• 【特集】SURF MUSIC makes us "SALTY" #09 -コラム:REBEL MUSIC/反骨心の魂を追う、サーフミュージックの側面-
  • 2024.11.21

海と対峙するとき、音楽は円滑油のような効果を発揮する。サーフィンと音楽が絡み合い起こる化学反応。多くの先人たちの言葉を交え時空に綴れ織りを描くとき、サーファーとダンスの関係が見えてくる。


デューク・カハナモクがサーフィンを世界中に伝えた40年後、サーフィンはスポーツのみならずユースカルチャーとして定着した。1950年代、アメリカでは豊かさを享受する親世代に反骨心を抱いたビートニクが登場。地下室で悶々とジャズを聴く黒ずくめの集団や、ビーチで乱痴気騒ぎをするグループなどが社会問題となった。またエルビス・プレスリー、チャック・ベリー、ジェリー・リー・ルイスなど、黒人のブルースを進化させたロックンロールの台頭も危険視された。戦争を体験した親たちにとってみれば、腰をくねらせ、速い単純なビートで冒涜感だらけの歌詞など、子供たちに聴かせたくないと思うのは当然のことだった。
この反骨心溢れるサウンドとライフスタイルこそ、レベル・ミュージックの始まりだ。ヘビーなギターインストルメンタルは、1965年ベトナム戦争が勃発するとヒッピーに生まれ変わり、'70年代にはニューエイジ、'80年代にはパンク、更にレゲエ、ダブ、ヒップホップと形を変えながら、無軌道な動きを繰り返す。サーファーという種族は二者一択ではないオルタナティブな生き方が基本で、多数派に迫ると真逆に走る傾向がある。音楽もサーフボードも同じである。

海から離れたニューヨークではヴェルヴェット・アンダーグラウンド、デトロイトではイギー・ポップやMC5が破壊的なロックを奏でたが、そんな爆音を好むサーファーも少なくなかった。今でこそサーファーはアスリートの一員とされオリンピック種目にもなったが、1950年代からサーフィンは不良の代名詞的存在で、それは世界共通だった。オーストラリアでもサーファーは、ホットロッドやバイカーと対立していた。
1976年カリフォルニア・マリブで活動を開始したサーフパンクスは鮮烈だった。世界各地のポイントでローカリズムが強くなるなか「ここは俺たちのビーチだ、よそ者は帰れ!」と叫び、夢のカリフォルニアを破壊した。ハワイ・オアフ島ノースショアではブラックショーツとオージーが対立したように、プロサーフィン組織の設立を境に波乗りは競うものではないというアンチコンテストサーファーも声を上げた。まさにジェリー・ロペスが提唱したソウルサーフィンである。

世界同時多発的に反逆的サウンドを好むサーファーが増え、ポリス、クラッシュ、ラモーンズ、テレビジョン、パティ・スミス、トーキング・ヘッズさらにガレージバンドも注目された。ゴリゴリのパンクからニューウェイブに移行する頃、クイックシルバーはエコー・ビーチシリーズをリリース、それ以前のボードショーツとは全く違うデザインをワールドワイドに展開した。
ダニー・ノック、マービン・フォスター、リチャード・クラム、マット・アーチボルトらは、アグレッシブなスラッシュ系サーフィンを進化。テイラー・スティールはサーフフィルムの概念を覆すビデオシリーズ『モーメンタム』でパンク、グランジ、メタル系バンドを起用し、サーフミュージックの常識を覆した。常に次を求める放浪癖は尽きない。

【SURF MUSIC makes us "SALTY"バックナンバー】
#01 -潮騒香る音楽に身を委ね踊るとき-
#02 -ショートボード革命とサイケデリックサウンドの相関図-
#03 -世界中で無限の変貌を遂げ始めたフラワーチルドレンの種-
#04 -制限なき選択ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド-
#05 -サーファーだけが知るアンダーグラウンドという美学-
#06 -コラム:DICK DALE/ヘビー“ウェット”ギターサウンズ-
#07 -コラム:KALAPANA/アイランド“クール”ブリージング-
#08 -コラム:CALIFORNIA BLUE/西海岸からの潮風-

>>特集の続きは本誌でご覧ください。

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本誌では24ページにわたってSURF MUSICを特集。“サーフィンと音楽”の蜜月関係から、アンドリュー・キッドマンのインタビュー、抱井保徳さんのコラムなど掲載。潮の香りをまとったソルティな音楽は、サーフィンライフを豊かにしてくれる。


photography_Aition text_Tadashi Yaguchi

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