Profile
坂口 憲二- Kenji Sakaguchi -
1975年、東京都生まれ。1999年のデビュー以来、俳優として活躍。2018年、難病の治療のため芸能活動を休止。ポートランドの旅をきっかけに焙煎士としての道を歩む。2019年春に〈ライジングサンコーヒー〉の東京店、2021年はじめに横浜・鶴見店をオープン。
難病の治療に専念するために、芸能活動を休止していた坂口憲二さんが昨年、ドラマ『教場』に出演し話題を呼んだ。現在はセカンドキャリアであるコーヒーの焙煎士を続けながら、東京・千葉・神奈川にコーヒーショップを展開する経営者だ。コーヒーに、サーフィンに、人生に。坂口さんが今の生活に思うこととはーー。
週の半分を千葉の焙煎所で過ごしながら、経営する〈ライジングサンコーヒー〉のブランドプロモーションに携わる坂口さん。東京、千葉に続き、昨年はじめにオープンした横浜・鶴見店の業績も順風満帆のようで……。
「でも、僕が決めているのは経営方針や商品開発とか、大枠だけ。現場を仕切るのは若い子たちです。お店のことは彼らに一任。鶴見店も、30代の店長にデザインから任せました。その代わり『自分たちの店だっていう自負を持てよ』と話しています」
愛用するドイツ・プロバット社製の焙煎機。「焙煎士のやりがいは、失敗も成功もローストすればそのままコーヒーの風味として出てくるところ。でも、コーヒーって淹れてしまえば色はほとんど一緒ですよね。途中の工程を手抜きしても、パッと見て素人にはわからない。だからこそウソをついたらダメ」
一方で坂口さんは、看板メニューである「アフターサーフ」や「ワイプアウト」に次ぐブレンドを開発するべく、よりよい豆の組み合わせや焙煎方法を模索中。それにしてもサーファーのコーヒーショップとはいえ、飲み物に「転倒」とはユニークだ。
「アフターサーフ」は、読んで字のごとく、“海上がりの舌”を想定してつくられた。メインはナチュラルプロセスの「ブラジル/シティ・ダ・トーレ」。そこに、香り豊かな「ケニア/ングルエリ」をアクセントで加えた。口当たりよく、ボディ感のあるテイストは、毎日飲んでいても飽きがこない
「波の上で転んだときのガツン! という衝撃を、飲みごたえのあるブレンドで表現したかったんです。スマトラ島北部のアチェ地区とリントン地区からとれたマンデリンを、生豆の状態で1:1でプレミックスして焙煎。そうすることで、より複雑な味わいに仕上がりました」
そうして生まれた「ワイプアウト」は、千葉・大網店のみならず、サーファー人口の少ない鶴見店でも一躍人気に。補足するように、坂口さんはあるエピソードを披露してくれた。
「お店を開いたばかりの頃、地元の人は恐る恐る様子を見にくるといった感じでした。でも、何人かがリピーターになったのを機に評価してくれたみたいで。今では商店街のおばちゃんが『ワイプアウトある?』って買いにきてくれます。“海から縁遠いところで、サーファー用語が飛び交う”という光景が、見ていて面白いです」
それもこれも、坂口さんの愛のある焙煎が、お客さんの心をつかんだからに他ならない。興味深い話だが、そもそも〈ライジングサンコーヒー〉のきっかけは、活動休止中、坂口さんがアメリカ・オレゴン州ポートランドを旅したこと。
「初めて訪れたときにカフェ巡りをしてみたんです。すると気づいたのは、その規模の大きさ。『これ本当にコーヒー屋なの?』という外観の、倉庫みたいなショップがあって。そこでボサボサのヒゲを生やしたおじさんや、がっつりタトゥの入ったパンクなお姉さんが、すごく丁寧にコーヒーを淹れていたんです。コーヒーが人々の生活に強く結びついている様子に強く惹かれました。と同時にその光景が、昔、サーフトリップで訪れたカリフォルニアの風景と重なったんです。『こんな感じでサーフィン前後に立ち寄れる、渋くて洒落た場所があればいいな』と」。
>>インタビューの続きは本誌でご覧ください。
