#サーフミュージック

  • 【特集】SURF MUSIC makes us "SALTY" #13 -抱井保徳コラム:サーフミュージック「NEIL YOUNG」-
  • 2025.03.10

海と対峙するとき、音楽は円滑油のような効果を発揮する。サーフィンと音楽が絡み合い起こる化学反応。多くの先人たちの言葉を交え時空に綴れ織りを描くとき、サーファーとダンスの関係が見えてくる。


サマー・オブ1973。時空の旅人が到達したポジション

 自分にはサーフミュージックなんて1968年まで存在してなかった。それ以前、5才上の兄がビーチボーイズの音楽付きサーフィン動画番組を観ていたのは覚えているが、サーフィンを始めた頃はまだ、グループサウンズや作詞家先生が作詞して作曲家先生が作曲、それをプロの歌手が立派に謳いあげる……だったような気がする。だからサーフィンと出合い物心がついてくると、サーフィンの影にはカーペンターズの「クロース・トゥ・ユー」や、サイモン&ガーファンクルの一連のヒット曲がつきまとっていた。けど、それって全然サーフミュージックなんかじゃない。だいたい洋楽はトランジスタラジオで聴くみのもんたの「カム・トゥギャザー」って番組が頼りで、進駐軍放送(FEN)は北京放送の電波妨害のせいか、千葉の漁師町には素直に入ってこなかった。だからどうしても音楽の嗜好や指向の選択肢は限られていたのだ。それが1971年、15歳の春に地元の漁師町からサーフィンの本場、安房鴨川のサーフィン文化に飛び込むと、すぐにサーフィンに欠かせない音楽があることを知った。当時鴨川でサーフィンをしていた鴨川少年団に、サンタナを教え込まれたのだ。曲は「Oye Como Va/僕のリズムを聞いとくれ」。連中はまだ13歳の中学生のくせして、(4行しかないけど)その歌詞を諳んじていた。

 '71年の初夏、鴨川にNONKEYサーフショップが誕生し、いろんなサーファーが集まって来ていた。音楽もレコード盤という形で入ってきて、鴨川少年団はもろにその洗礼を受けた。その洗礼を浴びせたのが、オーナーの野村アキラさんだった。鴨川のサーフショップには、冬の暗黒時間を生き残るための道具ギターが置いてあって、アキラさんはそこでボブ・ディランなんかを弾いていた。アキラさんはサーフィンのスタイルからして恰好いい。ちょっと無茶なところもあるけど、少年団には優しいし、なによりパッチワークのジーンズを穿いていた。そのパッチワーク・ジーンズの出どころがニール・ヤングだった。

「4 way streetのジャケットの端っこに、幽霊みたいなのがいるだろう? あれがニール・ヤングだよ」だから自分も'73年の全日本サーフィン選手権には、パッチワークのジーンズで出かけた。もっとも自分のジーンズはほころびだらけで、パッチワークなしでは穿けなかったのだ。当時ミッキー川井さんの奥様がチャンズリーフというサーフィン用のトランクスを作っていて、そこで余った生地をいくらでももらえた。それを持って帰り、空中分解寸前のジーンズに縫い付けパッチワークとした。仕上がったジーンズを目にした野村さんに「おめえ、それで外に出るなよ」と言われたけど、他に穿くものがなかったので、そのまま大会会場の銚子・君ヶ浜に向かった。全日本に連れて行ってくれたのは鴨川の先輩、香取のカッちゃん。クルマは丸っこいホンダシビック、カーステにはニール・ヤングの「ハーベスト」のカセットがすでに入っていた。なにしろ世界の流行が遅れていっぺんに入ってくるので、「アフター・ザ・ゴールドラッシュ」も「ハーベスト」もほぼ同時期に聴くことができた。その2枚以前のニール・ヤングについての知識は皆無。CSN&Y(クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング)だって、アキラさんの話だけでしか知らない存在だった。

 ニール・ヤングの音楽は、'73年のサーファーに自然と受け入れられていた。自分もそう。なんか雰囲気がいい。「ハーベスト」のジャケットもいいな~と感じた。いま聴くと困ってしまうような曲もあるけど、当時はこの次はこの曲と、全部が必要だった。なかでも「ハート・オブ・ゴールド」は開放弦のコードが多く、身近な感じではまった。でも音痴な人間にとって、出だしのアイウォナリブ~の“リブ~”の音階が全然わからなくて、サーフィンの波待ちの最中に大声で練習した。なにしろ平日の昼間は人がいないことが多かったので、気の済むまで練習できた。

