFING。第4回目は1980年代をピックアップ。ベトナム戦争終結後もしばらく鬱屈として重たかった'70年代の空気は'80年代になると一変、軽薄という言葉がぴったりなほど軽くなった。しかし一方では、ボードデザインやマニューバー、カルチャー、ファッション、マーケティングが急速に進歩した時代でもあった。
1981年からロングビーチでASR(アクションスポーツ・リテーラー)トレードショーが始まって以降、爆発的な第二次サーフィンブームの追い風もあってインダストリー全体が上昇気流に乗っていた。とくに大手サーフ系アパレルブランドの成長が著しい。業界を潤した巨額のマネーはコンペティションにも流れ、'80年代の初頭に比べて末には賞金額が10倍近くに増えている。
1983年、イアン・カーンズが新組織ASP(アソシエーション・オブ・サーフィン・プロフェッショナルズ)を設立し、IPSに代わってワールドツアーをオーガナイズするようになる。
ASP設立を機に、年間ツアーの最終盤にハレイワ、サンセット、パイプラインでの3つのイベントで構成されるトリプルクラウンがスタート。これはワールドチャンピオンシップに次いで栄誉あるタイトルであり、初のタイトルを手にしたのは地元ハワイのマイケル・ホーだった。
'80年代はじめ、多くのコンペティターのあいだではツインフィンがスタンダードだった。しかしツイン神話はサイモン・アンダーソンの革新によって終わりを告げる。
'81年のツアーを3戦スキップし、スラスターの開発に勤しんだサイモン。同年のケイティン・プロアマでは結果が出なかったものの、18フィートの巨大なベルズでその真価が発揮された。不安定なライディングをするツインフィン・サーファーと'70年代風のビッグターンを見せるシングルフィン・サーファーとはまったく異次元の、ドライブが効いたマニューバーを6'6"のスラスターで見せつけ、見事に優勝。続くコークコンテストでも優勝し、12月にはスワローテールの7'6"スラスター・ミニガンでパイプライン・マスターズに挑み、ここでも優勝を飾る。
'80年代といえば、比類なきスタイリストとしてサーフィンというスポーツに多大な影響を与えたトム・カレンを忘れてはいけない。
1982年、18歳になる直前にプロに転向。翌年8位、その翌年は4位と順調にレイティングを上げ、1985年にワールドチャンピオンに輝く。1976年にサーキットが設立されて以来、ワールドタイトルを手にする初めてのアメリカ人男性サーファーとなった。翌年連覇を果たすも、その後レイティングは下降、一度ツアーから姿を消すが、再び1990年に復帰すると3度目のワールドタイトルを獲得する。
派手な色彩と先鋭化するショートボードの世界に支配されていたように見える'80年代。しかしこの時代に、世の中から消えてなくなったと思われていたロングボードが密かに戻ってくる。
1986年、ASPにロングボード部門ができ、何の因果か20年前にロングボードにとどめを刺したナット・ヤングが初代チャンピオンとなった。彼は1990年までの5年間に4度もタイトルを手にし、リバイバル・ムーブメントをリードする立役者となる。
全文は本誌もしくは電子書籍でお楽しみください。
次回は、1990年代をピックアップします。
text_Takashi Tomita
SALT...#01「THE HISTORY of SURFING」より抜粋
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