愛車は“HONDA XL230”。バイクに乗っているときも、サーフィンをしているときもいつも自然体。「『やっていて心地がいいかどうか』をライフスタイルの基準にして以来、自分らしくいられている気がする」と語る
「SALT…Magazine #01」 ¥3,300
本誌では坂口憲二さんのインタビューを全文公開。アメリカから帰国してコーヒーの勉強を始め、バリスタ・ロースターの元で修行を重ね、〈ライジングサンコーヒー〉をオープン。セカンドホームでもある、千葉・九十九里での生活などを語ってくれています。
photography _ Yasuma Miura text_Ryoma Sato
TAG #SALT…#01#ビーチライフ#ライジングサンコーヒー#坂口憲二
海と繋がり、自分の中の好きや小さなときめき、そしていい波を追い求めてクリエイティブに生きる世界中の人々、“Ocean People”を紹介する連載企画。彼らの人生を変えた1本の波、旅先での偶然な出会い、ライフストーリーをお届けします。
Profile
Anna Mowgli アナ・モーグリ
フィリピン出身、現在はバリ島とジャワ島東部の2拠点で生活しながら、フォトグラファーとして活動する傍ら自身のブランド「Tiny Wave Surf Club」をパートナーと運営している。
あなたのことについて教えて
生まれはフィリピン、育ちはカナダ。大学を卒業した2008年に初めてインドネシアを訪れて、それ以来ずっとここに住んでいる。バリは数年前と比べて海も街も忙しくなったけど、友達がたくさんいるからお気に入りの場所。今は手付かずの自然と波が豊富なジャワ島東部のバトゥカラスと行き来しながら生活している。
仕事はフォトグラファーをメインにしながら「Tiny Wave Surf Club」というブランドも運営している。ブランドを始めたきっかけは特にないんだけど、最初はただ趣味程度にやっていた。パートナーがアーティストということもあって、彼のアートをTシャツにプリントしたり、ロゴを作ってみたり。特にビジネスにすることは考えず、洋服を友達や身内に販売してたの。するとみんなからの反応が思った以上に良かったから、インスタグラムのアカウントを作り、ブランドとしてローンチすることに決めたの。
Tiny Wave Surf Clubという名前に込められた意味は?
コンセプトは太陽の光が降り注ぐ海岸と、穏やかな海のさざ波が出合う場所。一般的なサーフクラブではなく、サーフィンの本質を再定義するために集まった、サーファーたちのコミュニティ。ここでは、誰が一番大きな波に乗るか、誰が一番クリティカルなマニューバーを描くかということは気にせず、なぜ海が好きになったのかを思い出させてくれるような、小さくてファンな波に乗る喜びを、心の底から味わうことが大切。
ソフトボードで練習する初心者も、ビッグウェーブに挑むサーファーやプロと同じように、ラインナップの中では誰もが自分の居場所を見つけることができる。そんな多様性を大切にし、順位や点数を気にせずサーフィンを純粋に楽しむことができる場所を作りたいと思った。
サーフィンを始めたきっかけとお気に入りの場所は?
バリに移住する前にハワイやコスタリカで何度かトライしてみたけど、本格的に始めたのは2008年にバリに来てから。最初はチャングーのバトゥボロンやオールドマンズでロングボードを始めて、それから色んな場所にサーフトリップに行くようになった。スリランカやオフシーズンのメンタワイは私にピッタリの波で、お気に入りの場所。
海、自然との関係を言葉で表すなら?
私の人生はサーフィンを中心に回っているから、日常生活も旅行に行くのも、一番にサーフィンのことを考えている。パートナーと出会ったのも海の中だし、海にいると様々なアイデアが浮かんでくる。ビーチで過ごす時間は私にとって欠かせない時間、海から上がったあとのリフレッシュしたマインドや感覚は特別で、他に変えられるものはない。
これからの目標は?