 その後マイナーな日本のサーフィン時代が終わっていくのと同時に、ニール・ヤングを聴くのもやめた。SURFER誌の広告で見た新譜のオン・ザ・ビーチもいいかな? と期待したけど、わかったのはサーフィンを取り巻く環境も含め、誰も'73年のままではなくなっていたってゆうこと。だから自分が聴くニール・ヤングは、2枚のアルバムだけ。もっとも現在、その全部を好んで聴けるわけではないけど、「テル・ミー・ホワイ」や「アウト・オン・ザ・ウィークエンド」はオールタイム、逆に言えばそれ以外の曲はもう聴かないってことか? そんなんで自分から聴きはしないけど、今でも不意に「ハート・オブ・ゴールド」が流れてくると、瞬時に'73年の自分に引き戻される。

 あのアルバムが発売された時期は知らないけど、'73年の夏、ニール・ヤングの音楽で過ごすことができたのは、なんて言うか……。銚子のピーナツ畑の自動販売機でハイシー(オレンジ味飲料)を買って、香取のカッちゃんのシビックに戻ったとき、ちょうど「ハーベスト」が流れていた。その数時間前に全日本のジュニアクラスで優勝したばかりだったし、サーファーとしてこれ以上の人生があるなんて、とうてい考えられなかった。まだ“old enough to repay”でも“young enough to sell”でもなかったのだから。


【Profile】
抱井保徳
1956年南房総出身、現在は稲村ケ崎在住。日本のプロサーフィン黎明期から数多くのタイトルをショートとロングで獲得する一方、ウィンドサーフィンやSUPから木片、ボディサーフィンまで美しく波に乗る。日本を代表する名シェイパーでもある。

【SURF MUSIC makes us "SALTY"バックナンバー】
#01 -潮騒香る音楽に身を委ね踊るとき-
#02 -ショートボード革命とサイケデリックサウンドの相関図-
#03 -世界中で無限の変貌を遂げ始めたフラワーチルドレンの種-
#04 -制限なき選択ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド-
#05 -サーファーだけが知るアンダーグラウンドという美学-
#06 -コラム:DICK DALE/ヘビー“ウェット”ギターサウンズ-
#07 -コラム:KALAPANA/アイランド“クール”ブリージング-
#08 -コラム:CALIFORNIA BLUE/西海岸からの潮風-
#09 -コラム:REBEL MUSIC/反骨心の魂を追う、サーフミュージックの側面-
#10 -コラム:SURFER' S DISCO & AOR/サーファーズ・ディスコとAOR-
#11 -コラム:ON THE RADIO/そこでしか聴けない音楽が、サーファーを魅了する-
#12 -アンドリュー・キッドマンが語るサーフミュージック-



>>特集の続きは本誌でご覧ください。

「SALT…Magazine #01」 ¥3,300

本誌では24ページにわたってSURF MUSICを特集。“サーフィンと音楽”の蜜月関係から、アンドリュー・キッドマンのインタビュー、抱井保徳さんのコラムなど掲載。潮の香りをまとったソルティな音楽は、サーフィンライフを豊かにしてくれる。


photography _ Aition

TAG #####

  • 【特集】SURF MUSIC makes us "SALTY" #12 -アンドリュー・キッドマンが語るサーフミュージック-
  • 2025.01.23

海と対峙するとき、音楽は円滑油のような効果を発揮する。サーフィンと音楽が絡み合い起こる化学反応。多くの先人たちの言葉を交え時空に綴れ織りを描くとき、サーファーとダンスの関係が見えてくる。


'80年代以前のサーフィン映画は、音楽使用に関して自由だった。著作権も関係なく、多くの監督たちは自分好みの楽曲を言わば勝手に使っていた。'80年代に入ると「サーフィン映画だけが特例なのはおかしい」と著作権協会が目を光らせるようになり、楽曲使用料が徴収されるようになる。'70年代はジミ・ヘンドリックス、クリーム、サンタナとやりたい放題だったが、'80年を境に一変した。1976年ホール&マッコイ作の『チュブラー・スウェウルズ』に使用されている楽曲は、100万枚セールスを記録するバンドのオンパレードだったが、'81年の『ストームライダース』ではオープニングのドアーズ「ライダーズ・オン・ザ・スートーム」を除き全曲が自国オーストラリアのバンドで構成されている。理由はプロモーション契約を結び、楽曲を無料で提供してもらえたから。音楽使用に関する著作権は劇場公開、テレビ、ビデオなど使用用途で金額が異なっていた。テイラー・スティールの『モーメンタム』はビデオオンリーのため金額が低く、グリーン・デイ、オフスプリング、ペニー・ワイズ、バッド・レリジョン、スプラング・モンキーなど当時の人気バンドを使用できた。つまり劇場公開しない限り安価に使用できたわけだ。

