• 【特集】SURF MUSIC makes us "SALTY" #08 -コラム:CALIFORNIA BLUE/西海岸からの潮風-
  • 2024.11.21

海と対峙するとき、音楽は円滑油のような効果を発揮する。サーフィンと音楽が絡み合い起こる化学反応。多くの先人たちの言葉を交え時空に綴れ織りを描くとき、サーファーとダンスの関係が見えてくる。


アメリカ西海岸こそ、日本人サーファーにとって手が届く憧れの地だった。ハワイは修行の場、カリフォルニアはファンな波、そしてファッションやサウンドといったサーフカルチャーの中心だった。青い空と乾燥した気候、ハンティントンやマリブに降り注ぐ太陽は別格に感じられていた。
1965年ベトナム戦争に突入すると、若きアメリカンは反戦活動を行動で示した。サンフランシスコを目指し、全米中からラブ&ピースを合言葉に集った歴史がある。反体制的なカウンターカルチャーはヒッピー思想として世界に伝わり、サーファーと深く交わっていく。サーフィンは自由の象徴として、デューク・カハナモクが世界に拡散した歴史と重なる。サーファーがロックに傾倒したのはそのためだ。カリフォルニアでアンチコンテスト派が多数だったのは、サーフィンは競技ではない、順列を争うべきではないという考え方が強かったからである。

ミュージックシーンでもフェスは無料であるべきと捉えられていた。実際に史上最初で最大のフェス「ウッドストック」も入場券が販売されたが、大部分は壁を壊して無料で入っている。出演したジェファーソン・エアプレイン、サンタナ、ジミ・ヘンドリックス、CCRの楽曲は多くのサーフフィルムでも使用されていた。
不思議なことに'69年を境にミュージックシーンは大きな変化を遂げる。ビートルズの解散、ローリング・ストーンズのコンサートでの殺人事件などで音楽業界は大きく揺れ動き、映画『イージー・ライダー』でヒッピーの夢が砕かれ、サーフボードはショートボードが圧倒的に主流となった。

1971年にドゥービー・ブラザーズ、イーグルス、リンダ・ロンシュタット、翌年にはスティーリー・ダン、ジャクソン・ブラウンがデビュー。時代はサイケデリックからニューエイジ、レイドバックへ移行した。1975年ベトナム戦争が終焉を迎えると、サーフィンの世界も大きく形態を変えていく。プロサーフィン組織が設立されたのは翌'76年、日本では第2次サーフィンブームが到来した。この世代のサーファーにとってサーフミュージックといえば西海岸であり、ジミー山田やテッド阿出川等は多種多様なサーフカルチャーをアメリカから持ち帰ったが、なかでもレコードは日本人サーファーに大きな影響を与えた。
1966年にTDKがカセットテープ販売をスタートすると'70年代にはラジカセが大ブレイク、さらにカーステレオの普及で好みの音楽を車中で聴くという文化が芽生えた。1979年にソニーがウォークマンを発売すると、海外サーフトリップに欠かせない存在となる。ソニーは防水ウォークマンを発売するほど、音楽関連産業はサーファーをターゲットにした。サーフィン専門誌やPOPEYE、Fineにレコード会社の広告が多かったのも頷ける。サーファーはヘビーなロックではなく、ライトで洒落たサウンドを好んで聴いた。潮の香りとアコースティックには相通じるものがあり、それは今も変わりない。

【SURF MUSIC makes us "SALTY"バックナンバー】
#01 -潮騒香る音楽に身を委ね踊るとき-
#02 -ショートボード革命とサイケデリックサウンドの相関図-
#03 -世界中で無限の変貌を遂げ始めたフラワーチルドレンの種-
#04 -制限なき選択ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド-
#05 -サーファーだけが知るアンダーグラウンドという美学-
#06 -コラム:DICK DALE/ヘビー“ウェット”ギターサウンズ-
#07 -コラム:KALAPANA/アイランド“クール”ブリージング-

>>特集の続きは本誌でご覧ください。

「SALT…Magazine #01」 ¥3,300

本誌では24ページにわたってSURF MUSICを特集。“サーフィンと音楽”の蜜月関係から、アンドリュー・キッドマンのインタビュー、抱井保徳さんのコラムなど掲載。潮の香りをまとったソルティな音楽は、サーフィンライフを豊かにしてくれる。


photography_Mitsuyuki Shibata text_Tadashi Yaguchi

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