ブランドは今まで通りシンプルに、クオリティを維持していけるよう努めていきたい。それと同時に、商品が実際手に取れるお店も作りたいと思っている。個人的な目標は、行ったことがない新しい場所にサーフトリップに行くこと。インドネシアには数えきれないほどのサーフスポットがかるから、ここに住んでいる間にもっと多くの島を訪れて誰もいないラインナップを探すのが夢。それから、来年はニュージーランドにも行ってみたいな。
あなたの生活に欠かせないものを3つ挙げるとしたら
私は食べることが大好きなので、まずは美味しい食事。それと何か新しいことを学ぶこと。スキルでも知識でも何か新しいことを日常的に取り入れることが大切だと、ここ最近気づいたの。あとは旅行かな。
text:Miki Takatori
20代前半でサーフィンに出合い、オーストラリアに移住。世界中のサーフタウンを旅し現在はバリをベースに1日の大半を海で過ごしながら翻訳、ライター、クリエイターとして多岐にわたって活動中。Instagram
TAG #Ocean People#Tiny Wave Surf Club#アナ・モーグリー#ビーチライフ#連載
海と対峙するとき、音楽は円滑油のような効果を発揮する。サーフィンと音楽が絡み合い起こる化学反応。多くの先人たちの言葉を交え時空に綴れ織りを描くとき、サーファーとダンスの関係が見えてくる。
海を感じさせてくれる音楽、その答えは百人百様だが“サーフミュージック”には時代と場所を越えたアイデンティティがあるようだ。
サーフミュージックという言葉の誕生は1960年代初頭、発祥地は南カリフォルニアとされている。ディック・デイルがヘビーでディープなリバースを効かせたエレクトリックギターのインストルメンタルナンバー「レッツ・ゴー・トリッピン」を大ヒットさせたのが始まりだった。それ以前は、音楽とスポーツを結びつけるサウンドは存在していない。
サーフィンが普及し始めたこの頃、アメリカは世界一豊かで夢と希望が溢れる夢の国として世界中から憧れていた。1945年に第二次世界大戦が終わり、'50年代に突入すると戦争のない平和な時代を謳歌するユースカルチャーが芽生え始めていた。クールとポップの融合である。その代表格がサーフィンであり、サーファーだった。彼ら彼女たちが好んで聴く音楽が、のちに南カリフォルニアの海岸線から全米に広がり世界中のポップミュージックに影響を与え続けるとは、そのとき誰が想像できただろうか?
同時期にデビューしたザ・ビーチ・ボーイズはディック・デイルとは対照的に、甘くメローなハーモニーとキャッチーな歌詞で商業的にも大成功を収めた。なぜ全く異なる性質の音楽が時同じくしてサーフミュージックと定義されたのか? それはサーフィンの本質に由来しているから。激しく荒れ狂う海とオイルフェイスの凪ぎを思い浮かべて欲しい。どちらからも同じ潮騒の香りが漂ってくる。
現代では科学的に「音楽は脳に効く」ことが立証されているが、'60年代初頭は音楽とスポーツの関係は未知の領域にあり、その関連性を探る者さえいなかった。近年ではアスリートが競技中にヘッドフォンで音楽を聴くことが禁止されている。一方でスタート直前まで音楽を聴く選手たちの姿を暫し目にする。特に個人競技では顕著である。音楽が脳の報酬系部分を刺激し、ドーパミンの分泌を高める効果が証明されたからである。つまり、音楽はアスリートにドーピングと同じ作用を及ぼすのだ。ドーパミンが増えると快楽に敏感となり、アドレナリンの分泌量を増やし肉体のパフォーマンスを高める。さらに覚醒作用が生じることで集中力が増し、目の前の恐怖に対して身体と脳が対抗力を高め、ストレスホルモンと筋肉の疲労感を一時的に軽減させる。そう、戦闘モードを高めるのだ。
例えばラグビー・ニュージーランド代表のオールブラックスが試合前にハカを舞う雄姿は有名だが、彼らは自らを鼓舞するために頑強な仕草でグラウンドを揺さぶる。但しハカは原始的な踊りに近く、旋律にスポットが当たることはない。いずれにせよ、サーフミュージックこそがアスリートとミュージックを一元化した、世界初の音楽ジャンルであることは明らかである。
>>特集の続きは本誌でご覧ください。
「SALT…Magazine #01」 ¥3,300
本誌では24ページにわたってSURF MUSICを特集。“サーフィンと音楽”の蜜月関係から、アンドリュー・キッドマンのインタビュー、抱井保徳さんのコラムなど掲載。潮の香りをまとったソルティな音楽は、サーフィンライフを豊かにしてくれる。
photography_Aition text_Tadashi Yaguchi
TAG #SALT#01#SURF MUSIC#SURF MUSIC makes us "SALTY"#サーフミュージック
Profile
栗山 遥 - Haruka Kuriyama -
1996年生まれ。学生時代にヨガと出合い、正しい身体の使い方や哲学を知り、もっと深めたいと思いRYT200を取得。現在では海の近くに暮らしながら、ヨガだけではなく、マインドフルネスやエシカルな活動をSNSやYouTubeを通じて幅広く広めている。
環境に配慮した生活を送りたい、身体に良いことを取り入れたい。そんな前向きな思いがあるのに、時には「完璧にしなければ」と感じて息苦しくなったことはないだろうか?