サーフムービーは、波とサーファー、映画そのもののコンセプトが最も重要だが、同時に映像と音楽のマッチングの高さも完成度に比例する。シドニー・ニューポートビーチの鬼才アンドリュー・キッドマン(現在はバイロン在住)は、おそらく誰よりも音楽にこだわりをもつアーティストであろう。1997年にリリースされた『リトマス』は、ショートボード一辺倒のサーフシーンに終止符を打った。スキップ・フライのフィッシュでジェフリーズベイのハイラインを走るデレク・ハインド、シングルフィン・ノーリーシュでフリーサーフィンを享受するトム・カレン、チューリップテールでリトルアバロンのチューブをメイクするガス・ディケンソン。当時は映像が粗く、ドラッグシーンなど問題が多すぎるとサーフショップでの販売すら拒否されたが、数年後に世界で最も影響を与えたサーフムービーとなる。


サーフムービーは、サーフミュージックを反映するアートだ

SALT...(以下、S)_ サーフィンと音楽の関係とは?
Andrew Kidman(以下、A)_ どちらも自然に発生する創造物で、音の波長と海の波長に対する反応だと思う。音に乗るのも波に乗るのも同じ喜びだ。どちらも正しく調律されるように、常日頃から訓練を積むべきだと思う。それが創造力の源だ。

S _ フィルム用に曲を作ることは?
A _ 現実には今まではなかった。シンプルに作詞作曲する喜びから曲作りをしていた。映像をイメージしながらしたことはない。でもそれは面白いアイデアだと思うし、近い将来実践してみたい。

S _ 質問は重なりますが、撮影の前か後に音楽をイメージすることは?
A _ 確かにどちらのケースもある。ときに予測していないことが起きることもある。作詞作曲をして、それに合うフィルムを撮影することもある。逆のケースもあり、撮影したフッテージを映画の一部に使用するために音楽をレコーディングすることもある。自分の中でこれといった決め事はしていない。

S _ なぜ音楽にこだわり続けるのか? アンドリュー以外、自ら作詞作曲し、歌い、演奏するフィルムメーカを知らない。
A _ うーん、私にとって音楽がすべてで、追及してもキリがないほど繊細かつ無限だ。その効果は果てしないと思う。映像を観る人たちは音楽によって印象が変わってくる。私は視覚的要素と聴覚的要素を結合することに、ずっとこだわり続けている。

S _ あなた以外のフィルムメーカーは、既存の音楽を使用するのが常です。DVDが普及する前に『リトマス』はビデオテープとCDのセットで販売されていました。ビデオだけ欲しい、CDだけが欲しいという人もいたと思うが。
A _ 映像を強く印象づけるために音楽は重要だし、音楽を聴いて映像を思い起こすことも大切だ。だからセットで販売した。私は自分の音楽を聴いてもらいたいし、場合によってはすでにある音楽を使用することもある。理由はそれ以上の作品を創り出せないからだ。映像とこれ以上のシンクロはないという曲がある。例えば『グラスラブ』のオープニング、キャット・パワーの歌は完璧だ。無垢で魔法のような詩、この作品がなければフィルムは成功しなかった。運命の出合いと言える。

S _ 映画『ホットバタード・ソウル』のサウンドトラックを担当されていますが、演奏はすべてインプロビゼーション(即効演奏)だったそうだが?
A _ その通り、大きなスクリーンに映し出された映像を観ながら、すべてその場で創り出された。もちろんある程度のリハーサルはした。リーダーはティム・ゲイズ、彼は『モーニング・オブ・ジ・アース』をはじめ『エボリューション』や『シー・オブ・ジョイ』など数多くのサーフムービーの音楽を担当するするマスターだ。彼はミュージシャン全員に言葉では言い表せない精神的影響を与えた。全員が全員の音を聴きながらグルーブしあった。私は普段座りながらリズムギターを刻むが、マスターの演奏に合わせ、次にどう弾くのか予想しながらテンポや強弱を付けた。まるでサーフィンするかのように演奏した。

S _ ところで『リトマス』のデレク・ハインドのシーンで使用されているバンド、ギャラクシー500、それに『グラスラブ』のキャット・パワーを選んだ理由は?
A _ ギャラクシー500はデレクが教えてくれた。それまでは知らなかったが、凄いバンドだ。まるで現代のヴェルヴェット・アンダーグラウンドだ。キャットは何度も何度もライブを観ていた、大好きな女性シンガーだ。私にとってサーフミュージックは、カントリーミュージックのようなものだ。たくさんのバリエーションがある。中には身の毛のよだつようなものもある。ジョージ・グリーノーの『クリスタル・ボヤージャ』で使用されているピンク・フロイドの「エコーズ」の1曲のみで全22分のパートは、完璧だ。全く真逆だけれどウィーリー・ネルソンの「レッド・ヘデッド・ストレンジャー」は私にとってサーフカントリミュージックの原点だ。音楽とサーフィンは、どちらも波、その波長にチューンすることが大切さ。