ヨガインストラクターの栗山遥さんが教えてくれたのは、自分軸に合わせた「心地よいエシカルライフ」の作り方。少し視点を変えるだけで、もっと自然体で持続可能な生活が手に入る。
ヘルシーなライフスタイルを送るヨガインストラクター、栗山遥さんは、自然体で過ごしながら環境に配慮した「エシカルアクション」を発信し、多くの人々に共感を呼んでいる。だが、彼女がこのマインドセットに到達するまでには、試行錯誤があったという。
「サーフィンを始めたことがきっかけで、海のゴミの多さに気づいたんです。それから環境問題について深く知るようになり、環境に良いとされることはとにかく実践する日々が続きました。プラスチック製品を使わない、ヴィーガン生活をするなど、できる限りのアクションを取り入れることに夢中になりました」
しかし、完璧を追求しすぎた生活は次第に苦しくなってしまったと栗山さんは振り返る。
「最初は環境汚染に対する恐怖から、とにかく行動しなきゃって焦っていたんです。でも、その生活を続けていくうちに、無理が出てきてしまいました。持続可能な生活とは、無理なく自分に合った形で続けられることが大切なんだと気づきました」
今では、身体と心に無理のない範囲でエシカルな行動を実践し、それが結果的に環境に優しい選択になっているという。自分に合ったライフスタイルを見つけることで、より続けやすく、心地よい日々が送れるようになったと教えてくれた。
栗山さんが試行錯誤の末にたどり着いたのは、完全なヴィーガンやゼロ・ウェイストではなく、自分の体調やライフスタイルに合わせた食生活とエコな習慣だ。たとえば、お肉を控える代わりに魚を中心とした食生活に切り替え、身体のバランスを取ること。
さらに、プラスチック製品の使用を完全に排除するのではなく、リユースできるものを選ぶなど、負担なく続けられる選択も取り入れること。そうすることで、視野が広いエシカルアクションを叶えている。
「たとえば、エコバッグやマイボトルを使う、コスメはリサイクル可能な容器のものを選ぶことを心がけています。無理にすべてのプラスチックを排除しようとするのではなく、心地よく続けられる方法を見つけることが大切だと私は思うんです」
また、栗山さんは自身の価値観を反映したエシカルファッションブランド〈seed and soil〉を2021年に立ち上げた。ブランドでは、「土から生まれ、土に還る」という循環を意識した素材を使用し、環境に配慮したモノづくりを行っている。質の高い素材とシンプルなデザインが特徴で、年齢を問わず長く愛用できるアイテムを提供するのも栗山さんらしい。
栗山さんが伝えるメッセージは、いたってシンプル。「無理をせず、長く続けられる形でエシカルな選択をすること」。それは、環境に優しいだけでなく、自分自身の心と体にとってもいい選択であることを、改めて考えさせられた。
「自分の心地よさを大切にしながら、環境にも配慮できる選択をすることで、長く続けることができるんです。みなさんも無理をせず、自分に合った形でエシカルライフを楽しんでください」
「SALT…Magazine #01」 ¥3,300
本誌では栗山さんが「アーユルヴェーダで学んだ体質に合わせたセルフケア」のエピソードも掲載!