【Profile】
アンドリュー・キッドマン
若くして豪サーフィンライフ誌の編集長になるが、コンペシーンに嫌気がさして辞職。その後オルタナティブボードにスポットを当てた映画『リトマス』を発表。写真家、版画家、シンガーソングライター、シェイパーとして才能を発揮している。

【SURF MUSIC makes us "SALTY"バックナンバー】
#01 -潮騒香る音楽に身を委ね踊るとき-
#02 -ショートボード革命とサイケデリックサウンドの相関図-
#03 -世界中で無限の変貌を遂げ始めたフラワーチルドレンの種-
#04 -制限なき選択ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド-
#05 -サーファーだけが知るアンダーグラウンドという美学-
#06 -コラム:DICK DALE/ヘビー“ウェット”ギターサウンズ-
#07 -コラム:KALAPANA/アイランド“クール”ブリージング-
#08 -コラム:CALIFORNIA BLUE/西海岸からの潮風-
#09 -コラム:REBEL MUSIC/反骨心の魂を追う、サーフミュージックの側面-
#10 -コラム:SURFER' S DISCO & AOR/サーファーズ・ディスコとAOR-
#11 -コラム:ON THE RADIO/そこでしか聴けない音楽が、サーファーを魅了する-


>>特集の続きは本誌でご覧ください。

「SALT…Magazine #01」 ¥3,300

本誌では24ページにわたってSURF MUSICを特集。“サーフィンと音楽”の蜜月関係から、アンドリュー・キッドマンのインタビュー、抱井保徳さんのコラムなど掲載。潮の香りをまとったソルティな音楽は、サーフィンライフを豊かにしてくれる。


photography _ Andrew Kidman

TAG #####

  • 「SALT… meets ISLAND CAFE -Sea of Love 2-」発売開始
  • 2024.12.27

海を愛するアーティストによるアルバム第2弾


“海”をテーマに、国内アーティストの作品をコンパイルしたSea of Loveシリーズの第2弾が完成。全曲新録音のニューソングをお届けします。

サーフミュージックを奏で続ける「Sea of Love」シリーズには欠かせないアーティストから、メジャーレーベルで活躍するアーティスト同志のコラボレーション、チルアウトシーンの音楽家、沖縄出身のラッパー、湘南をホームとするアーティストまで、ジャンルレスで多彩なラインナップ。海へのリスペクトと愛に溢れた至極の一枚です。

メジャーシーンのバンド“OKAMOTO'S” のギタリスト、オカモトコウキと、11 月にメジャー1st.アルバムをリリースしたネオAORバンド“GOOD BYE APRIL”のボーカル倉品翔による初のサプライズ・コラボが実現! 収録曲「嫌いになれない~Wave of Love~」は、サーフロックを意識したラブソング。ノリの良いビートとギターサウンドは、往年のサーフロックへのオマージュも込めた仕上がりです。音楽とサーフカルチャーの融合をコンセプトに掲げ、アートやファッションをクリエイトする沖縄出身のラッパーLeonaldがシリーズ初参加。新曲「Mother Ocean」は、海への想いが詰まったスローチューン。平均年齢22歳の3人組インストバンドLiquid Stellaは、配信サイトのジャズチャートを賑わすニューカマー。太陽の光がキラキラと反射する海をイメージした「Fleeting」は、朝のビーチにぴったりな心地よい作品。初参加となる実力派シンガーソングライターHanah Springは、世界中で愛されるラブソングの定番「Lovin’ You」をラバーズレゲエでカバー。オリジナルのミニー・リパートンと並ぶジャネット・ケイのバージョンを想起させる素晴らしい仕上がりです。初参加のno.9(ナンバーナイン)は、鎌倉がベースの音楽家。CM音楽や公共施設、交通機関のサウンドデザインやプロデュースも手掛ける彼のインストゥルメンタル作品は、チルアウト~エレクトロニカという枠に収まらない、五感に訴える心地よさを感じさせてくれる。収録曲「blue」は海の青をイメージした深みのある作品。Sea of Loveシリーズの過去作にも参加したシンガー田中裕梨をボーカルに擁するジャズバンドBLU-SWINGは、2023 年のアルバム「Spectre」収録の静寂なナンバー「光の記憶」を、今作のために特別なリミックスで提供。オリジナルとは全く違うレゲエスタイルは必聴です。 

前作の「Sea of Love」に初参加した楽曲「Sea Breeze」がSpotify再生300万回を突破したアーティスト/サーファーのShimon Hoshino、ネオ・サーフミュージックをテーマに活動するシンガーUEBO、今年シングル作品とEPを発表したシンガーソングライターFUKI、世界中を旅するサーフミュージック界のカリスマ東田トモヒロらは、今作も素晴らしい新曲での参加。

母となり音楽も新境地を見せるLisa Halim、前作「Summer Madness」の7インチレコードが即日完売となったビートメーカーDJ Mitsu the Beats、シティポップの名曲を現代に甦えらせるバイラル・トップアーティストのTokimeki Records feat.ひかり、そしてリアルサーファーでもあるギタリスト小沼ようすけらは、カバー曲の新録音で参加。パッケージは、タブロイドの表紙と連動した紙ジャケットで登場です。ジャンルレスな全14曲! 海を感じたいときのお供にこの1 枚を。


【収録曲】
01. 倉品翔(GOOD BYE APRIL)&オカモトコウキ(OKAMOTO'S)/ 嫌いになれない~Wave of Love~
02. Leonald / Mother Ocean
03. UEBO / 僕のいない海
04. Liquid Stella / Fleeting
05. 東田トモヒロ/ For You Blue
06. FUKI / Sea U Again
07. Tokimeki Records feat.ひかり / サマーインサマー~ 想い出は、素肌に焼いて~
08. Shimon Hoshino / Nagi
09. Hanah Spring / Lovin’ You
10. BLU-SWI NG / 光の記憶 ynkmr. ( BLU-SWI NG) Sea of Love Remix
11. no.9 / blue
12. 小沼ようすけ / Human Nature
13. DJ Mitsu the Beats / Sunrise
14. Lisa Halim / What A Wonderful World

タイトル:SALT… meets ISLAND CAFE –Sea of Love 2-
発売日:2024年12月26日
価 格:税込¥2,750

TAG ######

  • 【特集】SURF MUSIC makes us "SALTY" #11 -コラム:ON THE RADIO/そこでしか聴けない音楽が、サーファーを魅了する-
  • 2024.12.19

海と対峙するとき、音楽は円滑油のような効果を発揮する。サーフィンと音楽が絡み合い起こる化学反応。多くの先人たちの言葉を交え時空に綴れ織りを描くとき、サーファーとダンスの関係が見えてくる。


いつもとは違う初めての出合い

旅先で音楽をスマートフォンから聴くのは気分が良い。でもお気に入りのナンバーだけではなくローカルラジオにチューンを合わせるのも、旅の産物と成り得る。
ハワイならばFMステーションKIKIを聴くべきであろう。ハワイアンのレジェンドからデビューしたばかりのバンドやシンガーソングライターまで、幅広く新旧ハワイアンの曲を聴くことができる。もちろん刻一刻と変化する波情報も頼りになる。またハワイアンがジャマイカ産のレゲエを独自に発展させた、ジャワイアンもポピュラーだ。大柄なハワイアンが小さなウクレレを抱えている姿はなんとも微笑ましい。南太平洋のトンガ、ニューカレドニア、パプアニューギニア、サモアなどでもオリジナリティ性が高いレゲエが奏でられている 。
カリフォルニアはラジオの本場だけあり、無数のステーションを聴くことができる。ジャズ、クラシック、トップ40、懐かしのロック、C&W、ヒップホップ、大学から発信されるカレッジ局、スティービー・ワンダーが所有するソウル専門局など何でもある。なかでもALT987はチルアウトとオルタナティブ系オンリーの先取り感の強いラジオ局だ。エンシニータスのアドボケートは現役サーファーが運営するステーションで、コンセプトは「サーファー以外に聴いてもらう」。しかしリスナーの大半はサーファーで、音楽以外は波情報だけでなくエキジビション案内、海に近い物件紹介、環境問題、ときに政治的な意見も発信している。
オーストラリアならTRIP-J。国内のアーティストがノージャンルで紹介され、年間最優秀アルバムやアーティストを発掘。今ではオージーミュージックのメジャーへの登竜門となっている。'70年代、ブロンズオージーのマーク・ウォーレンはここで定期的に波情報を発信し、これがラジオ版の波情報の発祥とされている。一方TRIPLE-Mはアメリカとイギリス寄りのヒットソングが中心で、サーファーはJを好んで聴いている。どちらも国営放送だ。またバイロンやトーキー、ゴールドコーストなどのコミュニティFMはさらにローカル色の強いナンバーが流れ、日本ではありえない風変わりで前衛的なステーションもある。特にバイロンは現在でもヒッピー文化が定着しているため、オルタナティブ系ミュージック専門のラジオ局が多い。ほとんどコマーシャルもなく、コミュニティ情報が中心だ。
イスラム圏の国々では欧米のヒット曲が流れることは皆無に等しい。バリを含むインドネシアやトルコではその国独自の楽器を奏で、異国情緒を味わうことができる。
余談になるが、バリ島を訪れる多くのサーファーはバリダンスとガムランミュージックを鑑賞して感銘を受けるようだ。1980年ウルワツで開催されたOMバリのコンテストで優勝したテリー・リチャードソンはダンスを舞うような動きでバレルを突き破ったが、その仕草は指先までレゴンダンスのようだったと評価された。実際にテリー自身バリサウンドを愛聴しており、大量のカセットテープを購入していた。クタのラ・バロン、レギャンのドギーズは悪名高いディスコで、オージーと一部のヨーロピアンにより毎晩凄まじい盛り上がりをみせていた。客層からオージーロックがメインで、クタの違法カセットテープショップでは、馴染みのないバンドのテープが並んでいた。ギャングガンジャやスパイ・バイ・スパイ、後に一世を風靡するメン・アット・ワークなど豪州産サーフムービーでしばしばかかるロックは、バリで手軽に購入できた。
南カリフォルニアから南下しながらバハを目指すとラジオから流れる曲もアミーゴしてくる。カリブ海の島々でのラスタマンパワーは別格で、ジャマイカの首都キングストンには、ルーツレゲエ専門局、最新ナンバーしか流さないステーション、海賊FM局まで多数ある。但し狭いエリアでしか受信できないので、キングストンからモンテゴ・ベイまでのロングドライブでは、こまめにラジオをチューニングする必要がある。ただ、どこでもいつでも必ずレゲエが聴ける。そこでしか聴けない音楽。これもまたサーファーを魅了する。