他にも観光ファーストではない、レスポンシブル・ツーリズムとリジェネラティブ・ツーリズムの考え方を、トータル48ページにわたって特集しています。
ぜひチェックしてみてください!
photography _ Pak Ok Sun composition _ Ayaka Takaura
TAG #SALT…#01#エシカルライフ#ビーチライフ#ライフスタイル#創刊
Profile
笹子 夏輝 - Natsuki Sasako -
1994年神奈川県茅ヶ崎市生まれ、鎌倉市在住。18歳から25歳までのプロ活動を経て、フリーサーファーに転向。現在はキャプテンズヘルムに勤務する傍ら、サーフブランド〈DANBUOY〉をハンドリング。次世代のプロサーファーへ道を示すべく、日々活動を続けている。
2019年にプロを引退後、フリーサーファーやブランドプロデューサーとして、ネクストステージで活躍する笹子夏輝。競技時代とは一転、オルタナティブなサーフィンで見る者を魅了する彼が、移住や旅、人との出会いを経てたどり着いた“思いがけない発見”とは。
「今日は陽射しが暖かいけど、風がちょっと冷たいですね」
ビーチでの撮影後、インタビューのために入った鎌倉のカフェで、夏輝が静かにそうこぼした。「そんな日にごめんね」と恐縮すると、彼は白い歯を見せて「おかげでコーヒーが美味い」。こちらに気を遣ってくれたのか、それとも素の感想なのか。いたずらっぽい笑顔からはうまく読み取れなかったが、夏輝は子どもの頃からそんなふうに、どこかミステリアスな魅力を持っていた。
プロを退いたのが25歳。以降、フリーサーファーになった彼は、数年前、生まれ育った茅ヶ崎を離れて鎌倉に移り住んだ。なるほど、茅ヶ崎で彼の姿を見なくなったわけはそういうことか。でも、いったいどうして?
「特に理由はないんですよね。強いていうと、新しい世界をのぞいてみたかったから」と言うと、夏輝はコーヒーで唇を湿らせてから続けた。「会社の上司が近所に住んでいるんですよ。その生き方に影響されて、というのも大きかったかもしれない」
東京・千駄ヶ谷のセレクトショップに勤め出したのが27歳。少し前までプロサーファーだった夏輝にとって湘南と都内の往復生活はストレスフルにも思えたが、「見方を変えればチャンスだった」という。
「この際だからいろいろ学ばせてもらおうと思って。お店の業態的にサーフィン以外の商品ラインナップも豊富で、スノーやキャンプなどの業界にも関わりやすかったんです。そこで感じたのは、“同じアウトドアなのに、カルチャーが全く違う”ということでした」
幼い頃から親しんできたサーフィンから離れることでたどり着いた境地。すると、普段から何気なくまとっていた洋服や装飾品の一つひとつに、歴史や文化が詰まっていることに気づいた。
「この前、カリフォルニアを旅したとき、サーフィンついでに古着屋へ寄ってみたんです。お店に入ってみたら、サーフィンとまた違った面白さがあって。うまく言葉にできないけど、全てがかっこよかった。そういう経験をしたおかげで、最近は洋服をちゃんと選んで着るようになりました。サーフトリップのときも、スウェットにビーサンじゃなくて、ジージャンに革靴を履くようになったんです。今は『海に出かけるときこそ決めていこう』と密かに考えています」。
>>インタビューの続きは本誌でご覧ください。
「SALT…Magazine #01」 ¥3,300
本誌では笹子夏輝のインタビューを全文掲載。昨年、同世代のフリーサーファー小林直海と立ち上げた冬のサーフギアブランド〈DANBUOY〉のこだわりから、「夏輝にとって海とは?」について語ってくれています。
photography _ Pero, Shuji Nihei(surfing) text_Ryoma Sato
TAG #CAPTAINS HELM#DANBUOY#SALT…#01#ビーチライフ#笹子夏輝
Profile
畠山 晶 - Akira Hatakeyama-
1985年生まれ。神奈川・葉山で漁師として修行をし、2013年に葉山漁協の準会員、2015年に正会員に。葉山漁協初の女性漁師として、ワカメ漁、ヒジキ漁、潜り漁などを行う。漁師仲間と開催する朝市や直売所、地域の教育現場での授業や魅力を伝える活動も人気。
女性だから、男性だからという理由で、自分のやりたいことを諦めるのはもったいない。前例がないのは怖い。でも、それを貫くことで幸せの形が見えてくるということを、漁師の畠山晶さんが教えてくれた。
漁師と一児の母の顔を持つ彼女の生き方とは。
葉山の美しい海と山に囲まれて働く畠山晶さん。彼女はなぜ漁師になることを決めたのでしょうか?