【SURF MUSIC makes us "SALTY"バックナンバー】
#01 -潮騒香る音楽に身を委ね踊るとき-
#02 -ショートボード革命とサイケデリックサウンドの相関図-
#03 -世界中で無限の変貌を遂げ始めたフラワーチルドレンの種-
#04 -制限なき選択ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド-
#05 -サーファーだけが知るアンダーグラウンドという美学-
#06 -コラム:DICK DALE/ヘビー“ウェット”ギターサウンズ-
#07 -コラム:KALAPANA/アイランド“クール”ブリージング-
#08 -コラム:CALIFORNIA BLUE/西海岸からの潮風-
#09 -コラム:REBEL MUSIC/反骨心の魂を追う、サーフミュージックの側面-
#10 -コラム:SURFER' S DISCO & AOR/サーファーズ・ディスコとAOR-


>>特集の続きは本誌でご覧ください。

「SALT…Magazine #01」 ¥3,300

本誌では24ページにわたってSURF MUSICを特集。“サーフィンと音楽”の蜜月関係から、アンドリュー・キッドマンのインタビュー、抱井保徳さんのコラムなど掲載。潮の香りをまとったソルティな音楽は、サーフィンライフを豊かにしてくれる。


photography_ Aition text_Tadashi Yaguchi

TAG ####

  • 【特集】SURF MUSIC makes us "SALTY" #10 -コラム:SURFER' S DISCO & AOR/サーファーズ・ディスコとAOR-
  • 2024.12.03

海と対峙するとき、音楽は円滑油のような効果を発揮する。サーフィンと音楽が絡み合い起こる化学反応。多くの先人たちの言葉を交え時空に綴れ織りを描くとき、サーファーとダンスの関係が見えてくる。


サーファーズ・ディスコ

サーファーがディスコに大挙して押し寄せたのは1977年。メディアは以前とは違うダンスフロアを“サーファーズ・ディスコ”と呼び始めた。その中心は東京なら六本木スクエアビルか赤坂ビブロス、大阪ならミナミと心斎橋に集中していた。それ以前はコンポラスーツを着て数人で同じステップを決めるのが主流だったが、サーファーが押し寄せると選曲はモータウン系ソウルから、ソフトでミディアムテンポのAOR、フュージョン、盛り上がりにはファンクからロックに変貌を遂げた。ラリー・バートルマンが映画『サタデーナイト・フィーバー』のサントラばかり聴いていた時期で、波の上をダンスフロアで舞うように踊った。
1979年発刊のオーストラリアSurfing Word誌が実施したプロサーファーへのアンケート「お気に入りのミュージックは?」では、ローリング・ストーンズ、サンタナ、ホルヘ・サンタナ、デヴィッド・ボウイ、ブルース・スプリンスティーン、パブロ・クルーズなど、これだけ見ても圧倒的にロックが多く、ダンス系もアース・ウィンド&ファイアー、ビージーズ、ブラザーズ・ジョンソンなどがランクインしていた。バテンスはLAのディスコで羽目を外し、コンテストで得た賞金を全て充てても足りないほど店を破壊した逸話は有名だ。規模こそ小さいが、夏だけ限定オープンの新島のディスコでも暴れた。

東京では、金曜は六本木のメビウス、土曜は赤坂のビブロス、略して“金メビ土ビブ”という奇妙な現象も起こった。シックの「フリーク・アウト」~フランス・ジョリの「カム・トゥ・ミー」~カーティス・ブロウの「ザ・ブレイクス」~クイーンの「アナザー・ワン・バイト・ザ・ダスト」~ローリング・ストーンズの「ミス・ユー」~ロッド・スチワートの「アイム・セクシー」~ドゥービー・ブラザーズの「ロング・トレイン・ラニン」~パブロ・クルーズの「アイ・ウォント・ユー・トゥナイト」、力尽きる頃にチークタイムを2曲、再びロドニー・フランクリンの「ザ・グルーブ」~ボズ・スキャッグスの「ロウダウン」と続き夜は更けていった。


AOR

アダルト・オリエンテッド・ロック、通称AORは和製英語だ。1976年頃から流行り始めサーファー好みのサウンドに定着した。大人向けロックはポップスとは微妙に違い、少し背伸びして洒落てみたいサーファーのスタイルに響いた。ハードでシンプルなロックではなく、ソフト、ロマンティック、アーバンといった曖昧なくくりにジャズ、ソウル、ボサノバなどのエッセンスを加えたカクテルである。その代表格はボズ・スキャッグス、ボビー・コールドウェル、ホール&オーツ、ジェイ・ファーガソン、さらにネッド・ドヒニーのアルバム「ハード・キャンディ」のジャケットは、青い空とパームツリーの下でシャワーを浴びる、まさにカリフォルニアだ。波とサウンドに貪欲な大阪のサーファーから火が付いた名盤である。それから12年後の「ライフ・アフター・ロマンス」はサーフボードを膝の上に載せた姿で、サーファーの心を掴み続けた。

 レコード店の存在も大きかった。ディスコなら六本木の「ウィナーズ」、ウエストコーストなら原宿「メロディ・ハウス」、大阪アメリカ村の路上ではアメリカ帰りの日本人がレコードを売っていた。地方のサーファーは東京や大阪へ来たついでにレコード店巡りをしたり、仙台、静岡、金沢、高知、宮崎、沖縄などにも一早く輸入盤レコードを販売する店が現れた。ジャケ買いするリスナーにとってホルヘ・サンタナのデビューアルバムは衝撃だった。何といってもカルロス・サンタナの弟、これだけで買わないわけにはいかなかった。さらに高中正義のセイシェルズをカバー、このアルバムもサーファー限定でブレイクした。同様の理由でファニア・オールスターズの「リズム・マシン」もサーファーに売れた。
当時のサーフィン雑誌には毎号レコードを紹介するページがあり、ウィルソン・ブラザース、エアプレイ、ロビー・デュプリー、クリストファー・クロスなど高い確率でアダルトなロックがピックアップされ、多くのサーファーが参考にしていた。ディスコからAORへ、サーファーは弾けながら大人のふりをした時代である。

【SURF MUSIC makes us "SALTY"バックナンバー】
#01 -潮騒香る音楽に身を委ね踊るとき-
#02 -ショートボード革命とサイケデリックサウンドの相関図-
#03 -世界中で無限の変貌を遂げ始めたフラワーチルドレンの種-
#04 -制限なき選択ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド-
#05 -サーファーだけが知るアンダーグラウンドという美学-
#06 -コラム:DICK DALE/ヘビー“ウェット”ギターサウンズ-
#07 -コラム:KALAPANA/アイランド“クール”ブリージング-
#08 -コラム:CALIFORNIA BLUE/西海岸からの潮風-
#09 -コラム:REBEL MUSIC/反骨心の魂を追う、サーフミュージックの側面-

>>特集の続きは本誌でご覧ください。

「SALT…Magazine #01」 ¥3,300

本誌では24ページにわたってSURF MUSICを特集。“サーフィンと音楽”の蜜月関係から、アンドリュー・キッドマンのインタビュー、抱井保徳さんのコラムなど掲載。潮の香りをまとったソルティな音楽は、サーフィンライフを豊かにしてくれる。


photography_Mitsuyuki Shibata text_Tadashi Yaguchi

TAG ####

  • 【特集】SURF MUSIC makes us "SALTY" #09 -コラム:REBEL MUSIC/反骨心の魂を追う、サーフミュージックの側面-
  • 2024.11.21