「水産高校卒業後、高校の恩師から地元の海のNPO法人を紹介してもらい、チャレンジドの方にディンギーなどを教えていました。そこで定置網の漁師さんと出会い、船に乗せてもらうように。大量のハンマーヘッド、巨大なマンボー、朝焼けのなかアーチを描いで飛ぶトビウオ、可愛らしいアザラシの子供など、雄大な海の生き物との出合いに感動したことを今でも覚えています。
でも都会の仕事に憧れもあり、冬場の閑散期は朝から2時間電車に乗り、ヒールを履いて都内へ仕事に通う日々。けれど、やっぱり地元で仕事がしたいと感じ、都会から離れました。そして、24歳の時に鎌倉の女性漁師さん、新丸の優子ちゃんと知り合いになったんです。彼女の姿を見て、お手伝いをするなかで、私も葉山で漁師をしたいと目指し始めました」
畠山さんが日々感じているのは、地球温暖化による海の変化。水温が上昇し、漁獲量にも影響が出ているといいます。
「冬はわかめ漁が盛んですが、今年は水温が高く、魚たちが活発に動き続けました。3月に水温が低くなり始めたものの、年々海の温度が上がっているのを感じます」
また、海藻の養殖にも取り組んでおり、わかめや昆布の他、保全目的でカジメやアカモクも育てています。
「海藻は二酸化炭素を吸収し、地球の循環に不可欠な存在。このままでは、10年後に海藻がなくなるかもしれないという危機感があります。だからこそ、人の手で海の豊かさをサポートする必要があるんです」
畠山さんの活動は、漁業だけに留まらない。彼女は地元の子供たちに海の大切さを教え、朝市や直売所で地元の海産物の魅力を発信することで、葉山の海の未来を守るための取り組みを続けている。
葉山の唯一の女性漁師である畠山晶さん。その挑戦と決意、そして海と共に生きる姿勢は、私たちに新しい生き方を教えてくれました。
「SALT…Magazine #01」 ¥3,300
本誌では畠山さんが漁師と子育てを両立しているエピソードも掲載!
他にも観光ファーストではない、レスポンシブル・ツーリズムとリジェネラティブ・ツーリズムの考え方を、トータル48ページにわたって特集しています。
ぜひチェックしてみてください!
photography _ Junji Kumano composition _ Ayaka Takaura
TAG #SALT…#01#ビーチライフ#ライフスタイル#創刊
海と繋がり、自分の中の好きや小さなときめき、そしていい波を追い求めてクリエイティブに生きる世界中の人々、“Ocean People”を紹介する連載企画。彼らの人生を変えた1本の波、旅先での偶然な出会い、ライフストーリーをお届けします。
Profile
Sarah Deyoung サラ・ディヤン
ハワイ・マウイ島在住のグラフィックデザイナー。トロピカルなライフスタイルやサーフカルチャーにインスパイアされたファインアート、ロゴ、デザイン、パターンなどをの制作活動をしている。
あなたのことについて教えて
生まれ育ちはアメリカのミシガン州。五大湖のひとつミシガン湖が有名な場所で、住んでいた頃はよくウェイクサーフィンをしていた。幼い頃から自然のなかで過ごすのが当たり前で、それが今では自分の軸になっている。3年前にハワイ・マウイ島に引っ越し、グラフィクデザイナーとして様々なブランドのロゴやデザイン制作を行なっている。
家の近くに、冬になると15フィート以上の波が立つHo'okipa(ホオキパ)というポイントがあるんだけど、そこでロングボードをするのが好き。もう一つ、Thousand Peaksというポイントもお気に入りで、ここは文字通り複数のピークがあり、レフトとライトどちらもブレイクする初心者でも楽しめる場所。
ハワイへ引っ越した理由は?
以前やっていた仕事がひと段落したタイミングで一度長い休憩を取ろうと思い、4年前にずっと行きたかったハワイ行きを決めたの。初めてのハワイ、スローなライフスタイルとサーフカルチャー、美しい自然に魅了され、最初は1ヶ月の予定だったけど最終的には1年間滞在して(!)、ここに落ち着くことになった。仕事やアート制作のインスピレーションも多く受けていて、ハワイへ引っ越して本当に良かったと思っている。
普段の日常は、朝起きて近所を散歩しながらノースショアのお気に入りのコーヒーショップに行くことから始まる。そこに行けば必ず知り合いに会えるし、アットホームな空間がすごく心地いいの。午前中はそこで仕事をして、午後もしくは夕方時間があればサーフィンに行く。それから友達と会ったり、サンセットを見に行ったりして過ごしている。
アートを始めたきっかけは? インスピレーションはどこから得ることが多い??
大学の授業でアートを専攻していて、小学校で美術を教える学位を取ったの。数ヶ月美術の教師をしていたけど、この仕事が自分のパッションじゃないことに気づいたの。そして2020年、iPadでデジタルアートを描き始めたの。当初は今のスタイルとは全く違っていて、明るい色を使ったりポートレートを中心に描いていた。ハワイに住み始めてから現在の落ち着いた色味や海、サーフカルチャーを描くように。それをインスタグラムで発信していくうちにコネクションが増えていき、色んな企業やクリエイターからロゴやデザインを作って欲しいとオーダーがくるようになったの。これがグラフィックデザイナーになったきっかけ。
海のそばで暮らしていることが一番のインスピレーション。サーフィンしているときもビーチでチルしているときもありのままの自分で、すべてがアートに直結している。
海、自然との関係を言葉で表すなら?
海で過ごす時間は自分自身に戻れる時間でもある。癒し、平穏、活力のすべてを与えてくれる。仕事で行き詰まったり、クリエイティビティにブロックがあるとまず行くのは海。サーフィンから帰ってきた後はたくさんのアイデアで頭がいっぱいになるから、最近はノートとペンを持って行き忘れないようにメモしている。いま地元のミシガンに2週間帰ってきているんだけど、ハワイに戻って海に行くのが待ち遠しいわ!
次に行きたいサーフトリップ先はどこ?
最近ニカラグアのサーフトリップから帰ってきたところなんだけど、すぐに戻りたくなるほど好きになった。あとはインドネシアのロンボク島。ニカラグアで出会った多くのサーファーにロンボクをオススメされたから、今年か来年には行きたいと思っている。あと、オーストラリアへ行くのが今の夢。
何か新しいことを始めたい人へのアドバイス
「Do it before you are ready!」 すべてが揃うまで、準備が出来るまで待たずに始めてしまうこと。完璧なタイミングなんてきっとないし、思い切って始めることが一番だと思う。そうすることでこれまで以上に自分のやっていることに注力できるようになるし、一生懸命やらざるを得なくなる。
自分のパッションや好きなことを追いかけていると、宇宙が必ず味方になってくれる気がするの。そしてやりたいこと、叶えたいことをどんどん口に出したり、発信していくことも大切だと思う。何かがきっかけで友達がチャンスをくれたり、SNSを通じて仕事に繋がることもあるから。
text:Miki Takatori
20代前半でサーフィンに出合い、オーストラリアに移住。世界中のサーフタウンを旅し現在はバリをベースに1日の大半を海で過ごしながら翻訳、ライター、クリエイターとして多岐にわたって活動中。Instagram
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