海と対峙するとき、音楽は円滑油のような効果を発揮する。サーフィンと音楽が絡み合い起こる化学反応。多くの先人たちの言葉を交え時空に綴れ織りを描くとき、サーファーとダンスの関係が見えてくる。


デューク・カハナモクがサーフィンを世界中に伝えた40年後、サーフィンはスポーツのみならずユースカルチャーとして定着した。1950年代、アメリカでは豊かさを享受する親世代に反骨心を抱いたビートニクが登場。地下室で悶々とジャズを聴く黒ずくめの集団や、ビーチで乱痴気騒ぎをするグループなどが社会問題となった。またエルビス・プレスリー、チャック・ベリー、ジェリー・リー・ルイスなど、黒人のブルースを進化させたロックンロールの台頭も危険視された。戦争を体験した親たちにとってみれば、腰をくねらせ、速い単純なビートで冒涜感だらけの歌詞など、子供たちに聴かせたくないと思うのは当然のことだった。
この反骨心溢れるサウンドとライフスタイルこそ、レベル・ミュージックの始まりだ。ヘビーなギターインストルメンタルは、1965年ベトナム戦争が勃発するとヒッピーに生まれ変わり、'70年代にはニューエイジ、'80年代にはパンク、更にレゲエ、ダブ、ヒップホップと形を変えながら、無軌道な動きを繰り返す。サーファーという種族は二者一択ではないオルタナティブな生き方が基本で、多数派に迫ると真逆に走る傾向がある。音楽もサーフボードも同じである。

海から離れたニューヨークではヴェルヴェット・アンダーグラウンド、デトロイトではイギー・ポップやMC5が破壊的なロックを奏でたが、そんな爆音を好むサーファーも少なくなかった。今でこそサーファーはアスリートの一員とされオリンピック種目にもなったが、1950年代からサーフィンは不良の代名詞的存在で、それは世界共通だった。オーストラリアでもサーファーは、ホットロッドやバイカーと対立していた。
1976年カリフォルニア・マリブで活動を開始したサーフパンクスは鮮烈だった。世界各地のポイントでローカリズムが強くなるなか「ここは俺たちのビーチだ、よそ者は帰れ!」と叫び、夢のカリフォルニアを破壊した。ハワイ・オアフ島ノースショアではブラックショーツとオージーが対立したように、プロサーフィン組織の設立を境に波乗りは競うものではないというアンチコンテストサーファーも声を上げた。まさにジェリー・ロペスが提唱したソウルサーフィンである。

世界同時多発的に反逆的サウンドを好むサーファーが増え、ポリス、クラッシュ、ラモーンズ、テレビジョン、パティ・スミス、トーキング・ヘッズさらにガレージバンドも注目された。ゴリゴリのパンクからニューウェイブに移行する頃、クイックシルバーはエコー・ビーチシリーズをリリース、それ以前のボードショーツとは全く違うデザインをワールドワイドに展開した。
ダニー・ノック、マービン・フォスター、リチャード・クラム、マット・アーチボルトらは、アグレッシブなスラッシュ系サーフィンを進化。テイラー・スティールはサーフフィルムの概念を覆すビデオシリーズ『モーメンタム』でパンク、グランジ、メタル系バンドを起用し、サーフミュージックの常識を覆した。常に次を求める放浪癖は尽きない。

【SURF MUSIC makes us "SALTY"バックナンバー】
#01 -潮騒香る音楽に身を委ね踊るとき-
#02 -ショートボード革命とサイケデリックサウンドの相関図-
#03 -世界中で無限の変貌を遂げ始めたフラワーチルドレンの種-
#04 -制限なき選択ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド-
#05 -サーファーだけが知るアンダーグラウンドという美学-
#06 -コラム:DICK DALE/ヘビー“ウェット”ギターサウンズ-
#07 -コラム:KALAPANA/アイランド“クール”ブリージング-
#08 -コラム:CALIFORNIA BLUE/西海岸からの潮風-

>>特集の続きは本誌でご覧ください。

「SALT…Magazine #01」 ¥3,300

本誌では24ページにわたってSURF MUSICを特集。“サーフィンと音楽”の蜜月関係から、アンドリュー・キッドマンのインタビュー、抱井保徳さんのコラムなど掲載。潮の香りをまとったソルティな音楽は、サーフィンライフを豊かにしてくれる。


photography_Aition text_Tadashi Yaguchi

TAG ####